<TOPへ戻る>

 
第13回「世界の教科書展」  

 

特集
ナイジェリアの教育と教科書

展示:2006年11月3日(金)〜5日(日)/8201教室
ヤムイモ料理試食/8202教室


 

 

本特集「ナイジェリアの教育と教科書」は、本学人間科学部助教授 中村博一先生に全面的にご協力をいただきました。パネル作成に当たっては、ナイジェリアの中等学校教員ムーサ・イブラヒム・アッバ先生に多くの情報を提供していただきました。また、ポートハーコート大学 エマヌエル・エセルベート・カリ博士、ウソマヌダンフォディヨ大学 ムハマド・クナ博士、および同大 サリース・ヤカサイ博士にご助言をいただきました。

特集「ナイジェリアの教育と教科書」のパネルや教科書の展示とあわせて、今年も世界19カ国の教科書を展示しました。今年は教科別に展示し、各国の比較が容易にできるよう工夫しました。

また、今回は、特集との組み合わせで、ナイジェリアの食材体験を企画しました。代表的な食材であるヤムイモを使ったコロッケ・餅、そしてハイビスカスティーを来場者に試食していただきました。

 

 

 

展示会場(8201教室)
会場風景 ナイジェリアの教科書 3日間で500人以上 世界の教科書

以下に特集に関する展示パネルを再録します。(最後にヤムイモ料理試食会の様子も掲載します。あわせてご覧ください)
なお、パネルの執筆者は人間科学部中村博一先生です。また、パネル中の写真は中村先生のご提供です。

特集 ナイジェリアの教育と教科書

はじめに
最初から質問です。みなさんはアフリカの国をいくつ知っていますか? どこにどんな国があるかもご存じですか?
アフリカで生活していると「日本から中国まで車で何時間?」と現地の友人から聞かれるように、日本で生活していると「ナイジェリアって地中海に面しているでしょう?」と言われてしまうことがあります。
アジアとアフリカは遠く離れており、お互いを知る機会はずいぶん限られてきました。最近は駅や街中でアフリカの人々と出会うことが多くなりましたし、アフリカでも多くのアジア人やアジアの製品を目にするようになりました。
そんなわけで今回はアフリカの一国、ナイジェリアの教科書をご紹介することになりました。ではナイジェリアはどんな国でしょう? どんな人たちが暮らしているのでしょう? 実はわたしたちはナイジェリアの人々をよく目にしているのです。この10年の間に日本で生活するアフリカ人が増加しました。でも東武線や武蔵野線で出会うアフリカ人の多くが西アフリカ出身者であることは意外に知られていません。ガーナ・ナイジェリア・カメルーン・ベナンといった国々からはるばる来日したのです。さらにその半分ぐらいがナイジェリアからやってきた人々と言われています。

ナイジェリア連邦共和国
地図を見てください。ナイジェリアはアフリカ大陸の中央からやや西側に位置しています。国土は少しひしゃげた四角形のように見えます。東西南北にそれぞれ1000qの広がりをもちます。南は大西洋に面し、東はカメルーンと西はベナンに接しています。北には国土の大半が砂漠であるニジェールがひかえています。国土は日本の2.5倍、人口は12,917万人(2004年国立統計局資料)で、日本(12,775万人/平成17年)とほぼ同じぐらいです。長い間首都はラゴスでしたが、現在はほぼ中央部に位置するアブージャになっています。日本人が設計した都市です。
アフリカのほとんどの国がそうであるようにナイジェリアも半世紀以上にわたる植民地経験を共有しています。その経験は今日なお教育を含めた諸制度、価値観、日常生活に深く刻まれていると言えましょう。1960年アフリカの年、イギリスから独立して今年2006年秋で46年周年を迎えます。

アフリカ地図
総務省統計局・統計研修所より

現 況
ではどのぐらいの子供たちがどのような教育を受けているのでしょうか。幼稚園等で就学前教育を受ける子供たちは15%(男女同率)、初等教育は 60%(女児57%・男児64%)、中等教育は27%(女子25%・男子30%)、高等教育レベルでは 10%(女子7%・男子13%)となっています。
この数値をガーナや日本と比べてみましょう。 表1をご覧ください。特に注記がない限り2004年のデータです。ガーナの就学前教育とナイジェリアの高等教育の数値の高さに注目できるでしょう。初等教育についてはそれほど違いがありません。またナイジェリアは中等教育の率が低いですが、中等教育まで受けると進学する傾向があるように見えます。
それともうひとつ重要なことはアジア/太平洋地域ではそれほど問題にならない識字率(9割以上)がアフリカにおいては重要なポイントになることがわかるかと思います。IT革命や新しいメディアにともなう日常生活の変貌はアフリカでも同様に起こっています。しかし、その代表的なインターネットの利用率が識字率と大きな関係があることをわたしたちは忘れています。

 表 1

  るる ナイジェリア ガーナ アフリカ地域平均 日 本
就学前教育 男女 15% 46% 12% 85%
15% 46% 13%
15% 46% 12%
初等教育 男女 60% 58% 65% 100%
64% 58% 67%
57% 58% 63%
児童数/教師 36人 32人 19人
中等教育 男女 27% 36% 24% 100%
30% 39% 26%
25% 33% 21%
高等教育 男女 10% 3% 5% 54%
13% 4% 6% 57%
7% 2% 4% 51%
識字率
(15歳+)
男女 49.9%(1990) 58.5%(1990) 57.9%(2000) 62.5%(2000-2004)
60.0%(1990) 70.1%(1990) 66.4%(2000) 70.9%(2000-2004)
40.3%(1990) 47.2%(1990) 49.8%(2000) 54.8%(2000-2004)
識字率
(15-24歳)
男女 73.6%(1990) 81.8%(1990) 70.7%(2000) 70.5%(2000-2004)
80.8%(1990) 88.2%(1990) 75.9%(2000) 75.7%(2000-2004)
66.5%(1990) 75.4%(1990) 65.5%(2000) 65.7%(2000-2004)

 (UNESCO統計研究所資料より中村編集 http://www.uis.unesco.org/profiles/EN/EDU/ 2006年10月25日参照)

教育制度
ナイジェリアの教育制度は複数の改革を経て現在に至っています。普通初等教育は1950年代に一部地域に導入されました。全国に拡大したのは1976年です。また、1982年以前は小学校7年、中等学校5年、大学3年間という7-5-3システムが実施されていました。
その後、小学校と中等学校はそれぞれ6年制になりました。中等学校については前半3年間(下級中等学校 Junior Secondary School )と後半3年間(上級中等学校Senior Secondary School)に分かれました。大学も4年制となり、この新制度は6-3-3-4システムと呼ばれました。中等学校が分かれた理由としては、全課程を修了できない生徒がいること、将来のキャリア形成に向けて何を学ぶべきか明確な輪郭をえがきにくい制度であったことなどがあげられます。
下級中等学校3年次において選定試験placement examinationが行われます。選定試験により生徒は科学・芸術・社会科学・職業クラスに選別されます。また中等学校3年終了後、就学が困難な生徒には職業クラスが推奨されます。各課程を全うすると修了証書が交付されます。なお義務教育compulsory educationは小学校からの9年間です。直接の所管はローカルガバメントlocal governments(約700)ですが、全国に36ある州政府、および連邦政府の方針が反映されます。
「教育はナイジェリア国家発展の礎であり、非常に重視される」とナイジェリア政府は述べています。万人のための・機能的な・質の高い基礎教育に重きが置かれています。キーワードは普通教育(万人のための教育Education for All)です。その基本原理は、社会の成員として自ら最大の利益を導き出し、人生を全うし、コミュニティの発展と福祉に向けて自ら貢献することを可能にするような知識・技能・姿勢・価値観を万人に付与することとされています。したがって基礎教育のターゲットは本展示が扱う公教育のみに限りません。あらゆる世代の人々や集団のニーズに見合う非公式の教育活動も含まれます。就学前教育、若者・大人・学校に行けない児童のための識字教育、遊牧民や移動漁民の子弟のための教育も含まれます。

就学前教育
1991年に政府はユニセフとの共同プロジェクトを立ち上げました。就学前の期間に提供されるケアやサービスの充実を目的としていました。背景には初等教育への就学問題がありました。小学校を卒業する児童は69.3%(女子68.2%、男子70.6%1995年の数字)。就学が困難な状況の児童や女児の就学率を80%まであげ、誰もが基礎教育にアクセス可能にすることを目ざしていました。当時、就学前教育を受けた子供はわずか4.7%でしたが、2004年には15%と大きく改善されました(表1)。

初等教育およびUBE
しかしながら、小学校の就学率が次第に低迷しつつあることが90年代後半に認識されるようになりました(表2)。また州によって大きく異なる就学率も問題となりました。こうした状況をふまえ、就学率だけではなく教育の質と効果をも高めるため2004年には新たな改革が行われることになりました。初等教育の部分については「普通基礎教育Universal Basic Education(UBE)」へと変更するもので、具体的には小学校6年と下級中等学校3年をひとつに融合する改革です。
ところでナイジェリアは長らく軍事政権が続いてきましたが90年代末に民政移管が実現しました。UBEは民主的に選ばれた現オバサンジョ政権の方針により導入されたものです。教育を最優先課題のひとつとしており、2005年よりUBEは実施されています。教育に関する国民意識を高める、中途放棄の割合を大きく減少させる、ドロップアウトした人々や学校へ行く機会が与えられなかった人々にも基礎教育を提供する、生涯学習の基盤となるような識字能力・計算能力・コミュニケーション能力・ライフスキル(公衆衛生などの知識)を獲得させる。UBEにはこうした展望も含まれています。

表2 州別 性別 小学校就学率(グロス)
  PRIMARY SCHOOL GROSS ENROLMENT RATE BY STATES AND GENDER(1992-1996)

年度 YEAR 1992 1993 1994 1995 1996
州名 NAME OF STATE M F M F M F M F M F
アビア ABIA 115% 107% 102% 113% 110% 108% 96% 93% 64% 62%
アダマーワー ADAMAWA 146% 70% 158% 58% 183% 70% 229% 96% 233% 91%
アクワイボン AKWAIBOM 139% 131% 137% 135% 138% 138% 124% 123% 117% 120%
アナンブラ ANAMBRA 76% 74% 82% 83% 80% 82% 68% 68% 58% 57%
バウチ BAUCHI 44% 28% 50% 33% 49% 11% 56% 38% 55% 39%
ベヌエ BENUE 122% 85% 125% 92% 101% 78% 128% 98% 118% 97%
ボルノ BORNO 92% 67% 112% 77% 121% 92% 86% 132% 134% 103%
クロスリバー CROSS RIVER 80% 76% 90% 94% 86% 87% 56% 56% 68% 87%
デルタ DELTA 109% 106% 126% 119% 100% 112% 76% 84% 73% 81%
エド EDO 129% 129% 119% 121% 129% 132% 99% 115% 60% 60%
エヌグ ENUGU 117% 91% 113% 93% 111% 94% 101% 83% 42% 35%
イモ IMO 124% 107% 120% 102% 116% 103% 100% 97% 68% 61%
ジガーワー JIGAWA 77% 43% 83% 45% 52% 27% 73% 40% 71% 39%
カドゥーナ KADUNA 77% 60% 74% 65% 77% 62% 68% 55% 66% 54%
カノ KANO 76% 47% 75% 46% 78% 48% 77% 50% 84% 60%
カツィナー KATSINA 225% 99% 269% 120% 233% 105% 104% 51% 56% 27%
ケッビ KEBBI 45% 22% 41% 19% 49% 23% 60% 31% 52% 34%
コーギ KOGI 95% 85% 112% 97% 126% 106% 110% 94% 96% 82%
クワラ KWARA 91% 80% 93% 83% 89% 81% 96% 90% 93% 80%
レーゴス LAGOS 76% 87% 67% 81% 62% 73% 64% 74% 47% 55%
ナイジャ NIGER 66% 42% 81% 55% 86% 59% 92% 61% 77% 47%
オグン OGUN 85% 97% 173% 95% 97% 92% 93% 87% 88% 84%
オンドゥ ONDO 73% 73% 65% 66% 91% 69% 71% 70% 74% 78%
オスン OSUN 118% 111% 116% 112% 112% 154% 154% 124% 107% 107%
オヨ OYO 186% 103% 104% 87% 99% 103% 97% 99% 91% 93%
プラトー PLATEAU 100% 78% 104% 83% 112% 91% 110% 89% 114% 93%
リバース RIVERS 60% 65% 59% 65% 56% 64% 59% 67% 50% 56%
ソコト SOKOTO 41% 13% 38% 12% 46% 16% 47% 15% 49% 15%
タラバ TARABA 109% 65% 116% 73% 122% 73% 143% 109% 139% 106%
ヨベ YOBE 89% 55% 95% 58% 181% 107% 178% 109% 165% 105%
アブージャ区 ABUJA (F.C.T.) 71% 74% 92% 91% 120% 122% 115% 128% 85% 99%
ナイジェリア全体 NIGERIA 91% 75% 95% 77% 94% 77% 88% 74% 75% 65%

Source:連邦政府文科省統計局 STATISTICS BRANCH,FEDERAL MINISTRY OF EDUCATION, ABUJA. 30TH JUNE, 1999.
灰色部分 就学率が低い州 Very Low Gross Enrolment Rate
注:100%超過は就学年齢を超えた人の就学を含む。母数は就学年齢の子供数のため。
(http://www2.unesco.org/wef/countryreports/nigeria/rapport_2_9.html より2006年10月26日ダウンロード・中村編集)

小学校の中庭で(ギダンマーサウ村)

多言語教育
ナイジェリアの公用語は英語ですが、イボ・ハウサ・ヨルバの3言語が憲法で認められています。議会においても使うことができます。イボ語は南東部、ハウサ語は北部、ヨルバ語は南西部で通用します。このため各地域の学校でも英語以外に3言語のいずれかを教えています。
ナイジェリアには300以上の言語(集団)が存在するとも言われていますが、イボ・ハウサ・ヨルバ語を除き教育現場での学習機会はほとんどありません。このため家庭や地域のみで伝承される少数言語のいくつかは絶滅の危機に瀕しており、ユネスコUNESCOの支援を受けた言語学者が記録調査を実施しています。
とはいえマイナー言語の教科書をつくろうというプロジェクトも実在します。今回展示している一部の教科書は南東部におけるプロジェクトから生まれた例です。イボ語圏であるリバース州のいくつかの言語をもちいた教科書です。


ハウサ語教育
言語学者によると西アフリカの言語生活の特徴は多言語使用です。北部のハウサ語圏で出会う人々も公用語の英語とハウサ語以外の言語を話せることがめずらしくありません。写真の小学生は北西部のソッコト市で生活しています。学校ではハウサ語と英語で学んでいますが、母語はクナマ語です。仕事を手伝うときお客との会話はハウサ語ですが、お母さんとはクナマ語で話します。今回の展示は主にハウサ語圏に注目していますが、こうした多言語使用はナイジェリア全域においても一般的と言えましょう。

早朝から母の商売を手伝う小学生

さて北部の日常的なミュニケーションはハウサ語で行われています。そのため北部の小学校へ入学する場合、英語を除くすべての教科はまずハウサ語で教育されることになります。次いで小学校4年から5年にかけてハウサ語と英語を両方用いながら徐々に英語にシフトしていきます。そしてハウサ語を除いた全教科を英語で学ぶようになるのです。
しかしながら、中等学校の現役教員からの報告によると最近は中等学校の現場でもハウサ語が使われています。法律的には英語で教えなければならないのですが、ほとんどの教師がハウサ語を使わざるをえない状況です。「教え・学ぶ」プロセスを簡略化できるのが一番の理由です。実は近年、公立小学校卒業生の英語の能力が落ちてきているからです。これは現場の教師にとっては頭痛の種であり、生徒にきちんと理解させるため英語を使うのには限界があるのです。
同様な問題は、ハウサ語以外のほとんどの科目が英語で教育される大学においても深刻化しています。学生のレポート等において文法上の間違いも多く、コミュニケーションがきちんとできているのか大学教員も悩んでいます。

大学受験
大学やカレッジへ入学するためには、ナイジェリア文科省主管の大学入学許可委員会 Joint Admission and Matriculation Board(JAMB)への申請が必要です。志望者はJAMBの申請用紙を購入し、入学を希望する校名を記入します。志望する大学ないしはカレッジを2校まで選ぶことができます。両校とも入学許可が出た場合は志望者本人が選択します。なお中等学校修了に際し、履修9科目のうち少なくとも5科目の単位を取得していなければなりません。その上でJAMBの統一試験(JAMB Exam)を受験します。これはナイジェリア全土で同日に行われます。志望者は専攻を希望する科目を受験します。JAMBは受験生の氏名・必要事項・試験結果をそれぞれの志望校に送付します。各大学は試験結果をもとに定員にそって入学許可を出します。合格者氏名は新聞に掲載されます。
技術専門学校polytechnicや教員養成校college for diploma and higher certificateの在籍者で大学入学を希望する者も申請用紙を購入します。必要事項を記入後JAMBへ送付し審査を受けます。しかし、この場合統一試験は免除されます。今回の展示に多くの情報を提供していただいたムーサ・イブラヒム・アッバさんの場合、国立教員養成校Federal College for National Certificateからバイェロ大学へ進学しました。前者はJAMBの統一試験により、後者はJAMBの書類審査により入学しています。今日では中等学校を卒業後15年〜20年してからの大学受験熱が高まっています。この現象に教師も注目しています。

高等教育・大学教育
ナイジェリアのほとんどの学校は国公立です。政府はナイジェリアにおける教育の重要性をその理由としています。初等教育・中等教育レベルでは、ある程度の民間の参入が認可されてきましたが、政府の方針に従って運営されています。高等教育において私立学校が出現したのはこの10年の間にすぎません。かつてすべての大学は国立であり、州立大学も1978年頃になってはじめて設立されました。現在国内には250以上の高等教育機関・研究機関が存在しています。この中には技術専門学校・教員養成校・テクニカルカレッジも含まれます。
大学は全国に53置かれています。そのうち7大学が私立です。ナイジェリアの大学は開学の順に第1世代から第4世代まで分かれます。イバダン大・ナイジェリア大・ラゴス大・アフマドゥベッロー大・ベニン大・オバフェミアウォロウォ大が第1世代です。植民地時代までさかのぼる権威のある大学が含まれています。ジョス大・ウスマヌダンフォディヨ大・イロリン大・バイェロ大・カラバル大・マイドゥグリ大・ポートハーコート大、これらが第2世代であり、やはり名門大として分類されます。第3世代になると数が増えます。農業大学・科学技術大学も含まれています。第4世代には州立大・私立大・宗教組織により設立された大学も含まれるようになります。
ほとんどの科目は英語で教育されます。しかし、学生およびスタッフ同士の会話では地域性がうかがわれるような興味深い現象が見られます。筆者(中村)の経験をお話ししましょう。北西部のウスマヌダンフォディヨ大はハウサ語圏にあります。このためハウサ語を話す教職員・学生も多いのですが、それまで英語でしていた会話が何かのきっかけで不意にハウサ語に変わることがあります。さらにまた英語の会話に戻ることもよくあります。そのきっかけが単語の場合もありますが、よくわかりません。法則性はないように思います。聞いている側は慣れるまで少々時間がかかります。
この大学のハウサ語学科は中等学校と小学校のハウサ語教師をたくさん送り出してきました。講義はハウサ語で行われています。1960年代に留学した世代が専門用語をすべてハウサ語に訳出しました。講義では彼らがつくったテキストを使っています。こちらもハウサ語で書かれています。展示品の中にBayanin Hausaという書籍がありますが、1989年にウスマヌダンフォディヨ大の講義で実際使われていた文法の教科書です。

ソッコト大学
英語による社会学の授業
「社会学科へようこそ」学生が作った看板 英語による社会学の授業
ソッコト大学キャンパス コンピュータの授業

宗教教育
文科省のホームページには「歴史的経緯からナイジェリアの教育は二つの局面を経験している。」とあります。これは植民地経験に由来する西洋スタイルの教育とコーランを中心とする宗教教育を指しています。南東部のイボ語圏、あるいは相対的に南部にはクリスチャンが多いですが、国民の3分の2はイスラム教徒だと言われています。
特に北部ナイジェリアは住民のほとんどがイスラム教徒です。この地域にイスラム教が伝わったのは1000年以上前とされますが、1804年にフラニ族のイスラム学者ウスマヌ・ダン・フォディヨが開始したジハードは西アフリカを席捲しソッコトに本拠を置く大帝国をつくりあげました。北部ナイジェリアに居住する王族はダン・フォディヨの血をひいています。10月29日の航空事故で亡くなったイスラム王Sarkin Musulmiアルハジ・アブバカル・マチドもダン・フォディヨの子孫であり、庶民の心のよりどころでありました。
イスラム教育は小学校および中等学校レベルで行われています。イスラム教に重点を置いた学校イスラミヤ・スクールIslamiyya Schoolでは、イスラム教育がカリキュラムの中心となっています。こうした学校のほとんどは地元の教育行政当局が運営しており、卒業生は一般の小学校卒業生と同様に下級中等学校へ進めます。
公的な学校制度の外部でもイスラム教育は存在します。コーラン学校もそのひとつです。田舎の子供たちがイスラム教師のもとに寄宿しイスラムの教えを学ぶ習慣も見られます。ニジェールからナイジェリアへ寄宿する場合もあります。コーラン学校の生徒がプラスチックの容器を手に、アルマジリalmajiri(コーラン学校の生徒のこと。乞食の意味もある)として食を乞う姿は日常的な風景です。
イスラム教は宗教教育以外の教育制度にも影響を与えています。共学(別学)がそのひとつです。小学校までは共学ですが、北部各州の公立の中等学校では男女共学がほとんどありません。法律で禁止されているわけではないのですが、日常生活でも適齢期の男女がいっしょにいることを避ける傾向があります。人前で手を握ったり抱擁するのはとんでもないことなのです。実際中等学校を修了しないまま、結婚していく女生徒は多く、離婚率の高い北部において離婚後の女性の再教育(生活のための職業訓練等)が大きな課題となっています。
北部では大学においても共学が問題になることが過去にありました。90年代後半から男女の恋愛を映像化したビデオ人気が高まっていますが、イスラムに関わる日常的な規範も今後変わっていくかもしれません。キリスト教徒が多い地域では共学の中等学校が存在しています。

ラマを売りに行く少女たち

UBEの教科について
UBEの9年間で学ぶ教科には必修科目と選択科目があります。
小学校では以下のような科目を学びます。英語・3言語のひとつ(北部はハウサ語)・算数・社会・保健・体育・理科・農業科学・美術・アラビア語・フランス語。小学校でのフランス語教育は特異に思えますがナイジェリアの隣国であるニジェール・カメルーン・ベナンをはじめ多くの西アフリカ諸国がフランス語を公用語としている事情があります。
下級中等学校の科目としては英語・3言語のうちのひとつ・数学・社会・実業・技術・農業科学・宗教・保健体育・アラビア語ないしはフランス語・クリエイティブアートがあります。
今回はナイジェリアの国定教科書もいくつか展示してあります。これらの表紙には必ず「非売品NOT FOR SALE」と印刷されています。ただし「貸与料が課される」とあります。展示品の「6年の理科 Kimiyyar Firamare 6」をご覧下さい。市場で入手された古書ですが、中にPTAのレシートが入っていました。児童のおそらく親御さんが20ナイラ(約20円を)PTAに支払ったことがわかります。「学校修繕費」と但し書きがあるので貸与料とはちがうようです。
この6年の理科の教科書、冒頭には以下のような言葉があります。「この本は学校での理科の知識を補うために書かれています。本書ではみなさんが取り組むさまざまな実験から勉強することになるでしょう。そのうちのいくつかは学校の中だけで学ぶことができます。残りは必要なものがそろう場所で学ぶことができるでしょう。みなさんの理科の道具は実験を行う時に大いに役に立つでしょう。<略>
書きかけの文や書き込む表を見つけたら、答えを記入してみましょう。<略>
理科の知識のある人は興味深い疑問をもつのです。そして本を読んで解決法を探したり、実験をするようになるのです。あなたもまた事実を観察するために本書に書かれた実験をしてみることでしょう。そうしたら結果を書いてください。実験で観察したことを書いてください。混乱したり、わからなくなったら先生に聞いてみましょう。」
本書は9章からなっています。1章「動物の生活」、2章「植物の生活」、3章「わたしたちの健康」、4章「身を守る方法」(消火の方法、担架の作り方、蛇にかまれたら・・・)、5章「わたしたちの地球」(月世界への旅・・・)、6章「空気・水・温度」、7章「岩石・土壌・鉱物」、8章「力・エネルギー[身体を動かすカロリー]・仕事」、9章「わたしたちを取り巻くもの」(物質・元素・化合・合成・分子)。
ナイジェリアにおける科学教育は国家の発展とつながる重要な分野ですが、この章立てからは、われわれの知っている理科とはずいぶん異なった方向も読み取れます。非常に実践的な知識をも学べる教科だと言えましょう。

ハウサ語と口承・書承
英語と3言語が教育されていることを先に述べましたが、さまざまな問題もかいま見えます。ハウサ語の例をあげましょう。ハウサ語は西アフリカで広く通用するリングヮフランカ(共通語)です。ナイジェリアの教育制度ではボーコーと呼ばれるアルファベット表記で教えられていますが、その歴史的経緯からアラビア文字がハウサ語圏に入ってきた方がずっと古く、アラビア文字で表記されるハウサ語(アジャミ)も健在です。ハウサ語の文字表記にはこのように2種類が混在するのです。
しかし、日常生活の中で文字としてのハウサ語が使われる領域は意外と限定されているかもしれません。さまざまな情報をえるためのマスメディア、文字に関連するメディアといえばまず新聞が考えられるでしょうが、ハウサ語新聞は1930年代から存在します。もっとも有名なのは「ガスキヤ(真実)紙」で、現在まで発行され続けています。しかしガスキヤは、むしろ例外でありこれまで多くの新聞が廃刊に追い込まれてきました。文字文化としてのハウサ語を発展させようとする近年の運動は例えばソッコト大学の教員も参加する総合紙や月刊誌の発刊などにも見られますが、運動の担い手である大学教員自身が文字文化としてのハウサ語にある種の限界を感じているようです。80年代から90年代半ばにかけてハウサ語で書かれた恋愛本の爆発的ブームも起こりましたが、最近では恋愛本のビデオ化により映像媒体に吸収されてしまった感があります。
一方で口承、つまり音声文化としてのハウサ語の勢いは衰えません。音声に関連するマスメディアとしてはラジオをあげることができるでしょう。国内放送だけではなく、BBC(イギリス)・VOA(アメリカ)・ドイチェベレ(ドイツ)・北京放送(中国)などハウサ語プログラムを用意している国々は多いのです。このため世界各地の立場の異なる最新情報を、どこに住んでいようとも文字を読めなくともラジオ1台さえあればリアルタイムに受け取ることができるのです。インターネット時代にあってラジオ文化がその生きる場所を模索している国々とは異なり、ハウサ語世界のラジオは今なお欠かすことのできない情報源となっているのです。
将来的に文字としてのハウサ語を教育の現場で教え続ける意義が問いなおされる時期がくるかもしれません。なお、3言語のうちハウサ語を例にあげましたが、3言語それぞれが同じような問題をかかえているわけではありません。イボ語圏では英語指向が非常に強く現地のドラマ作品の多くは英語で製作されています。こうした特徴はさまざまな研究者も指摘するところです。ハウサ語圏とは対照的と言えましょう。

 (文責:人間科学部 中村博一)

−ヤムイモ料理の試食会−


ヤムイモ料理試食会場 (8202教室)
中村シェフ ただいま調理中 質問に回答中 これがヤムイモ

展示期間中、ご覧いただいた方々に、ナイジェリアのヤムイモ粉で作ったヤムイモコロッケとヤムイモ餅、そしてハイビスカスティーを試食していただきました。各日とも100個以上用意したコロッケですが、終了時間を待たず「完売御礼」(無料ですが)となるほど大好評でした。
試食会場に展示したパネルを以下にご紹介します。

ナイジェリアにおける日本の食文化
本日はご来場ありがとうございました。最後にナイジェリアの食材を体験していただければと思います。サハラ以南のアフリカ大陸を通じて主食は大きな餅や団子状にして食べる傾向があります。これはアフリカの食文化の特徴と言っていいかもしれません。ナイジェリアの場合も、お米しかり、コーリャンしかり、ヤムイモしかり、トウモロコシしかり、さまざまな食材を使いますが食べるときにはたいがい丸いものが出てきます。
本日用意させていただいた食材は代表的なヤムイモです。アフリカ的なダイナミックな丸さをちょっと日本的なコロッケやお好み焼きの丸い形にアレンジさせていただきました。おろすとトロロになる生のヤムイモは貴重ですので今回はインスタントヤム(ヤムイモ粉)を使います。食物繊維が多く消化・便通ともに改善される食材です。試食会に際し、大袋のナイジェリア食材・レストラン「ベロクリス」さんにご協力いただきました。 ちょっと不思議なもちもちした食感を味わっていただければと思います。
同時にナイジェリア北部でよく飲まれているハイビスカスティーも用意いたしました。現地のものですので、市販のものに比べ少々サハラの砂の味が残ります。観葉植物のハイビスカスとは違います。ハウサ語ではゾボロドと呼ばれます。北アフリカではカルカデ(Hibiscus Sabdariffa)として知られています。ガクの部分を乾燥させてつくります。ビタミンCやクエン酸が含まれており、ナイジェリアのドクターも薦めています。
ところでナイジェリアで食されている日本の食はないのでしょうか? 日本の漁船が釣った鯖は市場で時々見られますが、実はとっておきの食材があるのです。それは大豆です。しかも厚揚豆腐に加工して食べられていることみなさんは知っていますか?最近ではニジェールなどの近隣諸国までどんどんこの豆腐が広まっているのです。1990年前後に日本の豆腐の専門家が家計と栄養改善ために大豆の栽培と豆腐への加工技術を伝えたことになっていますが、今では町々で豆腐売りの姿を見ることができます。おやつのようにしてちょっとピリ辛味の厚揚豆腐を食べるのです。カノ州ではアワラと言います。ソッコト州からニジェールにかけてはクワイダクワイと言います。これは豆腐の伝播の時間や経路が異なっていることを示しています。アワラはヨルバ語のチーズを意味するワラに、クワイダクワイは卵を意味するクワイに由来すると考えられます。卵と豆腐の類似性については日本国内での筆者の調査からも検証されています。おそらく食感に類似があるのでしょう。作り方は日本の豆腐と違う部分もありますが、凝固剤も現地の工夫で使われています。  (文責:人間科学部 中村博一)

豆腐売りの少年 豆腐売りの少女
研究所トップに戻る
Copyright (C) 2005 文教大学付属教育研究所 All Rights Reserved.
 
〒343-8511埼玉県越谷市南荻島3337  Tel 048-974-8811(代)  Fax 048-973-3266
E-Mail kyoukenm@koshigaya.bunkyo.ac.jp 東武伊勢崎線・東京メトロ日比谷線 「北越谷」駅 西口 徒歩10分(案内図)