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新聞を読んで 04年10月3日
1. この1週間も、新聞の紙面は内外のニュースでにぎわいました。ロシア政府がついに地球温暖化防止に向けた京都議定書の批准法案を閣議決定したというニュースが、10月1日金曜日の各誌朝刊1面から中面にかけて、大きく報じられました。これで世界は一歩前進すると思わせる、ほっとするニュースでした。これより先に、小泉政権の内閣改造がありました。さらにはいよいよ終盤に入ったアメリカ大統領選挙戦で、現職共和党のブッシュ大統領と野党民主党のケリー候補との直接対決が、第1回テレビ討論として行われました。
2. しかし今回はなんと言っても、アメリカ大リーグで活躍するイチロー選手の歴史的な挑戦物語です。
3. 日本時間の2日正午前、イチローは84年間破られなかった年間最多安打数の記録を塗り替えました。イチローはこれまでの記録保持者、ジョージ・シスラーを自らの手で歴史の中から掘り起こし、自らの力でその名をスズキ・イチローという日本人の名前に置き換え、そして元の記録保持者としてではなく、第2の記録の男としてシスラーの名を再び歴史の中に戻しました。2日の各紙の夕刊が、1面トップばかりか中面の何ページも使って、イチローの快挙を大々的に報じたのは当然でした。
4. イチローによる大リーグ記録の書き換えへの戦いがいよいよラストスパートに入ったこの1週間、多くの人が「今日は、どうだった?」と、お互いに声を掛け合ったことでしょう。もちろん私もその1人です。息詰まる思いで、イチローの成績と、それを伝える新聞の朝刊、夕刊を追う毎日でした。その緊迫の日々も2日で一段落です。
5. 日本にいる私たちにとって、イチローをめぐる興奮は、マスメディアを通してのものです。いつの場合もそうですが、歴史的な出来事は、マスメディアがその歴史的価値にふさわしい形で、正確かつ詳細に伝えてくれなかったら、私たちはその価値を理解しないままに終わります。
6. 今回、イチローに関する詳細な報道は、大リーグの野球に関心があるかないかにかかわらず、私たちの関心を掻き立て、それによって毎日の話題になり、さらに多くの人々のこの関心がまた報道を刺激して、さらに詳細かつ緊迫した形の記事につながるという相互増幅作用となっていきました。
7. 圧巻は、9月29日水曜日付けの毎日新聞朝刊でした。「イチローに沸く米国人の心」と題した、カリフォルニア州オークランド発の國枝すみれ記者による記事は、なんと一面トップ、それも紙面のほぼ半分を占め、さらに社会面に飛んで、その大半を占める大きなものでした。
8. 普通なら、「何だ、この扱いは?スポーツ新聞でもあるまいに」と思うところです。しかし今回のイチローに関しては、多くの読者はこの扱いにまず目を見張り、やがて静かに納得したのではないでしょうか。つまり、その大胆な扱いは、イチローの戦いがどれほどすごいことかを、読者の心の中にしっかりと位置づける大きな役割を果たしたと言えるからです。
9. これがスポーツ新聞ではなく、あらゆるニュースの扱いでその権威を競う全国紙の朝刊だけに、この日の毎日新聞の紙面づくりは、編集者の勝利、と私には映りました。
10. この毎日の記事では、イチローの背番号である51番をつけた帽子をかぶり、イチローの所属するシアトル・マリナーズのユニフォームを着たアメリカ人の少年が、イチローが到達できるかどうかで注目の最多安打記録「ヒット257本」と英語で書いた大きな紙を掲げているカラー写真が添えられ、いやがうえにも目を引きました。
11. 「イチローに沸く米国人」のたて見出しと共に、横長の2番見出しは、「努力すれば、評価される」となっています。
12. 記事はアメリカ西海岸で前日行われたシアトル・マリナーズ対オークランド・アスレチックス戦の球場でのイチロー・ファンの称賛の言葉に始まり、84年間の記録保持者シスラー選手の孫、ボー・ドロケルマンさんの言葉などを紹介しながら、イチローが今どれほど強力にアメリカ人の心を捉えているかに迫まりました。
13. イチローが興奮させているのは、日本人だけではなかったのです。見出しにある「努力すれば、評価される」という言葉は、ボー・ドロケルマンさん(58歳)が取材記者に語った言葉です。ドロケルマンさんはこう語ります。「懸命に努力して結果を出せば、評価される。私たちが信じていたアメリカ本来の価値観が実現されている」。
14. 私はこの言葉に、大きな意味を感じました。ドロケルマンさんは、祖父の大記録を書き換えようとしているのが、アメリカ人か日本人かなどと、国籍は問題にしていません。「アメリカ本来の価値観」とはいっていますが、その価値観で称賛されるのは、アメリカ人であるかどうかなど、全く関係ないのです。「懸命に努力して結果を出したかどうか」というアメリカン・ドリームの名で知られる、いわば普遍的な価値です。
15. 私たちは、イチローが日本人であるが故に興奮します。そして、大リーガーの中にあって、体力的には決して優位にはない、イチローという日本人野球選手の活躍のすごさに、驚き、感動しているのですが、そういう意味では、同じ大記録への達成を控えた選手の評価といっても、アメリカ人と日本人の心には、大きな違いが見られます。
16. 朝青龍が連続優勝をなしているとき、あるいは連勝を歴史に向かって伸ばしていたとき、果たして私たちは、ドロケルマンさんと同じ気持ちだったでしょうか。私たちがしばしば耳にし、また目にしたのは、「それにしても日本の力士はモンゴル出身にお株を奪われ、どうしたことか」というような言葉ではなかったしょうか。
17. 今アメリカでは、大リーグの野球で、ドミニカ出身のホームランバッター、サミー・ソーサ選手ら多くの中米から来た選手が活躍し、アメリカのプロゴルフ・ツアーでは、南太平洋フィジー出身のB.J.シンがタイガー・ウッズが持っていた年間獲得賞金総額の記録を書き換えるなど、外国人選手が自ら出した結果で称賛を浴びています。まさにドロケルマンさんの言葉、「懸命に努力して結果を出せば、評価される」ことを実証しています。
18. それにしても、シスラー選手の一族は、イチローのおかげで突然アメリカや日本で、注目を浴びる存在になりました。
19. 伝説の打者シスラー選手について、日本の各紙は相次いで、長文の紹介記事を掲載しました。この1週間に限れば、27日の月曜日、産経新聞朝刊が、「G・シスラー、どんな打者?」という見出しで、また同じ日の毎日新聞夕刊も「ジョージ・シスラーとは?」という見出しで、シーズン最多の257本の安打が記録されたのが1920年であったこと、4割を超す打率を生涯2度も記録し、4回の盗塁王に輝いたこと、それにもかかわらず、同時代のホームラン王ベーブ・ルースの陰で名声を奪われていたことなどを紹介しています。
20. 一方30日木曜日の読売新聞朝刊は、シスラー選手の息子で、現在セントルイスに住んでいるデーブ・シスラーさんとの電話インタビューを掲載しました。イチローの記録をずっと注視してきたというデーブさんはこう語ります。
21. 「父が生きていたら、父は真っ先にイチローを祝福しに行くでしょう。いい打撃をする選手が大好きでしたから。そしてこう言うでしょう。『パイレーツはなぜイチローをとらなかったんだ』」。パイレーツとは、シスラーさんが引退後一時スカウトをしていた球団だそうです。息子デーブ・シスラーさんの言葉にも、「84年間もの記録をなぜアメリカ人の大リーガーが破れなかったんだ。海を渡ってきてまだ4年目の日本人に破られるなんて、なんとアメリカ人大リーガーはふがいないこと」などという国籍に関する言葉はどこにも見当たりません。
22. イチローが記録更新の舞台に登場しなかったら、シスラー選手や家族は今までどおり、脚光を浴びることはなかったはずです。シアトルのセーフコ球場でイチローにより記録が作られた日、シスラーさんの娘や孫たちが球場に招かれ、イチローの新記録達成を目撃し、そして祝福しました。まさにデーブさんの言うとおり、家族はジョージ・シスラーさんに代わってイチローを祝福した光景は、今回のイチロー物語の最高のシーンではなかったでしょうか。
23. 「たかが選手が」と言った人がいましたが、「たかが野球が」と思う人もいるでしょう。しかし大リーグ野球をはじめ、国籍などを全く問題にしないアメリカ人のスポーツを見る寛大さには、改めて目を開かれました。このような寛大さを持つアメリカ人が、イラク問題に見られるように、ひとたび国際政治の舞台になると、なぜ利己的、近視眼的なアメリカ一国主義に陥ってしまうのか。アメリカの大統領はもとより、世界中のリーダーにとって、スポーツの世界から学ぶことが余りにも多いように感じずにはいられません。
