文教大学国際学部

【ウェブマスターより:オックスフォード・フォトエッセイが完結しました。2007年6月の在外研修現地報告に始まる「オックスフォード便り」と合わせて2年に及ぶ学問文化エッセイ。たいへん貴重な労作、ありがとうございました。】

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード・フォトエッセイ 【第4回(最終回)】「オックスフォードの四季」
2009年3月18日

オックスフォードには四季がある。日本のそれとは少し異なるが、春夏秋冬の移り行きを感ずることができる。以下は、2007年春から2008年春までの四季の体験である。

1. 川で見つけた春

5月は日本人にとって春のイメージであるが、オックスフォードに居住するイギリスの方々には、すでに夏という感覚がある。日本人には肌寒く感じられる日にも、イギリス人は半そでのTシャツ姿で屋外を歩いている。川を泳ぐ鳥たちを見かけることが多くなる時期でもある。イギリスでバード・ウォッチングが盛んなのは、身近なところに鳥がいるからでもあろう。

春になると学生たちは川でパンティングを楽しみ始める。パンティングとは、普通のボートよりも細長いパントに乗って遊ぶことである。

  (写真1)チャーウェル川に並ぶパント
  (写真2)ボートの脇を泳いで行く鳥の一家。何羽もいたので、一家というより もコミュニティーという表現がふさわしいかもしれない。
  (写真3)ユニヴァーシティー・パーク内の橋と川を泳ぎ行く鳥たち

【スライドショー:拡大するときは各写真をクリックしてください】
【上段写真番号 左から1・2・3・4・5・6・7】
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【下段写真番号 左から8・9・10・11・12・13・14】

2.パンティング・シーズンの夏

夏になると、観光客用のパンティングが増える。パントに乗るだけでなく、自分たちで漕ぐこともできる。しかし、通常のボートと異なり、パンティングは慣れていないと簡単ではなく、なかなか前に進まずに苦戦している観光客を見かける。一本の長い棹(さお)をさして漕いで行くので、漕ぐというよりも川底を押していくという方が感覚的に近いかもしれない。

テムズ川(イシスとも呼ばれる)では、学生たちが8人乗りボートレース「エイツ」の練習に励んでいる。6月下旬には、オックスフォード大学内カレッジ対抗の「エイツ」の競技がある。

  (写真4)オックスフォード大学植物園で見かけた、3艘を合体した珍しいパント。カメラを向けると、若者たちは帽子を挙げて答えてくれた。Thank you!
  (写真5)パンティングとボートの順番を待つ観光客。モードリン・カレッジのガーデンからの撮影
  (写真6)イシスでエイツを練習する学生たち。コーチ役の学生は、マイクを使 って指揮を執る。エイツは、コーチを含めると9人乗りとなるが、ナインズとは言わず、エイツのままである。

3.ピムズ

オックスフォードの夏の飲み物にピムズがある。自分で作るのが面倒ならば、市販のピムズで間に合わせることができる。冬になると、「冬のピムズ」という名称のピムズを販売するパブもある。

  (写真7) 店頭に並ぶピムズの瓶

4.名誉学位授与式(エンシーニア)

オックスフォード大学の学位授与式は、4月から6月のトリニティー・ターム中に何回も挙行されるが、エンシーニアはトリニティー・タームの終了を連想させる式典である(オックスフォード便り第3回参照)。当日の関係部署であるボードリアン図書館とシェルドニアン・シアター周辺には、交通規制がしかれる。式典開始のかなり前から警官が出ているが、式典の間も図書館自体は利用可能というのはさすがである。この日は、ガウン姿の関係者が往来を行き来し、ガウンの色を見ると、その人がどの領域で何の学位を得たかがわかる。

エンシーニアに参列するオックスフォード大学関係者には、ガウンの着用が要請されている。

  (写真8,9)式典前後の街頭

4.番外:2007年6月29日のロンドン

2007年6月29日に、ロンドンで爆弾事故があった。当日私はロンドンで人と会う約束があり、朝のBBCニュースを見て不安を抱えつつロンドンに向かった。待ち合わせ場所は爆弾騒ぎのあった通りと平行する隣の通りで、報道陣でごった返していたが、約束を果たすことができ一安心。今となっては、思い出の一こまである。

   (写真10) 路上に並ぶ放送車と報道関係者、通りを行く人々
  (写真11)緊張の面持ちでニュース報道の準備をするスタッフ

5.テムズ川の氾濫

2007年7月24日にはテムズ川が氾濫して洪水となった。当日私はオックスフォードにいなかったので詳細はわからないが(オックスフォード便り第4回参照)、60年ぶりの洪水だったらしい。帰宅した日の翌日に写真を撮った。洪水後2日目でも、まだ橋の上の水は引かず、川沿いの家に水が迫り、路上の一部が水没していた。

   (写真3枚:12−14)

6.深まり行く秋と紅葉

10月頃から木々が色づき始め、11月には、美しい紅葉と黄葉となる。カレッジの壁を彩るつたの紅黄葉は、この時期の楽しみの一つである。

   (写真15) 11月初めには、花と黄葉の協奏曲となる。
   (写真16) カレッジの外壁のつた
   (写真17) つたをアップにすると、美しさも倍増する。
   (写真18) つたを別の角度から3日後に撮影。緑の葉が日ごとに黄色に変化する様子がわかる。
  (写真19) 同じつたの4ヶ月後(3月)の様子。葉は散って、幹と枝のみが、つたの存在を知らせていた。

【スライドショー:拡大するときは各写真をクリックしてください】
【上段写真番号 左から15・16・17・18・19・20・21】
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【下段写真番号 左から22・23・24・25・26・27・28】

7.朝霧は秋と冬の風物詩

オックスフォードでは、11月の声を聞くと一段と秋が深まり、早朝や夜にセントラルヒーティングが入り始めた。こうなると、冬が足早にやってくる。と同時に、霧が出始める。特に早朝にはもやっていることが多く、天気予報ではfoggyであるかどうかもアナウンスするようになる。「霧の都(みやこ)ロンドン」という言い方を子どもの頃に習ったことを思い出した。イギリスでは、寒さと霧は切っても切れない関係にあるようである。

オックスフォードに来たばかりの3月末に、道路を隔てて私の住むフラットの向かい側の家が、霧で全く見ることができなかったときには驚いた。このような霧も、通常は日中になると晴れてくることが多い。その日が晴天かどうかは、別の事柄である。冬の空は、おもしろい形の雲や真っ赤な夕焼けなど、見ていて飽きることがなかった。

   (写真20) フラットの居間から、朝もやと霜を見る。
   (写真21) 夕方のもや
   (写真22) 印象的な朝の雲

8.春の訪れを告げる花とホット・クロス・バン

2月から3月にかけて花が咲き出し、徐々に春の気配を感ずるようになる。日本で梅や水仙の花が咲いて春の足音を感ずるのと同様である。

   (写真3枚:23−25)

2008年には、イースター(復活祭)が3月23日にあった。イースターとは、キリストの復活を祝う日で、春分の日のあとの最初の満月の日のあとの最初の日曜日という移動祝日である。クリスマスが日にちで決まっているのに対して、イースターは日曜日という曜日が決まり、日程が移動する。例年は4月になることが多く、3月中のイースターは、今後、私が生きている間にめぐってくることはない。

クリスマスの前に待降節があるのと同様に、イースターの前には四旬節と言われる期間がある。四旬節になると、イギリスでは、ホット・クロス・バン(hot cross bun)というパンが店頭に並ぶ。これは、パンの上に十字をつけた菓子パンで、干しぶどう入りだったり、りんごとシナモン入りだったりする。食パンの上に十字をつけたホット・クロス・食パンもある。

    (写真26,27) ホット・クロス・バンとホット・クロス・食パン

イースターを迎えると、いよいよ本格的な春である。しかし、2008年3月下旬には、私が日本に帰国する当日、オックスフォードからヒースロー空港に向かう途上で雪が降り始めた。

9.最後に

オックスフォード・フォトエッセイをご覧くださいまして、有難うございました。

当初は1〜2ヶ月に1回の割合で連載の予定でしたが、イギリスから帰国後は何かと忙しく、第4回「オックスフォードの四季」でこのフォトエッセイを終了いたします。デジタル・カメラを使い始めたのがオックスフォードに住み始めてからというアナログ人間ですが、フォトエッセイでは、オックスフォード便りよりも文面を減らし、写真を楽しんでいただくことを念頭に置きました。短期の訪問では気づきにくい側面を写真でお伝えできたのであれば、幸いです。

   (写真28)ウィンストン・チャーチルの生家ブレナム宮殿(オックスフォード近郊)にて、筆者                       

2009年3月


ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード・フォトエッセイ 【第3回】「街角の風景」
2009年3月11日

オックスフォードの中心部の街角は、大学と一体化しており、イギリスの他の都市と異なる趣を呈している。今回は、そのなかでもオックスフォードならではの風景を中心にお伝えしたい。

1.マートン・ストリート

皇太子殿下が留学していたことでも知られるマートン・カレッジが面している通りは、マートン・ストリートと呼ばれる。大通りから道一本入ったところにあるので、観光客を余り見かけることもなく、普段は静かな通りである。

(写真1)右側中央の建物から先がマートン・カレッジで、通りをはさんでその向かい側に哲学部が位置している。
(写真2)マートン・ストリートから大通りに至る道。マートン・ストリートよりも人通りが少ない。

2.エグザミネ−ション・スクールズ

マートン・ストリートと哲学部の前を通って大通りに出ると、エグザミネ−ション・スクールズがある。オックスフォード大学の学生は、卒業試験をこの建物の中で受ける。そのため、内部の写真撮影は禁止である。学期中には、人数が比較的多い科目の授業、夜に開かれるセミナーや講演がここで行われる。

(写真3)エグザミネーション・スクールズの入り口
(写真4)エグザミネ−ション・スクールズの別の出入り口。普段は利用されず、閉じていることが多い。門の鉄扉の上には、赤いバラがあしらわれている。オックスフォードの学生は、最終試験のとき、胸に赤いバラをつけて受験する。
(写真5)試験直後のエグザミネーション・スクールズの入り口の扉。結果はできる限り早くスクールズの外に掲示される旨、張り紙されていた。
(写真6)結果に見入る学生。写真を撮られていることに気づかないほど、じっ と見つめている。

【スライドショー:拡大するときは各写真をクリックしてください】
【上段写真番号 左から1・2・3・4・5・6・7】
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【下段写真番号 左から8・9・10・11・12・13・14】

3.ボードリアン図書館

オックスフォード大学付属ボードリアン図書館は、町の中心部に位置し、研究の中枢であると共に観光客が必ず訪れる所でもある。

(写真7)ボードリアン図書館本館の外側部分。
(写真8)図書館敷地内への入り口。閉館時間になると、入り口の扉はこのように閉じられる。
(写真9)ラドクリフ・カメラ。おもしろい形の建物なので、この建物を背景に写真を撮る観光客が多い。
(写真10)ラドクリフ・カメラの入り口。階段を上ると、入ってすぐの所に館員が座っていて、持ち物のチェックをする。
(写真11)ラドクリフ・カメラの道をはさんだ左右にも、カレッジがある。

2008年8月にオックスフォードを再訪する機会に恵まれました。写真7、9~11は、その折に撮影したものです。

4.オックスフォード大学出版局

大学関係者におなじみのオックスフォード大学出版局は、観光客がほとんど訪れない所に立地している。

(写真12、13)夕暮れ時の出版局
(写真14)神学部の前に駐車している出版局の車

5.ブラックウェル書店

大学関係者には、ブラックウェル書店もなじみ深い。こちらは、ボードリアン図書館のすぐ近くに位置している。

(写真15) ブラックウェル書店正面
(写真16) ブラックウェル書店2階からシェルドニアン・シアターを望む
(写真17) シェルドニアン・シアター。オックスフォード大学の卒業式やエンシーニ ア(オックスフォード便り第5回 エンシーニアと学位授与式 参照)の会場。

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【写真番号 左から15・16・17・18・19・20・21】
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6.リサイクル・ボックスと郵便ポスト

ユニヴァ−シティー・パークで空き缶専用のリサイクル・ボックスを見つけた。通常のゴミ箱が右側に並んでいても、迷うことなくその意味を理解することができる。このユニークなリサイクル・ボックスを見かけたのは、1年間のイギリス滞在中、ここのみであった。

(写真18)空き缶用リサイクル・ボックス。
(写真19)イギリスの郵便ポストは、日本のそれを連想させる色と形である。ずっしりと重そうな円錐形のポストの他に、壁に組み込まれたものもあった。
(写真20)ペンキ塗りたての紙が貼ってある組み込み型ポスト。イギリスの郵 便ポストには、日本のように回収時間の具体的記載はなく、その代わりにその日の 最終回集時間が書かれていた。つまり、平日と土曜日・日曜日とでは最終回収時間 が異なるので、週末になると、ポストごとに時間表示を換えているということにな る。日本とは異なる細やかさと発想法である。

7.夕暮れ時のバス発着所

オックスフォード中心部のバス発着所は、向かう方面により場所が異なり、わかりづらい。この写真にあるのは、北に向かうバスの発着所で、私は手前に見える赤いバス(路線2)を利用していた。始発のバス停は一般の路上にあるので、バスは出発直前に入ってくる。(写真21)


ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード・フォトエッセイ 【第2回】「オックスフォードの年末風景と秋のフェアー」
2009年2月18日

1.クリスマス・ケーキ

クリスマス・ケーキは、注文を意識してか、すでに11月中旬に店頭に並び始めた。他方、手作りケーキを見かけたのは12月に入ってからである。 (写真1)

12月9日には、オックスフォード大学の事務所がある Little Clarendon Street でFrench Market が開かれた。当日はあいにくの小雨模様で、人出は今一つであったが、ケーキの値段がイギリスにしては破格の安さのため、それなりに人は集まる。 (写真2・3)

2.ホワイト・ナイト

12月7日と8日には、夜6時頃から White Night の催しがあった。そのうちの White Light のコーナーでは、Symphonie Conique と呼ばれる大きな三角の風船が赤、緑、青、白、黄と順に色が変わり、近づくとその奥から音が聞こえた。それは、クリスマスの鈴の音だったり、馬がひずめで蹴る音だったりする。シンフォニー・コニックは子どもたちにとって、不思議な三角のっぽさん。 (写真4・5)

【スライドショー:拡大するときは各写真をクリックしてください】
【上段写真番号 左から1・2・3・4・5】
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【下段写真番号 左から6・7・8】

3.クリスマス直前の風景

クリスマス一週間ほど前から、クリスマス・ツリー用のモミの木が各所で販売され始める。自転車屋さんは、ツリーを販売していることを広告するために、自転車のかごにモミの木を載せて場所を知らせていた。 (写真6)

12月23日には、街頭のサンタさんの風船と手提げ袋が少しさびしそうに売られていた。24日午後8時以降25日までオックスフォード・バスは運休となるので、多くの人は、早めに大方の買い物を済ませている。お肉屋さんでは、肉の並べ方もこの通り。(写真7・8)

4.サン=ジャイルズ・フェアー

例年、オックスフォードでは、9月の第1月曜日と第1火曜日に、St Giles Fair が開催される。2007年は9月3日と4日がそれに該当した。メリー・ゴー・ラウンドには、大人が一人で楽しむ姿もあった。 (写真9・10)

当日の騒音はものすごく、神学部図書室がフェアー開催中に閉室になる理由がよく理解できた。中世以来、「ガウンとタウンの闘い」という表現があるが、フェアーの場合タウン側の勝利である。コーヒー・カップに子どもを乗せている父親の背後にあるのは、有名なパブ The Eagle and Child である。この名前のパブの前に子供用の遊具を配置するのは、イギリス風ユーモアと受け取れないこともない。 (写真11・12・13・14)

【スライドショー:拡大するときは各写真をクリックしてください】
【上段写真番号 左から9・10・11・12・13・14】
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【下段写真番号 左から15・16・17・18・19】

5.フェアー期間中の街頭

通りは人でにぎわい、バスの発着所も Blackwells 書店とシェルドニアン・シアターの前に変更となった。本来のバス停の通りに位置するデパート「デベナムズ」では、この機会に、2階部分の外壁の塗り替えをしていた。 (写真15・16・17)

お好み焼きやたこ焼きはなく、その代わりに、ハンバーガーとホットドッグ、そしてフィッシュ・アンド・チップスが販売される。 ハロー・キティーの風船も登場。綿あめの外袋の一部には、早くもサンタクロースの図柄があしらわれていた。  (写真18・19)

4日夜11時過ぎにフラットの居間にいると、大型車が何台も通り過ぎていく音がした。急いで外を見ると、フェアーで活躍した遊具機材とそれを支える台車とトラックの移動らしかった。 サン=ジャイルズ・フェアーは、夏の終わりと秋の到来を告げる。


ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード・フォトエッセイ 【第1回】「カレッジとファカルティー」
2008年7月22日


この「オックスフォード・フォトエッセイ」は、2007年5月から2008年3月にわたり文教大学国際学部ホームページに掲載された、「ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り」に継続する形で作成されています。ご興味のある方は、そちらもご覧ください。

2008年3月下旬に、お蔭様で無事帰国いたしました。これから2009年3月までの予定で、オックスフォードならびにオックスフォード大学について写真入りでお伝えすることができればと思います。

【スライドショー:拡大するときは各写真をクリックしてください】
【上段写真番号 左から1・2・3・4・5・6】
【下段写真番号 左から7・8・9・10・11・12】

1.ノース・オックスフォードのフラット

オックスフォードでは、ヴィクトリア調のこの建物に居住。オックスフォードの不動産価格は高く、したがって賃貸料もそれなりにする。物件が余り多くないので、望ましい住まいを見つけることがとても難しい。(写真番号 1と2)

2.オックスフォードは自転車社会

一番北のカレッジから一番南のカレッジまで、歩いて30分以上かかるため、学生たちは自転車に乗って移動することが多い。そのため、カレッジの周辺では自転車をよく見かける。(写真番号 3と4)

3.神学部の建物入り口

オックスフォード大学の多くの学部では、建物入り口の横にある機械にユニヴァーシティ・カードをスライドさせてドアを開ける。そしてカードは、自分が関係する部署のみに反応するよう設定されていて、むやみに他学部に入ることができない。 私は、神学部と哲学部に入ることができたが、カードをスライドさせるには学部ごとにコツがあり、慣れるまでに時間を要した。
カードを持っていない人が入館するには、ブザーを押して担当者にその旨伝えて、ドアを開けてもらう。(写真番号 5)

4.トリニティー・カレッジ

2007年5月に天皇・皇后両陛下が欧州5カ国ご訪問で渡英の折、5月28日に両陛下を迎えて、トリニティー・カレッジのホール(食堂)でオックスフォード大学総長主催による昼食会が開催された。(トリニティー・カレッジのホール 写真番号 6と7)

学生と教員はホールで食事を共にするが、教員はハイテーブルと呼ばれる一段高い席に座り、食事の内容も学生と教員とでは異なる。カレッジによっては、ハイテーブルを設置せずに、教員も学生も混じって同じフロアで食事をする。その場合には、食事内容は同じである。日本の学生食堂に該当する場所はない。
トリニティー・カレッジのホール入り口には、かつてプリンス・オブ・ウェールズが訪問されたことを示すプレートが掲げられていた。(ホール入り口のプレート 写真番号 8)

5.カレッジとファカルティー

全ての学生とほとんどの教員は、学部(ファカルティー)に属すると同時にカレッジにも所属している。オックスフォードで初対面の方からは、「どのカレッジに関係なさっていますか」としばしば聞かれる。しかし、「どの学部に所属していますか」と聞かれることは、余りない。その代わりに、「何を研究なさっていますか」と尋ねられる。(トリニティー・カレッジ 写真番号 9)

6.クライスト・チャーチのホール

ハリー・ポッターの映画に出てくるホグワーツ魔法学校のホールは、クライスト・チャーチのホールを見本にしたと言われている。1階から2階への階段は録画されており、実際に映画で見ることができる。
食事中でなければ、お金を払ってホールを見学することも可能で(ユニヴァーシティー・カード保持者は無料)、手前に見える青い看板はそのための掲示である。 学生担当者による食前の祈り(ラテン語の祈り)の最後に、皆で「アーメン」と言ってから着席し、食事の給仕が始まる。食事はフルコースである。周囲の壁には、カレッジの歴代関係者の肖像画が掛かっている。(写真番号 10)

7.ベリオール・カレッジのチャペル入り口

ベリオール・カレッジは、トリニティー・カレッジの隣に位置している。日本人には、雅子さまが留学なさったカレッジとしても知られる。各カレッジにはチャペル(礼拝堂)があり、毎日祈りがささげられている。この写真のように、礼拝への招きの言葉が掲示されていることもある。礼拝に与る場合には、原則としてどのカレッジの中にも無料で入ることができる。(写真番号 11)

8.卒業試験直後の学生


学生を模したケーキ
オックスフォード大学では、学期ごとの試験はなく、卒業試験があるのみである。試験のときにはサブファックスという正装をし、男性は黒のズボンに白のワイシャツと白のボウタイの上にアカデミックガウン、女性は黒のスカートかスラックスに白のブラウスと黒のリボンの上にアカデミックガウンを着用する。胸にはカーネーションの花をつける。(写真番号 12)

シャンパンの形をした風船も売り出され、カードショップにはCongratulationsの文字をあしらったカードが並ぶ。ケーキ屋さんの店先では、角帽をかぶった学生を模したケーキが販売される。

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り 【第9回】「フラット暮らしあれこれ、そして考えたことなど」
2008年3月10日


オックスフォードでの生活も12ヶ月目に入り、帰国の準備を少しずつ進める頃となった。大家さんからは、私の住むフラットの広告を1月下旬から出すとの連絡があり、広告開始の数日後に、最初のviewerが来訪した。契約を交わす前にフラットを実際に訪ねて内部の確認をすることをviewingと言い、viewingをしに来る人のことをviewerと言う。Viewerは、借家人が不在でも大家さんと共に中に入り、内部を見ていく。来訪に合わせて在宅していなくともよいので、居住者は普段どおりに行動できるかのように思えるが、実際にはそうではない。下見をする人は住居全体を見ていくので、着替えた服を椅子の背もたれに掛けておくのははばかられるし、外出を急ぐので使った食器をそのままにして帰宅してから洗うということもできない。浴室も普段よりはきれいにし、読みかけの本や雑誌や書類もそのたびに片付けることになる。洗濯物を屋内に干すのも不都合である。Viewingに合わせて何かと気を使うし、時間によっては生活のリズムも狂ってくる。

最初の見学者が1月30日に訪れた後、2月1日に1組、5日に1組、8日午後に2組、9日に1組、14日の午前に1組、午後に1組が来訪した。さらに2月13日には、年1回のガスの安全点検もあり、大家さんとガス点検の担当者が朝9時に台所にやってきて、まさに千客万来である。イギリスでは24時間前までにviewingの通知を借家人にすることになっており、私の場合も、来訪のおおむね24時間ぐらい前に、扉の下に通知の紙が差し入れられていた。時間設定は大家さんとviewerの間だけで決められて借家人の都合を伝えることはなく、24時間前に知るのみである。1日に2組のviewerがいる場合でも、同じ1枚の紙で同時に通知があるとは限らない。こちらのスケジュールとの関係で、私の在宅中に3組のviewerが来訪した。ご夫妻で下見に来る場合もあるし、一人の場合もある。

大家さんは、同じ敷地内に住んでいるため慎重を期して、広告を不動産業者には依頼していない。次の借家人がなかなか決まらずに次々と来訪者があるのは、私が住んでいるフラットに難点があるからというよりも、大家さんが借家人を選別して断っているためらしい。オックスフォードでは良い物件を見つけることが難しく、そのために住まい探しは家主側に有利である。6組目の人とのやり取りを耳にして、ようやく決定したかと思い他の用件の折に大家さんに尋ねると、「最初はよいと思ったが、その後、基準に合わないと考えるに至り、断った」と聞いてがっかりしてしまった。7組目と8組目のviewerが訪れた翌日に、次の借家人を選んだと大家さんから連絡があった。とはいえ、最終的に契約書等を交わすまでは、まだviewingの可能性があるという慎重な構えである。

私の住むフラットは3階建てで、共通の入り口を入った後、各階に2つのフラットが位置する構造になっている。6組の居住者がいると、それなりにいろいろなことが起こる。1月のある日に帰宅するとバスルームの前に張り紙がしてあり(ということは、私の外出中に、大家さんがマスター・キーを使ってフラットに入ったことを意味する)、Do not use this bathroom until further noticeという文面を見て、何事が起こったかと驚いたが、大家さんに電話をして、1階のフラットで水漏れ事故があったことを知った。ちなみに、バスルームを使えないということは、お風呂だけではなく、トイレと洗面台も使えないことを意味する。当日の夜7時半過ぎに、使用O.K.の連絡があった。昨秋には、転居してきたばかりのお隣さんが鍵を落としてしまい、鍵の付け替えのため、全戸に一時的に外出禁止令が出された。運命共同体という言葉が心に浮かんだりする。その1週間後、今度は私が鍵をうっかりフラットの中に置いたまま外出してしまった。大家さんに連絡したとき、「鍵を忘れたのは、フラットの内か外か」と尋ねられた。大家さんはとっさに、借家人がまた鍵を紛失したのかと思ったのであろう。

6組の居住者が同じ建物のなかにいるとはいえ、特に積極的な交流があるわけではない。もちろん、会ったときには挨拶を交わして話をするので、どの国から来ている人であるかはわかるが、互いのプライバシーには立ち入らないスタイルである。郵便物は、共通扉の裏側に取り付けてある大きな郵便箱に、大家さんと借家人の計7家族分が投函されるので、誰か気がついた人がホールの机の上に宛名ごとに振り分けることになっており、それによって居住者のフルネームを知るようになる。  このようなスタイルは、或る意味ですこぶるイギリス的である。こちらから要請しない限りは、互いに干渉しない。言わない限りはそのままである。イギリスでは、隣近所が何をしているか知りたがる人は余りいないのではないだろうか。他者が何をしていようとも、自分でよいと思ったことをするし、それが他人に迷惑をかけるのでなければ、周辺の人もとやかく言わない。本人の意向が重要視される。 パンフレットの説明文も日本に比べて簡略で、「何か質問があればお問い合わせください」と書かれ、質問しないと知らないままで過ごしてしまう。たまたま人から聞いて、このようなことも可能であったと気づくのである。それも聞いたからこそ気づくのであって、聞かなければそのままである。こちらから質問しなくとも説明を十分に施される日本式に慣れていると、イギリスの生活に戸惑うことがあるかもしれない。

大学での授業も同様で、自分が知っている内容の授業を聴講してみると、そのことがよくわかる。教員は、基本的なことを説明するが、過剰には説明しない。質問しなければ、それでおしまいである。ラテン語やドイツ語原典の英訳プリントを配布して読む場合でも、ここから読むとは言うが、そのあと少し省略して先を読む場合、簡単な指示のみで、懇切丁寧にどこから読むかを説明することなく、どんどん読み進めていく。集中していないと、ついていくことができない。原典の英訳プリント配布がある授業で、私が参加した限りでは、いずれにもそれが当てはまっていた。他方、或る授業では、これについて説明しないのだろうかと疑問に思うこともあり、知り合いの先生ではないことをいいことに、知っている内容を質問してみると、「それはとてもよい質問です」と言って説明する。このときには、受講学生(5、6人の授業)から授業後に、私が質問したことに対して感謝されたくらいである。日本では余りにも与えられることが多く、それに慣れて、あたりまえになっていることが恐ろしいような気がした。自分から求めることがなければ、さらに与えることもないイギリス・スタイルは、本当に求める人にとってよい刺激となり、なんとなく参加する人を淘汰していくように思われた。


これまで「ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り」をお読みくださいまして、有難うございました。3月下旬に帰国予定です。帰国後は、従来と少し異なる形で、オックスフォードについて書き続けることを検討中です。再びこのシリーズ(題名変更の予定です)でお目にかかれますことを楽しみにしつつ。

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り 【第8回】「オックスフォードのクリスマス風景」
2007年12月18日


クリスマスが近づくと日照時間が短縮し、明るくなるのは午前8時頃で午後3時頃には再び電気をつけ始める。屋内で点灯すると建物の中がよく見えて、道すがら、夏にはうかがい知ることのなかった内部を垣間見ることもある。そして、暗い時間が増える一方で、街は華やかになる。

オックスフォードのカードショップでは、10月初旬からクリスマスカードが販売され始めた。スーパーマーケットやデパートでも、10月中旬頃から徐々にクリスマス関係のコーナーが広がっていった。チャリティーのクリスマスカードが多いのも、イギリスの特徴である。がんを患っている人のために、貧困や苦難に打ち勝つために等の目的が、カードの裏に記載されている。そして、チャリティーカードから先に売れていくように見受けられた。11月下旬になると、カード自体はまだ沢山売られているとはいえ、是非購入したいと思うカードは余り残っていないように思われた。カードのみならず、クリスマス用のラッピング・ペーパーも充実している。商店で物を購入すると、袋に入れてはくれるが大抵包んでくれないので、自分で包むためにどのラッピング・ペーパーにするかを考える。私が購入したのは、筒状に巻かれ、幅が70cmの 3m Gift Wrapで、2.99ポンドだった。

イギリスでは日本のクリスマス商戦と異なりお歳暮のやりとりはなく、個人個人の好みを考えてプレゼントを用意する。そのため、この頃になると、クリスマス用にいくつもの品をまとめて購入する人たちが多くなり、普段とは異なる買い物風景である。博物館では、ご夫妻で相談しながら、お孫さん用のプレゼントを求める方たちの姿もあった。

日本では、年賀状が1月1日元旦の日に配達されるように心がけるのと同じく、クリスマスカードも12月24日や25日に届くことが多いように思う。それに対し、欧米では、待降節が始まる頃からカードが届き始める。待降節とは、主イエス・キリストの降誕を待つ季節という意味で、待降節第1主日(主日は日曜日の意)から第4主日まであり、第4主日の週にクリスマスを迎えることになる。届いたカードは、マントルピースの上や本棚に飾って、楽しむ。送った人も、自分のカードをイギリス式に何日も眺めてくださる方が嬉しいのではないだろうか。待降節(アドヴェント)用に、アドヴェント・カレンダーも販売される。アドヴェント・カレンダーは、待降節第1主日(2007年の場合、12月2日)から毎日その日の扉を開いていくので、待降節が始まる前に届くように郵送する。というわけで、11月からクリスマス気分が徐々に高まり、待降節の前日には、テレビニュースでも「明日から待降節です」と告げて、「さあ、いよいよ」という気分になる。通りではクリスマス・イルミネーションが輝き始める。日本との違いは、ジングル・ベルのような音楽が流されておらず、静かな輝きであることだろう。

オックスフォードでは12月24日午後8時でバスの運転は中止、そして(ヨーロッパのキリスト教圏でも同様であろうが)25日にはバスは完全運休である。日本では年末年始にスペシャル・サービスで電車が終夜運転をするが、オックスフォードでは逆で、クリスマスにはノー・サービス。その代わり、新年のお祝いは1月1日のみで、1月2日から仕事も平常に戻る。クリスマスには家族とともに過ごすので、帰国しない単身の留学生や研究者は、クリスマスに誰からも招待されない場合、さびしい思いをするかもしれない。私は有難いことに、イギリス人研究者からクリスマス当日の自宅でのランチに招待され、今から楽しみにしている。

この友人とは、25年前にフランスで開催された学会で初めて出会い(そのとき、二人とも大学院生であったので、親近感があった)、この9月にオックスフォードの学会で再会した。オックスフォードにいることを互いに知らなかったので、3年前にドイツで開催された学会で22年ぶりに再会していなければ、同じ会場にいても、気づかずにすれ違っていたかもしれない。出会い・再会とは不思議なものだと思う。

このオックスフォード便りをお読みくださっている皆さんとの文面上の出会いを感謝し、来年に文面で再会できることを願いながら、メリー・クリスマス!

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り 【第7回】「英国国営医療制度 (NHS)」
2007年12月10日


オックスフォードで、これまでに二つの医療施設を訪れる機会があった。とはいえ、病気にかかったのではなく、破傷風の注射と定期健診による通院である。

イギリスに6ヶ月以上居住する人は、NHS (National Health Service) に無料で加入することができる。これは、日本での健康保険に該当するもので、住まいの近くの医師をGP (General Practitioner) としてまず登録する。私は歩いて5、6分のところにあるNorth Oxford Medical Centreに行って登録用紙を受け取り、後日それを提出して、医師の面談予約を入れた。日本で破傷風の予防接種を受けたが、2回目の接種は1回目から3週間の間をあける必要があり出国予定がそれ以前であったため、2回目はイギリスで受けるように医師から指示され、英文証明書を持参していた。

メディカル・センターは待合室が割りと広く、木の両袖のついた一人用の椅子が部屋の三方にコの字型にいくつも並べてある。他の一方は処置室で、ナースが控えている。ミシミシという音が処置室の隣から聞こえてドアが開くと、白い木の階段が見えた。医師の診断を受ける人は名前を呼ばれて部屋番号を告げられ、2階の診察室に向かう。体調によっては困難が伴うのではないかと思い見回すと、「健康が優れず2階に上がるのが難しい場合には、申し出により医師が1階で診察することが可能です」と、掲示が出ていた。2階に上がると、そこからさらに4,5段下がる階段が左右にあり、訪ねる部屋によって左と右に分かれる。まるでナルニア国が展開しそうな造りである。

医師からの一般的な問診の後、破傷風の予防接種の予約を入れ、2週間後にナースから注射を受けた。破傷風だけの注射がないので、ポリオとの二種混合を接種する由。しかも、イギリスでは4回接種する必要があるので、あと2回受けてほしいと言う。

1ヶ月後に接種のため再度通院。1回目の接種で異状がなかったか確認の後、通算3度目の接種を受け、次回は5年後と言われる。そのとき私は、すでに帰国している。

3ヶ月経って、今度はチャーチル・ホスピタル(オックスフォード大学付属病院)からの手紙が届いた。或る一定の年齢以上の女性は、3年ごとに乳がんの検診を受けることになっているらしい。しかし、オックスフォードシャー周辺のロイヤル・メール(郵便)のストライキと時期が重なり、最初の手紙が紛失して配達されなかった。2度目の手紙には、指定した時間に私が来ることができずに残念に思うこと、もし検診を希望するならば別の機会を提供したいことが書かれていた。私にとっては初めての手紙なのでその旨を連絡して、日時を指定した再度(病院が発送した3度目)の手紙が届いた。

検診後、せっかく大きな病院に来たので、そして、昼食直前であったので、チャーチル・ホスピタルの食堂で昼食をとることにした。食事のためにわざわざ病院に来ることはないだろうし、これも経験と思ったのである。食堂は1階にあり、隣接するサン・ルームや外の庭でも食事ができるようになっていた。日本の病院でこのような雰囲気の食堂は、余りないように思う。2週間後に、異常なしの審査結果が届いた。

私の数少ない経験から、オックスフォードの医療施設では、患者や検診者が気持ちよく診察・検診を受けられるように配慮されているとの印象を受けた。私がGPの登録をしているメディカル・センターでは、おもちゃが豊富に置かれていて、子供たちが喜んで待合室に入ってくるのを見かけた。おもちゃに突進して、お母さんからしかられている子供がいたほどである。他方、イギリスでは登録したGPを経由しないと専門医に診察してもらうことができず、なかなか専門医にまでたどり着くことができないとも聞く。総合病院に直接出向くことができる日本式がよいのか、GPの判断に仰ぐイギリス式がよいのかは、難しい判断である。一長一短であろう。

NHSに登録している人は、無料で医師の診察を受けることができる(薬代は有料)。私は1年間だけのイギリス滞在であるが、そのような場合でも、破傷風の注射も乳がんの検診も共に無料であった。破傷風の注射を手配するとき、医師は私がNHSに登録しているかどうか、つまり、注射の代金を支払う必要があるかどうかを確認していた。滞在期間がどのぐらいであるかという発想法ではなくNHSに登録しているかどうかという考え方なので、5年後の破傷風注射を示唆されたり乳がんの定期健診を受診するよう要請されたりするのであろう。英連邦諸国やヨーロッパ大陸諸国との行き来や転居が普通になされる、イギリスならではの発想法であるかもしれない。

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り 【第6回】「待つ」
2007年11月26日


イギリスでは「待つ」ことが多い。その代表例はキューイングである。どこに行っても行列ができる。行列の最後の人が誰であるか確認するのは重要で、それを怠ると無駄な待ち時間を費やすことになる。

他方、行列のない待ち時間もあり、この場合、何らかの困難をかかえていることが多い。現在私は、洗濯機が直るのを待っている。11月の土曜日に突然洗濯機が動かなくなり、大家さんに電話をして見に来てもらった。エンジニアが月曜日か火曜日に来ることになったが、いつ来るかわからないので大家さんが対応してくれることになり(彼は同じ敷地内に住み、マスター・キーを持っている)、私は待つことなくいつも通りに行動することができた。

火曜日にエンジニアが洗濯機を点検して、部品を取り寄せる必要があることが判明し、金曜日までには部品が届くであろうとのことであった。しかし大家さんは、「部品は多分、金曜日には届かないだろう。なにしろ、ここはイギリスだからね」と懐疑的である。彼はこれまでに何回も同種の経験をしているらしい。

私はその話を聞いて、居間のソファーに関する6ヶ月前の体験を思い出した。ソファー3点セットのうち2点に、納品時の欠陥とおぼしき個所が見つかった。交換可能な1ヶ月を過ぎていたので、まず業者がソファーを引き取り点検して、その結果によって交換ということになった。しかし、その頃私には来客予定があり、2人がけ用ソファーを含む3つのうち2つのソファーが同時にないのは不都合である。その旨大家さんに伝えて、1つずつ点検してもらうことにした。

最初のソファーは、夜7時から10時の間に運送業者が引き取りに来ることになった。「実にunsociable hourである」と大家さんは言う。夜10時ぐらいであれば、まだ起きているし問題はないと考えたが、彼の以前の経験で、夜9時と言われていたのに11時に来たことがあった由。これは本当にunsociable hourである。一人用ソファーを大家さんとお嬢さんが3階から1階に運んで、すぐに運び出せるように準備しておくことになった。当日、興味津津で待っていると、夜10時頃に運搬車が着いた。「イギリスでは、業者の言う到着時間を信用するよりは、占い用の水晶玉を見ている方がよい」とまで大家さんは言っていたが、最初のソファーはまずまずの時間に引き取られた。しかし、2つ目のソファーは、予定時間の夜10時までに運搬車が到着できなくなったと運送業者から連絡があり、翌日午前7時に持ち出されることになった。そして、運搬車は予告通り、朝7時に到着したのである。

結局、洗濯機の部品は金曜日には届かず、次の週の火曜日になっても連絡なしの状態である。さすがに大家さんも自分自身が外出できない不便に耐え切れなくなり、業者に再三の問い合わせをしているらしい。私も外出できるとはいえ、業者が今日来るかもしれないと思うと、いつもよりは台所を整え(イギリスでは通常、洗濯機は台所に設置されている)、何かと落ち着かない。そして当然のことながら、洗濯機を用いて洗濯できないこと自体が困る。ソファーと洗濯機の体験に共通するのは、偶然にも来客予定のある頃に問題が発生していることである。

洗濯機が動かなくなってから12日目の朝を迎えることになった。今日は、来客予定の日である。業者から連絡がないことを願っている。 

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り 【第5回】「シチリア島での一週間」
2007年10月16日


今回は番外編として、9月に出張したシチリア島について、オックスフォードからお便りしたい。

9月16日から22日まで国際中世哲学会がパレルモで開催され、私は15日から23日まで同地に滞在した。この学会は5年に一回、通常は8月下旬に開催されるが、シチリア島の8月はかなり暑いので、当初から日程が9月に変更されていた。特に今夏は最高気温が49度という異常気象だったらしく、9月でも連日、エア・コンディショナーが大活躍した。

私はイタリアには何回か行ったことがあるが、シチリア島に行くのは初めてである。予想外にもヒースロー空港からの直行便はなく、行きはローマで、帰りはミラノで乗り継いだ。パレルモ空港に到着すると、海が目の前で、かつ反対側に岩山もあることが印象に残った。

パレルモの街は、今まで訪れたどの都市よりも、道筋がわかりにくかった。大きな通りをたどって行くのには問題がない。しかし、横道に入ると、とたんに迷う。その理由は、道を少し行くとすぐに壁につきあたり、その脇の道を行くと再び壁につきあたり、道の表示もないことが多く、結局自分がどこにいるのかわからなくなるからである。わき道には、まっすぐな道がない。そして、地元の人に地図を見せて尋ねると、「このあたりにいる」と教えてはくれるのだが、正確にどこにいるのかわからないため、巨大なミステリーに陥るのだった。結局、振り出しに戻ることになり、何回か同様の体験をしてからは、大きな道以外はなるべく避けて通るようにした。

登録の際に渡された袋を持って歩いていると、「ここからどのようにして会場の大学に行ったらよいか」と何人もの方から初日に尋ねられた。会場に行くのがそれだけわかりづらい、ということであろう。夜のパーティーに出席するため別会場に行くとき、大通りから入る道を確認していると、奥から出てきたタクシーの運転手が「ここから入って、次の小さな通りを左折するとよい」と、聞かないのに親切にも教えてくれた。どうやら、会場がわかりづらいことを見越して、タクシーを利用した人がいたらしい。しかも、教えられた道を入って左折しようとした所にも、道に迷っている学会員がいるのだった。その一週間は、当該の袋を持っている人は関係者とすぐわかるので、街ですれ違うときなど、面識がない人とお互いに挨拶することもあった。

4日目午後には、学会主催のexcursionがあり、登録時に申し込んだいくつかのコースごとにバスに分乗した。私はアグリジェントのコースに参加し、一行はバス1台に着席できる人数であった。アグリジェントは、パレルモから車で片道2時間ぐらい南下した所に位置し、ギリシャ神殿がいくつも並ぶ「神殿の谷」と言われる遺跡で知られている。ガイド・ブックには、「日陰が少ないので、その対応を考えておくとよい」と書いてあったので、傘をさして暑い日差しや写真の逆光を避けていたら、皆に感心されてしまった。券売所の脇には男性用帽子を売る露店があり、何人かが購入していたが、入り口ではなく中で店開きしていればもっと売れたであろうと思われる暑さであった。

学会期間中には、講演、個人発表、委員会、総会のほかに、夜にはパーティーやシチリア文化を紹介するための催しがあり、自由参加とはいえ、かなりの盛況であった。発表のときには内容に応じて部会に分かれるが、パーティーや催しには参加者が一同に会するので、多人数に思われたのかもしれない。

パレルモ大学で印象に残ったことの一つに学生食堂がある。会期中は、学会参加者であることを表す名札を見せると、学生と同じ金額で昼食を取ることができた。4.90ユーロ(約785円)の定食コースのみとはいえ、コース料理なので、スープ・魚・肉料理から2品、飲み物・果物・ヨーグルトから2品、サラダ、パンという構成であった。飲み物の選択肢には、ブリック・パック入りのワインまであり、まさにイタリアならではという感じである。イギリスでは現在、街中でサンドイッチ2切れが2.5ポンドくらい、飲み物を含めて安くても4.5ポンドから5ポンド(約1125円から1250円)なので、パレルモ大学での学生食堂は、学生用で特に安いということを考えに入れても、うらやましい限りの値段であった。

5年に一回の国際学会は、参加者も多く、一種の巨大なイヴェントの様相を呈している。参加者は、登録時に手渡されたシチリア島名産の塩をお土産に、帰路についた。  

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り 【第4回】「夏のオックスフォード」
2007年8月27日


夏になると学術都市のオックスフォードにも観光客が増え、その多くが、ハリー・ポッターの映画で有名になったクライスト・チャーチ・カレッジを訪れる。ホグワーツ魔法学校の食堂はクライスト・チャーチの食堂(ホグワーツ・ホール)を模して作られているし、食堂に至る一階から二階への階段は、シリーズの第一作「ハリー・ポッターと賢者の石」の中で、実際に撮影されている。そして、クライスト・チャーチはオックスフォード大学の中で一番大きなカレッジなので、チャペルを初め他にも見るところがたくさんあり、飽きることがない。

しかし、今年のイギリスは60年ぶりの異常気象に見舞われ、オックスフォードもその例外ではなかった。7月24日にテムズ川が氾濫し、25日には駅の近くでも一部の道路が水没して通行止めとなった。オックスフォード−ロンドン間の電車は約一週間不通。駅には、「本当に必要とされる旅行以外は取りやめるように」とのお知らせが貼られていた。

24日に私はシェフィールド大学教授からご自宅でのランチに招待されており、朝早くオックスフォード駅からバーミンガム経由の直通便でシェフィールドに向かった。そのときには周辺にまだ変化はなかった。当日の帰路、バーミンガムで乗り換えてシュルーズべリ(チューダー王朝様式の建物がよく残っていることとエリス・ピーターズの推理小説「修道士カドフェル」で有名)で一泊し、翌日帰宅して驚いた。オックスフォード駅の少し手前の畑には白鳥が泳ぎ(畑が水没したため)、牛は足を水につけて水上の草を食んでいる。25日には、在ロンドン日本国総領事館から、「洪水による被害」という件名で、無事の確認のメールが着信したほどである。夏とは思われぬ寒さが続いた後、8月6日からの一週間は晴天が続いて一滴の雨も降らない日々となり、水も引いて、観光客が再び増えてきた。

そうなると次に困るのは、ロイヤル・メールのストライキが断続的に一ヶ月以上続いていることである。日本ではこれほど長いストライキは考えられないが、なにしろごみの収集が二週間に一回しかない地域なので、驚くにはあたらないのかもしれない。郵便ポストがとても大きいのは、郵便物を一週間集めなくてもよいためだろうか、などと考えてしまう。さらに、ロンドンやヒースロー空港から街中に入る道が工事中のため、バスは迂回して私の住むフラットの前を通っている。イギリスでは秋から新年度なので、年度末に工事が多くなされるのは全世界共通らしい、などとも考えてしまう。

夏のオックスフォードは、研究者が学会に参加するため世界中から集まり、名札をさげた人たちが歩いている街でもある。日本では、大学の外で名札をつけて歩くのには抵抗があるが、オックスフォードでは名札をつけていないと学会開催中のカレッジの入り口でポーターにチェックされ、中に入れてもらえない。そのため、まるでファッションの一部であるかのように、リボンつきの名札を首からさげて歩く人たちであふれるのである。 そして、8月下旬になり、外の気温が14度くらいの日と20度以上になる日が数日ずつ交互に訪れ、徐々に秋の気配が漂ってきた。一部の商店では、オーバー・コートの販売が始まっている。    

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り 【第3回】「エンシーニアと学位授与式」
2007年7月19日


エンシーニア(Encaenia)とは再生の祝典を意味するギリシャ語で名誉学位授与式を指し、オックスフォード大学で毎年6月下旬に挙行される。それに対して、卒業式に該当する式典はDegree Ceremonyで、その言葉が示すように、学位(degree)を授与する式典(ceremony)である。卒業式の日は、Degree Dayと言われる。

今年のエンシーニアは6月20日にシェルドニアン・シアターで行われた。授与式の行われるシアターに入るにはチケットが必要で、無料ではあるが事前に申し込んで、名前入りのチケットを保持するオックスフォード大学関係者に限定されていた。式典は11時30分開始、10時45分から11時15分までの間にシアターに入場するよう指示されていた。

今年の名誉学位授与者は8人で、そのなかで最も著名なのは、ジェイムス・アール・カーター・ジュニア(ジミー・カーター)元アメリカ合衆国大統領であった(民事法名誉博士号授与)。トランペットによるファンファーレが演奏されるなか、全員が起立して、隊列を組んだ一行がシェルド二アン・シアターに入場。イギリス国歌God save the Queenのパイプオルガン演奏後(多くの出席者はオルガンに合わせて自主的に歌っていた)、大学総長が開会を宣言して式典が始まった。入り口で渡された小冊子(全31ページ)によると、エンシーニアは、1760年にはすでに現在のような形式で挙行されていたらしい。パブリック・オレイター(代表演説者)が授与者各人をラテン語で紹介して(その文は上記小冊子に、左側にラテン語、右側に英語で書かれていた)、総長が学位を授与。カーター元大統領のときに、最も盛大な拍手がなされたように思う。その後、パブリック・オレイターがこの1年間に大学に寄付をした個人・団体の名前を挙げ(これも小冊子に記載されている)、一年間の出来事についてユーモアを交えて英語で演説。その後、プロフェッサー・オブ・ポエトリー(詩学教授)が演説する。これでエンシーニアは終了である。

エンシーニアが終わると、学生たちにとっては長い夏休みが始まり(summer vacationの代わりにしばしば、long vacationと言われる)、一部の教員たちにとっては、その前後が試験の採点に大忙しの日々となる。「一部の教員たち」と書いたのは、オックスフォード大学の卒業式は専攻によって数ヶ月にまたがっており、学期中にも行われているからである。たとえば、2007年トリニティー・タームのdegree day(5月〜9月)は、5月5、19日、6月9日、7月14、28日、9月14、28、29日の8回である。そのため、卒業試験は学期中にもあり、4月にその姿を見かけたときには、何のための正装だろうかと一瞬不思議に思った。試験を受ける学生たちはサブファスクと呼ばれる黒の上下に男性は白のボウタイ(蝶ネクタイ)、女性は黒のリボンをしているので、彼らにとって今日は試験の日とすぐにわかる。厳粛な出で立ちで試験を受け、後日、Examination Schoolの前に掲示される合格者氏名一覧表で、自分の合否を確かめるのであった。    

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り 【第2回】 「トリニティー・ターム: 水曜日の朝午前11時」 
2007年6月15日
 

オックスフォード大学の一学期は8週間である。10月から始まる一年間は3学期からなり、その最後の学期がトリニティー・タームということになる。日本の大学では、一学期の最初の週から最後の週まで授業が組まれているが、オックスフォードでは週2回開講して4週間で終わるものもあるし、週一回の授業で6週目に終了する場合もある。Timetable for Philosophy List−Trinity Term 2007のMondayの個所に、9:00-11:00 Applied Ethics (wks 1, 3, 5, 7) (Graduate Class) とあれば、月曜日9時から11時に「応用倫理学」の授業が第1、3、5、7週目にあり、大学院生用の内容であることがわかる。なかには、T. 2-4 (except wk 2), T. 6-7.30 (wk 2 only)(火曜日2時から4時まで。ただし、第2週目は火曜日6時から7時半まで)というややこしい時間帯のものもある。

私は水曜日11時から1時のTheories of Knowledge in the Middle Agesに出席してみることにした。極端な言い方をすれば、本を読むことは日本にいてもできる(実際には、授業や授業の準備、さらには校務に忙殺されて、本を読む時間をほとんど確保できないけれども)。しかし、授業に参加することはこちらにいなければ不可能である。オックスフォード大学の授業がどのように進められていくのかを知ることは、私にとって興味深いことであった。

Lecture listには、「講義は定められた時間の5分後に始まり、次の時間の5分前に終わる」と明記されている。カレッジの入り口の守衛に場所を聞いて教室に向かうと、担当の二人の先生が立っていて、今週のみ教室変更があると伝えてくださる。何人かが集まり、互いに挨拶を交わす。11時まで待って、別の棟に移動。地下に下りてから入り口があり、そこからさらに下に教室がある。とても一人では見つけられそうにない。講義開始後5分ぐらいして、数人が遅れて入室してきた。本来の教室に行き、教室変更を知った面々である。このあたりは日本の大学と同じでほほえましい。

授業では、どのようにして認識が成立するのか、中世の3人の思想家たちの考え方を比較・検討しつつ、少人数で進められた。約150ページ分のラテン語文献(注を含む)とその英語訳が配布された。教員は、内容説明だけではなく教員自身の解釈に基づく説明をし、受講者はその解釈に対する質問をしていく。予習をしていなければ質問ができず、意見を言うことができなければ出席がためらわれる雰囲気である。教員もしばらく考え込むような優れた質問がときどきあり、受講生と教員による双方向の授業が展開されていった。    

ヒロコ・ヤマザキのオックスフォード便り 【第1回】 「はじめの一歩」 
2007年5月17日
 

3月下旬からオックスフォードに暮らし始めて約7週間が経った。これまで国外出張は何回も体験したが、外国に住むのは初めてである。出張と居住とでは大違い。在外研修が決定してからここに至るまで、実にいろいろなことを体験した。

まずはヴィザの取得が必要だった。以前は不要であったが、現在では、イギリスに六ヶ月以上滞在する場合には入国前にヴィザを申請しなくてはならない。見本がないので苦労しつつも書類を何とか書き終えて、現パスポートだけではなく以前のものも必要らしいことに気づく。英国大使館に問い合わせ、「可能な限り、すべてのパスポートをご提出ください」との返事を見て一瞬あわてた。しかし、他方において、「さすがイギリス!」とも思ったのであった。というのも、哲学史では「英国の経験論」「大陸の合理論」という言い方があり、帰納法を提唱したフランシス・ベーコン(1561−1626)に代表されるように、イギリスは経験を重視する国なのである。これまで取得した5冊を何とか見つけ、申請書とともに計6冊のパスポートを持って大使館に行くと、「これまでのすべてを持っていらしたのですね」と、かえって驚かれてしまった。

ヴィザ申請に際して困難であったのは、現地滞在中の住所を前もって書かねばならないことであった。入国してまずホテルに宿泊しつつ住まいを探すということができない。多大なる時間を費やしてすったもんだの末、ようやく住所が定まった。この住まい探しは、オックスフォードに来るほとんどの客員研究員にとって大問題らしく、知り合って最初に交わされる内容はおおむね、どの国から来たのか、どこに住んでいるか、どのようにして住まいを見つけたか、賃貸料はどのぐらいであるかである。オックスフォード大学の教員からも、前三者を尋ねられることが多い。オックスフォードでの望ましい住まい探しが極めて困難であると改めて認識するに至った。

イギリスでは日本に比べて時間がゆるやかに流れていくように思われるが、請求書だけは速やかに来るらしい。カウンシル・タックス(日本での住民税に該当)の支払い請求書が、こちらに住み始めて5日目に届いたときにはびっくりした。口座を開設した銀行から、小切手帳、デビット・カードやクレジット・カードが配達される前のことである。幸いにも、一人で居住する場合には割引があることを大家さんから教えてもらい、その旨届け出て2週間後に、金額の修正された請求書が再送されてきた。そして、銀行小切手の使い方にもようやく慣れた4月22日から、トリニティー・タームが始まった。


山崎裕子:文教大学国際学部教授。オックスフォード大学神学部・哲学部客員研究員として、2007年3月末より、オックスフォード在。専門は西欧中世哲学。特に、11世紀の聖人カンタベリーのアンセルムスを研究している。