文教大学付属教育研究所 紀要第10号(2001年発行)

生涯学習支援の観点からみた社会教育行政の課題

伊 藤  学
(文教大学付属教育研究所客員研究員/練馬区教育委員会生涯学習課社会教育主事)

要 旨

国におけるこれまでの生涯学習政策の展開は、主に「政策理念」の啓発的要素が強いといえる。一方、地方公共団体の施策の目的とその成果がわかりにくいのは、地方教育行政のビジョンの欠落に起因している可能性がある。また、今日では実態としての生涯学習に微妙な変化がみられると同時に、行政全般の役割に関する見直しも進んでいる。こうした中、地方教育行政は生涯教育の理念に立ち戻り施策を形成することによって、生涯学習政策に寄与できるのではないか。特に、社会教育行政には生涯学習を支援する可能性と固有の役割が存在するであろう。

1. 研究のねらい
地方公共団体における、生涯学習の振興のための施策の現状について、政策評価の視点から考察すると、施策の目的とその成果がわかりにくい状況があった。また、施策の評価は、学習者一人ひとりの学習の成果(教育評価)と相関関係があると推測できた。(1)
こうした観点をふまえ本稿では、国レベルで進められている生涯学習政策の理念や目的と、地方公共団体の具体的な施策や学習者がどのように結びついているかを検討し、そして今後の地方教育行政の役割を再検討してみる。 

2. 問題の所在
地方公共団体の施策には「何のために」行うのか、という施策のビジョンが見あたらないような気がする。例えば、最近の「流行施策」はいわゆる「生涯学習による地域づくり」である(2)が、生涯学習が「地域づくり」の手段であるとする論理をすんなりと理解できる行政職員や住民はどれだけいるのだろうか。このような論理が、政策評価における目標や指標設定の難しさの原因とも考えられる。
また施策の目標やそれを具現化するための計画立案や政策評価の手法の開発・導入に力を注いでも、法制度に裏付けられた行政機関としてのビジョンが、住民にわかりやすく説明できなければ、その努力は「手法のための手法」に過ぎない。
となると、「現在の文部科学省の生涯学習施策の手詰まり状況」(3)、つまり地方公共団体の施策のわかりにくさは、施策の中核である地方教育行政のビジョンの欠落に起因しているのではないだろうか。そのビジョンづくりは、理念としての生涯学習と実態としての生涯学習を結びつけ、あらたな施策を創り出す試みかもしれない。

3. 生涯学習政策の展開
(1) 生涯教育から生涯学習へ
わが国における生涯学習政策は、ユネスコにおいて「生涯教育論」が提言された1965(昭和40)年以後の各種審議会答申において明らかにされている。
1971(昭和46)年の社会教育審議会答申「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」は、「あらゆる教育は生涯教育の観点から再検討を迫られている」と、すでに提言している。
その後、1981(昭和56)年の中央教育審議会答申「生涯教育について」では、「生涯教育」と「生涯学習」の考え方を使い分け、「生涯教育は、生涯学習を助けるために教育制度全体の上に、うち立てられる基本的な概念である」(4)と定義している。
さらに、1984(昭和59)年に設置された臨時教育審議会の4回にわたる答申では、「生涯学習体系への移行」を提言している。
(2) 生涯学習政策の意図
ここに、わが国において「生涯学習」ということばを推進する背景が整ったといえよう。
臨教審の最終答申では、「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「変化への対応」を柱としているが、その後の中央教育審議会や生涯学習審議会の答申、さらには教育改革プログラム、そして直近の21世紀教育新生プランによる法改正の内容をみれば、「社会は「生涯教育」から「生涯学習」への変化を求めてきたが、その根底からは「学歴社会の弊害の是正」が見て取れる」(5)ことは明らかであろう。
また、学習者の主体性を重視した生涯学習の基盤整備のために、1990(平成2)年いわゆる「生涯学習振興法」が制定されたが、それは地方公共団体における、教育行政と一般行政との連携・協力体制づくり、さらには行政と民間・学校などの教育機関との連携推進を「政策理念」としている。この「政策理念」による戦略は、都市部においてはカルチャースクールや、大学の公開講座による学習機会を増大させ、行政においても、生涯学習担当を、行政本体から切り離し公社化した施策も見られた。
また、行政自らが様々な学習機会の増大に努めることとなり、いわゆる「行政の生涯学習化」が進められた。

4. 生涯教育から生涯学習への功罪
しかしながら、1980年代の時点で、生涯教育の具体的な施策は、「中央省庁の中で文部省は出遅れた」のであって、また「行政用語として「生涯学習」を使用したために、「教育」行政機関である文部科学省の役割がかえって不明確になった」と平沢は推測している。(6)
「出遅れて、不明確な」施策にさらに「出遅れて」担当部署名を「社会教育課」から「生涯学習課」に変更した地方教育行政の多くにおいては、新たな「政策理念」と、実態としての生涯学習との間で、主体的で独自のビジョン提案が困難であったと思われる。
その実態としての「生涯学習」は、1980年代当時、「教育」それも学校教育の悪しきイメージを払拭するためのキャンペーンによって、徐々に学習活動の個人的な側面と「楽習」のようなイメージが住民に広がったといえよう。こうしたマスコミュニケーションによる戦術は功を奏し、「生涯学習のボーダーレス現象」(7)が起きた。
しかしながら、地方教育行政としては「生涯教育」から変換された日本独自の「政策理念」と、市民権を得てしまった「生涯学習」との深い溝におちいったまま今日に至っており、その役割や固有の機能さえも見えにくくなってしまったのではないか。
いいかえれば、「政策理念」によって学校教育の改革という意図は成功しつつあるが、法制度上、行政が縛ることのできない社会教育活動においては、民間セクターによる改革に頼らざるを得ず、社会教育行政の役割を見えにくくしてきた、のではないだろうか。

5. 生涯学習政策をめぐる現状と新たな実態
(1) 地方分権と協働関係づくり
1999年のいわゆる地方分権一括法案により、国の様々な行政権限を地方公共団体に移行させ、地域の独自性を活かした施策の展開が求められている。また、バブル経済期以後の社会経済状況の停滞、行財政の悪化も加わり、行政全体が大きな見直しの時期に来ているといえよう。
単なる行政のスリム化だけではなく、地域の環境問題、子育てなどの様々な生活課題の解決のために、有効な施策形成が急務である。
また、いわゆるNPO法制定による市民活動の活性化や住民の直接的行政参加の声が高まりつつあり、地域社会を担う様々な場面で、行政と住民の役割分担が変化しつつあるといえよう。
(2) 生涯学習への期待
こうした中、生涯学習への期待は、「生涯楽習」から微妙に変化してきていると思われる。
図1は、総理府が行っている「生涯学習に関する世論調査」をもとに、平成4年と12年の結果を比較し「してみたい生涯学習の内容」のそれぞれにおいて増加率を算出したものである。もっとも増加率が高いのは、「ボランティア活動やそのために必要な知識・技能」であり、以下「家庭生活に役立つ技能」「職業上必要な知識・技能」と続く。
一方、「教養的なもの」「趣味的なもの」は減少している。
つまり、生涯学習の個人的側面や「楽習」というようなイメージから、社会参加やボランティア活動への関心度が高まるとともに、地域における生活課題の解決に結びつくような学習内容が求められているといえよう。
ただし、全体における内容別の割合は相変わらず「教養的なもの」が多い。




6 社会教育行政の可能性と限界

ここまで見てきたように、国における生涯学習政策の展開は、地方公共団体にある程度のインパクトを与えてきた。しかしながら、学校教育と社会教育を統合した地方教育行政の成果は充分とはいえない。
行政の役割の変化や新たな課題、そして実態としての生涯学習の微妙な変化などの現状から概観すると、今後は「政策理念」よりも、「生涯学習を助ける基本的な概念」つまり生涯教育の概念が重要だと思われる。
実際、その施策の中核となる社会教育行政においては、様々な混迷を経て、2001年の社会教育法改正に見られるように、その位置づけが再度注目されつつあるようにも見える。開かれた学校に対する期待や学社連携・学社融合、地域の教育力などという言葉が、再びもてはやされたり、家庭教育や青少年教育についての事務があえて明確化されたりしている。
また、学習活動が個人的な営みと社会的な営みの統合によって自己実現へ結びつくという観点もあらためて見直されてきていると思われる。つまり、「教育」の営みそのものが、決して画一的なマイナスのイメージを持たなくなっているのではないだろうか。
多少乱暴な言い方ではあるが、社会教育行政がもともと公教育として担っていた教育活動が、生涯学習政策の展開による学習の市場性・個別性によって「覆われ」てきたが、今日では逆に公共性が拡大しつつあるといえよう。今後、生涯学習政策の核としての社会教育行政は、公共性と市場性・個別性のバランスをどのようにとるのか、施策の創造が求められている。その際にポイントになるのは、生涯学習支援の観点からみた教育活動であり、地方教育行政という位置づけ(法制度)であろう。
こうしたことから、地方教育行政においては、今こそ「生涯教育」の理念に立ち戻りビジョンを提示することによって、生涯学習政策へ寄与することができると思われる。こうした取り組みはともすると、施策の縮小・後退ともとられやすいが、行政全般についての役割が見直される中、決して安易な行政改革にしてはならない。むしろ、「社会」の生涯学習化が進む上では、地方教育行政の果たす役割は自ずと精査されなければならないと考える。
特に、社会教育行政には、その原理原則と柔軟な教育形態から見て、行政の他のセクションでは成し得ない固有の役割が見えてくるはずである。それは、学習者が自由に学習できるように支援することであり、変化の激しい社会を生きる力−人間形成の力−を育むことであろう。

【注】
(1) 拙稿「生涯学習政策とその評価に関する基礎的研究」文教大学教育研究所紀要第9号所収、2000
(2) 生涯学習と地域づくり研究会『生涯学習による地域づくり−全国の自治体の動向−』文部省委嘱事業全国区市町村における生涯学習による地域づくり事業の推進方策に関する調査研究報告書、1999
(3) 平沢茂が書評の中で述べている(日本教育経営学会紀要第43号、2001、220pp)
(4) 斎藤哲瑯「国における生涯学習政策の展開〜生涯学習社会の形成を目指した教育改革〜」『生涯学習の施策と環境の総点検』所収、日本生涯教育学会年報第18号、1997
(5)斎藤、前掲
(6)平沢、前掲
(7) 佐藤晴雄『生涯学習と社会教育のゆくえ』 成文堂、1998