1.タイ王国の概要
(1)地理・歴史
東南アジアに位置するタイ王国(Kingdom of Thailand)は、約800年に渡る長い歴史を有する立憲君主制国家で、アジアの中では日本と同様、植民地化された歴史のない国です。
面積は日本の約1.4倍、約6,242万人(2005年)の人口のうち、宗教的には仏教が95%、イスラームが4%、その他、道教・ヒンドゥー教・シーク教などとなっています。大多数を占める仏教徒は、ほとんどが上座部仏教で、それにヒンドゥー教や伝統的な精霊崇拝の要素が含まれた独自なものとなっています。
民族的にもタイ系が80%近くを占め、華人・マレー系・インド系・山岳少数民族なども居住していますが、多民族国家の多い東南アジア諸国の中では比較的民族の均質性が高い国といわれます。
事実上の国語である「タイ語」の識字率は95%以上で、極めて高い水準にあります(ユネスコ統計)。
19世紀後半より、仏教寺院を学校として利用し、地方への教育普及が図られてきましたが、僧侶が教師となったこともあり、当時の寺院学校では、読み・書き・計算などとともに、仏教に根ざした徳育が重視されてきました。
(2)国王
タイは立憲君主制の国家で、特に現国王であるラーマ9世(プーミポンアドゥンラヤデート)は、その人柄と高い見識で、国民から非常に高い人気を得ています。タイでは、伝統的に王家に対して国民は崇敬するよう教育されており、国王や王妃の誕生日は国中で祝います。また、各家庭をはじめ、学校、オフィス、商店などのあらゆる場所で、国王の写真、カレンダーや肖像画が飾られ、映画館でも本編上映前に国王の映像が流れ、観客は起立して敬意を表すなどの慣例があります。
(3)礼儀作法
タイでは、挨拶をするときに、相手に向かって「ワイ」と呼ばれる合掌をします。タイでは、階級以外にも目上と目下など、相手との関係(人だけでなく仏像に対しても行います)によっても、そこで取るべき作法は変わってきます。これは日常時はもちろん、各祝日・記念日・学校行事時や、登校時と教室の始業前に教師に対しての挨拶など、時と場所、人間関係などに応じて、それぞれ異なった種類のワイの作法が求められます。
このように、タイ的な礼儀作法を正しく実践することは、タイ人の特性であり、タイ人のアイデンティティを形成する重要な要素であると考えられています。
また、国王同様、国歌や国旗も非常に尊重されており、朝夕には学校や駅、公共機関などではタイ国歌が流され、国旗の掲揚・降納が行われます。国民は国歌が流れる間その場に直立します。これらを実践しない場合、「不敬罪」に問われるケースもあります。
(4)出家と還俗
仏教文化が色濃いタイにおいては、仏教徒の男子はすべて出家するのが望ましいとされます。出家するための条件としては、@20歳以上の男子、A宗教的な罪がないことが前提となります。
出家の理由としては、成人としての儀式的意味合い、良い仏教徒になるため、ブン(徳)を積み両親に献上するため(タムブン=徳を積む行為、徳(ブン)は自分が積むだけでなく、他者にも委譲することができ、また、先祖など死者に分け与え、その罪(業)を軽くして、死者があの世で救われることも可能である、と考えられています)、教育を受けるため、などの理由があるといわれます。
近年では、出家が成人としての通過儀礼となっているケースも多く見られます。実際の出家期間には、数週間〜数カ月などの個人差があります。また、僧はいつでも還俗(俗社会に戻ること)することができます。
2.タイの教育の概要
(1)教育政策
タイの長期的教育政策の枠組みは、ほぼ10〜15年に1度「国家教育計画」(3つの国家教育開発を5ケ年計画で構成)が策定されます。現在の教育計画は2002年から開始された第4次計画です。
(2)教育制度
タイの学校教育制度は基礎教育(初等・中等教育)と高等教育の2段階で構成されています。
基礎教育は、日本の小学校レベルの初等学校(第1〜6学年)、中学校レベルの前期中等学校(第7〜9学年)、高校レベルの後期中等学校(第10〜12 学年)の3つの教育段階で提供される12 年間の教育で無償教育です。
高等教育は短期大学レベル(ディプロマ)の課程と大学レベル(ディグリー)の課程に分けられます。
短期大学レベルの修学年限は1〜4年で、修了者には卒業証書または学位(ディプロマ)が授与されます。大学レベルの課程はさらに大学と大学院に細分類され、大学は基本的に4年制となっています(建築・医学などの一部の課程は6年)。大学院は学士課程(1年)、修士課程(2年)、博士課程(3年)から成っています。
教育制度は、1978年より、日本と同じ6-3-3-4制が採用され、さらに、1999年の新国家教育法の制定によって、2002年3月より、義務教育期間がそれまでの小学校のみ6年制から、小学校6年+前期中等学校3年の9年間に延長されました。 タイの教育制度図
(3)基礎教育カリキュラムの原理
2001年11月、12年間一貫の基礎教育に準拠した基礎教育カリキュラムが告示されました。
同カリキュラムは、各学校(学校以外の教育機関含む)が「教育機関別カリキュラム」を編成する上での国家の最低限の基準を示した大綱的なものとして構想されています。
基礎教育カリキュラムには5つの原理が示されていますが、その筆頭原理は、「タイ人らしさ(クワームペン・タイ)」と同時に、「国際性(クワームペン・サーコン)」を確保することによって国家統一をはかるというものです。
(4)基礎教育の目標と内容
さらに、こうした原理に立脚した9つの具体的目標が示され、そこにはグローバリゼーションへの対応に関わるような目標と、タイのアイデンティティーを強調するような目標とが混在しています。
グローバリゼーションへの対応としては、創造的思考能力を育成すること、科学的進歩に対応できるようなコミュニケーション技能やテクノロジーの活用能力を身につけること、消費者よりも生産者としての価値観を身につけること、などがあげられています。
タイのアイデンティティーの強調としては、宗教(特に仏教)の教義を行動の規範とすること、タイの歴史を理解し、タイ人らしさを誇りに思い、よき市民(ポンラムアン)となること、国家と地方を愛する心をはぐくみ、社会に貢献すること、などがあります。
下図(「タイにおける2001年基礎教育カリキュラムの基本構造」)に示すように、基礎教育カリキュラムの基本構造は、@タイ語、A数学、B理科、C社会科・宗教・文化、D保健・体育、E芸術、F仕事・職業・テクノロジー、G外国語の8つの学習内容グループと学習者発達活動により構成され、各学習内容グループには最低限の「内容」と「水準」が示されています。
なお、基礎教育カリキュラムの実施にあたっては、中央が定めた中央カリキュラムを70%、地域や学校のニーズに応じた地方カリキュラムを30%という構成にした上で、「教育機関別カリキュラム」を編成することとされています。
3.各教科の主な内容と教科書
タイの教科書は、義務教育課程のものはすべて国定教科書です。つまり、初等学校(日本の小学校段階)と、前期中等学校(日本の中学校段階)の教科書は、国が作成・発行します。
後期中等学校(日本の高校段階)においては、「タイ語」と「社会・宗教・文化」の教科書は、国が作成・発行しています。他の教科書は、民間出版社が作成し、国の検定を受けることになっています。
前期中等学校の教科書の中には、国と民間出版社とが共同で作成しているものもあります。
@ タイ語
タイ語は、タイの「国語」として、13世紀ごろから寺院を中心に教えられ、国民統合や教育の普及に大きな役割を果たしてきました。
タイ語は、特徴的な形状をしたタイ文字を用います。タイ文字には、30の母音記号と42の子音記号があり、これらの組み合わせによって音節を表します。
学校で教えられているのは「標準タイ語」で、教科書もこの標準タイ語が使われています。これは、「中部タイ語」を基礎とし、公用語として宮廷用語なども組み込み発達したものです。学校やマスコミでも使用されて全国に普及しました。
この他に地方語(方言)として「北タイ語」「東北タイ語」などがあり、地方のアイデンティティの基礎ともなっていますが、通常、学校教育では使用されません。
タイ語を用いて知識の吸収・人格の形成・個性の伸長、言語と日常生活、文化、職業、社会などとの結びつけを行うための重要な基盤とされています。
A 数学
数学は、日本の各学年段階での算数・数学の内容・進度とほぼ同じですが、登場人物や教材にタイ独自の文化や果物などを見ることが出来ます。
単に問題を解くだけではなく、数学的知識と他の学問との関連付けや、創造的思考能力の涵養も目指されています。
B 理科
日本の「理科」とほぼ同じ内容ですが、知識の探究や問題解決能力を重視しています。
地方の環境や生態系の理解や、天然資源の有用性、地方・国家・世界レベルでの資源利用を理解し、持続的な天然資源・環境の管理に用いるために、科学知識と科学的精神の探究を通して得られた知識を、有益に用いられるようにすることなどが目標にあげられています。
C 社会・宗教・文化
日本でいう「社会科」(地理・歴史・公民)に近い教科ですが、仏教をはじめとする宗教的な価値観や信仰、儀礼について学び、よい行いを実践するといった道徳に近い内容も含まれています。また、国王を元首とする民主主義体制を守ることの大切さや、「市民の義務・文化・社会生活」として、「よき市民」としての義務に従い、タイの法律・伝統・文化に基づき自ら実践し、対社会および地球社会において平和的に共生することも学習します。
翻訳 『社会・宗教・文化』小学校4年 pp.56-57
(注)教師と二人の子供がスコータイ(タイの昔の首都)について話をしています。
ゴーン: |
スコータイにはたくさんのお寺があります。 |
先 生: |
スコータイは宝石のような七色の美といわれるお寺があるのです。王様がお寺をお作りになりました。また、ラムカムヘン王は台座の上に托鉢の石を乗せて、民衆に道徳をお教えくださいました。満月の時には、民衆のために僧侶にお経をあげていただき、説法をお願いしてくださいました。 |
ゲーオ: |
仏像には、王様の御世の繁栄をお祈りする気持ちがこめられているのですね。大切なことは、僧侶の方々が仏教を国内に広めてくださったことです。 |
ゴーン: |
スコータイ時代の人は、きっと、ご立派だったのでしょう。今の時代よりもたくさんのお寺があります。 |
先 生: |
よくわかりましたね。この都市は、王国の繁栄を表す仏像がたくさんあります。つまり、完全に平和で経済的に素晴らしい国であることを表しているのです。 |
ゲーオ: |
スコータイ時代の人の職業は何ですか。 |
先 生: |
スコータイは農業の社会でした。大部分の国民は田んぼを作ってお米を食べていました。スコータイにはまだ、効率よく水を引くための工夫が残っているのです。 |
D 保健・体育
人間の発達や家族関係、性教育、運動と各種スポーツ、健康の増進と予防、事故や暴力、薬物濫用などからの身の守り方などを学びます。
E 芸術
「美術」「音楽」「演劇」の3つの分野に分かれていますが、いずれもただ演奏や創作、演技を行うだけではなく、タイの地方、国、あるいは国際的な文化遺産や知恵としての芸術の価値を認識させることをねらいとしています。
F 仕事・職業・テクノロジー
日本の「技術・家庭科」に近いといえる教科です。職業の選択や仕事に必要とされる技術、道徳心、創造性、情報処理能力、マネジメント、問題解決過程や創造的な思考を通してのテクノロジーの利用など、職業教育に繋がる内容です。
翻訳 『仕事・職業・テクノロジー』小学校6年 pp.170-171
活動3 |
工業やその他の産業の管理について
管理とは、仕事や製造の手順を明らかにすることです。つまり、あるシステムの責任者やグループが負うべき責任の範囲をきちんと定めることです。最高責任者には、明確にするべき管理責任があり、仕事や活動の内容を決めるのです。 |
実 習 |
1.グループごとに、管理について理解をするために、討論をしなさい。
考えるべき項目 |
理解した内容 |
1.管理とは何か |
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2.管理を用いた考え方 |
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3.責任の分け方 |
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4.管理の原則と方法 |
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2.グループごとに、物を製造する管理を行ってみなさい。
2.1.地方の製造物の工業
2.2.地方の製造物の産業
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付 属 |
職業につながること |
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学習のねらい
1.社会に存在する職業の特徴を述べる。
2.職業となるものの核・中心・方法を見つける。
3.物を作る仕事を体験する。または、地方の産業を体験する。 |
活動1 |
職業の特徴を理解する。
私たちが町を歩いていると、商店や公的な施設に出会います。それは、仕事をする人が多くいるからです。仕事をする人には、公務員、会社員、国営企業者、臨時労働者、自営業者などがあります。仕事をする人は、自分で仕事を作り出すか、あるいは仕事に従事するなどします。 |
翻訳 『仕事・職業・テクノロジー』中学校3年 pp.88-89
4.2 |
工作に使う道具
― 物を測る道具 メジャー ものさし (生産物をきちんと形にするため)
― 物を切る道具 のこぎり はさみ (生産物をきちんと形にするため)
― 物をたたく道具 ハンマー (生産物をきちんと形にするため)
― 物を形成する道具 ドライバー (生産物をきちんと形にするため) |
4.3 |
写真立ての作り方
4.3.1 必要な道具を揃え、使えるかどうかを調べる
4.3.2 設計図を作る
4.3.3 安全な道具であることを調べる
4.3.4 製造過程の全体像を決める
4.3.5 売るための価格を決める
4.3.6 設計図を用意する
4.3.7 使う道具を選び、製造過程の技術を確認する
4.3.8 材料を選ぶ
4.3.9 製造を開始する
4.3.10 品質を調べる
4.3.11 修正・改善をする
4.3.12 製品をきちんと整える
4.3.13 道具を揃え、掃除をし、もとの位置へと戻す
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G 外国語
タイの基礎教育カリキュラムにおいては、外国語科目として「英語」を一貫して小学校1年次から学ばせています。その他、フランス語、ドイツ語、中国語、日本語、アラビア語、パーリ語、近隣諸国の言語、その他の言語については、教科を策定する教育機関の判断に任されています。
タイにおいては、日本や韓国、中国に先んじて、1996年以降、初等教育の1年次から、英語教育が必修化されており、コミュニケーション手段としての英語が重視されています。
例えば、初等学校6年生におけるPlay & Learn Projectsによる英語学習では、練習問題、教師とのペアワーク、カセットテープやCDによる録音セットを用い、コミュニケーションのための言語の基礎に加え、児童の英語実践に重点を置くなど、より多くの方法で、生徒が英語を自然に楽しく学ぶ工夫をしています。
また、児童・生徒一人一人に対応できるように、写真や絵を使い、また、視聴覚教育、インターネット、テレビその他の形態での遠隔学習などの試みも広まりつつあります。
H 学習者発達活動
これはいわゆる教科ではなく、学習者がその潜在能力に基づき、自己の能力を発達させる活動と位置付けられ、既述した8教科の学習内容に基づいて学ばせる活動以外のものに重点が置かれています。日本では「課外活動」に近いものと考えられます。
「ガイダンス活動」は、児童・生徒個人間の差異に即して、学習者の能力を奨励・発達させたり、生活技能、感情面での成熟、多面的知性の学習、良い人間関係の構築などを奨励したりする活動です。各指導者(主に教師)には、生活相談、進学相談、自己発達を促すような職業指導を行う役割が求められます。
「児童・生徒活動」は、児童・生徒が自主的に研究・計画立案・実施・評価をする実践的活動であり、集団での共同作業に重点を置くボーイスカウト・ガールスカウト・赤十字活動・奉仕活動などが挙げられます。
翻訳 『学習者発達活動』小学校1年 pp.28-29 (注 ボーイスカウト活動について)
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休む姿勢
「休め」という号令を聞いたら、ボーイスカウトは体を休め、次のことを行う。
1.右足を少し前に出し、両足を同じように置く。左足を前に出してもよい。
2.話をしてはならないが、体の向きを変えてもよい。
3.「並べ」という号令を聞いたら、体をまっすぐに伸ばすが、休む時のように右足を前に出してもよい。「まっすぐに」という号令を聞いたら、右足を左足とそろえる。
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規則に従って休む姿勢
「規則に従え、休め」という号令を聞いたら、ボーイスカウトは次のことを行う。
1.左足を右足から約1フィート(30センチメートル あるいは通常足を開く距離)離して開き、すぐに姿勢を正す。
2.両手を持ち上げてベルトの位置に重ねる。背中に左手を置き、右手を重ねる。左手の人差し指の付け根に右手の人差し指を重ねる。
3.両足を伸ばす。体重を両足で受ける。上級生のレベルに倣い、体を動かさないようにする。
4.「まっすぐ並べ」という号令を聞いたら、すぐに左足を右足につけて揃え、歩く時の姿勢のように両手を揃える。 |
翻訳 『学習者発達活動』小学校6年 pp.6-7 (注 ボーイスカウト活動について)
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一日の活動の例
6時 起床 入浴
8時 国旗掲揚 国歌斉唱 読経
8時15分 朝食
9時30分 整列 点呼
10時 ボーイスカウトの科目復習
12時 昼食
13時 休憩
14時 ゲームをする
18時 夕食
20時 整列の練習
21時30分 就寝
22時 消灯
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キャンプのやり方
キャンプ地での適切な行動は以下の通りである。
1.キャンプと活動のために十分広い場所を選ぶ。キャンプ地には注意を払っていること。
2.水のある丘や平坦な土地を選ぶ。可能であれば、水が流れるようにするため、少し傾斜のある土地が望ましい。
3.高いところまたは、浅い水溜りのあるところにする。
4.水が近いところにする。
5.隠れる場所があるところにする。
6.嵐の時に木が倒れてこないよう、大きな木のないところにする。
7.明るく、火をおこせるところにする。
8.往来が便利な場所にする。
9.キャンプに必要なものに近い場所にする。例えば、衛生がよい場所や警備ができる場所など。
10.その土地の責任者の許可をとること。 |
主要参考文献・資料:
*村田翼夫著、『タイにおける教育発展 国民統合・文化・教育協力』、東信堂、2007年
*嶺井明子著、『世界のシティズンシップ教育 グローバル時代の国民/市民形成』東信堂、2007年
*タイ文部省著 森下稔・鈴木康郎・カンピラパーブ スネート訳、『タイ 仏暦2544(2001)年基礎教育カリキュラム』2004年
*松下正弘・タイ文化研究会著、『タイ文化ハンドブック−道標 微笑の国へ−』勁草書房、1995年
*綾部恒雄・石井米雄編、『もっと知りたいタイ<第二版>』、弘文堂、1995年