『教育研究所紀要第8号』文教大学付属教育研究所1999年発行

特集 「新学習指導要領」を考える

新学習指導要領−私はこう見る

算数・数学

白石 和夫 (文教大学教育学部 数学専修)

要  旨

今回、改定された学習指導要領の算数・数学科について述べる。指導内容に関する規定では、上限の規定が多く設けられ、丸暗記による学習が有効となるように設計されている。したがって新しい学習指導要領では、本来、目標とする「計算の仕方を考える」などの活動が活性化されることはなく、むしろ、丸暗記による学習が助長されるであろう。
内容が厳選された結果、順を追って計算力をつけていくことを狙いとしたカリキュラムになっている。数学を学ぶ意義を理解されるような構成になっていないから、数学離れを加速することが懸念される。

1.目標と内容の乖離

今回改定された学習指導要領では、算数科の目標に「算数的活動を通して」、「活動の楽しさ」、という言葉が追加されている。また、中学校でも「数学的活動の楽しさ」が追加され、高等学校では、「数学的活動を通して創造性の基礎を培う」という言葉が追加されている。これらは、従来も強調されてきたことであるが、実態はそれとかけ離れたものであったのだから、それらをさらに強調して指導していこうとする意志を示したものだと考えられる。
しかし、格調の高い目標を掲げる一方で、指導内容は、目標とかけ離れた方向を示している。これは、高校の学習指導要領では以前から顕著な特性であったのであるが、今回の改定では、小、中、高を一貫する特性と呼べるものにまでなってしまった。むしろ、教科の目標で新たに強調されたことがらは、内容の改定に伴って損なわれる可能性の高くなった部分だといってもよい。

2.内容の規定の重要性

中学校を卒業したばかりの高校新入生に数表を作成して2次関数のグラフを描く課題を与えると、xが正の範囲のみを計算し、残りは原点を通り、さらにy軸について対称となるようにしてグラフをかくことが珍しくない。中学校では、y=ax2のかたちの2次関数(学習指導要領では2乗に比例する関数という)しか扱わないから、2次関数のグラフは「原点を通る」、「y軸について対称である」ことを強調し、グラフをかくとき常に意識させる指導は、点数を確実に取らせるために有効な教授法であるに違いない。しかし、一般の2次関数のグラフを描く際にも、何も考えることなくそれを適用してしまう生徒を生み出すような指導法は、やはり、問題ありといわざるを得ない。
上に述べたことは、おそらく教師の意図的な指導の結果であるが、内容を狭い範囲に限定し、その範囲でのドリルを徹底する教育は、意図するとしないとにかかわらず、生徒の認知構造に影響を与えてしまうことがある。たとえば、数学の試験にはきれいな答えが出るような問題しか出題されないのが通例であるが、その経験を通して生徒は本来の意図とは異なること(この場合は、数学の問題はきれいな答えがでるということ)を学習してしまう。

3.小学校算数の学習指導要領

今回の改定で目立つことは、内容の程度の上限を縛る規定が多くなったことである。これは、高等学校の数学科の学習指導要領では従来からその傾向があり、先に述べた理由から数学教育関係者からは撤廃が求められてきたのであるが、今回はそれとは逆に、小学校算数にまで拡大されることとなった。
たとえば、5年の小数の乗除の計算では、1/10の位までの小数を扱うことになっている。小数の乗除の考え方を考えさせるのには1/10の位までの小数を扱えば十分であるのかもしれないけれども、その範囲に限定されるのであれば、やり方を考えさせるようなことはしないで、機械的にやり方を覚えさせる指導法のほうがよりよい点数がとれそうである。塾などでやり方だけ勉強してきた子供たちに、考えることの意義を指導するのにはどうしたらよいのだろうか。機械的にやり方を覚えればいい点数がとれるような問題しか出題できないのに、である。
6年の分数では、帯分数から真分数を引いて結果が真分数になるような減算だけ扱うことになった。帯分数から真分数を引く計算でも、結果が帯分数になるものは許されない。この学習指導要領で学んだ児童が、結果が帯分数になるような問題に出会ったら、どこか間違えたと考えて、答えが真分数になるように計算式を作り直すに違いない。

4.中学校数学科の学習指導要領

中学校数学科では、図形領域が大幅に後退している。また、統計に関する内容はすべて削除された。これらは、小学校から送られてきた内容が多いことと、時間数が大幅に削減されていることとを考えれば,やむを得ないことだともいえる。また、2次方程式では、解の公式が削除されている。解の公式は単に暗記するだけの指導になりやすいことを考えると、むしろ、好ましい決定といえる。解の公式がなくても2次方程式は解けるのだから。
問題は、代数と関数に関する領域にある。扱う方程式の範囲は2次方程式までであるし、扱う関数の範囲は2乗に比例する関数までで、従来と比べてさほど大きな変化はない。しかし、代数的な扱いに習熟してから関数を扱うという従来の流れがそのまま残されている。今日では、コンピュータやグラフ電卓を利用すれば扱う関数の範囲を拡大するのはなんでもないのに、扱う関数の範囲を限定し、数学を現実世界の問題と隔離することをねらっているかのようである。たとえば、世の中には、指数関数的に増大する現象も多いのであるが、指数的な見方は、依然として中学校の範囲外である。

5.高等学校数学科の学習指導要領

高等学校数学科では、あまり大きな変化がない。数学基礎という新科目が加わったものの、本質的には、数学T、U、V、A、B、Cという6科目体制は変わっていない。数学T、U、Vは、もし学習するのであれば、この順序に学習することを前提とする科目である。一方、数学A、B、Cはオプション科目として位置付けられる。今回の改定から数学Aは数学Cの前提となる科目となったが、数学Aはそれ以外の科目の前提ではない。数学B、数学Cは他の科目の前提ではない。
従来、数学Aの内容であった式の計算や等式、不等式の証明、因数定理などの内容は、数学T、Uに移された。しかし、集合と論理は数学Aに残されたままである。つまり、式の計算などの代数的な内容は数学の基礎として重要なものと認知されたのであるが、集合と論理に関する諸概念、必要条件、十分条件、対偶、背理法などは数学T、U、V、Bを学習する場合には不要であると判断されたといえる。また、従来、数学Vの内容とされてきた弧度法は数学Uの内容となり、また、従来、数学Bの内容であった複素数は数学Uの内容となった。これらの事実から、高校数学の主役は計算技能の習熟だという新しい高等学校数学科カリキュラムを設計した人の本心が見えてくる。
数学T、U、Vという流れは、完全に数学Vの微積分へとつながる道である。数学Vの学習に必要なものだけが数学T、Uに配置され、ベクトルや行列のような線形数学、場合の数や確率・統計、数列、集合・論理、コンピュータのような離散数学はオプション科目である数学A、B、Cに追いやられてしまった。今回の改定のキーワードとして語られた"厳選"は、高等学校数学科についていえば、伝統的な数学の内容である微積分につながる内容を優先し、それ以外を切り落とすことを意味するものだったわけである。

6.電卓・コンピュータの出る幕がない

学習指導要領では、電卓・コンピュータなどの教育機器の活用がうたわれている。これは現行指導要領でも、新学習指導要領でも同様である。しかし、現実には使う場所がない。改定された教育課程でも、まず、代数的な処理の技能を学び、その後で関数を学ぶ構造になっている。これでは、電卓もコンピュータも出る幕がない。

7.学ぶ意義を感じさせないカリキュラム

今回の改定で、数学を学ぶ意義のわかるものとなったであろうか。数学Vまでを何の疑問も持たずに学習しつづけ、理工系の大学に進んだ学生には、その意義は理解されるであろう。しかし、それ以外の生徒に学習する意義が理解されるであろうか。
その代表例が、数学Uで扱うことになった複素数である。おそらく、数学Uでは複素数の計算だけ、つまり、2次方程式や3次方程式が複素数の解を持つことを扱うだけであろう。方程式の解を扱うとき、虚数解が何を意味するかという点については、おそらく、何も語られることはないであろう(それが可能なような構成になっているとは思えないし、実際、それを実行したとして理解できる生徒は少数だろう)。生徒からみたら、機械的に計算するだけの対象としてしかみなせないようなものを扱うことになる。もうひとつの例を挙げると、数学Tで扱うことになった球の体積、表面積がある。数学Tで、公式を暗記させる以外の指導法は存在するのであろうか。このような内容を扱うということは、高等学校数学科のカリキュラムを設計した人が、カリキュラムの厳選を、計算力の維持向上に振り向けたということの証といってよい。

8.「生きる力」とは何であったのか?

今回の改定で"厳選"されて残された内容は、計算力の維持をねらいとする内容が多い。それを肉付けしていくのは現場の判断と文部省の役人はいうに違いないけれども、指導要領の縛りがきつく、独自に追加できる内容はほとんど存在しない。結局、実際の授業は、指導要領の枠内でのドリルに終始することになるであろう。今回の改定のキーワードは「生きる力」であったのであるが、漠然とした用語で何を意味するのか不明であった。しかし、ここにきてその意味がようやく分かった。算数・数学についていえば、「生きる力」とは計算力のことだったのである。

9.まとめ

コンピュータの急速な発達に伴い、数学教育はその役割を大きく変えなければならなくなってきている。アルゴリズムの実行はコンピュータにまかせ、問題解決のためのアルゴリズムを見出すことが人間の仕事となる。このような時代には、数学の学び方も大きく変化しなければならない。それは、数学的な構造を見出す能力,概念を作る力、抽象化の能力といったものである。「数理的な処理のよさがわかる」だけでは使いものにならない時代がもうすぐそこまでやってきているのである。しかし、新学習指導要領には、そのことへの対応は見られない。単に、内容を減らせば、覚えることが減って創造性が生まれてくると勘違いしているようである。今回の改定のように内容を薄めただけでは、丸暗記による学習を助長するだけである。
平成21年ころに予想される次期改定でこのような過ちを、再度、繰り返すことがないようにしたいものである。なお、すでに参考文献に示すように次期改定に向けての動きがでていることを付記しておく。

参考文献

1.日本の算数・数学教育1998 算数・数学カリキュラムの改革へ,日本数学教育学会編,産業図書,1999
2.時代は動く! どうする算数・数学教育,汐見稔幸 他,国土社,1999
3.分数ができない大学生,岡部恒治 他,東洋経済新報社,1999


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