2012年度の主な修士論文要旨は以下のとおりです。




<地域言語文化研究コース>



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氏名:岡田 恵美(B1G21002)
論題:三島由紀夫『憂国』論―「公」と「私」を結ぶ存在としての「麗子像」―

論文要旨:
 本稿は三島由紀夫著『憂国』を研究対象としてとりあげる。
 『憂国』は三島的美学の結集と言われており、また後の三島の自刃に関連付け、政治的思想とあわせて論じられる事も多かった。本稿では『憂国』における「女性」の存在意義に焦点をあて、本作品が持つ「救い」の構造を解き明かす事を目的とする。
 筆者は『憂国』の主人公・武山の妻「麗子」に着目した。従来の研究において、妻・「麗子」に関して論じられることは少なく、またその解釈も三島が意図していた「麗子」像とは異なるように思われた。したがって、この「麗子」像を捉えることが、『憂国』を解き明かす上で重要な意味を持つと考えた。
 本稿は、四部構成を成す。
 第一章では『憂国』という作品が先行研究者にどのように解釈されてきたか、先行研究の変遷を辿る。同時代的解釈、および死後の解釈を紐解き、そこに新たな視点を見出そうと試みた。「麗子」を論ずる先行研究の中で、青海健氏はその視線に着目し、彼女を男性と見なす「男色メタファー」論を提唱した。しかし、筆者は「麗子」は「女性」である事にこそ意義があるのだと考えた。「女性」である「麗子」を配置する事に、『憂国』をして「幸福の物語」であると称した三島の意図があるのだと推察した。
 第二章では武山夫妻の「死」の意義を再考する。比較対象として「江戸心中物」「乃木希典殉死」をあげ、その「死」の違いを明確化した。武山夫妻の「死」は単なる男女の相対死にではなく、また乃木希典の贖罪的「死」とも一線を画す。それぞれの場面・心情を比較分析する事でその差違を明らかにし、武山夫妻の「死」の在り方の特異性を浮き彫りにした。
 第三章では「理想」の女性像として、これまでの三島作品に登場する女性像を辿り、三島が「女性」に求める「救い」の形を分析検証していった。また、主人公の「切腹」という構造上の類似点を有する「男色作品」と照らし合わせ、より確かに「女性」の果たす役割を探る。
 第四章では、『憂国』という作品がもつ、「公」と「私」が衝突する物語構造を解き明した。公的領域における「二・二六事件」、私的領域における「生と死のエロティシズム」、三島はこの二つの分断された関係に連続性を求めた。彼は本作品に「生」と「死」、「公」と「私」の融和を成し遂げようと意図したのである。両世界を結びつけることを可能にしたのが「麗子」という「女性」の存在であると結論付けた。


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氏名:木立梢子(B1G21003)
論題:太宰治『右大臣実朝』と大仏次郎『源実朝』の位相

論文要旨:
 本論文は昭和十八年に刊行された太宰治『右大臣実朝』と、同時期に連載されていた大仏次郎『源実朝』を比較して、実朝の位相を考察することを目的とする。第一章では、太宰治『右大臣実朝』と大仏次郎『源実朝』の概要と、実朝との関わりや時代背景をまとめる。
 第二章では源実朝という人物に対する評価を研究領域ごとに見ていく。第一節は日本史学における実朝像、第二節は実朝と和歌の関係から和歌史的実朝像を考察する。第三節は創作・想像も加わった文芸的実朝像を考察する。第四節では第一〜三節を受けて実朝像がどのように変遷・展開してきたのかをまとめた。
 第三章第一節では、二作品のエピソードを時系列に並べて年譜を作成した。第二節では、両者が共通して作品に採用したエピソードを引用して比較する。そして第三節・第四節で太宰・大仏両者の実朝像をそれぞれ分析した。結論として、実朝の行動に太宰自身の経験が利用されていることから、太宰の実朝に対する共感が実朝像に強く影響していた。一方の大仏は、対照的な性質ながら似た境遇にいる実朝と公暁を対比させ、さらに実力者の義時が対比されることで、非常に客観的に実朝を描いていた。


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氏名:島村 伶(B1G21004)
論題:「銀河鉄道の夜」第三次稿から第四次稿への改稿の意図-科学的視座による分析から-

論文要旨:
 「銀河鉄道の夜」に関し、『新校本宮沢賢治全集』では第一次稿から第四次稿までの四段階の原稿が提示されている。また、『新校本宮沢賢治全集』以降、「銀河鉄道の夜」のテキストとして、最終稿である第四次稿を使用することが一般的となった。本論においては第三次稿から第四次稿への改稿部分に焦点をあてることにより、第四次稿の新たな読みを提示したいと考える。
 第一章「第三次稿「ブルカニロ博士」の表層と深層」では、ジョバンニに実験を施すブルカニロ博士の言葉を分析し、ブルカニロ博士という存在の深層を探った。博士は自らの信仰が「たった一つ」の正しい信仰であることを科学により証明しようとしており、このことから賢治が自らの信仰に対し確信を得ようとしていることが理解される。しかし物語としては、登場人物の各々が各々の信仰を唯一の真実としている。したがってブルカニロ博士という存在の深層には、賢治の描く理想の破綻が内包されている可能性のあることを主張した。
 第二章「第四次稿「一、午后の授業」の検証」では、「一、午后の授業」の章を取り上げ、科学が、三次稿と同様、信仰を証明するため用いられているのか検証した。特に「真空」が、銀河鉄道の走る空間を物語に存在させるために、賢治にとって必要な原理であった点に着目した。つまり、賢治独自の真空観を含む第四次稿における科学は、銀河鉄道の走る空間の存在に深く関わっており、第三次稿と異なり科学が信仰を証明するために用いられているのではないということを明らかにした。
 第三章「第四次稿終結部における信仰の深化」では、ブルカニロ博士の存在・思想が、第四次稿終結部においてどのように変化したのかを考察した。賢治は「ブルカニロ博士の実験」という構想を削除し、友人カムパネルラとの別れを「死」という形で表現している。この変化はジョバンニの体験をテキスト内の夢の話ではなく、テキスト内の現実として表現しようとする賢治の意図と考えられる。さらに、第四次稿における終結部の変化は、賢治の信仰の深化に対応しているものではないかと推定し、妹トシの挽歌群を援用しつつ、論証した。
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 第四次稿には新たに信仰の〈実践〉という課題が課せられている。ジョバンニは「カムパネルラの死」を突きつけられることにより、銀河鉄道の旅から戻ったあと、ブルカニロ博士の力を借りることなく、ジョバンニが自ら覚醒し、成長する構成となった。
したがって第四次稿は、賢治自らの信仰を深化させた結果、書きえた物語として再評価しうるものではないかと考えられる。



<第二言語習得研究コース>



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氏名:宇賀神 秀一(B1G21001)
論題:陶淵明「擬古」詩の研究 ― 「擬古」という表現営為の意義 ―

論文要旨:
 本稿は東晋から劉宋初期を生きた詩人陶淵明「擬古」詩九首に対する研究である。従来の陶淵明「擬古」詩の研究では、模擬した対象となるうたを明らかにすること、淵明「擬古」詩自体の不可解さという点から、政治的な寓意性を明らかにするという二点が主な論点であるが、本稿では特に「擬古」詩における表現営為のあり方に注目して検討を加えた。
 第一章では、淵明の「擬古」という表現方法のあり方を検討するために陶淵明に先行して「擬」詩を制作している陸機「擬古」詩とそのもとうたである「古詩十九首」、淵明「擬古」詩における畳語表現に注目して論じた。陸機「擬古」詩における畳語の対偶は、もとうたの「古詩十九首」との関係において、畳字と畳字を対偶の関係とはせずに陸機の生きた当時の現代的な観点から畳字に対して畳韻語ないし双声語をもって対にし、より精緻な音声的美を追求している。それに対して淵明「擬古」詩は、「擬古」詩以外のうたにあっては陸機のごとき技巧的な対偶の認識が窺える一方で、敢えて畳字と畳字をもって対偶の関係としている。つまり陸機は当時の現代的な観点から技巧的な音声的美を追求しており、古詩を現代的にうたい直してアレンジしているのに対して、淵明は古詩の文体それ自体に近しい語り口をもってうたっていることを明らかにした。
 第二章では、淵明「擬古」詩においてしばしばみられる自然物の表現のあり方について論じた。従来の研究において、しばしば曖昧な解釈がなされていた自然物の表現に対して、主題を先に考察することにより、その対比として象徴的な自然物の表現が何を意味するのかという点から捉え直し、興として読むべき必然性を明らかにした。このことは淵明「擬古」詩の象徴性、暗示性は古詩がうたわれた時代における表現のあり方に通じるものといえ、鍾エ『詩品』の「古詩十九首」に対する所謂「其体源出於国風」の評が示唆するところを踏まえたならば、より直接的には『詩經』に通じる精神世界としての表現のあり方に通じていると考えられる。それがすなわち陶淵明「擬古」において、『詩經』ないし『毛詩』の精神が看取される所以であり、「擬古」という表現営為の方法によって、「古」の精神世界それ自体が獲得されていることを意味するに他ならない。
 第三章では、従来の「擬古」詩の研究において、しばしば指摘されてきた詠史詩と類似した表現とその相違点について論じた。詠史詩は、大きく論体と伝体の二つの文体に分けて捉えることができ、淵明「擬古」詩は、論体からなる詠史詩の特色である歴史を「今」に引き上げるという態度とは逆行して、「古」それ自体を志向するという点において相違しているが、自己の感情の発露、すなわち現実に対する思惟ないし批判をうたっているという点では似るところがある。また、伝体からなる詠史詩は直接的に自己の感情をうたっていないという点において異なる性質を有するものの、歴史それ自体を志向するという点は近しいものである。つまり、淵明「擬古」詩は、論体と伝体いずれの特質も併せ持ったものいえるが、根本的に相違している点として、詠史詩における語り手は、論体と伝体いずれも歴史を客体としてうたうのに対し、淵明「擬古」詩は歴史世界、すなわち「古」の世界を淵明自らが主体となってうたうという点である。
 淵明は「擬古」詩において「古」の世界に対する強い志向性を持ちながらも、現実に対する批判的な視点を抱き続けた。つまり淵明は「擬古」という表現営為によって「古」の視座を獲得し、現在の世界を正そうとしたのである。そして淵明は、新たな生のあり方を希求して、現在の自己を「擬」という営為によって破壊し、「古」の世界を主体化することによって、多様な生のあり方を獲得する。換言すれば、本来的には現在という次元を生きるしかない人間が、客体としてしか存在し得ない歴史世界、すなわち「古」の世界の次元に飛翔して、伯夷、叔齊、或いは荊軻といった人物らの生のあり方を獲得し、そして淵明自身の生のあり方を重層的に超克していくのである。これが、「擬古」という表現営為によって獲得された現実世界に向き合っていく新たな対峙のあり方なのである。そしてこれこそが「擬古」という表現営為の意義である。


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氏名:王 君香(B1G21502)
論題:中国の基礎日本語教科書に見られる文化
   ―北京大学を例として―

論文要旨:
 本稿は、中国の日本語教育において提示された「文化」に焦点を当て、「文化大革命」(以下は「文革」とする)以降、北京大学で用いられた初級基礎日本語教科書の通時的な考察をする。これを通し、教科書に見られる「文化」の変遷を明確にする上で、文化を捉える視点を分析し、その変遷に影響を与えた要因を解明するのが本研究の目的である。
 本稿は6章からなる。
 第1章では研究動機、研究目的と研究方法を述べた。
 第2章では本稿の研究対象である北京大学における日本語教育及び基礎日本語教科書の沿革を、北京大教員へのインタビューによる証言と周辺資料を使い概観した。
 2−1では、北京大学における日本語教育の歴史を述べた。
 2−2では、北京大学基礎日本語教科書の沿革を述べた。
 2−3では「文革」以降の北京大学の基礎日本語教科書の沿革を述べた。「文革」以降の基礎日本語教科書は3種類ある。それは『基礎日語』(1981−1987)、『新編基礎日語』(1994−1995)と『綜合日語』(2004−2006)である。これらの教科書の中に基礎段階で用いられた1、2冊目を本研究の研究対象とした。
 第3章では本研究の対象とした上記の三種類の教科書の構成及び内容について論述した。
 第4章では、各教科書の分析を通し、文化の変遷を考察し、文化を捉える視点を明らかにした。
 『基礎日語』における文化を捉える視点は、日本文化が重視されず、日本語教育を通して自国文化の認識がより強調されたことである。
 『基礎日語』と比べて、『新編基礎日語』では、日本文化が教科書の中で広がりを持つようになったことが文化を捉える視点と考えられる。
 また、『基礎日語』、『新編基礎日語』と比べ、2000年以降の『総合日語』における文化を捉える視点は、異文化コミュニケーション能力の養成に主眼を置き、中日両国の相類する文化が多面的に取り入れられていると思われる。
 第5章では社会背景をもとに、中国の日本語教育政策を踏まえ、文化を捉える視点の変化に影響を与えた要因を分析した。
 80年代の中国はブルジョア主義を排斥し、社会主義を提唱することにあり、資本主義国家である日本は中国に受け入れられなかったと考えられる。また、1978年に、「対外改革開放」の政策が打ち出されたこともあり、中国政府は世界に中国を理解してもらう目的が強く出ている。したがって、日本語教育においても、その影響を受け、社会主義と中国文化が強調されている。『基礎日語』も例外なく、強く時代性を反映している。
 90年代、社会主義市場経済体制を確立する目的に対応し、高等教育でも思想を解放し、外国の先進的な教育経験も借用する教育方針が実施されており、日本語教育における教科書の編集が多くの大学で行われている。この時期の日本語教科書編集における共通の特徴は、日本の文化を広く取り入れたことである。
 2000年以降、グローバル化と多文化社会の発展とともに、中国における外国語教育の目標は異文化コミュニケーション能力の養成が提唱される。教育の内容は時代の発展を反映させるとともに、社会と学生の実際生活に繋がることが強調された。したがって、2000年以降の教科書は異文化コミュニケーション能力の養成に主眼を置き、中日両国の共通する文化が多面的に取り入れられたと考えられる。
 第6章は結論である。本稿の考察を通し、中国の日本語教育における「文化」ならびに「文化」の変遷を踏まえ、各時期の教科書に見られる「文化」は中国の対外政策の伝達装置の一つであることを主張したい。


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氏名:王 連旺(B1G21004)
論題:蘇詩における博喩論

論文要旨:
 博喩はさまざまな比喩を用いて物事を描写する手法であり、蘇軾の詩文に多用されている。本論文は「以文為詩」の視点から着手し、蘇詩における博喩の修辞法を研究するものであり、次のような構成をとった。

  序論
  第一章 博喩の系譜
  第二章 蘇詩に見える博喩 ― 「百歩洪二首並叙」其一を中心として
  第三章 北宋における韓愈詩文の受容と「以文為詩」の開花
  第四章 韓蘇の「引物連類」について
  結論
  主要参考文献
  付録:蘇軾詩集に関する系統別整理

 序論では、本研究の対象と目的を述べ、特に蘇詩の注釈の系統を整理した。また、本論文の体例と研究方法についても述べた。
 第一章では、博喩の定義を検討する上で、北宋までの詩歌と文章における博喩の系譜をそれぞれ巨視的に考察した。博喩の手法は詩歌なら『詩経』、文章なら『書経』からすでに用いられ、中国文学の萌芽期から用いられた最も基本的な修辞法と言えよう。しかし、『詩経』以降の中国の詩歌における博喩の技法は、唐代の歌行体そして韓愈と蘇軾の詩歌以外には、あまり見られない。それに対して、文章における博喩の技法の方は歴史散文、諸子散文、賦、韓愈と蘇軾の文章などに頻繁に用いられている。程学恂氏と劉熙載氏の指摘を踏まえながら、本稿は詩歌における博喩の手法を「以文為詩」の手法として考察を加えた。
 第二章では、蘇詩における博喩の手法の運用範囲を概観することによって、蘇軾は特に古詩、歌行体で博喩を頻繁に用いられることがわかった。「百歩洪二首並叙」其一を丹念に読み、その特徴をより一層明らかにした。また、博喩を比喩的な賦の技法として論証する上で、「以文為詩」の具体的な表現をまとめた。
 第三章では、「以文為詩」の面において、蘇軾は韓愈詩文の影響を受けていることを考察した。韓愈の「以文為詩」は蘇軾だけでなく、北宋の主要詩人に多かれ少なかれ影響を与えている詩を以て議論し、散文の体裁を以て詩を作り、及び散文の章法と句法を以て詩を作る点において、北宋の主要詩人の「以文為詩」の受容と共通していると考えた。また、王安石、黄庭堅らは「而」、「之」、「或」、「矣」、「乃」などの虚字を詩歌に多用している。特に、賦と博喩の技法の多用については、蘇軾だけが継承していることに注目すべきである。言い換えれば、「以文為詩」の分野で、蘇軾ならではの韓愈受容は「博喩及び賦の技法の多用」である。
 第四章では、蘇軾ならではの韓愈受容は「博喩及び賦の技法の多用」であることを前提として、両者のこの技法の運用上の異同を考察した。両者はこの技法の運用範囲と運用対象が共通しているものの、相違するところもある。韓愈は「引物連類」の手法によって、道義・道理を闡明することが多く、蘇軾は奏議文と史論の中で「引物連類」の手法によって論理を説明する用例が多い。また、比喩を用いない「引物連類」の場合に、韓愈は「窮情尽変」の傾向が強く、物事を徹底的に描写する用例が多いが、蘇軾は「行」と「止」の手法を折衷する傾向が強い。
 結論では、本論のまとめとして各章の要旨を統合的に示し、更に残された課題を述べた。