文教大学付属教育研究所 紀要第10号(2001年発行)

ポール・ラングランの人生観についての一考察
−家庭教育論へのアプローチ−

梨子 千代美
(文教大学付属教育研究所客員研究員)

要 旨

今まで,生涯教育・学習が,「何故,必要なのか」に関しては,整理されてきたが,「何のための生涯教育・学習なのか」という目的について,整理されたものは現在のところ見あたらない。したがって,基本に立ち戻る意味で,教育の基礎をなしている家庭教育に関する部分に焦点を当て,ポール・ラングランの生涯教育論の全体を貫いていると思われる人生観について考察した。

(1) 家庭教育の危機的状況
我が国の教育をめぐる環境は,いじめ,不登校,校内暴力,学級崩壊,凶悪な青少年犯罪の続発など深刻な問題に直面している。
その要因の一つとして,家庭教育力の低下が考えられている。2000年11月に出された生涯学習審議会答申「家庭の教育力充実のための社会教育行政の体制整備について」は,青少年の問題行動の背景として,家庭の教育力が低下していることを指摘した。また,家庭の教育力充実が,青少年の問題行動等の解決において重要な決めてとなることなども言及している。
さらに,同年12月には,教育改革国民会議が,「教育を変える17の提案」の中で,教育の原点は家庭教育であるとし,特に親の責任の重要性を強調した。
しかし,現実には,児童相談所における児童虐待相談処理件数は急増(1)し,驚くべきことに,実の母親よる虐待が半数を占めている。
いかに,家庭教育が,根底から揺らぎ,崩壊しているかを物語っているものであるといえよう。
現代社会においては,核家族化,少子化,の進行,家庭の中での父親の存在の希薄化,女性の社会進出の高まり,地域社会の連帯感の希薄化,それに伴う地域社会の教育力の低下など,家庭を取り巻く環境が大きく変化している。
その中で,母親は育児に対して不安を抱き,しつけへの自信を喪失するなどの問題を抱えている。

(2) 研究の目的

これらのことから,まさに,家庭における親の子どもへの教育=家庭教育は,ますます,親にとって継続的な学習を必要とするものになっているといっても過言ではないだろう。
わが国の生涯学習については,臨時教育審議会答申「生涯学習体系への移行」の後,「生涯学習」の用語が定着し,学習者が主体となり,学ぶことによって生き甲斐を保証する政策をとってきた。そのため,教養・娯楽型といえるものが主流となっている(2)という,川野辺敏の指摘がある。
一方,学校における教育は,生涯学習の一機関として位置づけられた学校と,家庭や地域社会を含めた社会全体におけるものとして,捉えられるようになり,豊かな人間性の育成を目指す教育に転換されてきた。
そうしたことから,わが国の生涯学習を「教養・娯楽型」と一口にいってしまってよいのか疑問が残る。
しかし,1991年に行われた実態調査(3)や、その後行われた1999年の「生涯学習に関する世論調査」を見ても,学習内容の一番高かった項目は「趣味的なもの」(4)であった。このことを考えると,やはり,川野辺敏の指摘は否定できないものであると思われる。
また,新井郁男は,今から21年も前に「生涯教育論の思想的系譜」という論文の中で,「何のための学習か」(5)という理念が忘れられがちになっていることを言及している。
確かに,今までに,生涯学習が何故必要なのかについては,整理され,様々な実践が行われてきている。しかし,そこでは,人生を豊かする「生きがい」としての「生涯学習」の方が強調されすぎてしまい,人類が共通に取り組むべき問題への学習については忘れがちになっている状況は否めないように思われる。
このように見てくると,生涯教育論の根底にあると考えられる「何のための生涯学習か」という目的について,整理されたものは現在のところ見あたらないといえる。
したがって,基本に立ち戻るため,本研究では、ポール・ラングランの生涯教育論の全体を貫いている,基本的な考え方,つまり人生観を見いだすことを目的とする。
また,人間が生涯にわたって学習し続けていくためには,学習し続けていくことのできる能力を養うための教育が必要となる。家庭ではあらゆる教育の基礎が行われるが,その教育の中には,学習し続けることのできる人間を育成する教育も含まれると考えられる。したがって,家庭について言及している点にも注目したい。

(3) ポール・ラングランの人生観

@ 生きることと教育について
まずポール・ラングランは,生涯教育論の中で,生きることと教育について,どのような人生観をもっていたのかについて考察していく。
生きることと教育との関わりについては,一つの例として,次のようなポール・ラングランの言及をあげることができる。
「つまり現代人は,ある意味で,自律へと追いつめられている。彼は自由を命じられているのだ。これはすこぶる窮屈な,しかし人を高揚させる状況である。この状況は,その代価を払うように定められた人々にしか獲得できない。その代価とは,教育である。決して立ちとどまらず,人間存在のあらゆる力と資源を,また精神や心や想像力のあらゆる力と資源を動員するものであるところの,教育なのだ。」(6)
この言及から読みとれることは,未来はどう変わるかわからないし,将来役に立つ「内容」も変化してしまう。したがって,変化し続ける「内容」に対して,自分で考え,自分で乗り越えていくことのできる能力,あるいは,精神を一生涯の教育によって獲得し続けるということである。
別言すれば,教育は,人間自体に焦点を当て,人間が「人間的であり続けるための方法」(7)となったことを意味するとともに,人間的であり続けるためには,学習し続けることの必要性を示しているものと思われる。
A 家庭教育論について
次に,教育の基礎をなしていると考えられる家庭において,「夫婦」と「親子」について言及している部分に着目してみたい。
a.夫婦について
ポール・ラングランは,以下のようなことを述べている。
「一生を通してかまたは生涯のある部分のあいだでさえ,共に生きるということは,相互の魅惑や愛情だけでは十分に解決することのできない無数の問題を投げかけるものである。不可欠の感情教育はいうに及ばず,相手を知ることを学ぶことが,しかも個人としての,異性を代表するものとしての,特別の社会的一現実としての相手の諸特徴において知ることを学ぶことが必要である。しかも,ただ知るだけでなく,受けいれなければならない・・・うまくいっている夫婦にあっては,二人の伴侶が各々が相手のために,個性のすべての面において,すぐれた教育者の役割を演じていることは注目に値する。・・・この教育の原理は,他のあらゆる教育の原理と同様に,むろん,相互の親切と人間性の表現の多様性に対する興味なのである。」(8)
この言及は,夫と妻が,相互に教育し合うことの必要性を示しており,さらに,現在,推進されている男女共同参画社会においては,相互理解のもとに,お互いの人間性を高めあうことの大切さも示しているとも読み取れるだろう。
また,この夫婦の関係は,子どもの成長発達に,大きな影響を与えるものであると思われる。
この点については,山村賢明が「社会化の最初の機関が家族」(9)であることを言及していることからも明らかである。
b.親子について
ポール・ラングランは次のように述べてる。
「家庭内部でのやりとりは,無理解と誤解で織りなされているものである。伝統的な社会は,ささいなことで混乱するようなことはなかった。儀式や習慣が,十分明らかに,かつ,しっかりととるべき途を指示してくれていた。・・・それに反して今日では,このような踏みなれた道や一般に受けいれられている様式が例外となる傾向にある。憤慨するよりも正面からこの問題にぶつかった方がよい。・・・真の権威と若いものを指導し援助する能力は,この知る努力及び自覚の努力とひきかえに自分のものとなるのである。」(10)
したがって,「親子」においては,親が子どもに教えるだけではなく,親が子どもから学ぶこと,また親自身においても子どもと正面からぶつかり,学習し続けていく努力が必要であることを示していると考えられる。
すなわち,新たな課題に対処していく際には,夫婦や親子において,さらにすべての人間関係において,相互教育,相互学習が重要な役割を担っており,学習し続けていく精神が不可欠であることを意味していると思われる。これは,子どもや青年だけでなく,おとなも変わることができるのであり,ここに生涯教育の可能性とポール・ラングランの人生観を見いだすことができると思われる。

(4) まとめと家庭における今後の課題
ここで,ポール・ラングランの生涯教育論を貫いていると思われる人生観を整理してみたい。人生観については,次の四つをあげることができる。
一つは,人生の真の価値を実現するために,進歩し続けるための「学ぶ」姿勢と努力の精神を常にもっていることである。
二つ目は,身体面,知的な面,情緒の面,倫理面などを兼ね備えた完全な人間になることを目指し,学習をすることによって,よりよい自分自身を探究しつづけていくことである。
三つ目は,新たな課題に直面した際に,人間存在のあらゆる力をつかって,解決を目指した行動を開始するため,前述の精神を原動力としていくことである。
四つ目は,夫婦,親子,それ以外における人間関係において,常により良い関係を築いていくためには,常に,平和の精神,寛容の精神,共生の精神,相互理解の精神が不可欠であることである。
激変する社会においては,生きていくために学び,より良い存在になることが求められる。そのためには,知識の獲得だけでなく,獲得した知識を知恵に変え,創造的に生かしていく力が必要となる。
したがって,「学ぶ」,「成長する」という精神を身につけられるよう,生涯における教育の基礎を成している家庭においては,先にまとめた生涯教育論にみる人生観が,おおいに参考となると考えられる。
なぜなら,家庭教育を行うための外的な条件の整備だけでは,精神を鍛えるための教育や,「心の教育」においては不十分であると思われるからである。また,子どもを育成する側である大人にとっても,心構えや精神的な部分での学習と成長が必要であり,絶えず真正面から取り組む姿勢が求められるだろう。そうでないと,対処療法的になってしまい,根本の問題の解決にはならないと考えられる。したがって,長期的な展望に立った取り組みが求められる。これは時間と大変な困難を伴うものであると思われるが,今後の家庭教育,とりわけ親における重要な使命であるといえる。

(5) 本研究における課題
「何のための生涯学習なのか」について,何故,哲学的な視点で人生観を考察したのかを説明できるための理論が十分にできていないこと,子どもの精神を鍛えるための教育の方策を示していないことなどである。
今後,さらに研究が必要と思われる。

引用文献
(1)厚生省児童家庭局企画課
『平成11年度厚生省報告例年度報(児童福祉関係)について』2000
平成2年に1,101件だった虐待に関する相談処理件数が,平成10年には6,932件,平成11年には11,631件と激増している。
(2)川野辺敏「序章 各国の生涯学習 −その今日的状況の概観−」 『生涯学習・日本と世界下巻世界の生涯学習』エムティ出版,1995,p.4
(3)国立教育研究所内生涯学習研究会『生涯学習の研究(上巻)』エムティ出版,1993,p.72
(4)総理府「生涯学習に関する世論調査」 『教育アンケート調査年鑑2000年版下』 創育社,2000,p.528
(5)新井郁男「生涯教育論の思想的系譜」 『日本生涯教育学会年報』第1号,1980,p.235
(6)ポール・ラングラン著,波多野完治訳 『生涯教育入門』全日本社会教育連合会,1976, p.30
(7)新井郁男『教育学大全集8学習社会論』 第一法規出版,1984,p.11
(8)ポール・ラングラン,前掲書,pp.67-68
(9)山村賢明『家庭と学校』放送大学教育振興会,1993,p.23
(10)ポール・ラングラン,前掲書,p.68

参考文献
(1) Paul Lengrand“An Introduction to Lifelong  Education”,Croom Helm London, the Unesco Press Paris, 1975
(2) ユネスコ教育開発国際委員会, 国立教育研究所内,「フォール報告書検討委員会」訳,『未来の学習(Learning to be)』,第一法規出版,1977,pp.187-188