NHKラジオ「新聞を読んで」 03年5月4日

SARS:

1. ゴールデンウイークのこの1週間、海外旅行は新型肺炎SARSの不安に見舞われました。中国、特に北京地域におけるSARSの感染者、並びに死亡者数は、増える一方です。4月27日付読売新聞の解説面をはじめ、この1週間の各新聞は、当然ながらSARS紙面を大々的に展開すると共に、封じ込めに成功したベトナムと、後れをとった中国との成否を分けた初期対応に焦点を当てました。

2. 27日付の産経新聞1面トップ記事の、「新型肺炎、北京患者千人を突破」と言う見出しは象徴的です。それまで1地域としては香港が1,500人を越す患者を出していますが、北京もついに患者数が千人の大台に乗ったのです。「突破」という強い見出しには、さまざまな意味が込められています。恐れた事態がついに来たという思い、そしてこの危険はますます増大するぞという警告が、込められています。そしてそのとおり、北京と中国の患者数は増大し続け、北京留学中の学生への帰国勧告をはじめ、内外の日本人の活動にも大きな影響が出ています。

3. このように事態が進展する中で、過剰な反応が各地で出てくるのは十分予想されます。27日付の産経新聞は、国際面で、「広がる過剰反応、国際的に中国隔離」との見出しの下、「ベトナム国境や北朝鮮では、中国からの旅行者の入国を原則として禁止し、ロッテルダム・マラソンの主催者が中国選手の参加辞退を要請した」と報じました。過剰反応なのか、それとも危機に対する正当な防衛策なのか。世界に広がるSARSをめぐる波紋は広がる一方です。

4. この中国隔離の事態は、中国国内でも、いわば"北京隔離"の事態に発展していることを、29日付け毎日新聞は社会面で伝えました。北京特派員の記事によると、「北京市から周辺に抜ける道路を掘削したり、盛り土を設けて通せんぼする動きが広がっている」そうで、これは「感染者が入るのを食い止めようとする地方政府の仕業ではないか」と地元紙が指摘しているとのことです。

5. SARSは、その感染経路と治療法が確認されていないだけに、より不安を煽りますが、それだからこそなお一層新聞記事は、問題を整理し、人々の無用な不安を拭う努力が必要です。そういう意味では、5月1日付毎日新聞「ニュースの焦点」面に載った、「新型肺炎五つの謎」と題した記事は目を引きました。この記事は、「なぜ中国発か」、に始まって、「感染ルート」、「ウイルス異変」、「日本は未発生」などの項目で、これまでの報道やWHOの発表を整理し、最後の5番目の項目に「子供死亡者ゼロ」を掲げています。この記事によると、「これまで15歳以下の子供の患者は圧倒的に少なく、死者はゼロとされている」のだそうです。なぜ子供は死亡ゼロなのか。大変興味深い謎であり、これは大きな救いです。

民主主義と災害

6. 私たちは今、大きな教訓を学びつつあります。それは、1999年のノーベル経済学賞受賞者で、日本でも有名なインド人経済学者、アマルティア・セン・ケンブリッジ大学教授の警告です。セン教授はかねてから、どんなに飢餓状態が生じても、民主主義国家、つまり情報が公開され、国民全体が発生している事態を正しく認識している所では、大量餓死者を出すことはないと断言します。その証拠として、巨大人口を抱え、決して豊かではないインドで、民主主義国家として情報が広く行き渡るために、これまでひどい旱魃に見舞われても、大量餓死者を出したことはない。これに反して、中国や北朝鮮のように、民主主義でない国では、旱魃になると、大量餓死者を出した、というのです。SARS問題でも、同じことがいえるのではないでしょうか。

7. 正確、かつ広く事実を公開し、一般市民が正しい知識を共有すること。これは民主主義社会の大きな武器です、どうやら中国はこの武器を持たなかったが故に、SARS問題で大きく出遅れ、その結果、多くの犠牲者を出し、国民の疑心暗鬼を増幅させ、さらには国際的な批判を招いてしまったようです。

8. これに対し、各紙が伝えるベトナムの成功には大変心強いものがあります。なぜなら、対応を誤らなければ、SARSも封じ込めることが出来るということをベトナムは実証したからです。

9. それにしても、カナダのトロントのケースは問題です。WHOが渡航延期を勧める地域のリストに載せたものの、トロント市当局はもとより、カナダ政府が強引とも言える反対をしたためか、筋を通すので有名なブルントラントWHO事務局長が、その抗議に屈したかのように、まもなくトロントをリストからはずすと発表しました。果たして、トロントはベトナムのような成功例なのか。納得のいく関連記事を私は目にすることが出来ませんでした。

国連無能論

10. イラク戦争は終わったものの、イラク国内が安定を取り戻すのはずっと先のようです。この戦争をめぐり、国連安全保障理事会で米・英に対して仏、独、ロシアが対立したことで、日本の新聞でも国連の無力ぶりが嘆かれました。

11. この国連無力の議論はいまだおさまらず、例えば5月1日付朝日新聞国際面は、アメリカのネオコンと呼ばれる新保守勢力の総帥格、リチャード・バール氏にインタビューし、「国連には力も意志も決意もない。イラク解放の手助けさえ出来なかった。テロと大量破壊兵器にも無力だった」と言わせています。今アメリカで、SARSもどきに猛威を振るっているのが、ネオコンによる国連無用論です。

12. ただ彼らの言う国連とは、アメリカを含む国際社会全体のことなのか、それともアメリカを含む安保理のことなのか。そもそも世界政府ではない国連を、自分だけ埒外に置いて無力だとなじったところで、余り意味はありません。なぜなら無力さの責任はすべての加盟国、特に安保理常任理事国にあるからです。

13. 一方安保理を除けば、開発協力や難民支援、また今回のSARS問題に見られる世界保健機関の活躍など、無力どころか世界は国連機関に大きく助けられていることは、動かしがたい事実です。

14. ところが同じ1日付毎日新聞社説は、イラク戦争を論じて、「新たな国連決議なしの武力行使は国際社会に深い亀裂を残し、国連は機能停止に陥った」と嘆いています。しかし国連の機能停止は珍しいことでしょうか。また戦後60年近く、これまでどれだけの戦争が国連決議を経て行われたでしょうか。皆無です。
15. 私は国連の内外から長く国連を見てきました。その経験からしても、世界が緊迫し、戦争の瀬戸際に至ったときに、国連が機能して戦争あるいは紛争が未然に防止されたなどという例は、国連が誕生してから一度もなかったと言っていいでしょう。

16. ソ連が侵攻した時のアフガン紛争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、ボスニア戦争、そしてコソボ紛争や東チモール騒乱、9.11に続いたアフガン戦争。どれをとっても国連が戦争や紛争の未然防止に機能したことなどないのです。ずっと遡ってベトナム戦争でも、繰り返された中東戦争でもそうでした。

17. ボスニア戦争やルワンダ内戦のように、ひどい場合には国連平和維持軍の目の前で、何十万人もの市民が殺害されるということすら、起きているのです。安保理決議は、支援物資の安全輸送を求めても、国連軍兵士に市民を命がけで守れと要請したことは一度もありません。それでも安保理決議さえあれば、国連は機能したことになるのでしょうか。

18. 今回のイラク戦争をめぐって、安保理の勢力が真っ二つに分かれたことが問題になりましたが、これは逆に安保理が機能した大きな証拠だと私は見ています。世界中が注視する中で、安保理という場で米・英と仏・独という欧米主要国が、民主主義のルールに則って真っ向から対立した結果、世界中の人々が、どちらの意見に与するか、十分に考えることが出来たのです。今回は安保理が機能しなかったというより、国連の中でアメリカの独善を抑えたという意味では安保理は大いに機能したのです。問題は、安保理で勝てなかった米・英が単独行動に出るという民主主義のルール無視に出たことであり、そのような事態になったことは、国連の限界ではありますが、国連が機能しなかったのではないはずです。

19. 今のところブッシュ大統領やネオコン派は確かに勝ち組みです。しかしアメリカ単独でこの世界を運営していけないことは、実はアメリカ人が非常によく知っています。レーガンそれに今のブッシュ大統領の父のブッシュ・シニア時代にも国連無用論がまかり通りました。しかしブッシュ・シニアはクリントン氏に破れ、クリントン政権はそれまでのアメリカ路線を覆して国連協力路線を取りました。今はその揺り戻しの時期ですが、やがてさらに新たな揺り戻しが来ると思います。そこが数十年も路線の変わらなかった社会主義国と民主主義アメリカの大きな違いです。

20. 国連の機能停止を憂え続けるのも結構ですが、民主主義社会は比較的短い間隔で、必ず軌道修正が行われるという視点も、主要新聞には忘れないようにしてもらいたいと思います。

早稲田大学

21. 27日付朝日新聞によると、早稲田大学に新設される国際教養学部が、英語で授業の出来ることを条件に教員募集をしたところ、国内531人、海外401人の計931人の応募があったそうです。新学部の名称、英語による授業、国際色豊かな教授陣。大学教育の新時代が始まっていることを象徴するニュースです。

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