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第5回「世界の教科書展」  



特集

アメリカ数学学力論争

日本の教科書検定

1998年11月6日(金)〜8日(日)/8号館4階

 

 

特集について

第5回世界の教科書展のテーマは、二つ。一つはアメリカ合衆国における数学の学力論争にまつわる教科書の展示である。学力論争では、系統学習か経験学習かという議論が継続している。日本でも新しい「学習指導要領」が告示され、経験学習の重要性が認知されつつある。学力論争は、学習指導要領にまつわって、ようやくこれから、日本でも本格化するかもしれません。

 もう一つのテーマは、教科書検定である。昨年実施された教科書検定において、どういう箇所が問題とされたのかを、解説する。

 

 (2つのテーマのうち、アメリカの数学学力論争に関しては、本研究所紀要第11号(白石和夫「アメリカの算数教科書」)及び遠隔教育の実験-ストリーミングによる教材配信実験のうちのHTTPによる配信の実験「カリフォルニア数学戦争」で紹介されているので、そちらをご覧いただきたい。ここでは、教科書検定の結果に関する展示について記しておきたい。)

1997年度教科書検定

1997(平成9)年度、高校の教科書検定が実施された。この年、検定申請された教科書は、全部で313冊、合格したのは312冊であった。
この数値だけ見れば、検定合格は容易なように思われる。しかし、合格に至るまでには、かなりの修正が必要である場合がほとんどで、その過程を見れば合格に至る道筋は容易なものではないことが判明する。
ただ、その過程は密室性が排除されらたので、不明朗な感じは減少したとは言えよう。そうは言っても、価値観の絡む修正意見が少なからず存在する事実は、以下に見られるとおりである。
展示した検定結果を以下に記しておくこととしよう。
なお、以下の展示内容において、
@は申請図書の記述、 Aは検定意見の趣旨をまとめたもの、 Bは見本本の記述、である。
まずは、とかく議論の多い歴史教科書の例を挙げておこう。はじめは南京事件の記述である。

[南京事件]
@1937年12月、日本軍は国民政府の首都南京を占領した。その前後数週間のあいだに、日本軍は南京市内外で捕虜・投降兵をはじめ婦女子を含む中国人約20万人を殺害し、略奪・放火や婦女子への暴行をおこなった。
A南京事件の犠牲者数については、種々の議論がなされていることを踏まえて、記述を再考していただきたい。
B1937年12月、日本軍は国民政府の首都南京を占領した。その前後数週間のあいだに、日本軍は南京市内外で捕虜・投降兵をはじめ婦女子を含む中国人推計約20万人を殺害し、略奪・放火や婦女子への暴行をおこなった。

20万人という数値の前に「推計」という語を置くことで、合格になったという事例である。ちょっと見ただけでは、どこが修正されたのかすぐには分からない程度のわずかな修正で済んでいる。
確かに、この数値に関してはなお、様々な議論があって、定説となってはいないという点を考慮すれば、妥当な修正と言ってよいのかも知れない。
もう1つ、歴史教科書の事例を取り上げておこう。

[アジア太平洋戦争]
@日本政府は、アメリカ・イギリスに宣戦を布告し、アジアと太平洋地域全体を戦場とするアジア太平洋戦争(注2)を開始した。
注2 開戦直後の12月12日、政府は1937年以来の「支那事変」を含めて「大東亜戦争」と命名した。アメリカはPacific War(太平洋戦争はこの訳語)とよんだ。
A「アジア太平洋戦争」という用語の使用に当たっては、学界状況に照らして適切な配慮が必要であるので、表現を工夫していただきたい。
B日本政府は、アメリカ・イギリスに宣戦を布告し、アジアと太平洋地域全体を戦場とする太平洋戦争(注2)を開始した。
注2 開戦直後の12月12日、政府は1937年以来の「支那事変」を含めて「大東亜戦争」と命名した。アメリカはPacific War(太平洋戦争はこの訳語)とよんだ。現在、日本の侵略がアジア・太平洋地域域に及んだことを正確に示すため、アジア太平洋戦争という呼称も使われている。

この部分の修正意見は、アジア太平洋戦争と言う用語が、まだ定着していないという事実を明示せよということである。それに対して、「日本の侵略がアジア・太平洋地域にも及んだことを正確に示すため……」と応じたわけだ。
以上2つの事例で見る限り、文部省の歴史教科書に関する検定は、家永教科書裁判を踏まえて、柔軟になっていたことを示す事例のように思われる。
その点、このときの検定では、「家庭科」教科書の記述に、文部省の姿勢が明示されていたようである。次に示すのは、当時マスメディアでも話題になった修正の例である。

@これまでの仕事中心、男性本位の価値観が大きくゆらぎはじめ、仕事より家庭を優先させる若い世代もふえ、また家庭でも、家事や育児をおたがいに協力しておこなうなど新しい家族像が模索されている。
A「仕事より…協力しておこなう」というのは、模索されている新しい家族像について誤解を招くおそれがある。
Bまた職場でも家庭でも、男女が対等にかかわりをもつという「男女共生」の考え方もひろまっている。
今日の家庭生活で、家族のそれぞれがどのような役割をはたすかが問われており、新しい家族像が模索されている。

修正意見の意図がもう一つ明らかでないように思うのは、私だけではなかろう。私自身は、元の記述で特に問題はないように思われる。この辺り、新旧世代の価値観が入り乱れるときの過渡的な現象かも知れない。
私自身、男女共同参画社会という理念自体にけっして反対ではない。しかし、「トイレのマークは男女色分けするな」というような意見に出会うと、やや疑問を感じることもある。現に、男女ともグレーのマークであったために、見分けるのに苦労したという事実があるからだ。
価値観に関して異論のあるときは、両方を掲げて考えさせることこそ、教科書の役目であろうと思うのはこういうときである。

(文責:教育学部 平沢 茂)

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