『教育研究所紀要第8号』文教大学付属教育研究所1999年発行

特集 「新学習指導要領」を考える

新学習指導要領[音楽科]について

田村 徹 (文教大学教育学部 音楽専攻)

要  旨

生きる力を育むことを旗印に新学習指導要領が施行される。目玉は、「総合的な学習の時間」の設定である。
このことを軸に音楽教科のありかたを考える。
戦後の音楽教育は、占領政策の下に学校教育法が定められ、科目も「音楽」と改められ、音楽の価値をヨーロッパに求める権威主義と、音楽の価値をお金に求める商業主義とのはざまで揺れ動いてきたが、第三の道とも言うべき「学校音楽」と言う権威主義的音楽教育を生み出した。
この音楽は、学校で教える、器楽指導のリコーダーや、歌唱における共通教材曲が家庭で社会で楽しむ風景(音楽の生活化)にでくわすことは極めてまれである、という奇妙な現象を生み出した。
このことはまた「学校音楽」校門を出ず。という言葉で語られてもいる。
これは「この楽器が演奏できなければダメだ」「この歌が歌えなければダメだ」「この音楽が理解できなければダメだ」「そこのリズムがとれなければダメだ」といった知的理解(技能中心)に力を入れた教師中心主義的な授業の傾向に原因の一つがあった。
見方をかえると「音楽とは何か」「リズムとは何か」という根本を理解し考ええる教育よりも指導要領の権威と受け取り、そこに示されたものをどう教えるかといった「教えのための方法論」のみが先行し、新指導要領でいうところの「ゆとり」を欠いた教育でほとんど金縛りにでもあったような硬直化した音楽教育がなされていたともいえよう。
このことに気づいて学習指導を通して児童一人一人の長所や可能性を発見し、それらを大切に豊かな自己表現ができるように、音楽科において「自ら学ぶ意欲」「思考力、工夫、表現力を身につける」「音楽を楽しく聴きそのよさを味わう」等、資質、能力の育成を基本に新しい学力観の推進による音楽教育に改定されたのが「新学習指導要領」であろう。そこには音楽教科だけでことの解決をはかるのではなく、総合的学習や生活科との関わりで音楽教科を考えるというゆとりと、はばがあるようだ。このことを検証してみる。

小学校音楽科

現行の学習指導要領と対照しながら新学習指導要領を見る。学年を通した総目標には、現行の「表現及び鑑賞の活動」が「音楽活動の基礎的な能力を培う」となっていて、活動の範囲が広範な音楽をさすように変わっている。
1、2学年の目標には「楽しい音楽」となっていて現行にない「楽しい」という言葉が使用されている。これを前提に考えると共通教材が現行と同じというのでいいのだろうか、という疑問が生じる。遊戯や踊りといったからだ全体で表現できる音楽や、リズムや身体表現による音楽活動等、地域で行なわれる祭りの音楽を体験させる体験学習(生活科)横断的学習、総合的学習を身に付けるようなこともあってほしい。
3、4学年の目標には「進んで音楽にかかわり」とあり現行にない「進んで」と言う言葉が使用されていて音楽へ積極的に関わることをうながしている。また、「旋律に重点を置いた活動」とあり音楽の諸要素のうち、旋律の学習に力点が置かれている。
さらに細かくみてみよう。A 表現 では「頭声的発声」という不可解な発声がやっとなくなり、今まで子供達を苦しめた「頭声発声」から豊かな響きをもった自然で無理のない発声へ変わっている。
また細かな楽典的指示をとり、音の組み合わせを工夫し、簡単なリズムや旋律をつくって表現すること。などと大まかな指示に変え、教師が学校や児童の実体を考慮し、教材研究や指導内容の創意工夫をし指導することになっている。共通歌唱教材は現行と変わらずであるが「ふじ山」は、感受性豊かな子供の時代に、古くさい旋律で国威発揚的ないつか昔を思わせるような教材で、子供時代に狭隘な富士山のイメージを植えつける恐れがある。
B 鑑賞では、現行の共通教材にこだわらず、児童にとって親しみやすいものを取扱い学校や児童の実態を考慮することが大切である。この点教師の教材研究と創意工夫のある指導性が必要である。
「副次的な旋律」という気になる用語があるのでそのことについて記す。
音楽を作曲する立場で考えると、できあがった曲に副次的な旋律、二次的な旋律というのはなく、曲を構成するすべての要素が等しい価値を持つものである。
ただし作曲技法の見地から考ええると、主旋律、副旋律(対旋律)という概念はあるので、副次的な旋律は、副旋律という用語かまたは対旋律という用語でいいのではないかと考える。
5、6年の目標には、現行になかった1、「創造的に音楽にかかわり」3、「様々な音楽に親しむようにする」という文言があるが1、「創造的」とはどのようなものを指すのか現行の指導要領と比べてみても抽象的で分かりにくいが、指導内容を簡略化した分、教師も子供も創意工夫しなさいと言うことを指しているように考えられる。3、「様々な音楽に親しむ」と言うことは鑑賞教材だけに限定されているようにも見受けられるが、表現教材にも少しの配慮があってもよいのではないか、例えば、現行の共通教材に新しい教材を加えることも考えられる。さらに細かくみてみよう。A 表現では現行指導要領表現の内容の項目で視唱や視奏で調号について理解させるようになっているが新指導要領では、ハ長調イ短調の旋律を視唱したり視奏したりすることとなっていて簡略化されている。このことは、3学年の共通教材「茶つみ」はト長調であるが調号の持つ意味と固定ド唱法と移動ド唱法の関係などはどのように理解させるか不安ものこる。
また第3 指導計画の作成と各学年にわたる内容の取扱い2の1項では、移動ド唱法を原則とする。とあるが移動ド唱法と固定ド唱法についてもっと掘り下げる必要があるのではないかと考える。

中学校音楽科

学年を通した総目標には、現行には無い「音楽活動の基礎的な能力」と言う文言が加わり、基礎的というところに力点を感じる。そのせいか全学年をとおしこまごまとした音楽指導法が簡略化され、現行の歌唱教材、鑑賞教材で示された楽曲がすべてはぶかれ、生徒に対しては「ゆとり」教師に対しては「創意工夫」が与えられている。
第1学年の目標では現行には無い「楽しさを体験することを通して、音や音楽への興味、関心を養い」と言う文言があり「楽しさ」と音楽以前の「音」が興味を引く。
また内容のA表現では、現行に無いものとして(カ)「様々な音素材」による即興(キ)音色、リズム、旋律、和声を含む音と音とのかかわり合い、形式などの働きを感じ取って表現や創作を工夫することとなっている。この二つについて考える。
様々な音素材とは既存の楽器や非楽器などを用いることであると考えるがこのようなものを用いた即興が、表現したいイメージや曲想につながるかどうかなかなかに想像しにくい。
また「音色、リズム、旋律、和声を含む音と音とのかかわり合い」とあるがこれは現行を簡略化した表現になっている。このことを理解させるには簡略化したつもりでも現行の具体的に述べられたものよりはるかに難しいように思われる。
B鑑賞では「音楽の多様性を感じ取って聴くこと」「音楽をその背景となる文化、歴史などとかかわらせて聴くこと」とあり現行よりは音楽の広がりと掘り下げが要求されることになっていて、そのことは教師の創意工夫にまかされている。
第2、3学年についての細かい記述ははぶくが、1学年同様簡略化と創意工夫が「ゆとり」にはなりえないようだ。
最後に気になることとして第3 指導計画の作成と内容の扱い2の4項「世界の諸民族の楽器を適宜用いること。また、和楽器については、3学年間を通じて1種類以上の楽器を用いること。とあるが和楽器の使用を現行にない「3学年間を通じ」、として強調されているが、これはなかなかに難しいことである。

総合的な学習と音楽科

私はかねがね音楽科で「音楽劇」が学校教育の中で取り上げられないことに疑問を感じていた。「音楽劇」とは、オペラやミュージカル、バレー、歌舞伎や能、京劇、などがイメージされるが、これらは全て、音楽教科の領分をこえ、国語、社会、美術、体育などの領分、地域や環境といった問題等とも深く関わるので無理からぬことと諦めていた。
ところが「総合的な学習」が導入されたことにより「音楽劇」が学校教育にいかされるのではないかと考えている。
例えば、民話を題材にした音楽劇を作るとする。それには先ず、地域の民話や芸能を学習する。次に台本を作る。音楽を付ける。音楽の練習をする。踊りの振りを付ける。踊りの練習をする。道具、小道具、照明等を考えながら総合的な演出をする。観客あつめの宣伝する。観客に見てもらう。
また環境問題を取り上げる為に、清流に住む魚が海へ憧れ冒険の旅に出る。川の汚染が下流に行くにしたがってひどくなる。といった音楽劇を構想する。等々「総合的な学習」の導入により、狭い音楽教科の枠にとらわれずに、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、創造的に取り組むことが出来るのではないかと考える。


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