「ベシアナ・ムスリューさんが来校(湘南キャンパス)」
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1998年コソボ紛争で全身に火傷を負い、日本で5回目の手術を受けるために来日しているベシアナ・ムスリューさん(現在12歳)が文教大学湘南校舎での聳塔祭を、6年ぶりに訪問しました。
日本のNGO「ベシアナちゃんを助ける会」(代表 中村恭一文教大学教授)http://www.adrajpn.org/O_Besjana/O_Besjana001.htmの支援で、形成外科手術を受け、今回が最後の手術になります。滞在は4ヶ月に及び、入院の合間に通った日本の小学校で日本語を習得し、学生たちと不自由なく日本語で話をしていました。
「たった4ヶ月でこんなに日本語が話せるなんて。。」と学生たちは、自分たちの外国語習得力と比べ、ため息をついて驚いていました。ベシアナちゃんは、将来医者になり、コソボの人の役にたちたいそうです。きっとコソボと日本の架け橋になってくれることでしょう。
(写真は、国際学部の学生たちと。)
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2001年の夏も終わるころ(8月25日から9月11日)、国際学部学生の10人が、コソボへの支援活動に参加しました。国際学部中村恭一教授のもとに、コソボでの支援活動に興味を持った学生が集まりました。
出発前には支援活動の準備の一環として、文教大学湘南校舎の学生全員に文房具などの支援物資を募りました。その10人は学校建設事業NGO(ADRA JAPAN)に参加し、戦地だった地に訪問、そして支援活動をしました。プリスティナという町で生活し、ボランティア活動をしたのはマリシェボ市でした。
その他にも、大虐殺が起こったラチャック村、アルバニア人居住区とセルビア人居住区とに分断されてしまった町‐ミトロビッツア、そして民族共存という問題に取り組んでいる校長先生のいるノンダブルカ小学校などを訪問し支援活動をしてきました。彼らが支援活動をした場所は、まだ紛争・殺戮の傷跡が深く残る地でした。
参加者の一人である伊丹さんはこう感想を述べています。「紛争地の現場を生で体験することができました。紛争は終わったけれども、民族間の対立は根強く残っていることを実感しました。」尚、このコソボ支援活動の報告会は、盛況に11月20日に行われました。また、参加学生の報告をまとめた「BUNKYO VOLUNTEERS IN KOSOVO」という小冊子も発行されました。興味のある方は、中村恭一先生研究室(部屋番号6459)へ。Kosovoで撮影した写真を紹介します。
1. Racakは、大虐殺が起こったラチャック村です。この写真はその時殺された人々 のお墓です。
2と3.Malisheve:絵、花というのは、ボランティア活動をしたマリシェボ高校で、生 徒たちと一緒に壁画制作と、花壇作りをしたときの写真です。
4.Mitovica:橋。ミトロビッツァの町は、この写真の橋を境に分断されてしまいま した。警備のために装甲車が止まっているという緊張した雰囲気が伝わってきます。
5.Nonda Bulka:習字は、ミトロビッツァにあるノンダブルカ小学校で日本の文化 紹介として、習字で子どもたちの名前を書いたところです。
