『教育研究所紀要第8号』文教大学付属教育研究所1999年発行

特集 「新学習指導要領」を考える

「新・学習指導要領〜私の期待すること」

―小学校体育科を中心として―

〆木 一郎 (文教大学教育学部 体育専修)

要  旨

 わが国は、教育改革を図ってから既に半世紀が経過している。戦前の軍国主義の教育から民主的教育への戸惑いは、当時、大学卒業後すぐに小学校の教師になった元教師の教え子たちへ発言から垣間見ることができる。"あの頃はどうしてよいか分からなかった、ごめんなさいネ"と、昭和24年と28年の指導要領で教師のための手引きが示されてはいても、戦前の教育を受けて育った教師としては、思案に暮れる日々であったのである。教師たちは、戦後の混乱のなかで、自らの生活を守るためにも、子どもの民主的態度の育成のためにも懸命な努力を続けたのである。しかし、家庭や社会は果たしてどうであったか、変わっていることとそうでないところの狭間のなかで、その曖昧さが現代の子どもにかかわる多くの問題を引き起こす引き金になったといえないだろうか。戦後の過渡期を迎えて、新たな産業社会への変革や、政治や社会のシステムも変わろうとするなかで、わが国の伝統的な良い面を加味した、日本的民主主義社会の構築に向けての出発は始まったばかりなのである。
わが国は、人口構成も、すでに少子高齢化社会を迎えているが、如何なる状況下においても、子どもの教育と長寿社会のための基本である健康の保持・増進の条件として、適度な運動・スポーツの実践は欠くことができない重要な課題である。今回の学習指導要領の改訂によって、心と体のための学校体育が、生涯スポーツへの基礎・基本を身に付けるための発進地として、今まで以上に期待されるのである。ここでは、児童期の体育・スポーツ活動の重要性について、学校体育を中心として、児童を取り巻く周辺について述べたい。

体育の一貫指導

学校体育指導が、小学校の低学年から中学年・高学年へさらに中学校から高等学校へと、
縦断的に捉えての一貫した体育指導が機能してきたか否かについては十分に反省しなければならない。一貫指導は、今回の指導要領の改訂の基本方針になっているが、具体的にどのように発展させていくかは、まず、学校種別にそれぞれに立場での役割を果たすことが重要である。さらに、学校種間と教師間の連携プレイが必要である。保健体育審議会答申(平成9年9月)「学校体育」において、各学校段階ごとに漸進的・重点的に実現を目指す課題の目安として、次のように示している。「体力の向上について」は、?小学校…主として巧みに動ける体つくり、?中学校…主として動きを持続することができる体つくり、
高等学校…主として力強さとスピードのある動きのできる体つくり。「運動に親しむ態度について」は、?〜小学校中学年…運動が好きになる、?小学校高学年〜中学校1年生…運動の楽しさや喜びを味わえる、?中学校2年生〜高等学校3年生…運動が得意になる。
以上のように、発達段階に応じて提示しているが、この内容の取り扱いについては、児童生徒の実態などに応じて行なうことは言うまでもないとしている。各学校段階において、責任を果たしていくための一層の努力と期待が懸かっていて、そのことが一貫体育としての意味合いを深めることになるのである。このような状況の中で学んだ子どもたちが、その後どのようなスポーツを選択していくかは本人の意志に任されるが、各人が賢い選択ができるようにするための学校体育でなければならない。特に、高度化する小学校高学年の体育指導について、保健体育審議会答申は、体育専任教員の充実についての検討が必要であると提言している。近年の子どもの体格や体力、運動能力や運動への興味・関心の状況と体育の学習内容から勘案して、教科体育としてよりも保健体育としての対応が望まれる。

 「生きる力」を育む「ゆとり」

中央教育審議会の第一次答申は、21世紀を展望した我が国の教育について「ゆとり」の中で「生きる力」を育むことを重視することを提言している。「ゆとり」には、完全学校週5日制の導入を提言し、「生きる力」には「いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、自主的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」、「自ら律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性」、そして、「たくましく生きるための健康や体力」を重要な要素として挙げ、そのねらいの実現には、教育内容の厳選が必要であるとしている。すなわち、「ゆとり」のなかで、厳選された指導内容は「余裕」を持って取り扱われ、個に応じて課題を解決しながら「基礎・基本」を定着させていくことができる。それは、小・中・高等学校へと一貫した体育学習を推し進めることになり、精神的にも安定した体育・スポーツへの自主的な参加が期待できるのである。いわゆる、生涯にわたって健康生活を営むための要となり、各人に応じた「適度な運動」の実践ための手立てを身につけることになるのである。

 総則の3・体育

学習指導要領・総則第1の3では「学校における体育・健康に関する指導は、学校の教育活動全体を通じて適切に行なうものとする。特に、体力の向上及び心身の健康の保持増進に関する指導については、体育科の時間はもとより、特別活動などにおいてもそれぞれの特質に応じて適切に行うよう努めることとする。また、それらの指導を通して、家庭や地域社会との連携を図りながら、日常生活において適切な体育・健康に関する活動の実践を促し、生涯を通じて健康・安全で活力ある生活を送るための基礎が培われるよう配慮しなければならない」と示されている。改善された点は、「体育」と「健康」とが並列したことである。「体育に関する指導」では、とかく、身体的活動が中心で、健康に関する指導はその周辺ものとして捉えられる傾向にあったことは否めない。今回は、体育と健康は並列的にして、密接に関連し合った指導が期待される。当然のこととして、「体力の向上及び健康の保持増進」が、「体力の向上」と「心身の健康」という表現に変わり、心と体の一体としての健康が打ち出されている。それらの指導についても、前回は「体育科の時間や、特別活動において十分に指導すること 」と、やや、曖昧な表現から、「それぞれの特質に応じて適切に行う」として、より具体的な表現になっている。さらに、「それらの指導を通して、日常生活における適切な体育的活動の実践が促されるとともに」であったのが、「家庭や地域社会との連携を図りながら」と、学校では当然のことながら、家庭・地域社会の三者が連携して子どもの体育・健康に関する活動の実践を促すとしている。現在、地域社会における子どもたちのスポーツ活動の場は、地方公共団体主催の公共的なものや民間主体によるものなど、野外活動を含めて多くのスポーツ活動が開催されているが、さらに、積極的に活動することを期待しているのである。参加する子どもたちは、通学区域を越え、異年令集団となっての活動であるため、多くの教育的効果が期待できるのである。また、クラブ組織であれば、長期間にわたって一貫した活動ができる特徴がある。指導者については、現在、各種のスポーツ指導者養成が盛んであることから、今後は資格をもった指導者の増加が期待できるのである。

 体育科の目標

改訂された体育科の目標は「心と体を一体としてとらえ、適切な運動の経験と健康・安全についての理解を通して、運動に親しむ資質や能力を育てるとともに、健康の保持増進と体力の向上を図り、楽しく明るい生活を営む態度を育てる」である。目標としての構造はこれまでと変わっていないが、改善された点は、本来、心と体は一体であるものが、児童生徒の今日的な様子からして、敢えて、「心と体を一体としてとらえ」とし、児童の体を総合的にとらえての指導が重要であることを明示している。また、「運動に親しむ習慣」を「運動に親しむ資質や能力」とし、児童生徒の単なる運動習慣の獲得だけではなく、運動の特性を味わいながら継続していくなかで、力強く生きていくことの基本的なこととして捉え、運動習慣が、生涯を通じて生活の一部として位置付けられることをねらいとしているのである。

学校と地域社会の連携

中央教育審議会は、平成10年に「幼児期からの心の教育の在り方について」の中間報告の中で「地域で子どもを育てよう」、「異年齢集団の中で子どもたちに豊かで多彩な体験の機会を与えよう」と報告している。具体的には、@長期の自然体験活動の振興しよう。具体的には、長期の自然体験プログラムの提供、集団生活を営む長期自然体験村の設置、さらに、山村留学や国内ホームステイの取り組みを広げよう。Aボランティア・スポーツ・文化活動・青少年活動等を活発に展開しよう。具体的には、社会貢献の心をはぐくむボランティア活動の推進、スポーツ・文化活動や青少年団体の活動の積極的な展開、そして、学校は、学校外活動に関する情報提供を行ない、参加を奨励するとし、さらに、自由に冒険できる遊び場をつくろうと提唱している。学校は地域の重要な存在として、学校体育の充実は当然のことながら、学校外での児童・生徒の活動と学校体育とが有機的に機能するように、学校は、地域のスポーツ活動とその組織運営の状況には積極的に目を向け、理解していくことが必要である。平成9年度本学体育専修生の釈迦院君の調査した「児童のキャンプ体験が及ぼす日常生活への効果」の 卒業論文のなかで、キャンプ体験から帰った子どもたちの大部分は、積極的に家庭でのお手伝いをするようになったと報告している。子ども時代の実体験は、子どもの心に素直に定着し、生涯の生きる力となるものである。したがって、学校と地域社会の連携を積極的に推し進めて、スポーツ等の活動を活発に展開していくことが、時間は要しても、児童生徒一人一人の生涯わたる心身の健康保持増進の実現につながるものといえる。

次期ライフステージへの備え

自転車乗り(二輪車)は、自転車が貴重な時代であったとき、多くの子どもたちは、大人用の自転車で練習していた。大人用であるから、やっと届く足でペダルを回すため、サドルの上で、子どもの小さなお尻が激しく左右上下に踊る。また、女性用の自転車は、かなり後になって普及してきたように思われるが、サドルの前で、子どもは体を立てて反るようにして乗る。男性用の自転車では、上から跨いで乗ることができないために、三角の窓から片足を反対側に出して、自転車をやや斜めに倒して、半身に構えた状態でペダルを踏んで乗る子どもなど、大きな自転車を操作するためには、子どもなりの工夫があったのである。子どもの身体的機能の発達からすると、すでに自転車を操作する条件は備わっていても、大人用の自転車であるがために、何よりも先ず、自転車を倒しても立ち上げられる体力が必要とされたのである。最近の自転車は、身長に合わせて、また、用途別に自由に選択できる程に多種多様に用意されている。子供用の自転車は補助車付きで、いつ補助車を取って乗ることができるかに興味・関心が注がれるのである。自転車に乗れるようになると、乗ること自体に興味を見いだしたり 、自転車を手段として行動範囲を広げいくことになる。そこで体験する様々な遊びは、いつの間にか心に深く刻み込まれ、身に付けた巧みな動きは、生涯にわたって生きる支えとなるのである。最近、一輪車に乗って遊ぶ子を見かけることが多い。一昔前は、一輪車乗りは曲芸としてサーカスでしか見ることができなかったが、小学校中学年、特に9歳あたりの子どもが遊びの延長上で簡単に克服してしまうことを考えると、今の子どもたちを侮ることはできない。問題は、運動に親しむ子とそうでない子との二極化が進んでいることである。このことは、今までの体育・スポーツの在り方に工夫と改善が必要であることを示唆していることになる。全ての子どもたちに体育を学ぶ機会は与えられているが、果たして、個を大切にした個に応じての体育であるかどうかである。あるいは、学校体育だけには限界があるのか、または、学校外でのスポーツ活動のレベルが高いのか。いずれにしても、学校での体育活動が一人一人の基礎、基本を身につけるための活動であることを再確認しなければならない。人の一生は幼児期から児童期へ、そして青年期から壮年期へと、各ライフステージを経ていくが、新たなステ ージを迎えてから何をなすべきかよりも、次期ステージのためにどんなことをしておいたらよいか、また、何ができるかが重要である。特に、乳幼児期から児童期にかける運動とのかかわりは、その後の各ライフステージにおけるスポーツ活動や日常的な生活行動の基礎・基本として深く影響を及ぼすことになる。今回の学習指導要領「体育編」の改訂は、大方、前回の内容を尊重したかたちになっているが、厳選された学習内容の取り上げ方はより弾力化し、課題の定着のために「ゆとり」を持って指導できるように配慮されている。

保健領域の改訂

前回の小学校体育科「保健領域」の指導内容は、「体の発育と心の発達」、「けがの防止」、「病気の予防」、そして「健康な生活」で構成され、第5、6学年に分けて、指導することになっているが、改訂では第3、4学年からの指導になっている。今回の改訂は、保健体育審議会答申の根拠となったオタワ憲章(1986年:WHO)において提唱された、ヘルスプロモーションの考え方を生かした健康教育を主眼としている。すなわち、『ヘルスプロモーションとは、人びとが自ら健康をコントロールし、改善することができるようにするプロセスである。身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態に到達するために、個人や集団が望みを確認・実現し、ニーズを満たし、環境を改善し、環境に対処することができなければならない。それゆえ健康は、生きる目的ではなく、毎日の生活の資源である。健康は身体的能力であると同時に、社会的、個人的資源であることを強調する積極的な概念なのである。ヘルスプロモーションは、保健部門だけの責任にとどまらず、健康なライフスタイルをこえて、幸福にもかかわる』という考え方である。最近の、児童生徒の発育・発達の早期化や、容赦なく入り込む 情報による生活習慣の乱れなど、新たな課題となっている心身の健康に関する内容への対応として、早期からの保健学習が必要であるとする提言によって改訂されている。学習内容は、第3,4学年が「毎日の生活と健康」及び「育ちゆく体とわたし」である。特に、「育ちゆく体とわたし」では、多くの児童がこれから思春期を迎えようとする時期に合わせて、心身の変化に適切に対処できるようにすること、特に、性に関する指導は、従来に比べて早期から取り扱うことになり、自他の心身を大切にすることや、異性への理解と思いやりを身につけるという心の教育をもねらいとしている。また、第5,6学年は「けがの防止」、「心の健康」及び「病気の予防」であるが、「心の健康」が独立した単元として、児童心身の発育・発達に気付かせ、不安や悩みに対処する力を養い、人とのかかわり方にも重点をおいている。また、「病気の予防」では、食生活をはじめとする喫煙や飲酒等の生活習慣が疾病の発症に深く関係していることが明らかになったことから、生活習慣病の一次予防として重視される。また、若者が遊び感覚で手を染めてしまう薬物乱用防止についても、早期から正しい認識をもたせるこ とをねらいとしている。保健の学習は、健康の大切さを認識し、健康なライフスタイルを確立する観点にたって、現在、高学年からの指導であったものが、中学年から指導するようになり、心の教育を加味して、重視されていることに注目しなければならない。

 まとめ

体育科の授業改善のひとつに、「学び方」の学習がある。子どもたちによって、学習の進め方を考え、決定していくこと。また、子どもたちが課題を見つけ、考え、工夫して、よりよく課題を解決していくことをねらいとし、必要に応じて教師の指導や助言が要求される。「学び方」の学習を大切にするためには、子どもたちによる「自主的・自発的」学習を意識させ、「基礎・基本」の定着にこだわりながら、原理・原則や自然法則を大切にした学習指導が要求される。さらに、「運動の楽しさや喜び」については、子どもたち自身が、運動の前・最中・後の体や心の変化や運動技能に関心を向けること。そして、他者や集団との関わりにも注意を向けて、学習を工夫して進めていくことに配慮することになる。ゆとりの中で、何が大切なことなのかを常に問い掛けながら、子どもたち一人一人の生き方に配慮した学校体育にしなければならない。

参考資料

加賀谷、麓編:
小学校教育のための体育学概論、1989
文部省:小学校指導書「体育編」、1993
保健体育審議会答申:1997,9,22
教育過程審議会答申:1998,7,29
文部省体育局監修:スポーツと健康、 1997,Vol.29,No11 1998,Vol.30,No11  1999,Vol.31,No3 1997,Vol.31,No5
杉山重利他:小学校新学習指導要領Q&A、1999,7,2
文部省:小学校指導書「体育編」、1999


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