文教大学付属教育研究所 紀要第10号(2001年発行)

特集 大学教育の情報化

本学の情報化に望む:語学教育の立場から

小林 ひろみ
(文教大学国際学部)


要 旨

文教大学国際学部では、英語教育の分野でCALL(computer assisted language learning)を2000年度から導入した。学生の反応は非常に良いが、コンピュータの授業利用に当たっては様様な問題点が出ている。特に問題になるのは、助手制度の不備、コンピュータの専門家と語学教師の間の認識のギャップ、そして同一教室を利用した複数授業の同時開講などの新しいカリキュラム制度であろう。

[英語教育の急速なコンピュータ化]
1994年に筆者が文教大学国際学部に英語教師として採用された頃、日本でも一般用コンピュータがワープロにとってかわろうとしており、就任と同時にコンピュータが1台支給されたのはありがたかった。しかし、情報学部のある湘南キャンパスでさえLANが一般の研究室にはひかれておらず、当分はstand aloneのワープロとして使わざるを得なかった。もっとも、コンピュータ先進国のアメリカにおいてさえメールが使えなければ教育機関関係者としては恥ずかしいという認識が生まれていたとはいうものの、メールもまだまだ一般化しているとはいえず、とりあえず日常の学研生活に支障のない状況であった。外国語あるいは第二言語としての英語における授業方法も、従来型のテープレコーダーやビデオの活用が主流であり、これは外国人英語研修を広く実施している米国やカナダ、イギリスのような国の大学やその付属機関においても同様であった。レポート等のフロッピーによる提出はすでに始まっている大学もあったが、一部に学生がコンピュータを使用できる施設はあっても、それが語学訓練の授業に直接、広範囲に活用される段階ではなかったのである。4年ほど前、シカゴで開催された英語教育学会の大会では、コンピュータの初歩的使用法を教えるワークショップが組まれていて筆者も参加したが、発表はOHPやハンドアウトが主流で、会場で販売されている教材も主として本であった。それがわずか3年後の本年度の大会では、PowerPointを使わない発表は少数に転落し、教材も圧倒的にCD-ROM化 しており、もはやコンピュータ抜きの英語教育はありえない状況に変化していた。
国際学部においては英語教育のコンピュータ化を予想して準備を進め、1998年度のLL教室改築の際には、CALL(computer assisted language learning)システムを28台導入してもらうことができた。残念ながら予算の関係で、旧LL教室の全部をコンピュータ化することはできなかったが、1年間、常勤教師がこの教室を使って実験的授業をおこなったことは、国際学部が2000年度より開始した新カリキュラムにおいて必修科目の英語のCALL導入の適切な予行演習となった。他大学では選択科目の中で個人が実施しているケースが多く、カリキュラム上の全面的な取り組み例はまだ少ないとのことである。なお、日本においては英語は一般的に既履修言語であるのに対し、その他の外国語は通常未履修言語であるなど、英語教育と外国語教育とを同一には論じられない面が多々ある。しかし、語学訓練の基本的問題は共通であるため、本稿では同一視して扱うことをお断りしておきたい。

[コンピュータ化と組織]
いずれにしても、筆者が赴任した当時の国際学部は語学授業用のコンピュータは皆無であったばかりでなく、LL運営に必要な助手はおろか機器整備の予算すらなく、学部開設以来、個々の機械の故障を直す以外のメインテナンスは1度も行われていないことを知り、愕然としたのである。その一方で同時通訳室が設置されていたが、カリキュラム的にも同時通訳クラスを設置することはできない状況で、この部屋は主として会議室として利用されていた。また、LLの受講者数が再履修者も含めて30名程度であったにもかかわらず、LL教室には64台のブースがあり、半分は使う必要がなかった。もっとも故障が結構あったので、余裕があったのはありがたかったが、なぜこれを2教室にしなかったのであろうか。聞くところによると、LL教室や同時通訳室の設計・設置に当たっては、語学担当者の意見徴収は一切なかったそうである。
幸い、今回の湘南キャンパスでのマルティメディア棟の建設に当たっては、語学関係者も当初から参加することができたため、このような組織面の情報の流通の初歩的問題は改善されたといえよう。しかしながら、今後早急に構築しなければならないのは、きちんとしたIT助手の制度である。現在の湘南のシステムは大人数クラスのみを対象としたTAの導入に手一杯で、小人数に対応する語学教育では全く利用できない制度になっている。そのためコンピュータに習熟していない語学教師は授業困難をきたすなど、語学教育に特有なトラブルに対する対応システムとはなっていない。財政面での困難があることは承知しているが、IT助手は語学教育の効果をあげるための技術サポートとして、不可欠な存在である。LL教室の運営にLL助手が必要であることが国家的にも認められているのであれば、さらに高度な技術と知識が必要なCALL教育においてはなおさらである。現在のLL助手をIT助手へ変換する訓練費用を予算に組むなどの措置が大学に求められる。

[ITギャップ]
しかしながら、このような改善にもかかわらず、依然として大きな問題が残っており、これは語学教師の立場からは深刻にとらえざるをえない。それはコンピュータのハードとソフトの両面を含めた設計・製作と管理を担当する専門家と、ユーザー側に立つ語学教師との間の知識の大幅な乖離である。文字通り日進月歩のコンピュータの世界では、専門家でさえ全ての情報に精通することは不可能ではないだろうか。まして筆者のように理系を不得手とする語学教師がコンピュータの変化についていこうとすれば、専門の研鑚を犠牲とせざるを得ず、CALL教育を専門としない者にとっては、それは極論すれば自殺行為になりかねない。このような観点から見ると、語学教師がコンピュータを利用する授業に必要な通常の知識とは、主として
@ どこをクリックすれば必要な機能が使えるか
A その機能が適切に作動するか
B その機能がないときは導入が可能か
の3点である。
非常勤講師を含めた多くの語学教師の中には年齢的にも重症なコンピュータ・アレルギーにかかっている者もあり、筆者と同様に何が必要か、何が問題なのかを適切に専門用語を使って専門家に説明することすらできない者が少なくない。「そんな教師はコンピュータ授業からはずせばよい」とか「少しはコンピュータを勉強したら」と反応されるむきもあるかもしれない。しかし、既に述べたように、CALL教育は今始まったばかりの分野で、大多数の語学教師はこれから訓練を積んでいかなければならない段階である。したがって「未経験だが試してみたい」と言われる先生方に授業をお願いしているのが実情である。また勉強するにしても、その機会が適切な時間に与えられるかどうかが重要である。現在、湘南キャンパスにおいては、情報処理課によって教師用の講習会を開設するなどの献身的なサービスがされているが、学期中の受講は特に他大学とかけもちの非常勤講師には難しく、休暇中の集中訓練等も検討していただけないものであろうか。

[コンピュータ利用の範囲]
コンピュータの愛好家は、全てをコンピュータにさせようとする傾向があるように思える。しかし語学教師の本来の目的は語学を適切に教えることであり、コンピュータはあくまでもそのための補助手段のはずである。たとえば、スピード・リーディングは、コンピュータでなければ教えられないものではない。むしろ本やプリントの方が簡単で、手軽に良い結果がえられだろう。特に音声面に関しては、音質の良し悪しが聞き取りに大きく影響するため市販教材のCD-ROMに対する学生の不満が大きかった。効率性・経済性そしてコンピュータの進歩をにらみながら、コンピュータが得意な分野を選んで利用する観点が必要であろう。その意味で、国際学部の新カリキュラムでは、CALL教育だけでなく、英検やTOEFL,TOEIC等の資格取得のための科目や、読解指導を主眼とした科目も多数設定したのは正しかったのではなかろうか。しかし、TOEFLのコンピュータ化に象徴されるように、コンピュータ使用の拡大は止められない趨勢であり、そのための準備が必要である。
現状では使用できるコンピュータが足りないため、英語以外の言語の場合は使用していないが、このまま放置するわけにはいかない。特に留学生の日本語教育のコンピュータ化は急務であろう。そのためには学生が自費でラップトップを購入し、大学は端末を用意する方向転換を行わなければ、運営は不可能であろう。幸い、情報センターはこの方向で計画を練っているとのことであるので、早急に実現されることを切に望みたい。

[コンピュータ化に必要な新しいカリキュラム体制]
外国語教育の効果をあげるには、クラス・サイズを適性数におさえる必要があるが、この点について、大学関係者の間に残念ながら重大な認識不足があるようである。確かに、従来型の訳読形式の授業では学生の努力さえあれば人数の多少はさほど影響しないかもしれない。しかし、「学問としての英語」「研究対象としての英語」のみではなく、実業界からの要請のある「使える英語」の養成を目指すには、この方式では十分な成果があがらないことは明治以来の日本の英語教育で証明済みである。実用英語の訓練に効果的なコミュニケーション型授業に切りかえる必要があり、そのための適性受講者数は15名以下であることは語学教育研究者が繰り返し指摘しているところである。受講者の満足を得なくては経営が成り立たないいわゆる町の英語教室では、より効果をあげるために15名どころか1桁代に受講者を抑える傾向があり、更に他大学は同じ理由から少数クラスへの移行を目指しているのに、文教大学国際学部においては経営改善のためとはいいながらクラス・サイズを適性数の倍以上にせざるを得ないとされるのは悲しいことである。
この解決策の一つとして、コンピュータ化を推進しようとする動きがあるように思われる。確かに、コンピュータは多数の学生に同じ情報を瞬時に伝達ができるという素晴らしい利点をもっている。しかし、そのためのソフトの準備など、先生側の時間的負担の問題を全く考慮しないとしても、受信した情報を端末で処理する学生の一人一人に適切な指導を行う時間は考慮せざるをえない。たとえば、筆者が今年度担当した選択科目のCALL201では、聞く・話す・読む・書くの言語の4技能を全部取り入れたソフトを使用したが、コンピュータ化時代にあって今後ますます必要となる発信型の英語力をつけさせるため、最終評価は英作文が主眼であった。スペル・チェックやグラマー・チェックの機能を利用して、学生はケアレス・ミスを自分で直すことができることもあり、ペンと紙による授業とは比べものにならない量の英文を書いてきた。熱心な学生の中には1回に1,000語以上のエッセイを6本出す者もあり、最低1回の訂正も含めると1学期で少なくとも10本以上、すなわち1万語以上の英文を作成したのである。筆者は米国の大学院でライティングを専攻したが、その折の1学期の規定分量が1万語であっ たことを考えれば、一般学部の学生にとっては膨大な量である。これを一本ずつ添削・提案を行ってメールで学生に返却したが、23名の受講者のオリジナルの平均提出数は平均して4本、訂正は学生が自発的に少なくとも2回提出してきたため、1学期に一人当たり総計12本のエッセイの添削となり、充実感も大きかったが、負担も大きかった。
もちろん、添削がなくても効果があるとする研究結果を隠れ蓑にして、手抜き授業をすることは不可能ではない。しかし一方的な情報の詰めこみだけのマスプロ教育では、決して良い教育は期待できない。今回の授業に対する学生アンケートの結果を見ると、個々の学生の習熟度と進捗状況に合わせて個別指導をしたことが、一番高い評価を受けている。学生が英語教育に求めているのは効果的な技能訓練であるが、そのためには個別の対応が不可欠である。すべてがコンピュータで解決できるものではないし、コンピュータは教師の負担をむしろ増大させている。
便利な英文や和文の翻訳ソフトが開拓されだしてはいるが、まだ実用段階に達しているとはいえず、コンピュータの作成した結果の適切性を最終判断するのは結局人間である。すなわちソフトを利用するための訓練が必要となる。結論として言えば、究極の教育は人間対人間であり、一人の教師が適切に指導できる学生数は限られる。この授業で使用した教室の最大収容数は60名であったが、従来型のコマ・カウント方式で60名で実施しようとすれば、質を下げるしかない。特に語学教育は非常勤講師に依存せざるを得ないのが実情なので、コンピュータ使用で教育的効果をあげようとするなら、教師の仕事量に対する評価と時間編成も考え直さなければならない。たとえば、教師がその場におらず学生のみがコンピュータで学習をするのは「自習」であって授業ではないとする考え方なども、再考しなければならない。「遠隔授業」の概念に「距離」だけでなく、タイムラグを許容する「時間」の概念も含め、莫大な人的・財的投資を必要とするコンピュータの有効利用のために、複数授業による1教室の同時利用等を視野に入れた新しいカリキュラム体制の構築が強く望まれるであろう。