文教大学付属教育研究所 紀要第10号(2001年発行)

生涯学習社会における「子どもの参画」
についての一考察

五十嵐 牧子
(文教大学付属教育研究所客員研究員)

要 旨

本稿では、ロジャー・ハートの「子どもの参画」の理論や実践と、その流れに関連する日本の様々な実践とを比較しながら考察した。参画の手法は共に同じであるが、活動の主要な目的や内容については、いくつかの相違点が考えられる。それらを踏まえた上で、今後の日本における活動では、子どもの個性や発達度、そして社会全体にも目を向けていく必要がある。また、多様化された学習の場や方法を、自ら選んでいく力の育成が重要である。

1.はじめに
近年、子どもたちに対する様々な教育・学習活動において、自分たちの活動を自らつくりあげていく体験をさせるような活動が増えてきている。例えば、児童館等の児童福祉施設や各種の社会教育実践の場においては、子どもたちが大人のサポートを受けながらも、自ら企画・運営し、活動を展開している例が多い。また、学校教育においても、「総合的な学習の時間」の実施を目前に控え、子どもたちに自ら学習課題を見つけさせ、個性に応じた学習が展開できるような体制が整えられつつある。本稿では、このように子どもが自分たちの活動を自らプロデュースしていくような活動を「子どもの参画」と呼ぶ。なお、活動のプロセスにおいては、大人もそこへ「参画」していく活動であると考えられる。
今後の生涯学習社会においては、多様化された学習の場やツールを自ら選び、学習していく必要があることからも、このような活動が、子どもにとっても、また大人にとっても、非常に重要な活動になると考えられる。また、このような活動は、時代の流れを受けて、今後ますます増えていくと思われる。そこで、本稿では、「子どもの参画」の活動の現状と課題について、ロジャー・ハートの『子どもの参画』の理論とその実践、また、その流れと関連する日本での実践を考察しながら、導き出していきたい。

2.「参画」への視点
筆者が、この「子どもの参画」に注目したのは、ロジャー・ハート(Roger,A.Hart)の「子どもの参画」の理論とそこで示されている「参画のはしご」(The Ladder of participation)に以下のような意義を見出したためである(1)。
@ 参画する時、「主体的に生きている」ことが、その前提となっており、個人の主体性を活動の基本としている。
A 活動のプロセスにおいて、他者との対話、協力、交渉、相互合意などといったコミュニケーションが必要である。
B 活動内容や参画の仕方について、その多様性が許容されている。
つまり、以上の三点が、「参画」という言葉が意味するところに含まれるエッセンスであり、生涯学習社会において、個人が活動を進めていく際に、また社会のシステムを構築していく際に、その根本を示すものと考えられる。この点を踏まえた上で、以下の章で、ロジャー・ハートの理論・実践と日本における実践事例を見ていきたい。

3.ロジャー・ハート(Roger,A.Hart)の「子どもの参画」

(1) ロジャー・ハートについて
ロジャー・ハートは、ニューヨーク市立大学環境心理学及び発達心理学の教授で、子どもを取り巻く物理的環境と子どもの発達との関連に焦点を当てた研究を行っている。特に、子どもに関する発達理論の環境デザインへの適応と、子どもの環境教育を専門としている。早くから「子どもの参画」の重要性に焦点を当て、現在ではこの分野における世界的な第一人者であり、世界各地で様々な先進的プログラムのアドバイザーとして活躍している。
彼の示す「子どもの参画」の理論は、今後、子どもの参加・参画の議論や環境教育の分野などにおいて、幅広く参考にされるものと考えられる(2)。

(2) ロジャー・ハートの実践への視点
ロジャー・ハートが「子どもの参画」の理論を作り上げていくその過程には、彼の地理学や環境心理学の分野における研究や数多くの実践活動がその根本にある。そのため、子ども研究や教育研究のみならず、環境デザインの分野、民主主義社会に関する分野など、様々な視点から注目することができる。また、なかでもアクション・リサーチの手法については、様々なところにおける「参画」の手法として、共通するものと考えられる。
以下、ロジャー・ハートの実践について、主要と考えられる3つの視点からみていきたい。

@ まちづくり
まちづくり、つまり「自分たちの住む生活環境をどのように整えていくか」という視点から、ロジャー・ハートの研究について考えることができる。
彼は、地理学の分野から子どもの知覚空間認知の形成過程についての研究をしている(3)。子どもたちが、どのようにして自分たちの住んでいる地域(環境)を認知していくのか、といったような、子どもの知覚空間形成について、手書き地図(イメージ・マップ)を分析しながら、その過程と構造を明らかにする研究である。例えば、彼は、アメリカ合衆国東部の一地方都市において、綿密なフィールドワークと子どもへの丹念な面接調査を土台に、子どもの現象学的風景(phenomenal landscape)を描き出している(4)。これらの分析では、描き手である子どもの空間表象能力の発達度合いや行動様式と、描かれた空間の地理的内容との関わり合いに考慮している。
このような子どもの内なる世界に踏み込んでいく研究により、子どもの内なる世界が、野外における地理的経験の蓄積によって深化していくことが明らかにされている。子どもの年齢よりも一人ひとりの個人的な経験の差が重要である、という。つまり、身近な環境を表象できる能力の発達要因として、野外における積極的な「出歩き方」の程度が重要視されているのである。
まちづくりをしていくにあたっては、実際の身近な生活環境を主体的に考え、改善していこうとする意欲が必要となる。そのため、その前提として、積極的な外遊びを通して、身近な生活環境へ関心を持つことが大切であろう。
彼が、『子どもの参画』の著書で、その方法として絵画とコラージュ、地図づくりと模型づくりなどを紹介しているのも、これらの知覚空間認知の研究が、その基本にある。

A 子どもの参画と民主的な社会づくり
ロジャー・ハートは、参画することのメリットとして、次の二点をあげている(5)。一つは、個人が有能で自信に満ちた社会の構成員に成長することを助けること。もう一つは、コミュニティーの組織や機能が改善されることである。すなわち、「子どもの参画」の目的として、それが民主主義を学ぶ場になり、民主的な社会をつくる練習になることがあげられている。つまり、「参画」の目標の一つとして、民主的な社会づくりが位置付けられているのである。
また、彼は、「参画」(participation)という言葉について、次のように説明している。
「本稿で使用する『参画』という言葉は、人の生命や人間が暮らすコミュニティーの生活に影響を与える意思決定を共有するプロセス全般を指すものである。こうした意思決定は、民主主義を構築するための手段であり、また民主主義を測る尺度でもある。『参画』は市民の基本的な権利と言えよう。」(6)
つまり、その国が民主的であるか否かは、国民の社会への関わり合いによって図ることができるという。そのため、特に、民主的な政治体制が整っていない地域では、この問題はさらに切実なものとなるだろう。例えば、『子どもの参画』の著書には、非常にきびしい状況にあるストリートチルドレンや路上で働く子どもたちが、何らかのプログラムに参画し、それによって自分たちにも権利があることを理解し、自分たちの未来を決めることに、より強く関わりはじめる事例も数多く紹介されている(7)。
このような、民主的な社会づくりを、各地域で実践していく過程には、必然的に政治的、社会的、文化的に様々な障害が生まれるものであり、それを認識しておく必要がある。しかし、これは「子どもが調査研究、計画、行動の全体を理解することが大切な理由でもあり、そこには、自分たちの考えが実行に移され、思うような成果をあげる可能性がほとんどないと子どもが認めること」(8)も民主主義社会を学ぶことにつながっていく。彼は、自分たちが住んでいる地域に、様々な見方、価値観があるということを子どもたちに見せていくことは民主主義の根幹であると考えているのである。

B 環境教育
前述の@まちづくりや、A子どもの参画と民主的な社会づくりを実践していく上で、ロジャー・ハートは、環境教育を最も重要で有効な内容と位置付けている。この場合の「環境」とは、自然環境だけではなく、人間がつくった人間環境も含めて考えるものである。
彼は、子どもに対する環境教育の根本に、「環境に対する子どもの行動には、単に自然を知りたいというだけではない」という考えがある。つまり「環境に対する関心は、自分から進んで、どんな仲立ちも介さないで直接環境にふれることによってしか生まれない愛情にもとづくものである」という(9)。 従って、教育者が子どもに環境に関するテキストやフィルムを見せる、あるいは環境プロジェクトの課題を与える、という伝達型の教育のあり方では、自分たちの環境を考えていく力は身につきにくい。まずは、多様な自然の場を増やすこと。そして、身近な環境に触れ合うなかで、子ども自身に問題を見つけさせたり、大人と一緒に解決方法を見出したりする教育のあり方が必要となる。ここでは、伝統的な知識伝達型の教育のあり方を問う作業が必要となるだろう。
身近な自然環境、人間環境を改善していくことは、すなわち、自分たちの住むコミュニティーをどうつくるかということであり、この観点から、子どもも大人も、一緒に活動を行うことによって、環境教育を考えていくことが強調されている。この点で、@まちづくりと深くかかわっていると言えるだろう。
また、全世界的に「持続可能な開発」という観点から考えた環境の改善を求めるならば、やや政治的な内容も含むことは避けられない。この点は、A子どもの参画と民主的な社会づくりと深くかかわっていると言えるだろう。

(3) 「参画のはしご」
(The Ladder of Participation)について
ロジャー・ハートの「子どもの参画」の紹介で、必ず取り上げられるのが、「参画のはしご」(The Ladder of Participation)である。日本においても、ロジャー・ハートや「子どもの参画」について紹介される際には、一緒に紹介されることが多い。これは、子どもの社会参画の様々な形態を8つの段階に分け、表にしたものである(10)。
彼の説明によれば、この「はしご」は、子どもたちが大人と一緒に何らかの活動を行っていく際、その自発性と協同性に色々な度合いがあることを説明するために、比喩的に使われたものである。すなわち、はしごの上段にいくほど、子どもが主体的に関わる程度が大きいことを示している。
ただし、注意しなければならないことは、この「はしご」の上段の方が下段よりもよい
活動である、という意味ではないことである。子どもたちがいつも「参画のはしご」の一番上の可能性を目指すべき、というわけではない。また、必ずしも、リーダーシップのある
子が、「主導」の役割を担わなくてもよいのであり、時には、優秀な「協力者」になり得るかもしれない。そして、主導することが得意でない子でも、興味があれば、主導者になってもよいのである。
つまり、この「はしご」は、大人のファシリテーター(11)が子どもの参画を援助していく際に、子どもの欲求と能力の及ぶかぎりにおいて、子どもたちが、自分たちの選んだどのレベルでも活動できるような状況を作り出せるようにするための目安となるものである。

『Children's Participation』1997年、p.41

この「はしご」の特徴は、「参画」の段階だけでなく、「非参画」の段階も示されたことである。重要な原則は、ここで示された「非参画」の段階をさけることと、「参画」の段階において“選択(choice)”があることである。つまり、大人が用意、計画するべきものは、子どもたちが、多様なプロジェクトの中で、あるいは同じプロジェクトの中で、多様な段階の活動を経験できる状態なのである。

4.日本での実践事例

日本においても「子どもの参画」の考え方と同様の活動が多く見られる。それぞれの活動の場や内容は様々であるが、大まかに分類すると、以下のような活動があげられる。
(1) 児童館などの児童福祉施設や社会教育施設などにおける活動 ex)杉並区立児童青少年センター(ゆう杉並)
建設時に中高生による委員会が設けられ、現在も運営委員会を中心に活動が展開されている。
(2) 冒険遊び場(プレーパーク)における活動 ex)国分寺市プレイステーション
プレーリーダーを中心にして子どもの主体的な活動の場を提供している。
(3) 子ども議会(会議)における活動 ex)近江八幡市 「ハートランドはちまん議会ジュニア」 子ども参画型のまちづくりに取り組んでいる。
(4) 環境学習における活動 ex)こども環境活動支援協会(西宮市) 子どもたちの自主的な環境活動を支援するために、体系的な環境活動のしくみ作りや、生活・地域に根ざした環境学習プログラムの開発、人材育成などに取り組んでいる。
(5) 子どもの権利条例の制定における活動 ex)神奈川県川崎市「川崎市子どもの権利に関する条例」(2000.12.21制定・2001.4.1施行) 子どもたちのエンパワーメントを目標に、子ども参加、市民参加を制度化している。また、条例作り自体も、子ども参加・市民参加で行った。
(6)「総合的な学習の時間」における活動 子どもたちに自ら学習課題を見つけさせ、個性に応じた学習を目指している点で、教育のあり方を考える際に参考にでき得る。
(7) その他
・行政施策における青少年の社会参画の取り組み。
・自治体の長期計画や児童育成計画(地方版エンゼルプラン)の策定への子どもの参画。

以上の活動について、その活動の目的は、以下のようなことと考えられる。
@ 子どもの居場所づくり(学校とは違った場の子どもたちのための居場所) 〈特に、(1)・(2)の事例〉
A 体験活動・体験学習の重要性を背景として、それを通して、主体性や自主性、社会性を育むため。 〈特に、(3)・(6)の事例〉
B 「児童の権利に関する条約」を背景として、それへの実現化。 〈特に、(5)の事例〉
C 子どもも大人も、共に自分たちの生活環境を改善していくため。 〈特に、(4)の事例〉

5.考 察
(1) ロジャー・ハートの実践例と日本での実践例の比較
第一に、「子どもの参画」を通しての、その主要な目的についてである。ロジャー・ハートは、「子どもの参画」という手法で「環境教育」を行い、それによって、「社会・組織の変革」を目指している。この場合、強調されるのは、手法としての「子どもの参画」と、最終目的である「社会変革」である。その実践をしていく上での内容(分野)として、「環境問題」が位置づいており、「環境教育」を最終目的への最も重要かつ有効な内容としている。
一方、日本における様々な実践においては、その目的は「子どもの居場所づくり」が主なものである。あるいは、子どもの主体性・自主性・社会性の育成である。また、あるいは、児童の権利に関する条約を背景として、子どもを主体として位置付け、その意見表明権を保障すること、である。
つまり、ロジャー・ハートの「子どもの参画」では、“社会”に視点が向けられているのに対し、日本における実践は、“個々人の子ども”に視点が向けられていると考えられるのである。「子どもの居場所づくり」、つまり、子どもが自分の能力を発揮したり、自分の時間を自由に使ったりできる場を提供することを目的とするものである。確かに、目的の一つとして、社会・組織の改善があり、最終的に社会・組織が改善されていくとしても、そのことが目的の初めにきているわけではない。 「参画」という言葉は、「男女参画」のように、様々な分野で使われている。そして、その特徴は、「参画」の方法(手法)にあり、その最終目的は社会や組織のあり方に対する問題提起であった。しかし、日本における「子どもの参画」といった場合、その主なる、あるいは初めの目的は、子どもたちの居場所づくりであり、その手法として「子どもの参画」が位置付いていたと考えられる。
また、「子どもの参画」という手法・方法が、「教育」の視点から見ると、伝統的な伝達型の教育観を変えるような新しい考え方として注目される。しかし、ロジャー・ハートも指摘しているように、直接経験・体験を重視した教育のあり方は、フレーベルの初期の教育哲学にまでさかのぼり、デューイやピアジェを通して広まった教育観である(12)。 長い教育の歴史を考えれば、決して「新しい考え方」ではないのである。
つまり、日本では、その場における個人の居心地のよさ、そしてその子の成長に目を向ける。その背景には、非行や不登校、いじめなどに代表される教育病理への対応策という観点から出発している、ということも関係しているであろう。そして、「子どもとどのようなかかわり方をしていけばよいか」という観点から、子どもと大人との相互のコミュニケーションのあり方に焦点が当てられるのである。
ここまでの考察から、つまり、ロジャー・ハートの実践と日本における実践とを比較した場合、一致するのは「子どもの参画」というその「手法」だけであると考えられる。
第二に、それぞれどのような内容(分野)において、「子どもの参画」を実践しているか、に視点を当ててみる。すると、ロジャー・ハートの実践は、その最終的な目標に「社会変革」が位置づいており、その組織を作っていくことに主眼がおかれているため、実践の内容までが規定されてくる。すなわち、「環境問題」や「まちづくり」といったような分野である。環境問題は、様々な点において、日常生活に直接関わってくる最重要問題である。
一方、日本では、いわゆる「子どもの居場所」がキーワードとなっている。自分の能力を発揮できる場所、自分の時間を自分で使えること、が必要だったのである。そうすると、それは、内容までも規定されない。いや、規定されてはいけないのである。
従って、例えば、環境をテーマとしたグループにおいては、子どもたちは生物などが好きだから活動している。あるいは、児童館での実践は、自分たちの居場所づくりが結果的に「参画」の手法で行っていたことになった。つまり、そこには、子どもたち自身が、自らの興味・関心に従って活動している姿が伺えるのである。

(2) 日本における今後の活動の注意点
手法として、子どもに「参画」する活動の場を用意、提供することは、両方とも共通しており、その方法が注目される点である。しかし、前述したように「子どもの参画」が注目されるようになってきた背景や目的が同じではないことを認識する必要があるだろう。
第一に、日本において、個人的な居心地のよさを第一に考え、居心地のよい場を子どもたちに提供することが目的であるならば、一人ひとりの居心地のよい「居場所」は人それぞれであることを忘れてはならない。子どもの興味・関心が個々人によって多様であるということに目を向けず、その活動内容までを大人が規定し過ぎてしまうと、ロジャー・ハートのいう「非参画」レベルの活動になってしまう。結果的に、個人の主体性や社会性を育むことにつながらない恐れがあるだろう。
第二に、大人と子どもの活動において、子どもの発達の度合いに目を向けず、ロジャー・ハートの「参画のはしご」の上段の方が優れた活動であると考えてしまうと、結果的に「参画」による効果は表れにくい。ロジャー・ハートも述べているように、「参画のはしご」は参画のあり方を示したものであり、上の方が優れているというものではない。また、徐々に上に上がっていくものでもない。その場や状況、子どもの発達段階によって、臨機応変に選ばれるものである。
第三に、社会的な視点から考えた問題である。すなわち、用意された「参画」の場や機会にアクセスできる子どもたちは、子どもたちのなかの一部であることを認識しなければならない。当然ながら、様々な諸事情でそこへアクセスできない子どもたちもいるのであり、そこでの二極分化が進むのでは、という危惧が生まれる。「参画」の場や機会にアクセスをした子どもたちによって、その積極的な生き方が、他の子どもたちに影響を与えることも考えられるが、集団的な仲間を作りながら生活している子どもたちの世界では、あまり起こり得ないであろう。このように、「参画」の場や機会が多様であればあるほど、意識の階層化が進むことにも自覚的でなければならない。

(3) 今後の課題
子どもと大人がともに参画しながら活動をしていく多様な機会や場は、これからの生涯学習社会において、確かに重要な意味を持つものである。多様で様々な「参画」する場は、作られなければならないし、そのチャンスを増やしていくことも必要である。
しかし、一人の人間にとって、その多様なすべてを経験することはできない。従って、だからこそ個々人に必要なのは、多様に用意された場を自分で選び、あるいは、自分で選んだ場を楽しむ力なのではないだろうか。彼らに必要なのは、「与えられる参画する場」ではなく、その場を選択できる力や、どこでも参画できる力や、その場を自分なりに楽しむ力なのである。「参画」する場をつくりさえすればよい、というものでは決してないであろう。
確かに、計画的につくられた「場」が、効果をあげる可能性は大きい。例えば、すでに学校という枠があり、その授業や行事などの実践の中で「子どもの参画」を行っていくことは意味のある活動である。しかし、そこでは「参画」することの意味や重要性を自覚したファシリテーターが存在していなければ、その意味の効果は大きくないだろう。
その他、児童館や社会教育施設などにおける「子どもの参画」も重要な意味を持つものである。しかし、そこでは、子どもたちが「参画」の必要性と重要性を感じ、あるいはその「参画」の力をつけようとしている時に、その効果が大きいものとなる。そのため、ここでもファシリテーターの役割が大きな意味を持つことになる。
子どもたちが大人とともに参画する場や機会を作っていく時、本当にそれが「参画」の理念に従っているかを、常に確認する必要があるだろう。自分たちが主体的に自分自身へ参画することを前提とした上で、他者との多様なコミュニケーションをしていく、ということが保障されている時、「子どもの参画」は大きな効果をもたらすものである。すなわち、2.「参画」への視点で前述した「参画」の意義の三点を、活動の過程で忘れてはならないと考える。それを忘れてしまうと、大人が子どもの参画の場や機会をつくった、という事実のみが重要視されてしまう。
そもそも、もしも子どもたちが(大人たちも)、活動に参画したいと考えているのなら、自らその場を作っていくはずであり、それこそ、個に応じた参画が生まれるはずである。今、大人たちが考えなければならないのは、子供たちが生活している様々な日常場面において、「参画する力」をつけてあげることではないだろうか。すなわち、生涯学習社会において、自分自身の人生に参画していく意欲と力を持ち、一人ひとりが生涯学習をしていける力を持つことが大切であると考えるのである。
「参画」の手法だけが一人歩きし、「参画」の意義を失うことがないよう、今、私たちが解決し、対応しなければならないことは何なのかを、改めて見つめ直さなくてはならないだろう。

【注】
(1) 五十嵐牧子「生涯学習における『子どもと大人の参画学習』の理念について」『文教大学教育研究所紀要』第9号、2000、pp.97−98、で詳しく述べている。
(2) ロジャー・ハート著、木下勇・田中治彦・南博文 監修、IPA日本支部 訳『子どもの参画−コミュニティづくりと身近な環境ケアへの参画のための理論と実際』萌文社、2000、に詳しい。
(3) 寺本潔『子どもの知覚環境 遊び・地図・原風景をめぐる研究』地人書房、1994、に詳しい。
(4) Roger A.Hart,Children's experience of place. Irvington Publishers, Inc., New York, 1979、においては、フィールドワークをもとにした知覚空間研究を行っている。
(5) Roger A.Hart, Children's Participation: From Tokenism to Citizenship, Innocenti Essays No.4, UNISEF International Development Center, Florence, 1992,p.41
(6)Ibid.p.5(原文)
(7) Roger A.Hart Children's Participation: The theory and practice of involving young citizens in community development and environmental care, UNISEF & Earthscan Pablications Ltd, 1997,pp.65−67
(8) ロジャー・ハート著、前掲書、p.25
(9) ロジャー・ハート著、前掲書、p.19
(10)以下に続く「参画のはしご」の説明は、次の文献を参照している。
・Roger A.Hart(1992)op.cit.,pp.8−17
・Roger A.Hart(1997)op.cit.,pp.40−45
・ロジャー・ハート著、前掲書、pp.41−46
(11)「ファシリテーターは、知識を伝える人として働くのではなく、子どもが自分たちで活動できるよう舞台を整え、そのことによって子どもたちを助ける人である。」と説明されている。(ロジャー・ハート著、前掲書、p.80)
(12)ロジャー・ハート著、前掲書、p.19