以下に、特集「オーストラリアの教科書」の展示パネルを再録します。
オーストラリアの教育制度
(オーストラリアの学校系統図 略)
*初等・中等教育はいずれの州においても合計12年間で,6−6制をとっている州と7−5制をとっている州とに大別されます。
*うち、9年間が義務教育(タスマニア州のみは10年間)です。
*分離型中等学校は、大学への進学を目的とした中学校のことです。
オーストラリアの「学力」と教育内容
オーストラリアで特に重視される「学力」は、思考力とコミュニケーション能力です。
小学校では特に、読み・書き・算、中でも「言葉(英語)」の力を育てることに比重がかけられています。
社会科や理科などももちろんあります。しかし何と言っても中心は「言葉の教育」です。
社会科も理科も、いや算数も言葉の教育の上に成り立つものです。
ここには、「学力が低下する」から、あれも、これも、と詰め込みたがるような光景はありません。
より広範な学習内容は、中学校以後のカリキュラムとしてじっくり学習します。
<日本の子どもの学力問題も、知識量の問題ではなく、思考力、コミュニケーション能力の低下の問題なのですが……>
オーストラリアの教科書事情 −教科書ではなく教材・資料−
オーストラリアには、国が教科書を検定する仕組みはありません。つまり、教師が授業時に使用する図書が教科書ということになります。
教師が使用する図書の中には、学校の教科書として使用されることを前提にして作られた図書もありますし、そうではない図書が使われることもあります。
常時使用される「教科書」がない代わりに、ある教育内容にふさわしい図書やその他の教材・資料が折々に選ばれて、自由に使用されます。
市販されている学校用の教材に適切なものがない場合、教師はよく教材・資料を自作します。
ここに展示されている図書等の他の教材・資料は、学校用教材として市販されているものです。
市販図書教材の特徴
市販の図書教材は、いわゆる日本の教科書風の内容解説的なものも多くある一方、ワークブック風のものが多く見られます。
これらの値段が高いのは、教師が子どもの分をコピーして使用することを前提に、著作権料を上乗せしているためと考えられます。カラー印刷が少ないのも、コピーの便を考えてのことと思われます。
オーストラリアの教師の仕事
以上のようなオーストラリアの教育の特徴、教科書や教材・資料の在り方を見ると、オーストラリアの教師の仕事、責務が見えてきます。
【カリキュラム開発】
第1は、教育内容の組み立てです。カリキュラム開発と呼ばれることもあります。
オーストラリアにも「学習指導要領」はあります。しかし、全国レベルではなく、各州がつくります。しかも、ごく大まかなガイドラインで、拘束力の強いものではありません。
教師は、「学習指導要領」を参考にしながら、地域や子どもの実態を考慮して、独自に教育内容を組み立てます。
【授業設計】
同時に、必要な教材・資料を整え、授業の工夫をして実際の授業に備えます。
【授業時の指導−考えさせる】
授業時、教師の指導の中心は、いかに子どもたち自身に考えさせるかです。考えさせるための指導です。 「君はどう思うのか」、「なぜそう考えるのか」教師は常に子どもにそう問いかけます。
教材キット、教材パッケージ
ある教育内容に使用される教材・資料を一まとめにされたものを「教材キット」と呼びます。下に展示してあるものはその例です。(写真)
この教材キットは、「市民科」(公民)に関する学習の教材・資料です。この例では、テキストと、CD−ROM、ポスター、ゲーム、ビデオテープなどが収められています。
このように、教材キットは、箱(パッケージ) に 収められていることが多いので、パッケージ教材と呼ばれることもあります。
このことから、関連する教材をまとまりとしておくことを、教材のキット化あるいは、教材のパッケージ化と言います。
日本でも、教材のパッケージ化の事例がないわけではありません。単元の指導で使用する教材・資料を一まとめにして、大型の紙袋に収納し、いつでも使えるようにしたもので、単元袋などと呼ばれていました 。しかし、基本的に「教科書を教える」スタイルの多い日本では、残念ながら、あまり広がらない実践です
市民科(公民)
日本の「公民」に該当するCivics Educationについて少し取り上げておきます。教材キットとして展示した教材は、特に、民主主義がテーマです。
こういう教科の指導でも、ともかく、考えさせ、議論させることが求められます。いかに考えさせるか、いかに議論させるかがオーストラリアの授業であり、教師の仕事なのです。
右のページを見てください(略)。法律について、子ども達自身に討議させ、学習結果を記入させるスペースが設けられています。内容の概略を紹介しておきましょう。法の例を挙げさせて、@なぜその法が必要か、Aその法を守らないと何が起きるか、B法を作ったのは誰か、C法を守らないとどのような罰が課せられるか、などを討議させます。
その上で、A「必要とされる法」、B「法はどこで作られたか」、C「この法がないと何が起きるか」、D「この法を守らせるのは誰か」について、説明する課題が課せられています。
下に貼った3ページは(略)、オーストラリアの歴史上の出来事を絵物語で紹介し、「判事と総督」つまり司法と行政との関係を考えさせる内容です。なかなか高度です。物語の概要を紹介しておきます。
*
植民地オーストラリアの裁判所では判事や弁護士が不足しており、本国(英)から有資格判事ベントが送り込まれたものの、有資格弁護士がいないので裁判が開けない。総督マックウォーリーは、刑期を終えた元弁護士に弁護をさせようと主張した。ベントは、前科のある者は弁護士になれないという本国の規定を基に反対した。本国から3人の弁護士が派遣されることになった。しかし、事情で2人は到着が遅れた。その間、法廷を開くか否か、ベントは規則どおり弁護士が揃ってからと言い、総督はそれまで待てないと主張した。この対立の報告を受けた本国政府は、総督の考えを支持した。
英語(母国語)教材
英語教育は、機械的な読み書き教育ではなく思考力、コミュニケーション能力を育てることに重点が置かれています。もちろん、基礎的な読み書きの指導では、繰り返しなど多少機械的な指導が欠かせないことはもちろんです。ただ、いつも、思考力、コミュニケーション能力が意識されているのです。
下に、入門期の英語(母国語)の教材を置いてあります。(略)
ご覧いただくように、「read on/読む」「write on/書く」「word banks/語彙」「reading and thinking/考える」「reading and listening/聞き取る」のように、分かれています。
言葉を機能的に指導する姿勢が明らかです。
最近の学力調査で、日本の子どもたちの学力で改善を要するのは、思考力、表現力であることが分かっています。
オーストラリアの英語(母国語)教育に学ぶ点が多そうです。次のパネルでは、もう少し学年の進んだ子どもたちの教材を見てみましょう。
下に置いてある教材は(略)、英語のポスター教材です。教師が手で持ったりしながら指導します。
「Explanation/物事の説明」「Procedure/手順の説明」「Report/調査報告」「Recount/順を追って話す」「Narative/物語」「Exposition/意見を言う」というような、内容のポスターが用意されています。
各ポスターとも、左側に原則的な手順を、中央部には、その手順についての解説、そして右側には具体的な例が印刷されています。
【原則的手順】→【手順の解説】→【事例】
様々な話し方の流れを理解させる工夫です。
次のパネルで具体例をご紹介します。→
日本でも、「型」を学ぶ指導を見かけるようになりました。「型を学ぶ」ことを嫌う人もいます。しかし、「型を学ぶ」ことには意義があります。剣道には「守・破・離」という言葉があります。入門時にはまずしっかり型を学びます(「守」)。やがて様々な型を学ぶうちに、自分なりの工夫も生まれてきます(「破」)。さらに修行を続ける中で、ついに自分の型を確立します(「離」)。
→ 【ポスター教材の例】 『Introduction text types posters』RIC-7004
上の写真は、調査報告(レポート)の仕方を説明するポスターです。各欄を上から順に訳しておきます。
<左欄>
タイトル/分類/描写/生息地/能力
<中欄>
名称/何であるか言う/どんな形態か言う/どこで見られるかを言う/どんな力を持つかを言う
<右欄>
ライオン/ライオンはネコ科の動物です/ライオンは、4本の脚とタテガミを持ち、鋭い歯と鋭い爪を持ちま す/ライオンは「群れ」で棲み、アフリカに棲んでいます/ライオンは狩がうまく、シマウマや野牛をえさにします。
日本語教材
オーストラリアは日本語教育に意欲的です。いくつかの特徴があります。
@英語(母国語)の教育と同様、意思疎通できること(コミュニカティブ)が大事という考え方が明快です。右の例をご覧ください(下の写真)。ややこしい助詞を省いても意味が通じれば良いというわけです。文法にはほとんど触れていません。
F.Reekie『PRIMARY SCHOOL JAPANESE STAGE2 BOOK1』1997,p.57
Aゲームの要素を取り入れているのも、特徴の1つです。左は迷路のような遊びです(略)。
<「どうぞ、ありがとう、わかりました、すごい、じょうず」という語だけをたどって「よくできた100%」にたどり着けるのはだれ?>という問題です。
ゲームの例をもう1つ(略)。上の四角い枠の中の語を、下のますの中の文字列から、探しなさいという問題です。けっこう難しいですね。
B文字の書き取りを学ぶページもあちこち用意されています。新たに出てきた文字だけが取り上げられています。
日本語教材はなかなか興味深いでしょうから、もう少しだけご紹介しておきましょう。
物事の様子を表す語、形容詞や形容動詞を、反対の意味を表す語(対義語)とともに、学ぼうという趣旨の教材です。こういうページもたくさんあります。
まずは、下の例をご覧ください(略)。見開き2ページで構成されています。
F.Reekie『PRIMARY SCHOOL JAPANESE STAGE2 BOOK2』1997,pp.52-53
これを見ていて、女の子はみな良いあるいは優れたイメージの言葉で表され、男の子はみな劣ったイメージの言葉で表されていて、少し違和感があります。でもきっと、オーストラリアの子どもたちは、「ジョーク」と言いながら楽しんでいるかも知れません。
日本を紹介するページも充実しています。日本の家族の様子とか、都会の様子などがていねいに解説されています。
下に紹介するのは、日本の風呂(左)と日本のトイレ(右)の紹介ページです(略)。洗浄式便座は日本の企業が発明したものなので、外国にはあまり導入されていません。解説がおもしろいので、下にその箇所を翻訳しておきましょう。
トイレ
日本には2つのタイプのトイレがあります。宇宙時代を思わせる洋式トイレと現代的な和式トイレです。
多くの家で洋式トイレを設置しています。
洋式便座は温度調節機能があり、暖められています。
用をたした後に、ボタンを押すと、適温のお湯が、ジェット水流となっておしりを洗ってくれます。
便器を洗う水を流すと、手を洗う水が蛇口から貯水槽の上のボールに自動的に流れ、自然に止まります。
和式は床にくぼんだ長くて薄い陶器のボールでできています。しゃがんで使用します。
算 数
オーストラリアの教育は、ともかく子どもの学習意欲を大事にしていることがよく分かります。子どもが算数嫌いにならぬよう、いろいろな工夫をしているようです。
たとえば、下の例を見てください(略)。電卓で遊びながら、数の法則性と同時に、電卓にも興味を持たせようとしているようです。
1、2は、電卓で答えを求めて書かせるというだけのことです。数の法則性や位取りに気づかせようというねらいがあるのでしょう。日本ではまず教科書に載らないだろうなと思うのが3です。訳しておきます。
○「電卓の上下を逆にすると、数字が言葉のように見えることがあります。次の数字を電卓に入れて、見えた言葉を書きなさい。」
「チャレンジ 電卓でほかにも数字の言葉を探そう。友達にも教えてあげよう。」
○因みに、38,34、663は、電卓を上下逆にすると、BE、hE、Eggに見えます。
算数のかけ算の筆算では、おもしろい答えの求め方をしています。このような答えの求め方は、日本では教えられていないのではないでしょうか。
表題は、LATTICE(格子)、MULTIPLICATION(かけ算)、「格子かけ算」ですね。標題のすぐ下の3行を訳しておきます。
「格子かけ算は、碁盤の目の中で数字をかけ合わせます。かけ合わせる数字は碁盤の目の外に書きます。かけ合わせた答えはそれぞれ枠の中に書き、斜めに書かれた数字を足すと答えが出ます。たとえば、」として48×6、351×25が例示されます。
48×6、351×25の部分を拡大してお目にかけます(下図)。こういう筆算方法もあったのですね。
『PRIMARY Mathematics BOOKG』R.I.C,2004,p.72
アボリジニ学習
オーストラリアの先住民(アボリジニ)についての学習は、オーストラリアの子どもたちのとって、欠かせません。 アボリジニ(aboorigine)は、もともと先住民を意味する英語です。だから、どの国であっても、先住民は、英語ではアボリジニなのです。けれども、特に、オーストラリアの先住民を指すときには、大文字でAboorigineと書き、オーストラリアの先住民を表します。
下に置いたアボリジニ学習の図書は(略)、教師用の指導書で、低学年用、中学年用、高学年用に分かれています。しかし、継続して学習するというのではなく、学校のカリキュラムに応じて、どの時期かにまとめて学習するようになっているようです。
ですから、発達段階に応じた記述の相違はあるもののどのテキストも構成は一緒で、内容的にもほぼ同じです。そのことは目次を見ていただくとおわかりになると思います。
@過去、A文化、B言葉、C環境への適応、D掟と義務、です。
では、低学年用の最初のページを見てみましょう。
2ページの最上部にねらいが示されています。
「アボリジニの人々は、ヨーロッパ人が移住する何千年も以前から、オーストラリアに住んでいたことを理解する」 以下の記述では、オーストラリアのあちこちに住んでいたアボリジニの人々が、厳しい自然環境の中で、それぞれの環境に適応しつつ、知恵を働かせて生きてきたことが紹介されています。
たとえば、彼らが狩猟によって食物を追い求めて移住生活をしていたこと、男は大型の鳥獣を狩り、女や子どもは食べられる植物や小型の動物を採取したこと、簡易な家を作っていたこと、などが記述されています。
下段には指導上の留意点が示されている。アボリジニがオーストラリアの先住民であること、今のアボリジニは昔のアボリジニとは違った生活をしていることを理解させることが重要だと述べています。
(文責
教育研究所所長、教育学部教授 平沢 茂)