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第7回「世界の教科書展」  


特集
フランスの教育の歩み・しくみと教科書

展示:2000年11月3日(金)〜5日(日)/8201教室

 

 

はじめに
フランスはヨーロッパの中でも長い歴史と伝統をもつ国で、いまでもその文化は多くの人々に注目されている。その一方、フランス国内で行われている教育に関する情報はけして多くはない。今回の目的は、フランスで使われている教科書の展示はもちろんのことフランスという国の教育の全体像を明らかにすることである。展示内容は大きく分けて次の四つの部分から成っている。
1 フランス教育のあゆみ(歴史)
2 フランス教育のしくみ(制度)
3 フランスの教科書の展示と解説
4 世界各国の教科書展示

今回の展示の監修には、フランスのルヌ−ル・クレール嬢(1994年度〜96年度教育研究所準研究員)にお願いした。また期間中も会場で参加者からの質問に直接答えていただいた。

 

教育のあゆみ

1800年前後
ここでは、フランス近代教育の歴史をフランス革命から始めよう。1789年のこの革命は、国王の首をギロチンではね、絶対王政から共和制に体制を変換させた。
教育のあり方も大きく変った。それまで庶民の子どもたちに、「読、書、算」を教えていていたのは神父たちであった。教育は、教会の活動の一つと考えられていた。革命政府は、教育を全ての人の権利と捉え、教育の非宗教化・世俗化をめざした。国による公教育を行おうとしたのである。上図は国と教会が子どものとりあいをしている絵である。
この頃、コンドルセを初めとし、タレーラン、ミラボーらの哲学者たちが、教育のあり方について提言をした。それは、現在にも大きな影響を与えている。

1900年前後
フランス革命の精神が、教育の分野で実現されたのは、ようやく100年を経てからのことである。1881年から翌年にかけて、首相・元文部大臣J.フェリーが、初等教育の改革を行ったのである。
近代初等教育には、三つの原則がある。@無償教育、A義務教育、B宗教的中立性(世俗性)である。
1900年の初めには、全市町村の99%に公立の小学校が設けられていた。
公教育を支える大きな柱の一つが教員養成である。初等教員養成制度の改革は、J.フェリーの教育改革に平行して行なわれた。その頃すでに、全国で男子師範学校1879校、女子師範学校は19校存在していたが、全国的に教員不足で施設・設備や教育内容の改善と併せて、対応を迫られていた。また師範学校整備・充実、待遇改善、教育課程体系化が実施された。

現 
第二次世界大戦後、中等・高等教育の整備に着手した。中等教育については、伝統的に存在していた高等教育への準備機関としてのものと、教育期間の延長と拡充から求められるもの、この二つの異なる方向を一本化して、教育系統に位置づけなければならなかった。
進学コースと就職コースに分かれていた前期中等教育をコレ―ジュ(中学校)として一元化し、その上にリセ(高等学校)をつなぐという中等教育制度がつくり上げられた。
高等教育としての大学の教育過程は、第一段階から第三段階まである。
第一段階は2カ年で、大学一般教育免許状を取得する。 第二段階では、1年修了で学士、2年修了で修士の免状を取得する。 第三段階は、専門的研究を目的とするもので、専門化の程度によって1年ないし5年、さらにはそれ以上長期のコースがある。
グランゼコールとは、フランス独特のエリート養成機関で、高等師範学校、理工科学校、国立行政学院(ENA)などがある。

障害児教育の源流としてのフランス
現在、世界各国で障害をもつ子供に対する教育が行われているが、世界に先がけて、障害児たちに教育を試みたのは、フランスであり、フランス人なのである。
障害別にその歴史を見てみると、聴覚に障害のある子どもたちに対して、手話というコミュニケーションの方法を考え出し、世界で初めてろう学校を建てたのは、神父アヴェ・ドゥ・レペ(1712−1789)である。
視覚に障害のある子どもたちの盲学校を初めに作ったのは、アユイ(1745−1822)である。さらに点字を考案したのは、その盲学校の生徒であった、ブライユ(1809−1852)なのである。
知的な発達に障害をもつ子どものために、世界で初めて、系統的な教育を試みたのは、セガン(1812−1880)である。
このように、世界の障害児教育の源流は、"意外にも" フランスにあるのだ。

教育のしくみ

下図(省略)は、フランスの就学前教育から高等教育までの系統図を立体的に表わしたものである。前期中等教育(中学校)までは、単純な道すじだが、それ以降になるといくつかの道に分かれる複線になっていることがわかる。
ここでは特に、初等教育(小学校)を中心に話をすすめる。初等教育は、義務教育で、6歳から11歳までの5年間である。準備科・初級・中級の3段階に分けられる。
 準備科 一年生(CP:セー・ぺー)
 初 級 二年生(CE1:セー・ウー・アン)
      三年生(CE2:セー・ウー・ドゥー)
 中 級 四年生(CM1:セー・エム・アン)
      五年生(CM2:セー・エム・ドゥー)

小学校の一日
小学校教育の実際のようすをみてみよう。
一般的な授業時間は、午前は、8時30分から11時30分まで、 2時間の昼休みをはさみ、午後は、1時30分から4時30分までである。
授業内容は、フランス語(国語)と算数が中心だ。下表は、各学年における各教科の時間である。全学年とも、一週間の授業時間は27時間である。
表「各教科一週間の時間数」のとおり(略)、フランスの初等教育は、「読、書、算」 重視である、という伝統を守っている姿が見てとれる。
また、日本の小学校の時間割のように、45分単位のこま切れにはなっておらず、午前・午後に20分程度の休憩をとる以外は、連続して行われる。だから、上の表の時間数は、大まかな目安になっているといってもよさそうだ。
昼休みを、2時間程度とる小学校が一般的で、昼食は、日本のように児童全員と教員が一緒になってとる給食ではなく、家に帰って昼食をとる児童も教員もいる。学校の食堂で昼食をとる児童の世話は、教員以外の人がする。
また、小学校低学年の場合、保護者あるいは大人の送り迎えが義務づけられており、下校の時間になると、写真のように迎えの親たちが校門の前で待つ光景が見られる。

授業日数
右図(略)はヨーロッパ諸国の小学校の年間授業日数を比較したものである。1991 年のものなのでその後多少の変化はあろうが、だいたいの傾向は表われている。
授業数の一番多い国は、オランダの220日、次いで、ルクセンブルグ、ドイツ、イタリア・・・・・・そして、一番少ない国がフランスで、年160日にも満たない日数で、極端に少ないといえる。ちなみに、日本は、現在、230日程度である。
なぜ、フランスの小学校の授業日数がこのように少ないのだろうか。 まず、毎週水曜日は休みなのである。さらに土曜日は、現在の日本と同じように、隔週休みである。これについても、毎土曜休みへという動きがある。
また、夏休み・冬休み以外に、まとまった2週間程度の休みが、2カ月に1度は、必ずある。
このような状態を支えているのは、社会教育との連携、そして、ヴァカンスをライフスタイルの一部にしている社会の体制といえるだろう。

教科書の展示と解説

 ここでは、"フランスらしさ" が表われていると思われる、五年生「算数」と、二年生歴史・地理の中の「公民教育」をとりあげる。

「算数」

どの問題にも、ユーモアのあるしゃれた絵が添えられている。

Bの問題のキャプションは、「図面をきちんと解釈していないみたいね」とある。

「公民教育」

公民教育とは、フランス国民として、自由・平等・博愛の精神の基礎を形成することを目的としている。その内容は、人間・市民の権利、個人および社会的集団の尊厳の意義を理解し、批判的精神による判断力を身につけることにある。
公民教育は、小学校から教えられるが、教科として独立するのは、中学校からである。小学校では、下記の教科書にあるように、「歴史・地理」の中に含められる。

2年生(CEI) 用教科書【訳】

公民教育第5章共和主義的に生きる

1789年のフランス革命で、人権宣言を作った。すべての人々の自由と平等と互助の精神をうたったものであり、それが、自由、平等、博愛 というスローガンである。

・あなたの学校がある町の名前は知っていますか?
・あなたが住んでいる町の役場を知っていますか?
・フランスの国の祝日を知っていますか?
・フランスの大統領と首相の名前を知っていますか?
・あなたの家族のうち、誰が投票権を持っていますか?
・あなたの学校がある町の名前は知っていますか?
・あなたが住んでいる町の役場を知っていますか?
・フランスの国の祝日を知っていますか?
・フランスの大統領と首相の名前を知っていますか?
・あなたの家族のうち、誰が投票権を持っていますか?

フランス革命日(7月14日)、フランスのある村の風景

(文責:教育学部 星野 常夫)

    

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