PISA結果に際して、フィンランド教育文化省は、次のような点を好成績の背景として挙げています。
@居住地、性別、経済状況、母語や文化的背景に関係なく教育の機会が均等に保障されていること(義務教育は給食費も含めてすべて無償)
A教員の能力が高いこと(教員個人の自治が保障されている、職業的人気も高いので優秀な学生を確保できる)
B児童・生徒一人一人への支援が充実していること
C管理のための評価ではなく、支援のために評価が用いられていること
D学校と教員の裁量が大きいこと
(2)フィンランドの教育制度
フィンランドの教育制度の概要を学校系統図に沿って簡単に説明します。
@就学準備教育
フィンランドの就学年齢は7歳からですが、6歳児の就学準備教育が学校もしくはデイケアセンター(保育所)において無償で提供されていて、ほぼ全ての当該年齢の児童が参加しています。
A基礎学校
基礎学校1学年から9学年までが義務教育で、日本の小学校と中学校にあたります。制度上は9年一貫制ですが、その設置形態は様々です。
B第10学年
フィンランドでは、9年間の義務教育のあと、任意で1年間の補習プログラムを受講することができます。高校進学の際の合否基準となるのが基礎学校での成績なので、生徒の成績向上や、将来の計画を明確にする機会を与えるものとして設けられています。
C後期中等教育
義務教育を修了した生徒たちは、高等学校または職業学校への進学を選択できます。授業料は無料ですが、教材や給食などの諸費用は負担しなければなりません。大学進学のためには大学入学資格試験を受験する必要があり、職業学校の生徒も大学入学資格試験を受験することができます。
D高等教育
大学は、学士課程3年、修士課程2年ですが、フィンランドでは一般的に修士号取得をもって「大学卒業」とされています。そのため、就学前教育を除く教育に従事する教員は修士号がその資格とされています。
(3)授業時間と教職員の働き方
ここでは、データを用いてフィンランドの学校と日本の学校を比較したいと思います。
【年間授業時間数】 単位:時間
|
義務付けられている授業時間 |
平均授業時間 |
7〜8歳 |
9〜11歳 |
12〜14歳 |
7〜8歳 |
9〜11歳 |
12〜14歳 |
15歳 |
フィンランド |
608 |
640 |
777 |
608 |
683 |
829 |
913 |
日本 |
709 |
774 |
868 |
709 |
774 |
868 |
* |
OECD平均 |
749 |
793 |
873 |
775 |
821 |
907 |
941 |
“Education at a Glance” (OECD,2011)を参考に作成
この表からは、フィンランドの授業時間があまり多くないことが読み取れます。OECD諸国の平均授業時間数をフィンランドと日本は両方下回っているのですが、フィンランドは日本と比較しても年間約100時間少ないです。表の左は法律で定められている最低授業時間数を示しています。フィンランドでは生徒の学習状況に合わせて補習も活発に行われるので、表の右からも分かるように実際の授業時間数はそれよりも多くなります。
次の表は日本教職員組合が2008年に小学校教員と中学校教員を対象に実施した教員実態調査をもとに作成しました。
【日本とフィンランドの教員の労働時間】
この表の総労働時間とは、家庭での作業時間も合わせたものです。事務書類作成に割く時間が少なく、また部活指導もなく、授業が主な仕事であるフィンランドの教員と日本の教員の労働時間の差はこの表でも歴然と表れています。労働時間が柔軟であることも、フィンランドにおいて教員が人気のある職業である理由の一つといえるでしょう。
3.各教科書の内容
義務教育における教科書は無償貸与です。教科書に書き込んだりできないので、生徒はワークブックを併用しながら学習を進めます。フィンランドでは教科書の検定制度が廃止されてありませんが、国家教育委員会が作成するナショナルカリキュラムに準拠して作成されることに変わりはありません。教科書選択の権利は各教員にありますが、実際に教員個人で選択できるかどうかは予算と大きく関連しています。ナショナルカリキュラムは目標や方向性を示すのみで、具体的なカリキュラムは各地方自治体や各学校および各教員によって作成されます。下の表はナショナルカリキュラムで規定されている義務教育での教科ごとの週当たりの最低授業時間数です。
【基礎学校の教科の時間数】
教科 |
週最低時間数 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
国語と文学 |
14 |
14 |
14 |
第一外国語 |
- |
8 |
8 |
第二外国語 |
- |
6 |
算数・数学 |
6 |
12 |
14 |
環境学習 |
環境と自然科学
9 |
|
|
生物と地理 |
3 |
7 |
物理と化学 |
2 |
7 |
健康教育 |
|
3 |
宗教または倫理 |
6 |
5 |
歴史および社会学習 |
- |
3 |
7 |
音楽 |
26 |
4 |
30 |
3 |
美術 |
4 |
4 |
手工 |
4 |
7 |
体育 |
8 |
10 |
家庭 |
- |
3 |
キャリア教育 |
- |
2 |
選択教科 |
- |
13 |
最低時間数 |
19 |
19 |
23 |
23 |
24 |
24 |
30 |
30 |
30 |
“NATIONAL CORE CURRICULUM FOR BASIC EDUCATION 2004”
を参考に作成
それでは、この中から「国語と文学」、「環境と自然科学」、「算数」の実際の教科書の内容について見ていきましょう。
@ 国語と文学
義務教育全体を通してこの教科で指導の課題とされているのは、児童・生徒の言語・文学・関わり合いに対しての関心を引き出すことです。そして、指導は生徒の言語能力や教養や経験に配慮しておこなわれるべきで、生徒が自我を確立し自尊心を高めることができるように多様な読み・書き・コミュニケーションの機会を作ることが求められています。そして生徒たちが将来文化に関わり、社会に参画し、影響を与えることができる倫理的に責任ある伝達者・読み手になるようにすることが目標として掲げられています。このように、コミュニケーション活動が重視されていることが特徴として挙げられます。
ここで、フィンランドの教育の特徴をみるために、基礎学校4年生の教科書の「3.知識への道」という単元の「情報を探す」という章について取り上げます。最初の読み課題として、Elliがベリーについての情報を得るまでの道のりが与えられています。(『kulkuri 放浪』翻訳は省略)
ここで特徴的なのは、Elliがすぐにインターネット検索を始めるのではなく、ベリーについての情報を子ども向けの自然の本や料理の本からも入手できるということが示されていることです。情報を入手するためには、角度を変えたものの見方をする必要があるということ示していることが読み取れます。そして、その後の文章からは、Elliがインターネットを通してどのように欲しい情報を手にいれたかというプロセスを、児童たちが実際にインターネットを使った情報検索の活動を始める前に知ることができます。この読み課題によって、児童はこれから自分たちがおこなう活動への見通しを持つことができるでしょう。
読み課題の次には「インターネットで情報を探す」という作業課題が与えられています。教科書の内容を見れば分かると思いますが、写真を使って分かりやすくインターネットを使って情報を入手する方法が示されています。
また、作業課題の内容を見てみると、フィンランドでは受け身ではなく批判的に情報を読み解く力を育成しようとしている様子が読み取れます。作業課題が図で3つのプロセスで示されていますが、最後のプロセスでは情報の正当性を吟味することの必要性が強調されています。
「そのサイトが信用できるものかどうかを評価する」という項目では、サイトの目的や管理者まで考慮することが求められています。そして最後の「あなたがサイトから得た情報を自分の言葉で書いてみましょう。テキストをコピーしてはいけません。」という項目では、最後には得た情報を自分の頭で整理することが求められています。そして、そのままテキストを引用してはいけない、ということもここで学んでいます。教科書の下にはグループやペアでできる課題も提示されており、コミュニケーション活動が重視されている様子も読み取れます。
A 環境と自然科学
「環境と自然科学」という科目は、日本の「生活科」に該当する科目で、フィンランドでは4年生までこの教科の枠組みが続きます。この教科では生物、地理、物理、化学、そして健康教育の教科内容が統合されています。ナショナルカリキュラムでは、指導は持続可能な発展という視点を持って、児童の自然と環境づくり、そして自己と他者および人間の多様性と健康と病気についての知識と理解を深めることが目標とされています。また、児童の経験に基づいた指導をおこなうことによって児童が自然と環境に積極的に関わっていく姿勢を発達させることができるとされています。児童の既有知識と発達段階に配慮して指導をおこなうことが強調されており、探究的で問題中心のアプローチをすることが求められています。
ここでは基礎学校2年生用の教科書から「環境を守りましょう」という単元の「ごみは分別されます」という章と、「私たちは科学者」という単元から「どうやって情報を探しますか?」という章を取り上げます。( 『Pisara 雫』翻訳は省略)
まず、「ごみは分別されます」という章についてみていきます。日本と比べると早い時期からごみの分別について取り扱っています。イラストからも想像できますが、家庭のごみの分別を主にすることで、児童の身近なものからごみの分別について考えさせていることが分かります。ごみの多くはリサイクルできるのだという前提に立ちながら、どのようにごみがリサイクルできるか、またリサイクルしたらどのように再利用できるかについて学習します。課題では、実際に家庭のごみでリサイクルできるものについても考えさせています。
次に「どうやって情報を探しますか?」という章についてみていきます。先の4年生用の「国語と文学」の教科書では、インターネットを使った情報検索について取りあげましたが、2年生の「環境と自然科学」の教科書では、一般的に情報を探すにはどういった方法があるかということについて学習します。情報源にはどういったものがあるか、そして本や新聞を調べる際には目次や見出しからどこにどのような情報があるかということを推測するということを学びます。特に注目するべきなのは、調べたことを記述する際には出典を明記することを学んでいるということです。低学年から情報の信ぴょう性を明確にすることの重要性が意識するよう指導されていることが分かります。
両方の章から読み取れるのは、探究活動がおこないやすいように教科書が構成されているということです。そして、漠然と探究活動をおこなわせるのではなく、具体的にその手順が示されていることも特徴として挙げられます。
B 算数・数学
ナショナルカリキュラムでは、義務教育全体を通した算数・数学指導の課題として、数学的思考の発達と数学的概念と広く用いられている問題解決の方法について学習するための機会を与えることが記されています。そして算数・数学が重要な理由として、生徒の知的な成長への影響や目的をもった活動と社会への参画の増進を挙げています。また、日々の問題の解決にも数学的思考や算数・数学における操作が役に立つことも挙げられています。
ここでは、例として基礎学校5年生用の算数の教科書を取り上げます。日本の教科書とは違って、分厚く、問題集のような構成になっていることが一目で分かります。また、グラフの読み取りや知能検査のような問題も多く含まれています。フィンランドの学校は二期制で、秋学期と春学期に分かれており、算数・数学の教科書は秋学期用と春学期用の2冊があります。教科書で扱う単元は以下の通りです。
秋学期の教科書
1.自然数の基本計算
2.小数
3.幾何学
4.選択テーマ
追加課題(教科書青部分)
宿題(教科書赤部分)
春学期の教科書
1.分数
2.データ処理と確率
3.計量
4.選択テーマ
追加課題(教科書青部分)
宿題(教科書赤部分)
教科書の最後に児童の進度に合わせて、応用問題や追加課題が設定されているのが特徴として挙げられます。教科書にも現在学習している課題が追加課題や宿題においてどの部分に該当するかが示されています。また、教科書内容からは日本では中学校以降で扱う学習内容についても学んでいることが読み取れます。例えば、秋学期の教科書の「3.幾何学」
の学習内容では「図形の移動」について扱っています。また、春学期の教科書の「2.データ処理と確率」の学習内容では「正負の数」について既に学習されていることが分かります。以下に例として教科書の内容を取り上げます。 (『Laskutaitoニューメラシー』翻訳は省略)
また、選択テーマにおける追加課題の例として、春用教科書の問題を取り上げます。ここで特徴として挙げられるのが、該当する学習分野の問題だけではなく、他のこれまで学習した内容に関する問題も含まれているということです。児童が自然にこれまでの学習内容を復習できるような工夫がされています。例を挙げると、ここで取り上げる追加課題では主に「2.データ処理と確率」における「円のグラフ」と「人口グラフ」の学習内容を扱っていますが、128ページの後半部は「2.データ処理と確率」における「象形文字(ピコグラム)」の学習内容を応用した問題になっています。 (『Laskutaitoニューメラシー』翻訳は省略)
(参考文献)
○庄井良信・中嶋博編著『未来への学力と日本の教育3 フィンランドに
学ぶ教育と学力』明石書店、2005年。
○ヘイッキ・マキパー『平等社会フィンランドが育む未来型学力』明石書店、
2007年。
○百瀬宏、石野裕子編著『フィンランドを知るための44章』明石書店、
2008年。
○Finnish National Board of Education. “NATIONAL CORE CURRICULUM FOR BASIC EDUCATION.” Vammala, 2004.
(参考ホームページ)
○日本教職員組合ホームページ「国際比較でみる教職員の働き方」
http://www.jtu-net.or.jp/survey09.html
○フィンランド国家教育委員会ホームページ
http://www.oph.fi/english
文責:隼瀬悠里
(福井大学教職大学院特命助教/京都大学大学院博士課程)
2011年10月
入場者の感想 (入場者410名中296名がアンケート回答、その中より抜粋)
・外国の教科書は日本のように堅苦しさがなくて、絵本感覚で読めそうなかわいらしい本が多いと思った。世界の教科書に触れる機会があってよかった!(本学卒業生)
・教科書の内容を見て、(保育士をしているので)年長児への保育をもう一度考えようと思います。(本学卒業生)
・外国の教育がどのように行われているかを少しではありますが学ぶことができました。内容自体は私には読むことができませんでしたが、図の使い方などが工夫されているように感じました。日本の教育と学校の教育を比較することで、日本の教育の改善すべきところが見えてくるのだと思います。来年も楽しみにしています。がんばってください。(本学学生)
・私も教科書について興味があったので、来てみてすごく楽しかったです。日本だけでもたくさんの出版社からいろんな教科書がでていますが、あらためて世界の教科書をみてみると、国によって紙の質とかレイアウトの仕方など、様々な違いがあって、自分でももっと調べてみたいなと思いました。(本学学生)
・実際に教科書を見る機会がなかったので見れてよかったです。また、PISA型の学力が重視されているフィンランドではよく学習がされているのだなぁと思いました。考える力をつけさせる教育をどのようにすればよいのかフィンランドではよく考えてあってすごかったです。必ずしもPISA型がよいのか、というとそういうわけでもないとは思いますが、日本の学力低下について考えるいいきっかけになると思います。(本学学生)
・フィンランドが中心でしたが、教科書や教材を見ていると、とても色彩が鮮やかで、楽しいものばかりでした。日本と比べると、教える内容も一歩先を行っているように思えます。見ていてとても興味深かったです。(高校生)
・絵で各国の特徴が出るんだなぁと思いました。(中学生)
・わたしは、こんなにいろいろな本があったのですごいと思いました。いろんなことばを勉強していろいろな本を読みたいです。あとスペインの本があつくて、わたしの本はうすいのでびっくりしました。(小学生)
・隼瀬さんの解説が手際よく、実にわかりやすかった。制度面でも教員の勤務実態などが日本と比較されており、又評価を管理的にではなく支援的に利用するといった解説なども的確であった。教科書そのものの解説も丁寧で、日本との相違が実感できた。(本学教員)
・フィンランドの教育には以前から興味を持っておりましたので、実際の教科書を見させていただく機会に恵まれ、本当に勉強になりました。教育研究所の名前にふさわしい内容の充実した企画展示された関係者の方々のご苦労に対しまして心より御礼を申し上げます。(本学学生家族)
・たくさんの資料(教科書)を見比べて国によって教え方やとらえ方が違うことを知りビックリしました。素人も興味深く見させていただきました。ありがとうございました。(本学学生家族)
・文教大学でのこのような取り組みはとてもおもしろいと思います。教育者の卵を育てる学校ならではと思います。是非続けて欲しいです。(本学学生家族)
・フィンランドの音楽の教科書がおもしろかった。日本と違ってロック、ポップス、クラシックをたくさん盛り込んでいるところが気にいった。
・自分の子どもたちが学校へ行っている教科書と比べることができてよい。
・他国の教科書と自国を比べるのはなかなかない機会ですので拝見できてよかったと思います。