文教大学付属教育研究所 紀要第10号(2001年発行)

特集 大学教育の情報化

本学の情報化に望む

−教師養成の視点から−

萩原敏行
(文教大学教育学部)


要  旨

教師養成を前提とした本学の情報化を考えれば,大学の演習や講義に学習ネットワーク方式で用いる情報処理能力養成に加え,「技術的熟達者」モデル養成のためのシミュレーション方式を用いた学習計画能力の育成と,「反省的実践家」モデル養成のためのビデオによる小中学校の授業記録の活用ができる環境整備とを,本学の情報化として切に望む。

◆ 「教育の情報化」の動向
95年4月に発足した第十五期中央教育審議会は翌96年7月に第一次答申を提出し,そのなかで「高度情報通信社会」の到来に対応するため,初等中等教育段階での情報通信ネットワークの活用を本格的に進めるべきだとしている。その後,この答申の一環として,99年12月,文部省が中心となり,通商産業省,郵政省,自治省が連携して総理直属として設置されたバーチャル・エージェンシー「教育の情報化プロジェクト」の報告が出された。この報告では,情報化により「子どもたち」「授業」「学校」を変えるというスローガンがたてられている。
また,この報告を踏まえて策定されたミレニアム・プロジェクト「教育の情報化」においては,01年度までにすべての公立学校がインターネットに接続でき,05年度を目標に,すべての学級のあらゆる授業において教員及び生徒がコンピュータ等を活用できる環境を整備することなどが決定され,公私立学校のコンピュータ整備,校内LANの整備,教員研修の実施,学校教育用コンテンツの開発などが進められることとなっている。
とくに学校教育用コンテンツとしては,01年8月,学校教育から高等教育,生涯学習に至る教育の情報化の推進支援を目的とした,教育情報ナショナルセンター (NICER)がネット上に開設,公開された。
以上のように,行政主導の「教育の情報化」が次々に展開される中,教員養成を目的とする本学の教育学部としては,「教育の情報化」の動向を看過することはできないだろう。とはいえ,どう具体的に本学を情報化すべきなのか,なんら明快な解答は見えてはこない。そこで本論では,まずはじめに教師に要求される情報処理能力を整理する。そして次に,教師養成カリキュラムの目指す二つのモデルをふまえ,その上で「本学の情報化」について,私見を述べたい。

◆教師に要求される情報処理能力
さきに挙げた「教育の情報化プロジェクト」報告には,01年度までに「すべての教員がコンピュータを活用して指導できる体制をつくる」とある。また,「教員採用について,すべての校種・教科において情報リテラシーを有する者の採用を促進する」ともあり,教員としての必須能力の一つに情報処理能力を位置づけていると考えられる。
しかし,現在,01年度をむかえ,全ての教員がコンピュータを活用,指導できるように体制が整っているかといえば,疑問を感じざるを得ない。
では,教師に要求されるコンピュータの活用能力や情報リテラシーといったものは,具体的にはどのような能力を指すのだろうか。ここでは, 1)情報社会の特質を指導する能力,2)管理運営の能力,3)コンピュータの操作能力,4)コンピュータを教育利用する能力,の四点に焦点化して考えることとする。
1)高度情報通信社会といっても,その特質をある程度理解し,さらにその特質を適切に指導する技術と能力は訓練を必要とする。児童生徒が情報社会に適応するためにだけではなく,情報社会の「影」の部分に対抗するためにも不可欠な知であるといえよう。
情報社会において流通する情報は,具体的なものごとから情報の発信者によって主観的に切り取られた,抽象的な記号である。また情報は,実体験によって得た知識には含まれている,経験と人称関係と文脈が欠落している概念である。このように,抽象化された概念が,見せかけのリアリズムを構築していくことで,仮想現実となっていく。情報社会という仮想現実の特質を理解し,情報を情報としてではなく,情報を実体験と結びつけた知識に変換する作業こそ,教師に要求される指導能力ではなかろうか。
また,コンピュータが構成する情報社会では,情報がデジタル化されるということも大きな特質である。デジタル化されていることで,情報媒体の物質的な制約に束縛されない。たとえばビデオに録画された情報も,アナログビデオであれば経年変化やダビングによる情報の劣化を免れることはできないが,デジタル化されていれば劣化することない情報が流通可能である。そしてデジタルであることにより,記録用の情報媒体を選ばない。また,インターネットなどを利用して流通させることにより,時間的にも空間的にも情報流通にほとんど制約を受けないということもデジタル化による特徴の一つであろう。家にいながら24時間いつでもオンラインで本を探したり注文ができ,モバイルデバイスを介せばいつでもどこでも必要な情報を取り出すことができるのである。もちろんこのように,好きな場所で好きなときに情報の享受が可能であるならば,個人主義的な学びが促進され,学校という学びの共同性が解体されるかもしれない。教室にデジタル情報を導入するということを本質的にとらえること,また,デジタル情報とアナログ情報との関連をつくるのも教師として必要な指導能力となる。
2)よみうり教育メール(読売新聞社/日刊)というメールマガジンには「情報教育最前線」というコラムがある。日夜情報教育に取り組む教師たちが,持ち回りで連載しているのだが,ここでよく問題になっているのはコンピュータの管理と運営についてである。
実際に教室に導入するためにどのようなコンピュータ・システムの青写真を引くのか,導入後の設定やメンテナンスはどうするのかといった苦労話には事欠かない。子どもたちと教室の床板をはがしてLANの配線を引いたとか,学校への導入に際して同僚の教員たちをどう巻き込んでいったとか。知識と経験と忍耐が必要な重労働ではあるが,成功例によれば,「学校が変わる」という前出のスローガンの柱となる能力であるといえよう。
3)コンピュータを単なる文具の一つととらえて,道具として学習や生活に利用することのできるようになることを前提とした,コンピュータ・リテラシーの能力。もちろん,コンピュータのインターフェイス(使い勝手)は必ずしも万人にとって使いやすいとはいえない。そこで,キーボードに慣れたり,機能的な性質を知ったり,といったことが必要になる。そして,あくまで学習指導の道具として,たとえば指導案や写真を入れた学級便りが作れたり,成績処理や児童・生徒の情報管理といった作業を達成する手段として,有効に機能してくれればよいのである。またその際,コンピュータを使っているという意識がなくなり,作業そのものに集中できるぐらいに使い慣れることができればよい。
コンピュータは何ができて何ができないのか,自分の用途にどのように役立つのか。そういったコンピュータそのものに対する操作能力が教師には要求されている。
4)教師が教育活動において,児童生徒自身にコンピュータを利用するよう促すための能力,すなわちコンピュータの教育利用に関する能力は,おそらく教科教育にもっとも関わりの深い能力であろう。
教授支援としてのCAI(Computer assisted instruction),学習支援のCAL(Computer assisted Learning)という二つの流れの中で発展してきたコンピュータの教育利用は,現在およそ以下のようなものにまとめることができる。
@チュ−トリアル方式:学習の助教
Aドリル方式:プログラム学習
Bシミュレーション方式:模擬的な思考実験
Cゲーム方式:ロール・プレイイング
Dテスト方式:学習の評価
Eシミュラークル方式:仮想現実によるシュレーションのシミュレーション
F学習ネットワーク方式:双方向コミュニケーション(LAN, インターネットなど)
このうち,@からEがCAIの流れであり,FがCALの流れといえよう。これらはいずれもコンピュータの教育利用により「授業が変わる」というスローガン実現のための方式といえる。
また,こういった情報処理の方式によって,児童生徒が学習に用いる思考パターンも変化してくる。すなわち,感性的で曖昧な直接経験を中心とした授業が,記号的で論理的な思考にもとづく授業に変化することで,「子どもたちが変わる」というスローガンの実現を促すとされる。
いずれにせよ,教師としてこういった「授業を変え」「子どもたちを変える」コンピュータの教育利用の内容と方法を知り,児童生徒がコンピュータを学習の道具として用いることのできる環境を準備する能力が要求されていると考えられる。

◆専門職としての教師養成の情報化
専門職としての教師に上記のような能力が要求されている現代においては,教師養成にも同様の能力の養成が求められていると考えるのが適当である。
ここでは教師養成カリキュラムの目指すモデルとして,「技術的熟達者(technical expert)」モデルと「反省的実践家(reflective practitioner)」モデルとをあげ,それぞれのモデルに適したコンピュータ活用の可能性を検討する。
まず「技術的熟達者」モデルは,教科内容,教育学・心理学といった教職関連領域の科学的な知識と技術の成熟を基礎としている。すなわち,「技術的熟達者」モデルは状況や事柄を可能な限り単純に明示できる概念や原理に抽象化・一般化することで確実性を拡大する方向で展開される。
この特質を言い換えれば,具体的なことがらから切り取られた「情報」を扱うことで,このモデルは確実性を拡大していくと考えられる。とすれば,このモデルの教師養成にはコンピュータ活用が適しているだろう。
それでは先に挙げられたコンピュータによる七つの教育方式のうちどの方式を教師養成カリキュラムに取り入れることが効果的であろうか。論者はBのシミュレーション方式による教育ソフト教材の制作を提案したい。
簡単な教育ソフト教材でも作った経験があるならば,その制作過程が指導案の作成と酷
似していることに気づくはずである。教材の構造を調べ,再構築し,学習者の思考を予測し,解決に用いる教材・情報を用意し,質問を考え,それらを一つの流れの中に位置づける。そして指導案作成以上に教育ソフト作成がつきつけてくるのは,質問と解答に関する分析のシビアさである。学習者の意識の流れが把握できていない指導案を書くことはできるが,教育ソフト教材はその中に矛盾を内包しているとソフトそのものがシミュレートを拒絶する。コンピュータ・リテラシー育成と情報の特質の理解を兼ねたこのシミュレーション・ソフトの作成は,教師養成課程の学生を情報化するために効果的であろう。
次に「反省的実践家」モデル養成に効果的な情報化を提案したい。このモデルは,教育の問題状況に主観的に関与して子どもと生きた関係をとり結び,省察と熟考によって問題解決に向かう実践的見識とその過程で形成される実践的認識を基礎としている。すなわち,「反省的実践家」モデルは状況や事柄に含まれている多義的な意味の複雑さや豊かさを解明しながら「不確実性」に踏み込む方向で展開される。
この特質を言い換えれば,より抽象化されていない「不確実」な状態の教育情報の利用が「反省的実践家」モデル養成には必要であるということになる。実際に小中学校の現場の授業を参観することが可能なら,それに勝るものはないのだろうが,時間的空間的制約のある大学の教育環境では,ビデオによる授業記録の利用がもっとも効果的であると思われる。論者はこの観点にもとづいて,数人の学生と小中学校に出向き,授業をビデオで記録し,それを教材として大学の講義・演習をおこなったことがあるが,学生たちの活発な意見交換がおこなわれ,教師としての専門的力量形成に大いに効果的であった。これは,教師により情報化されていないビデオの画面から,学生が主観的観点で問題状況を切り取り,実践的見識と実践的認識を深めていったためと考えられる。

◆本学の情報化に望む
「教育の情報化」が高度情報通信社会に対応したものであることもあり,小中学校で実際におこなわれている「情報化」された実践もその傾向のものが多い。たとえば,低学年ではお絵かきソフトやお話づくりソフトといったチュ−トリアル方式のコンピュータ利用でコンピュータ・リテラシーの育成がおこなわれ,高学年になるにしたがって,授業で使う情報の収集,ホームページづくりなどを通じた情報発信,交流といった,学習ネットワーク方式のコンピュータ利用を通じた情報処理能力の育成へと発展している。
教師養成を前提とした本学の情報化を考えれば,大学の演習や講義に学習ネットワーク方式で用いる情報処理能力を用いるような課題を課していくことは当然である。そしてさらに,先に示したような,シミュレーション方式を用いた学習計画能力の育成と,ビデオによる小中学校の授業記録の活用ができる環境整備とを,本学の情報化として切に望む。