「思想品徳」
「思想品徳」は、日本で言えば「修身」に該当する教科であると考えて良いようである。そのねらいは、教科書の次の部分によく表れている。
この部分の標題は「敬愛する領袖」である。領袖とは誰か、以下の文ですぐにご理解いただけよう。
もうじき春節(旧正月)だ。おじいさんが町から毛主席の画像を買ってきた。
「どうして毛主席の画像を買うの?」と僕が聞いた。
おじいさんが答えて言った。「解放前、わしが君と同じ年頃の時、家は貧しくて、食べるモノも着るモノもなかった。学校に行くお金なんかもちろんなかった。しょうがなく、あちこちへ行って、乞食をした。
共産党、毛主席がリードした部隊が故郷を解放してくれなければ、今日の幸せな生活がありえたでしょうか。今、我々は食べるモノにしても、着るモノにしても、何の心配もなく、豊かな生活ができるのは、わしは毛主席に感謝しないとどうしていられるか。」
パパも「そうだね、こうやって幸せでいられるのも毛主席のおかげだ。毛主席を忘れてはいけないよ。毛主席は全国人民の敬愛すべきリーダーで、いつになっても、忘れられないよ」と言った。
僕は「それじゃ、おじいさん毛主席の画像を壁の真ん中にかけようよ」と促した。
「社会科」
次は「社会科」の教科書の一部である。
新中国成立後、我が国は多民族共生の親睦な大家族を形成した。
我が国は56の民族があり、そのうち400万の人口を有する民族は壮(チワン)族・蒙古族・チベット族などである。各民族は兄弟や家族のように親しい。
多民族の大家族では、漢民族の人口は全人口の約92%を占めている。他の55の民族は約8%を占めているため少数民族と呼ばれている。内蒙古、新彊族、チベット、広西、寧夏など5つの民族自治区と一部分の省のある地方に少数民族が集まって移住している。しかし、全国各地のほとんどの県・市に少数民族が移住している。
(中略)
固く結束した各民族の友愛党の民族政策の指導のもとで、各民族が結束し、平等互助、互いの風俗習慣を尊重し合い、共同発展、共同繁栄の新しい局面を作り上げた。
各民族は大小を問わず、皆平等で国家の主人となる。
祖国の大家族は、喜びに満ちている。毎年豊富多彩な民族大会が開かれ、各民族の人々は一堂に集まり、交流し合い、英姿を披露する。例えば、『芸術祭』では各民族の芸術家達が各自の芸術才能を披露する大舞台である。少数民族の伝統的な運動会は各民族の競技の場である。
各民族はそれぞれ違う風俗習慣があり、互いにそれを尊重するのは、多民族共生の保証である。
多民族国家中国ならではの内容とも思われる部分である。
「人口教育」
同様の内容で、高校の「人口教育」という教科書がある。社会科の一分野であろう。そこにもまた、中国ならではの内容が盛り込まれていて興味深い。
我が国の国民的資質の変化p46〜50
我が国の人口問題は、人口が多いこと及び人口の急増が発展と矛盾しているだけでなく、国民的資質が社会主義近代化の建設に相応しないことなのである。
新中国成立前、我が国の国民的資質が低く、国民の平均寿命はわずか35歳くらいで、嬰児の死亡率は20%と高く、病気にかかる比率及び病死率も高かったので、外国人に「東洋の病人」だと軽蔑されていた。国民の科学文化についての教養も非常に低く、非識字者、半識字者が総人口の80%も占め、高卒以上の人は10万人のうち100人たらず、科学技術を持っている人は更に少なかった。これらは立ち遅れた旧中国の特徴である。
日本の歴史教科書
最後に我が国の明治維新に関する高校・歴史教科書の記述を取り上げておこう。
明治維新
幕府が滅亡後、明治天皇が一連の資本主義へ改革を実行した。政治面では廃藩置県を行い、中央集権化を強めた。経済面では土地の売買を許し、西洋の技術を導入し、近代工業の発展を奨励した。社会生活の面では文明開化を提唱し、教育の発展に力を入れた。これらの改革は明治年間に行われたので「明治維新」という。(中略)
明治政府が「学制」を公布し、統一の学制を規定した。欧米を見習い新式の学校を設立し、強制的に初等教育を普及させた。政府が欧米の資本主義文明にならうことを提唱し、西洋式の家を建築し、洋服を着用したり、西洋料理を食べ、伝統的な日本の髪型を変えるなど国民生活様式も変わった。
日本は明治維新によって半植民地になる危険から脱却し、鎖国封建国家から一歩一歩資本主義の国へと発展していく。
しかしこの改革は不徹底なところがあり封建的なものが少なからず残存している。強くなりかけた日本はその後対外侵略拡張の道に歩み出した。
最後の2行で、対外侵略のことに触れている点を含め、私には、比較的客観的な記述になっているように思われる。お読みになった方々は、どんな感想をお持ちだろうか。日清戦争の箇所を取り上げると、もう少し異なった印象になるに相違ない。しかし、この年の教科書展では、それを取り上げなかった。機会を得ていずれ取り上げてみたい。
(文責:教育学部 平沢 茂)