『教育研究所紀要第9号』文教大学付属教育研究所2000年発行

特集 変革期の大学教育はどうあるべきか;

大学審議会答申『21世紀の大学像と今後の改革方策について −競争的環境の中で個性が輝く大学−』(1998年10月26日)を読んで」

大学審議会答申を読んで

石 田 恒 好

(文教大学教育学部長) 

要  旨

与えられたテーマの意図については、本誌のどこかで示されるであろうが、答申は、財政面で心配のない国立大学の在り方論が中心で、私立大学の切実な状況とは、やや乖離している感がある。しかし、参考になる内容もあるので、参考にしながら、私立大学、文教大学の状況に沿って、大学の役割、大学を取り巻く状況、学部での改革、大学としての改革などについて、考えてみた。

1.大学の役割
現在、大学は、改革が必要な状況にあり、この10年の間に多くの大学で改革が進められ、さらに改革が進行中である大学も多い。大学で改革を進めるにあたっては、まず大学の役割を確認することから始める必要がある。大学をはじめとする高等教育の役割は、およそ次の通りであろ
(1) 伝統的役割である学術研究の創造と発展への貢献
このことについては、大学の役割は研究と教育であるが、少子化による18歳人口の減少で進学が容易になってくる。近い将来、進学を希望する者すべてが進学できる、いわゆる全入時代になる。大学生の学力低下は想像に難くない。したがって、大学は、伝統的な学術研究重視から、いかに教育を行うか、教育活動重視へ転換を迫られることになろう。もちろん、学術研究を軽視してよいということではない。従来、とかく軽視しがちであった教育活動への責任意識をもっと高め、教育活動の改善に努める必要があるということである。
(2) 社会の各分野で必要とされる高度の専門的人材の育成
学生が、入学してくるのは、卒業後に進みたい進路で必要とされる能力、資格等の修得を目指してがほとんどである。大学の役割の一つが、社会の各分野で必要とされる高度の専門的人材の育成といわれる所以である。しかし、すでに述べたように、これからは、学生の学力低下は避けられない情況にある。また、大学が、各分野での最新の知見を学生に伝える努力をしたとしても、領域によっては日進月歩で、新しい知見であったものが、早めに古くなり、せっかく修得したものが、進路先で使えなくなることもありうる。これらの状況から、学部では、幅広い教養、専門の基礎、基本等を重視し、進路先で柔軟に対応できる素地の育成を目指し、高度の専門、専門職業人の育成は、大学院の役割と考える必要がある。
なお、これらかの社会は、少子高齢化社会と予測されており、生産年齢人口が大幅に減少していくことにともない、産業間移動による労働力調整の必要性が増大していくほか、従来の終身雇用の形態が大きく変化し、企業内教育の外部委託化や企業間の労働力の流動化が進行していくことになる。また、各領域での日進月歩は、すでに従事している人たちにも、たえず新しい知見、技能を修得する必要が生じる。したがって、大学は、すでに職業に従事している人たちが、別の領域での高度な専門的な知見、技能を学習する場であるとともに、従事している領域でのより新しい専門的な知見、技能を学習する場であることが求められる。社会人入学にも道を開くことが求められるということであ
(3) 優れた社会人の育成
これからの社会は、物質的な豊かさのみならず、精神的な豊かさが実感できる社会、国民一人一人の個性が尊重され多様な価値観の下に自己実現を図ることのできる社会、女性と男性が社会のあらゆる分野に対等な立場で参画する男女共同参画社会、年齢差などを越えお互いに支え合うことのできる共生社会等でありたいといわれている。このように、真に豊かな社会の実現に貢献できる社会人の育成が、大学に求められているということである。
すでに述べたように、学部は、専門の基礎、基本等を修得する場であるとともに、自ら主体的に学び、考え、柔軟かつ総合的に判断できる能力等の育成のために、幅広く深い教養、高い倫理観、人生観、職業観、実践的な語学能力、情報活用能力の育成等の場であることを心がけたいものである。具体的には、教育内容に、「奉仕活動」「福祉」「情報処理」「外国語の会話」等を、専門の領域に関係なく、すべての学生に学習する機会を設けたいということである。
なお、これらの役割の果し方によって、大学は、@総合的な教養教育の提供を重視する大学、A専門的な職業能力の育成に力点を置く大学、B地域社会への生涯学習機会の提供に力を注ぐ大学、C最先端の研究を志向する大学、D大学院中心の大学などに、分類される。大学、学部の改革にあたっては、どれを目指すか、その方向、性格づけを明確にすることも必要である。

2.大学を取り巻く状況
期待されている役割を確認し、それを果たせるように改革を進めるためには、大学を取り巻く状況、大学が置かれている状況を知ることも必要である。それに応じた改革でなければならないからである。
(1) 一層流動的で複雑化した不透明な状況
社会、経済の急激な変化は今後も加速される。
従来の延長線上の発想では対応が難しい。流動的で複雑な社会、予測が明確につかない先行き不透明な時代になるということである。すなわち、独創的で柔軟、かつ意欲的な資質や能力が必要となる。
(2) 地球規模での協調、共生と一方では国際競争力の強化が求められる状況
高度情報通信社会の実現で、社会、経済、教育研究、文化などでも、世界的規模での交流が進む。国際的な依存関係、地球規模での協調と共生の必要性が高まるとともに、地球規模での競争も激しくなってくる。すなわち、大学でも、国内ばかりでなく国境を越えて大学間の教育研究情報の交換や教員、学生の交流が促進され、各大学が所有する知的資源の共有化が進んでいくことになる。なお、国際競争力の強化にも貢献する必要がある。
(3) 少子高齢化の進行と産業構造や雇用形態等の大きな変化が起こる状況
すでに述べたように、少子高齢化社会を迎え、生産年齢人口が大幅に減少し、産業間移動による労働力調整が必要となるとともに、従来の終身雇用の形態が変化し、企業内教育の外部委託化や企業間の労働力の流動化が進んでいく。また、産業構造の変化により、高等教育を必要とする新しい職業が増加し、新しい分野の人材を育成することが必要となってくる。さらに、社会の高度化、複雑化が進むため、多くの分野で高度な専門的な知見、技能の必要性が増加してくる。すなわち、大学に、新しい分野の人材育成、高度な専門性の育成とともに、企業内教育の委託先としても期待されることになる。なお、ここで述べられているものの中で、少子化は、大学の存廃にかかわる問題でもある。学生を確保するためには、需要に沿った改革を進め、その上に魅力のある特徴を作る必要がある。
(4) 職業人の再学習など生涯学習需要が増大する状況
すでに述べたように、職業に従事している者が、大学で学び、能力等を向上させてさらに活躍するという、大学が再学習の場となり始めている。また、少子化による18歳人口の減少から、多様な能力、適性を持つ学生が学ぶ場ともなる。さらに、高齢化の進展で、生きがいを求めて学ぼうとする人たちの生涯学習の場ともなる。すなわち、大学は多様な学生が学ぶ場となるということであるが、このような状況下では、多様な学生に応じられるよう、教育内容、方法等の手直しが必要である。このように、多様な、幅広い年齢層の知的探究心に応えられるようになるということは、開かれた大学になるということでもある。
(5) 豊かな未来を開く学術研究の進歩が加速する状況
学術研究は、豊かな未来を拓く原動力である。独創的な学術研究の推進により、自らの手で新しい研究領域を開拓し、社会の発展に貢献することが強く求められる。なお、学術研究は、高度化、専門化が進み、学問分野の消長の期間が短くなり、変化が激しくなるとともに、学際化、総合化の傾向がますます強くなると思われる。すなわち、大学では、高度化、専門化した内容を教育するとともに、専攻領域の広がりや学際化を視野に入れた教育を進める必要がある。また、学術研究の進展が、地球環境や生命倫理に新たにかかわる課題を生じることが多くなっている。学術研究と人類や社会との調和、研究者の社会的責任などについての学習機会も設けなければならない。

3.状況の変化に応じる改革
大学の改革は、教育研究の高度化・多様化・個性化、組織運営の活性化の方針の下に、諸制度の大綱化、弾力化等が図られたこともあって、この10年間に、具体的な取組が着実に進められてきている。これには、関係者の間に改革の必要性についての意識が覚醒されたことが大きく影響している。たしかに、この10年間に改革の動きが始まり、進められたことは大きな前進であり、高く評価すべきことである。しかし、改革の度合は、個々の大学によって様々であり、十分というわけにはいかない。社会からの批判や要請に十分応えていない現状を重く受け止め、かつ来る21 世紀、特にその初頭の社会状況等を展望して、期待される役割を果せるようにすることが必要である。各大学は今何をなすべきかを明確にし、大胆かつ積極的に改革を進めることを期待されているということである。
(1) 学部において
これは、学部の性格によって若干の相違がある。教育学部のように、教員養成を目的としている学部では、教師として優れた人材を育成するという視点から、学部の現状を検討して、改革を進めることになる。
@教育内容について
不易と流行という言葉があるが、不易とは社会の状況等がいかに変わろうとも変わってはならないもののことであり、流行とは社会の状況等によって変わるべきもののことである。教育内容にも、当然、不易と流行があるが、教育内容における改革は流行を見極めて取り入れるようにすることである。
一つは、学習指導要領が改められ、小学校、中学校、高等学校で教育すべき内容が変わった時、その新しい内容が指導できるようにするために、大学での教育内容を改める必要がある。現行の学習指導要領では、小学校で「生活科」が新しく設けられた。教育学部では、当然それに備えた教育内容を取り入れた。次の学習指導要領では、「総合的な学習の時間」が新しく設けられる。その時間に取り扱うものとして、「情報」「国際理解」「健康・福祉」「環境」が例示されている。「総合的な学習の時間」「情報」「国際理解」「健康・福祉」「環境」を指導できるように、教育内容として新しく設けることが必要となる。これらの中には、教師としてだけでなく、社会人としても修得しておくのが望ましいものがある。「国際理解」に必要とされる「外国語の会話能力」であり、「情報」で必要とされる「情報処理能力」であり、「健康・福祉」で必要とされる「奉仕活動への積極的な参加姿勢」であり、「環境」で必要な「環境問題への姿勢」などである。これらを内容として積極的に取り入れなければならないということである。
二つは、教員に求められる能力、資質の変化である。小学校、中学校、高等学校で、現在大きな問題となっている「いじめ」「不登校」「非行」等で「カウンセリング」的に児童生徒に向き合える教師、「教育への情熱、使命感」を持った教師、児童生徒との「人間関係作り」がうまく心の拠り所になれる教師などが、現在たいへん求められている。これらは、教員免許を取得するために修得すべき内容として、最近組み込まれているので、すでにカリキュラムを改め、対応は行われている。これら以外には「 以上述べたものの中で、「外国語の会話能力」「情報処理能力」「カウンセリング」「人間関係作り」「教育への情熱、使命感」のすべて、あるいはその一部分に特に力を入れ、「卒業生がこれらに優れている大学」と小学校、中学校、高等学校の関係者の間で噂になるほどになれば、「競争的環境の中で個性が輝く大学、学部」となれるであろうし、「優れた教員を育成している大学、学部」となることも自明の理である。これは、教師としても、社会人としても、望ましいものとして求められているものである。教育学部の「特徴(売り)」にできるようにしたいものである。
A教育方法・授業の質について
大学における教育方法は、以前は、極端にいえば、学生が理解できようができまいが、自分の専門領域についての知見をひたすら開陳する講義形式が中心であった。現在でも、それがまったく無くなったわけではないが、学生に理解できるようにするための改革と実践が進められている。

現在、この工夫、改革が特に求められるのには、それなりの理由がある。従来の教育方法が学生にたいへん不評であったのも一つの理由ではあるが、もっとも大きな理由は、学生の学力低下である。すでにくり返し述べたように、少子化による18歳人口の減少から、大学への入学が容易になり、学生の学力が低下している。それ以外にも、生涯学習を目指す高齢者や再学習を行う社会人を迎え、多様な学生への対応が必要となっているということもある。
学力水準に合わせて、内容をできるだけ具体的に示し、理解しやすくするとともに、進歩が著しい教育機器をふんだんに活用したり、実験、調査、実習、発表、討議、協議などの主体的学習、体験的学習を強化することも必要であろう。ただし、これらの工夫、努力は、教員各自がそれぞれに効果的と思って行っているのであるが、その効果についての評価は十分とはいえない。
小・中・高校では、以前から、教育方法の改革については、公開の研究授業等で発表して、その結果については、指導講師や参加者によって評価されている。最近では、大学でも、研究授業を行い、学内の教員が参加して、批評し合い、改革に努めている大学もある。数は多くないようであるが、教育方法の改革の一つの方法であろう。
教育方法はこれでいいのかと、自分で点検し、評価している教員は多いと思う。自学自習が学習の理想といわれているが、評価の理想は、本人が行う自己評価であることはいうまでもない。ただし、自己評価を行うための評価項目が、きめ細く設定されていない。この評価項目の設定を急ぐことである。
なお、教育方法については、学生に評価させ始めている大学が増えている。改革に効果的な資料を得ることができるという期待はある。これについては、疑問や懸念を表明する教員もないわけではないが、その結果は素直に受け止め、改革に努力したいものである。この授業評価については、各方面で評価項目が工夫されて、かなりきめ細くできている。これを、教員の自己点検、自己評価の項目にすることは価値がある。何故なら、学生の授業評価とつき合わせて、資料の精度が強化され、確かなものになるからである。なお、いろいろな大学で行われている学生の授業評価を見ると、専ら教員について行われている。学生自身の学習についても、同時に自己点検、自己評価させたいものである。というのは、現在の学生について、授業に出席しない、授業中に質問をしない、授業時間外の学習が不十分である、議論ができないなど、学習態度とその成果に問題があるとの指摘があるからである。
授業の質の向上には、シラバスの活用が効果的といわれている。現在、作成されているシラバスは、履修科目選択のための一覧として作成されているのがほとんどである。準備学習の指示や成績評価基準までも示したシラバスを作成することが望まれる。
また、新しい教育方法の開拓も工夫することである。情報通信技術の進歩は著しく、この活用を考える必要がある。情報通信技術の授業への導入、それによる質問等の受付、教材提供など授業外での学習促進等である。これによって、キャンパスが分散している場合の遠隔授業も可能になる。工夫してみたい点である。以上は、通学している学生への活用であるが、通学しないでの学習ができることになる。大学は通学して学習するという考え方を取り払い、内容の全部を、あるいは一部を自宅で学習できる時代がそう遠くないように思われる。新しい技術による通信教育の改革も考える必要があろう。
B需要の変化に応じて
今後、社会状勢、産業構造において大きな変化が予想される。この変化によって、新しい状勢や新しい職業が増え、大学での新しい人材の育成が求められることになる。その反面、従来育成していた人材が不必要とはいわれないまでも、需要が減少することもありうる。例えば、教育学部の場合、少子化によって児童生徒が減少し、それに従って教員需要が減少している。これへの対策として、国立大学では、従来入学定員を15,000人であったのを、10,000人にするために、5,000人の削減が進行している。このように、教員養成学部への入口が狭くなる中で、教員需要の減少によって教員志望者も減少はしている。しかし、教員志望者が相変わらずかなりいることは確かで、入口が狭くなったほどには減少していないようである。文教大学の教育学部への入学を志望する者が多くいるのはそのためである。しかし、採用減は、卒業生へ希望の進路へ進むことを保証しにくくしていることも事実で、それに応じた改革を考えざるをえなくなっている。したがって、教員養成の数を縮小し、教員養成以外で教育で求められている人材の育成を考えることが必要になる。例えば、「情報処理」「学校カウンセリング 」等の優れた人材を育成するための課程を新設といったようにである。ただし、私立大学の場合は、潤沢な資金を投入し、必要な人材を確保し、建物や施設、設備を十分整備してというわけにはいかない。乏しい資金で、すでに持てる人材を活用して、という条件下においてである。神業のような発想、工夫を必要とする改革ということである。
(2) 大学としての改革
すでに述べたように、各学部は、学部として改める点はどこかを確め、改革、整備する。そして、大学全体としても、改める点を確め、改革、整備することになる。
@ 構成と特徴(売り)作り
学部においては、どのような学科あるいは課程等で構成するかということであるが、大学としては、どのような学部等で構成するかということになる。
すでに述べたように、大学での各学部は、幅広い教養、専門の基礎・基本等を主とし、高度の専門は大学院でということである。したがって、入学し、卒業して行く学生に、本人にその意志があれば、そこまでを保障したいものである。すなわち、大学としては、各学部の上に、少くとも修士課程、できるものなら博士課程の大学院を置くことが必要である。
くり返し述べるが、少子化による大学進学者数の減少、社会状勢、産業構造等の変化により、需要が増大したり、新しく生じるものがある一方、需要が減少するものもある。大学としては、需要が減少した学部等は、縮小したり、場合によって廃止することも視野において検討に入ることが必要となる。大学は、平成19年(2007年)に入学希望者全入時代になるといわれているし、短期大学(部)についてはすでにそうなっているといわれている。したがって、大学でも、改組を急ぐ必要があるが、特に短期大学(部)は、需要のあるものに改組するか、4大化を急ぐことになる。ただし、私立大学の場合は、乏しい資金、在籍している人材の活用という条件下で、建物、できるだけ新しい施設、設備、優れた陣容の確保等、たいへんな難題の解決を伴っている。改革にあたって、公的資金の援助があればと、願いたくなるのが、実情である。
なお、改組にあたっては、私立大学の場合は、建学の精神があるので、それに沿った特徴を打ち出せるようにしたい。その上に、現在、特定の学部だけに求められるのではなく、社会人として身に付けているのがよしとされるもの、すなわち、すべての学部等の卒業生に求められ、それを身に付けていると社会人として好評であるものを修得する機会を設け、大学としての特徴(売り)にしたいものである。文教大の卒業生は「外国語が話せる」「情報処理能力が優れている」などといわれるように、である。
このような特徴(売り)の育成には、優れた陣容という特徴(売り)があり、その人たちが、教育に、学術研究に専念できる環境と財政的な裏付けが必要である。くり返しいうが、私学助成の強化が必要だということである。
A 組織運営について
教学の組織、運営については、閉鎖的、硬直的であるとの批判があり、学部自治の名の下に改革の推進に支障が生じているとの指摘がある。また、大学の各種の決定については、決定の担い手である教員が学内の各種委員会、会議等に多くの時間を取られ、本務である教育研究に支障を生ずるとともに、機動的な決定を困難にしている。大学としての決定を合理的で、かつ責任を持って行える組織を作り、運営することが必要との指摘がある。
このために、大学としては、学長が中心となって、大学運営を責任もって遂行できるよう、学内の意見調整を行う学長を補佐する組織を作る。また、学部としては、学部長を中心とする組織を整備し、運営して学部内の課題の解決に努めるといったように、学長、学部長の権限を強化し、そのリーダーシップの下に、という提唱が、このところ多いように思われる。確かに、必要な一面もあるが、やはり民主的な運営とそれができる組織であるべきである。特に、大きな改革、改組の場合は、大学の将来がかかっており、存廃の問題に発展することもある。そこに籍を置く者の将来の生活がかかっているものでもある。教職員のすべての意思が結集し、納得して遂行できるような組織、運営でなければなるまい。さらに、大学の教職員は、優れた人材であり、英知の持主である。ただし、その英知は、人によって、それぞれに個性的である。これらの英知を結集すれば、改革に必要なすべての英知が揃い、実効あるものとなる。英知を結集できる民主的な組織、運営でなければならないということである。
なお、私立大学の場合は、教学の組織と理事会の問題もある。
私立大学は、学校法人(理事会はその最高機関)が設置し、管理し、経費を負担することになっている。理事会と教学組織は、それぞれの機能分担を明確にし、それぞれが分担を果すとともに、相互の連携が行われねばならない。すでに述べたように、教学組織は、学長を中心に、教育研究の方針、計画を策定して、それを遂行する。また、理事会は、教学組織が、学長を中心によりよい教育研究の実現を目指すのに、財政的な保証を行うことになる。建学の精神に基づき、よりよい教育研究の実現を目指しているのが教学組織であるが、それを目指して設置したのは学校法人である。理事会も、教学組織も、目指す究極は同じである。その実現のためには、相互の連携は必要かつ不可欠である。理事会と教学組織の間に、意志の疎通が十分行われるためには、教学組織の意志が反映できる理事会の構成、あるいは教学組織の代表と理事会との合同会議等の工夫が必要であるが、さらに大切なのは理事会が、経営方針や経営上の課題等を教学組織に十分に説明したり、経営に関する情報を得心がいくように十分示したりすることである。これによって、相互に納得し、信頼し、協力して、経営、教育研究、改革 の実を上げることができる。この一致協力こそ、私立大学の改革・発展にとっての肝心要であろう。
B 自己点検・自己評価について
大学として、あるいは大学の各部門が、役割を果すように機能しているかどうかをチェックするのが、評価である。ただし、評価のねらいは、チェックすることではなく、その結果、機能していない部門があった場合、機能するように改善し、役割を果すようにすることにある。
現在、かなり多くの大学で、自己点検・自己評価が実施され、部厚い報告書にして公表されたりしている。評価を実施し、報告書を作成するのが、評価の真のねらいではないことは、すでに述べた通りであるが、形式的な評価に陥り、教育研究活動や組織運営の改善に十分結びついていないのが現状である。改善に結びつけたいものである。
また、外部評価や第三者評価等が十分に行われるに至っていないとの指摘もある。これは、だれが評価するか、評価者の問題であるが、ふつう、第一に有効な評価者は当事者自身によるものといわれている。教育の理想は自学自習で、評価の理想は自己評価ということである。第二に有効なのは、組織内の他からのもので、第三に有効なのが組織の外からのものといわれている。すなわち、直接関係のあるものからの評価ほど有効ということである。
したがって、大学としての評価は、外部評価や第三者評価を行う前に、自己点検・自己評価をその必要性を痛感した上で行うことから始めたい。ただし、自己点検・自己評価を行うための項目設定は容易ではない。大学独自に設定した場合、偏ったり、不足したりすることが考えられる。大学基準協会等が、外部から評価を行う場合の項目と基準等を借用するのもよい方法である。しかし、すでに述べたように、報告書の作成の前に、その結果を改善に生かすことが肝心である。
教員の評価についても、学生による授業評価等が行われているが、教員自身による自己点検・自己評価が先で、学生による評価、他の教員による評価は、その次である。この際、大学に関係するもののすべて、大学、教員、職員、学生等は、自己点検・自己評価を行い、自己改善に努めてみてはどうであろうか。評価は何のために行うのかを忘れないことである。


戻る