以下展示パネルより抜粋
(※マレーシアの教育制度等のパネルは省略しています)
マレーシアの教科と教科書
【1】マレー語(Bahasa Melayu)
マレー語は、マレー系、華人系、インド系はじめ、多様な民族と文化を持つ国民によって構成されている複合国家・マレーシアにとって、全国民が共通に意思の疎通をはかるための「国語」であると同時に、マレーシアの国民としてのアイデンティティを高め、国民が統合・団結し、共生していくための大事な「柱」の役割を果たしています。
マレー語は民族に関わりなく、国民全てが学校教育の全段階で学び、卒業・修了資格試験も全てマレー語によって行われます。マレーシアの教育制度図(省略)でも分かるとおり、小学校段階では、マレー語、中国語、タミル語の各民族別教授言語による学校が併置されていますが、中学校以降はすべて、「国語」であるマレー語によって教授がなされ、中等学校以降の入学・修了資格試験やあらゆる公的資格試験も、すべてマレー語によって実施されます。そのため、中国語やタミル語の学校に在籍していた児童が公立の中等学校に進学する場合には、授業内容を十分に理解するためのマレー語習得を目的として、原則的に1年間の「移行学級」(remove class)を経ることが義務づけられています。
教科書は小学校低学年では会話文が中心ですが、中学年以降は物語文やエッセイ、説明文などの読解の内容が次第に増え、複雑な内容になってきます。
【2】数学(Matematik)
数学は小学校1年次から始まり、レベルや進度は日本とほぼ同様です。しかし、小学校段階においてはマレー語、中国語、タミル語の各民族別教授言語による学校が併置されている関係から、小学校段階の教科書は各民族語によって書かれています(中学校以降はマレー語)。
しかし、2002年7月、当時のマハティール首相(03年10月末で22年間続いた首相のポストから退任)を中心とする政府与党連合Barisan National(国民戦線)は、「03年の新学期より、初等・中等学校の新1年生から漸次、全ての理数科目について、英語を媒体として教育を行う」と発表、03年1月から小・中学校の1年生で英語による数学・理科の授業が開始されました。この改革の導入理由として、@マレー系の英語力の低下に対する歯止め、A科学技術分野での国際競争力の強化、BITを中心としたグローバル化への対応等が挙げられています。
そのため、2005年現在は初等・中等学校での制度移行期で、小学校の1年〜3年は英語と各言語で、4年〜6年は各言語で数学・理科の授業が行われています。例えば、中国語媒体で授業を行う小学校の1〜3年生は、理数科目を英語と中国語の両言語を用いて教えており、週あたりで、数学を中国語で6コマと英語で4コマの計10コマ、理科を中国語3コマと英語3コマの計6コマという時間配分で教える「二言語教育」で授業を行っています(マレーシアの小学校の1コマは30分)。
中等学校でも、中学校にあたる前期3年では、英語とマレー語の二言語で、高校にあたる後期2年と大学予備課程(フォームY:2年間)では、マレー語のみで授業が行われています。
今回掲示されているのは、3年生の英語版(図1省略)と中国語版(図2省略)、5年生のマレー語版(図3省略)と中国語版(図4省略)の数学教科書の内容です。言語の違いはあっても、3年生では10000以下の大きな数値の加減乗除、5年生では貨幣を使った小数の引き算の学習を行っているのがわかります。なお、小数の単元で出てくる「RM」という表記は、マレーシアの通貨単位「マレー・リンギ(Ringgit Malay)」のことです。
【3】理科(Sains)/応用理科(Amali sains)
理科は2002年度までは小学校4年次から開始されていた科目でしたが、数学の教科書の説明でも述べたように、2003年新学期から、初等学校・中等学校新1年生より理数科目を英語によって教育を行う措置が導入・開始されました。そのため、2005年現在、理科は小学校の1年から開始されており、1〜3年では英語と各民族の言語で(例えば中国語3コマと英語3コマの計6コマで)理科が教えられています。一方、4〜6年は各民族言語で授業が行われています。数学と同様に、2008年までには、小学校全ての学年で、英語媒体による理科の授業の導入が完了します。
中等学校でも、中学校にあたる前期3年と、大学予備課程(フォームY:2年間)では英語とマレー語の二言語で、高校にあたる後期2年では、まだマレー語のみで授業が行われています。しかし、2007年までには、中学校全ての学年で英語媒体による理科の授業が導入されます。
マレーシアの理科の教科書の特徴は、科学的・客観的な知識・思考を高める一方で、倫理的な側面としてイスラームに代表される「神」や「自然」に対する畏怖や感謝の念といった形而上的な内容を同時に扱っているところであるといえます。
例えば、動植物の特性について扱う章では、人間の果たす役割について「人類には、あらゆる動植物の上に立ってこの世界を管理する特権が与えられている。人類には、神の創ったこの自然や世界、宇宙に対して、与えられる資源を正しく適正に使用し、美しく保ちながら管理していく責任がある」という記述も見られますし、「天体と宇宙」の章では、「神が創られた宇宙の美しさに感謝し、詩(それぞれの民族による手法で)を作りましょう」などという課題も出題されたりもしています(図5省略)。したがって、環境教育でも、森林伐採や大気汚染、温暖化、リサイクルなどの学習と共に(図6省略)、自然環境に対する宗教的価値の育成が取り入れられているという特徴があります。
もうひとつの大きな特徴は、身の周りにある様々な物質を集め、観察し、それらを分類してリスト化するといった学習活動を通し、「物質には自然にある物質(天然資源)と人工の物質がある」「人工の物質は、その元はどんな天然資源であったか」「用途に合わせた資源の利用の仕方」などの内容を理解する、「材料の分類・分析」の学習内容があることです。これらの視点は、日本とマレーシアにおける初等理科カリキュラムの異同の中でも、最も注目に値する違いであるといえるでしょう。
また、まだ英語媒体による授業が行われていない4年以上では、「応用理科(Amali sains)」という科目が導入され、理科で学習した内容をより日常生活に密着した検証をしたり、実験や観察を通して実証的に理解したりすることを強調しています(図7省略)。この「応用理科」では、科学技術の歴史や最先端技術に関する読み物をコラムで紹介し、これまでには見られなかった工夫を取り入れ、子どもたちの科学への関心を高めようとしています(図8省略)。
【4】英語(Bahasa Inggeris)
数学・理科の項でも触れたように、2003年新学期から、初等・中等学校新1年生より理数科目を英語によって教育を行う措置が導入・開始、マレーシアは英語教育に一層、力を入れ始めています。
英語は小学校1年次から開始され、初等・中等・高等教育の全ての段階で教えられています。マレーシアは第二次世界大戦終了まで英国植民地であったことから、もともと英語との結びつきは強く、現在も公用語としてマレー語に次ぐ第二言語的な位置づけをされています。
近年の英語教育への関心の高まりは幼稚園などの就学前教育機関へも波及し、私立などでは、英語を媒体として教育を行うイマージョン教育や、英語、マレー語、および各民族言語のマルチリンガルを目指した教育も広がりを見せていて、例えば、2003年から導入された就学前教育のナショナル・カリキュラムでは、英語は幼稚園でも週2時間が必修となっており、「リスニング(聴き取り)」「スピーキング(発言・発表)」「リーディング(読解)」「ライティング(作文)」の総合的な4つの技能の基礎を、小学校入学前に獲得できるようになっています。
英語教育のレベルは、小学校段階でほぼ日本の中学3年間の学習内容が終了し、6年生ではかなりの長文を読みこなすようになりますので、日本と比べてかなりペースが早くレベルは高いといえます。低学年まではオーラルコミュニケーション中心ですが、4年生あたりから次第に文法事項や長文読解、英作文に重点が置かれていきます。6年生では語尾に-enを付けて動詞化したり、-ionを付けて名詞化したりするなど、派生語の学習によって語彙をより増やす内容の学習も見られます。
このように非常に重要されている英語ですが、実際マレーシアを訪れてみると、多くの民族や外国人が混在している都市部では、大部分の人が英語を理解でき、会話などによる意思の疎通も可能です。しかし、地方に行くと、その大部分はマレー系住によるコミュニティの中で生活しているため、英語を話す機会はずっと少なくなります。したがって、同じマレーシア国内でも、地方ではあまり英語が通じないことも多く、子どもたちも、都市部の子どもと比べて英語が苦手という割合が大きくなるなど、地域によって格差が見られます。
【5】地域科(Kajian Tempatan)
「地域科」は直訳すると「地域研究(Kajian=研究、Tempatan=地域)」という意味で、日本でいう社会科にあたる地理・歴史・公民的内容を学習する教科です。なお、「地域科」は、小学校だけに導入された教科で、中学校以降は地理・歴史・政治経済などの各教科に分かれます。
1995年の小学校4年次から開始され、現在では初等教育の4〜6年生で教えられています。それまでは1985年から94年まで「環境と人間(Alam dan Manusia)」という理科・地理・歴史・公民の合科科目(日本では生活科に近いもの)が行われましたが、理科や地理・歴史・公民の学力が低下したとの批判を受け、95年の4年生から漸次、「環境と人間」は、科目統合以前に独立した教科として存在していた「理科」と、新教科である「地域科」に再分割されました。
4年生では、家族や学校など自分の身近な社会から始まり、5、6年と学年が進むにつれ、地方や国の特徴や世界との関わりや、地理・歴史・政治・経済などの諸分野の基礎を学びます。また、多民族多文化の複合国家マレーシアらしく、各民族の習俗の特徴や文化・宗教の多様性とその尊重に関する学習や、マレーシアの国民として共生することの大切さについても多くの章が割かれています。
【6】公民教育(Pendidikan Sivik dan Kewarganegaraan)
「公民教育」は2005年から小学校4年次と中学校1年次に導入された新教科です。直訳すると「公民および市民権の教育(Pendidikan=教育、Sivik=公民、dan=〜と〜、Kewarganegaraan=市民性・市民権)」という意味で、「地域科」における公民的内容と、社会生活に必要な道徳・倫理的な要素を総合的に学習する教科です。なお、「公民教育」という訳語は、中国語版教科書の教科名呼称を使用しています。
マレーシアでは、価値教育としてマレー系の児童・生徒は民族の宗教である「イスラーム教育」を、華人系・インド系などの非マレー系は「道徳教育」を行います。しかし2003年、マレーシア教育省において「全ての民族の児童・生徒に共通の価値教育を実施し、国民統合を推進するための新しい教科を導入する」ことが決定し、2005年から新教科「公民教育」として導入されました。
この教科の内容は、「地域科」における公民分野や、「道徳教育」の内容と非常に似ています。自分−家族−学校−地域−国家という、同心円的な社会の広がりに合わせて、子どもたちは各コミュニティの一員=市民としての責任や道徳的価値などの「市民性(シチズンシップ)」を学んでいきます。また、これも「地域科」と同様、各民族の習俗の特徴や文化・宗教の多様性の理解と尊重、同じマレーシア国民として、民族同士助け合い協力していくこと、そして市民としての権利と果たすべき義務などについて学ぶようになっています。
今後、「地域科」の公民分野の内容を、この「公民教育」に独立的に移行していく可能性も考えられ、最近、日本でも要望が高まってきている「シチズンシップ教育」の実践例として、今後も注意深くその動向を見守っていくことが必要な教科といえるでしょう。
【7】保健体育(Pendidikan Jasmini dan Kesihatan)、および実技教科(音楽・美術・家庭科)
「保健体育」は小学校1年次から全ての学校段階において実施されている教科です。体育のみならず保健・衛生に関する内容も含まれており、日本の保健体育とほとんど同じです。
ここで取り上げられているスポーツには、日本ではまだなじみの薄い競技もあります。例えば、6年生のカリキュラムでは「セパタクロー(Sepak takraw)」が取り上げられています(図9省略)。これは、竹で編んだボールを足を使ってバレーボールのように相手のコートに打ち込んで得点を競う球技です(チーム戦やダブルス戦、また「蹴鞠」のような5人一組でのリフティング戦など5種目があります)。9世紀ごろから東南アジア各地で伝えられてきた伝統的なスポーツであり、日本でも1989年に日本セパタクロー協会が設立され、大学や社会人、地域クラブなどの各クラブ・サークルによる51の団体が国内大会に参加するなど(2004年現在)、競技人口は徐々に増えてきている状況です。また、日本はアジア大会や国際大会にも参加し、1999年以降は世界選手権大会で3位入賞を続け、また、2002年にはアジア大会でも男女共に3位となるなどの成績も挙げています。マレーシアではサッカーやホッケー、バドミントンなどが人気が高いスポーツですが、体育の授業ではバスケットボールやバレーボール、ソフトボール、創作ダンスなども扱われます。
実技教科については、今回教科書を入手できませんでしたが、小学校段階から「音楽(Muzik)」および「美術(Pendidikan Seni)」といった芸術教科(1年次から)や、日本の「家庭科」にあたる「生活技能(Kemahiran Hidup)」(4〜6年次。中学校以降は「技術・家庭科」となる)の授業も行われています。こうした実技教科は幼稚園段階からも行われ、子どもたちの情操教育や基本的な生活技能の向上が目指されています。
なお、マレーシアでは小学校から教科担任制を採っており、教師によっては複数の教科を兼任している場合もありますが、基本的には自分の専門教科を教えています。
【8】イスラーム教育(Pendidikan Islam)、道徳教育(Pendidikan Moral)、
アラビア語(Bahasa Arab)
マレーシアは複合国家であり、イスラームを信仰するマレー系、仏教や儒教、道教などに価値をおく華人系、ヒンドゥー教やシーク教を信仰するインド系ほか、キリスト教や自然崇拝など、民族によってその倫理観や価値意識の拠り所にも違いがあります。こうした社会的状況の中、マレーシアでは、価値意識に関する教育としてマレー系には「イスラーム教育」を、華人系・インド系などの非マレー系は同じ時間に「道徳教育」を行っています。
「イスラーム教育」では、道徳の内容も扱うが、基本的には「良いムスリム(イスラーム教徒)」になるための教義や礼拝の仕方(図10省略)、クルアーン(コーラン)の解釈や朗誦などの宗教教育です。マレーシアでは憲法で信教の自由は保障されているが、イスラームは国教とされ、特別な地位を与えられています。道徳的内容は、日本と同様シラバスの中の徳目について事例を読みながら学んでいくものです。
また、「アラビア語」は、マレー系の児童・生徒にとっては、クルアーンを読めるようになるための基礎となり、非常に重要な意味を持ちます(図11省略)。華人系は華語、インド系はタミル語といった各民族の言語を別途学ぶため、マレーシアの子どもたちは、幼い頃からマレー語と英語に加え、アラビア語あるいは各民族言語と、三言語を同時期に学び、話すという多言語環境の中で成長していくのです。
(文責:教育学部 手嶋將博)
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