『教育研究所紀要第9号』文教大学付属教育研究所2000年発行
(文教大学付属教育研究所客員研究員/練馬区教育委員会生涯学習課社会教育主事)
要 旨
生涯学習を振興する政策が、全国に広まっておよそ10年が経過し各自治体では、いわゆる生涯学習推進計画の見直しが行われている。同時に近年、行政評価の導入が各地で始まっている。こうした状況は、生涯学習政策の効果、および今後の方向性を模索する好機といえよう。
行政評価の実状は多種多様であるが、その中でも生涯学習政策の評価事例を分析すると、目的・指標があいまいであり、いわゆる生涯学習社会の構築に向けての効率的な施策およびその成果、ならびに評価方法については、今後の検討が重要であろう。また、学習成果の評価に関しては、学習評価(教育評価)の一部として整理する必要があるが、行政評価においては学習評価の手法は取り入れられていない。
いいかえれば、行政評価における生涯学習政策の評価は、学習評価と相関関係があると仮定できる。1 本研究のねらい
近年、いわゆる行政評価に対する取り組みが、行政内部および外部において大きく取り上げられている。行政評価は従来の「お上」=お役所的な仕事のあり方を見直し、効率的な行政と、住民に対する説明責任などによって行政改革を推進することをねらいとしているが、評価の対象となる政策・施策・事業には、生涯学習政策(生涯学習の振興のための施策)も含まれることになるだろう。
また、昭和63年に文部省が生涯学習局を設置して以来、全国の地方公共団体に広まった生涯学習政策はおよそ10年を経過し、現在では各自治体が競って策定した生涯学習推進計画が改訂の時期を迎えている。
つまり、行政評価の高まりと生涯学習政策の見直しの時期が一致している今日は、我が国の生涯学習の意義と効果について評価する好機といえるのではないか。もちろん、今後の生涯学習政策の方向性を探ることも重要である。
一方で、生涯学習政策はその目的や評価方法が明確にされず推進・計画された感が強い。先行研究においても、政策の不透明さも関連してか、その効果測定や評価方法に関する主な研究は見あたらない。
こうしたことから、本研究では生涯学習政策と行政評価に関して研究開発するための基礎的資料を収集し、今後の研究に資することを目的とし、今後の生涯学習政策の方向性を模索する。2 行政評価の現状
いわゆる行政評価の定義や、その手法について明確なものは無いと言って良い。今までは政策評価の概念および行政評価の概念が混乱しており、この混乱を整理する努力は政治や行政の現場では行われてこなかった。
しかし、近年の様々な取り組みにおいて、一般的に「行政評価」とよばれている評価の手法は、対象によって次の3点に整理されているといって良いであろう。
ア 政策評価
イ 施策評価
ウ (事務)事業評価
また、総務庁行政監察局による「政策評価に関する標準的ガイドラインの案」(平成12年7月31日)によれば、標準的な政策評価の方式を次のように挙げている。
ア 総合評価
イ 実績評価
ウ 事業評価
上記両者のア〜ウは、それぞれほぼ同じ意味をもっているといえる。いずれの場合でも3者が相互関係を保ち、全体として体系化されているものである。
こうしたことから、本研究では、いわゆる行政評価を広義の「政策評価」としてとらえ、使用する。
さて、政策評価の目的は次の3つにまとめることができよう。
こうした目的を果たすために、すでに政策評価を実施している自治体はいくつか存在するが、その名称や評価の具体的なねらい、手法はさまざまであると同時に、問題点も多い。
例えば、「予算査定用にのみ利用されている」「公務員の給与体系ではコスト管理主義がそぐわない」などである。これらの問題点は、民間企業の評価システムを元にして行政が導入した経緯に原因があると思われる。
また、目標の設定の困難さも指摘されている。行政の領域は多種多様であり、事業の結果がすぐに成果に結びつかない例が数多い。
こうした問題点は、政策評価が始まったばかりのわが国においては当然のことと推測され、むしろ安易に取り入れることは行政改革に悪影響を及ぼしかねない。
しかし、教育学においては「教育評価」が体系化されており「教育評価の考え方、教育評価の性格、方法論と客観性、評価の心理的影響が議論されているが、これらは教育だけでなく、他の「人にサービスを提供する」政策分野にも応用」*2することが可能であるといえよう。特に生涯学習政策においては、この教育評価を用いながら、教育行政の自己評価と国民・住民による教育行政評価のあり方を検討する必要があるのではないか。*3
3 生涯学習に関する政策評価の事例
事例1は、政策評価の先進的なM県の事務事業評価における、生涯学習に関する一部分である。政策は「人づくり」の推進とされ、そのための施策として「生涯学習の推進」が挙げられている。
事例2のS県の場合は、施策は「生涯学習社会づくりの推進」であるが、その施策の目指す理想像は「あらゆる世代の県民が、あらゆる場所で学び、その学んだことを生かし、地域において生き生きと活躍することができる」としている。
それぞれの指標にも違いがあることから、同じ「生涯学習推進」のための施策・事業でも県によって取り組み方が違うことがわかる。いずれも所管は教育委員会生涯学習課である。
両者の共通点は、政策として「生涯学習社会」の構築を課題にしていることである。つまり、生涯学習審議会答申の「人々が、生涯のいつでも、自由に学習機会を選択して学ぶことができ、その成果が適切に評価されるような社会」*4を目指しているといえよう。事例1の「人づくり」に対して、事例2では「地域」づくりという政策課題ともいうことができるだろう。
しかし、ここで問題なのは、「人づくり」や「地域(まち)づくり」という政策課題において、施策や事業の成果指標をどのように設定するか、ということである。事例の場合、政策レベルと、「生涯学習推進」施策との因果関係は不明である。こうしたことから、事例のような「生涯学習推進」の成果が、政策課題を達成するために効率的かどうかは判断が難しい。また、両事例とも生涯学習を推進する「環境」や「体制」づくりを施策としているにも関わらず、それに結びつくような評価はされていない。さらに、いずれの事例からも、推進すべき生涯学習の具体的な内容はわからない。
つまり、生涯学習社会が目指している学歴社会の打破や学習成果の社会的な評価の構築と、行政が学習活動を振興することとの相関関係は、政策評価の手法的観点からは批判的考察にならざるをえない。加えて、生涯学習政策が民間教育産業を含む幅広い学習活動を対象としながらも、憲法89条の解釈を含めた行政の具体的な役割の説明は、不明確なままだといってよいだろう。
事例1 M県の生涯学習総合推進事業の政策評価(抜粋)
政策:人づくりの推進 ※基本事務事業目的評価表より筆者作成 |
事例2 S県の生涯学習施策の評価
施策:生涯学習社会づくりの推進
指標@ 生涯学習県民講座の参加延べ人数
成果指標によらない成果
・生涯学習情報ネットワークシステムの指導者情報登録者数
※施策評価シートより筆者作成 |
4 生涯学習政策の課題
1) 計画・目標の立案について
生涯学習政策においては、学習活動の振興が主な施策であり、その振興すべき学習活動は地域(地方公共団体)ごとに民主的な手続きを得て、政策判断しなければならない。*5
ということは、生涯学習振興のための施策は、まずもって振興すべき学習活動を地域で発見・合意することが政治・行政の役割、ということである。政策評価の観点から言えば、政策形成の過程において、適切な評価を行いながら振興すべき学習活動を判断し目標を設定することになる。しかしながら、住民の多種多様な学習要求を把握し現代的課題を鑑み、政策判断することの無意性および困難さは、地域生涯学習振興基本構想の策定状況をみても明白である。また政策判断には恣意性が含まれる可能性も否定できない。
加えて、多くの地方公共団体の場合、生涯学習推進計画は政策形成の過程をふまえつつも、そこに盛り込まれている学習活動は網羅的で、振興すべきそれは何なのか、何のための計画なのかが説明責任を果たしているとは言えないだろう。ましてや安易な「生きがいづくり」を中心とした普及啓発をキャンペーンし、生涯学習政策の目的および行政の役割を明確にしていない計画は、いたずらに生涯学習の意義をあいまいにしてしまい、行政の責任を放棄しているともいえるのではないか。理念無き生涯学習政策といわざるをえない。
こうした現状は「教育目標と行政目標の混同」ということもできるであろう。たとえば「いきがいづくり」などの教育目標と、それを達成するための施策として目標化した行政目標とを二分して考え、計画立案することが必要不可欠なのである。*6
2) 学習成果の評価について
また、学習成果の評価システムの構築が行政の役割とされている*7が、こうした評価は学習の社会的評価であって、学習者個人の達成状況や、教育的効果の評価とはいえない。政策評価においては、学習の社会的な評価を構築するための目標設定は困難であることは前述したとおりである。また、行政先導の社会的な評価は、ともすれば学歴社会の形を変えた評価システムとなる可能性もないとはいえない。
つまり、学習活動を振興するための施策は、学習者の学習評価と支援者の教育的評価(あわせて教育評価)を視野に入れておらず、ここに本来の「生涯教育」の理念とは異質の、いわば日本型生涯学習という教育行政では対応しきれない自己矛盾が見え隠れする。
いいかえれば、学習成果の評価と、学習評価(教育評価)の関係について「学習成果の評価とは、学習評価(教育評価)の一部」として整理しなければならないし、こうした学習成果の評価はあくまでも学習者の求めに応じて行われるもの、ということに留意しなければならない。*8
こうしたことから、生涯学習政策においての政策評価は、個々の施策や事業の教育的効果を測定し、教育評価(学習評価)を行うことの必要性があると思われる。5 今後の研究課題
1)教育計画と教育評価に関する先行研究
生涯学習政策の要と言われている社会教育行政についての先行研究には、社会教育計画の立案とその評価に関する方法論がある。もともと、社会教育行政の評価は、政策評価と学習評価の双方を含むものであるため、生涯学習政策の評価にも応用できるであろう。また、学校評価の研究も活用できると思われる。
引用文献
*1 『政策評価の理論とその展開』山谷清志、晃洋書房、1997、23pp
*2 同上、81pp
*3 『教育行政学』平原春好、東京大学出版会、1993、270pp
*4 「生涯学習審議会答申」平成4年7月
*5 『新版 入門 生涯学習政策』岡本薫、全日本社会教育連合会、1996、88pp
*6 『社会教育の計画とプログラム』岡本包治他編著、全日本社会教育連合会、1991、13pp
*7 『新版 入門 生涯学習政策』再掲、76pp
*8 『生涯学習プログラムの開発』岡本包治編著、ぎょうせい、1996、181pp
参考文献
『社会教育評価』岡本包治他編著、第一法規、1975
『生涯学習と社会教育のゆくえ』佐藤晴雄、成文堂、1998
『「行政評価」の時代』上山信一、NTT出版、1998