『教育研究所紀要第9号』文教大学付属教育研究所2000年発行

特集 変革期の大学教育はどうあるべきか;

2000年前後の大学改革の状況

黒羽 亮一

(常磐大学国際学部教授) 

要  旨

本稿は1998(平成10)年10月の大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」に関連して、大学改革の状況を述べたものである。大学学部教育の最近の展開の状況を、カリキュラム改革の概況と新しい教養教育の概念の登場を中心に観察している。また拡大した大学院の状況について観察している。しかし、この報告の前半の多くは、1999年に登場して、いまだその行方が定まらない国立大学の法人化間題に割いている。その骨子は、政治と行政全般の流れに対応が遅れていた、文部省と国立大学幹部への批判である。

はじめに
本稿は、特集テーマの中でならばタイトルは自由という依頼なので、「2000年前後の大学改革の状況」ということにさせて頂いた。その趣旨を説明すると、筆者は1993年に『戦後大学政策の展開』(玉川大学出版部)という著書を著したが、類書がないこともあって、最近増えてきたいくつかの大学院などで、高等教育論や政策科学のテキストとして使って頂けた。そして版元から「引き続き需要があるので、近況を補章とした増補版を刊行できないものか」という相談を受け、最近、400字で100枚ほどの補章を書いた。当然その内容は、本特集テーマにかかわる平成10(1998)年10月の大学審議会答申と、その後の国立大学法人化の動きへのコメントとなっている。そこで、旧知の平沢茂所長の了解を得て、この原稿の一部をさらに要約し、単独報告としても理解できるように改めて、提稿させていただくものである。
旧著の『戦後大学政策の展開』は主として1960年代以降ほぼ10年前までの大学政策について述べたもので、以下の8章になっている。
1章・国立大学の組織編成と管理運営/2章・一般教育等の扱い方の変遷/3章・大学院政策の展開/4章・高等教育計画の着想と挫折/5章・統一試験の変遷を中心にみた大学入試政策/6章・助成を中心に見た私立大学政策/7章・大学政策と中教審・臨教蕃・大学審/8章・国立大学の今日的役割とその設置形態
当然のことながら補章の各節はこれを受けたものになっているので、要約(本稿)も同じ形になっている。なお新増補版はこの紀要発行のころに出版されることになっている。

1.国立大学の組織編成と管理運営に根本変革を促す法人化
(1)国立学校設置法、教育公務員特例法、学校教育法等の重要改正
周知のようにこの1両年の間に国立大学の法人化が現実の問題となり、文部省は平成12(2000)年7月に、この問題についての調査検討会議を発足させた。この会議は同13年度中に結論を出して、同15年ごろから、「行政機関」である国立大学は、経営体である「法人」に移行して行くことになった。戦後の学制改革で、官立の高等教育機関は、組織編成や管理運営の方法を大幅に変えたが、国立であることには変わりがなかった。したがって、まさに明治の初め以来の大変革である。
一見、突然のようなこの改革にも長い伏線があったことは、旧著に詳述してあるが、ひと言でいえば、かつてはしばしば政治問題化し、しかも前進することのなかった国立大学の管理運営体制の整備が、平成9年秋から同11年にかけて、一気に、しかもほとんど表立った論議もなく行われた。そのこと自体だけ見れば「今昔の感」にたえないといもいえるが、この時すでに、国の行政組織全体の見直しを行っていた行政改革会議(行革会議)の足音が迫っていたのだから、そうなるのは当然の成り行きでもあった。
平成9年10月、文部大臣は大学審議会に対して「21世紀の大学像と今後の改革方策」について諮間、その中で国立大学の人事・会計等の制度の見直しを求めた。その答申は翌10年10月に行われた。文部省はそれを受けて平成11年春の通常国会で学校教育法、国立学校設置法、教育公務員特例法の改正を、以下のように行った。それこそ50年近い懸案を一気に解決したものだが、法人化論の現実化という事態には、画期的快挙などとは言えない事案にすぎなくなってしまった。
・運営諮問会議と積極的な情報公開;平成12年度から、すべての国立大学に、学長の諮問機関として設置、大学の将来計画や自己評価など運営の重要事項について、学外有識者の立場から審議を行い、必要に応じて助言・勧告を行う。委員は学長の申し出を受けて文部大臣が任命する。
▼教育と研究、組織と運営の状況について、刊行物の発行や「その他広く」(ホームページヘの掲載など)、積極的に情報を提供する。
・評議会とその審議事項等の明確化;「国立大学の評議会に関する暫定措置を定める規則」を廃止して、主として国立学校設置法の中に明確化した。▼審議事項は、従来から学則等の制定・改廃、予算概算の方針、学部学科等の設置廃止等に関する事項とされていたが、それに、大学の将来計画、教員の人事方針、教育課程編成の方針、自己評価等が加わった。これは学長の発意のもとに有機的な組織体として明確な運営方針を打ち出せるようにしようという趣旨である。
・学部長の地位強化と教授会審議事項の明確化;学部長は私立大学については規定がなく、国立大学でも、その設置法に示されていた程度だったが、学校教育法に「学部長は学部に関する校務をつかさどる」と規定した。▼教育公務員特例法では「採用等の選考は教授会の議に基づき学長が行う」は従来通りだが、「組織の長(学部長等)は選考に際して意見を述べることができる」という条項が追加された。例えば、他校出身者や女性、外国人教員の積極的採用等の全学的教員人事の方針が、具体の教員人事に際して学部長の主導により、積極的に行われることを期待しての措置である。▼国立学校設置法で教授会の設置単位と審議事項を規定した。審議事項は教育課程の編成、学生の入学・卒業等、その他教育研究に関する重要事項を規定した。▼一部には、教授会が必要以上に大学全般や社会等の問題を議する傾向があったが、大学審議会答申でたしなめられた。

(2)法人化論対策としての大学評価・学位授与機構の発足
ところで政府の行革会議は、平成9年12月に最終報告をおこない、そこで国立大学の組織と権限の明確化など改革を求めていた。したがって大学審の諮問・答申にはこの動きが視野に入っていたが、文部省は強く法人化論に反対という事情もあった。このため行革会議の最終報告は、設置形態については「独立行政法人化は大学改革方策に一つの選択肢となり得る可能性を有しているが、これについては大学の自主性を尊重しつつ、研究・教育の質的向上を図るという長期的な視野にたった検討を行うべきである」と、緊急の結論づけを避けた表現になっていた。
当時、国立大学人の中には、法人化を不可避と見たり、さらに積極的に歓迎する向きも僅かながら存在していた。例えば東大医学部の13人の教授は連名で、大学病院の予算・定員の弾力運用などを掲げた改革案を作り行革会議に提出し、一部新聞にも大きく報道された。ところが、この行動は「大学当局と文部省から大目玉を頂くことになった」のである(『大学評価・学位授与機構ニュース20号』への石川隆俊教授寄稿)。
つまり、文部省は法人化反対の前提で、行革会議の空気への申し訳に学校教育法改正などを行ったとも解釈されるのである。同様姿勢はもう一つ、平成12年4月の慌ただしい大学評価・学位授与機構の設置に現れている。

(3)文部省はまず博物館・美術館等を独立行政法人化
各省庁を通した独立行政法人化は、平成11年1月に中央省庁等改革推進大綱が決定して明らかになった。文部省は、国立博物館、国立美術館、国立青年の家、大学入試センターなど13の事務・事業の11法人化案を提出した。同時にそこでは、「国立大学の独立行政法人化は平成15年までに結論を得る」と、この面では検討期間が与えられることになった。この段階で法人化する事務・事業は政府全体で約90だった。文部省は「全体数の1割程度の付き合いをしたのだから、難題の国立大学法人化問題は時間をかけてフェイドアウトできると判断している」といささか意地の悪い見方をしてもよかろう。
博物館や美術館は大学以上に法人化に馴染まないものであることは明白である。まして、東京や京都の国立博物館は、戦前は「帝室博物館」であり「恩賜博物館」で、文化国家を代表する、まさにナショナルな機関である。そして国立博物館や美術館の収入は入場料と最近始めたミュージアムショップの売上を合わせても、運営費の一割には到底達し得ない。公的な研修施設である「青年の家」や「少年自然の家」を、民間のレクリエーション施設と競争で「経営させる」ことも、国立大学の法人化以上に無理なことは明らかである。その宿泊費を有料にしても、運営に寄与する額にはならないし、目的変更でもある。
しかし、国立学校特別会計約2兆7000億円のうち一般会計からの繰り入れは1兆5300億円で、57%にすぎない(平成12年度の場合)。国立病院収入(約5300億円)、学生納付金収入(約3500億円)、産業連携収入(約1200億円)など、稼いでいる部分が多い。財政投融資からの借入金も1000億円ほどあり、すでに経営体としての色彩は濃厚である。この面を見ても、国立学校の法人化を第一番目に検討しなかった文部省の当時の姿勢は疑問を持たれても致し方ないものだった。

(4)国家公務員像全体の変化の中で
はたせるかな、このような文部省の姑息な方針は別の面から破綻していった。行革会議最終報告(平成9年12月)は一方で公務員の定員を13年から10年間に1割削減することにしていた。さらに平成10年8月の小渕首相施政方針演説では、これを2割に嵩上げした。1割の差は国の行政事務の独立法人化によって達成されるべきものとされた。国立大学が国の行政機関から離れて法人化すれば、公務員数縮減の対象にならないが、そうでなければ2割も縮減しなければならないことが、明らかになったのである。
国立大学の助手以上の教員数は約6万人、職員数は約5万7000人(うち看護婦約1万7000人)、ほかに付属学校、短大、高等専門学校等にも相当数の教職員がいて、合計で約13万5000人に達する(平成11年)。これを10年の間に2割縮減するか、1割ですますか、あるいは同規模で推移できるかの決断が迫られてきた。文部省が法人化に踏み切るかどうかの決断は、国立大学の役割や機能の検討を詰めるよりも、まずこの人員問題に、とりわけ文部省の事務職員をどう処遇していくかにかかってきてしまった。
国家公務員の全体像の中で見ると、その定員全体縮減計画に逢着すれば、法人化の道をたどらざるを得ないのは自明のことである。大学関係者はあまり気がついていないが、我が国の国家公務員の数は以外に少なく、自衛隊の27万人弱を除けば、約85万人に過ぎない。欧米に比べても少なく、福祉国家がこれでよいかどうかを議論したいところだが、そういう問題意識は政治からもマスコミからも起こっていない。ともかく、このうち公社制度に変わる郵政事業職員の約30万人をのぞけば、国立学校教職員の13万5000人は最大の集団である。文部省より少ない国立病院・療養所(約5万人)、造幣・印刷事業(約7000人)なども法人化する。この中で、国立学校だけが現状維持などということは、政治的にははなはだ考えにくい事案なのでである。
13万5000人の半数は教育研究職で、そこには学問研究と教育の重要性から、格別の処遇をすることは可能かもしれない。現に教育公務員特例法が存在し適用されている。しかし、半数は文部省立大学という行政機関の職員で、他省庁なみの処遇を受けることは避けがたい。行革会議委員で独立行政法人の導入に参画するとともに中央省庁改革推進本部顧問でもあった藤田宙靖氏(東北大教授)は、文部省と国立大学が置かれているこのような状況を『ジュリスト』1999年6月1日号に発表した。その明快な説明は、もはや法人化は逃れられないと観念させるものだった。
こうして文部省は、平成11年9月20日に開かれた国立大学長会議を機会に、「独立行政法人化の検討の方向」という文書を公表して、法人化の方向に踏み切った。
さらに、平成12年5月11日、自民党政調会は「これからの国立大学のあり方について」という提言を行った。大学問題のほぼ全般にわたっており、大学としてはにわかに受け入れ難い提言部分もある。しかし法人化については「通則法の基本的な枠組みを踏まえつつ、一定の調整を行う調整法(又は特例法)の制定を含め、大学の特性を踏まえた措置を講じることにより国立大学法人といった名称で独立行政法人化する」と、文部省や国大協が同意できる方向を示した。
同26日には国立大学長会議で、この章の冒頭に結論を引用した方向で、かなり詳しい「文部大臣説明」が行われ、公表された。国立大学協会も同6月14日に、通則法をそのまま適用することは反対だが、設置形態検討特別委を協会内に設置すること、文部省の調査検討会議に積極的に参加していくという態度を全会一致で確認した。

2.学部教育の新展開
(1)カリキュラム改革
新しい大学設置基準による学部教育の改革は、5年余を経た平成9(1997)年の文部省調査によると、604大学(国立99、公立61、私立444)のうち、すでに9割でカリキュラム改革が行われたという。その主要な項目と件数(括弧内、98年度)は以下のようになっている。
必修・選択の見直し(494)、科目区分の見直し(472)、卒業要件単位教の見直し(394)、単位計算の見直し(373)、楔形教育課程(317)、コース制の導入(198)
しかし、そのいくつかの個別大学についてその内容は知っていても、これ以上統計的に細かく分類するのは不可能だろうし、意味も少ない。学部の数は約1700ほどもあり、同一大学でも学部によって改革の中身は異なる。同じ改革項目に分類されていても、その趣旨と内容はまるきり異なる場合さえないわけではない。したがって、以下のような表現になる。

4年(6年)一貫した体系的なカリキュラムを実施するための具体的な取組は各大学様々であるが、一般的なものとしては、1、2年時から積極的に専攻分野に係る授業科目に触れさせ、学生の知的好奇心にこたえようとするものや、専攻分野に係る基礎的教育を終えた上で、専攻分野の学問の成果と人間や社会とのかかわりについて多様な視点から理解させることを目的とした授業科目を開設し、教養教育の内容を専門教育との有機的な関連を配慮したものにする例などが挙げられる。(『我が国の文教施策』平成7年度版)

(2)「新教養教育」
1990年代の学部教育の改革で、もっとも注目されたのは国立大学の教養部解体であり、また教養教育と専門教育との分離を理念的に廃止したことであった。しかし、その後も、進学率の上昇による大学教育の普及による多様化が進んだ面もあって、教養教育の必要性が、諸方面で従来以上に提唱されている。大学審は「教養教育が軽視されているのではないかという危倶があるほか、教養教育を行う目的が不明確なまま、単に専門教育の入門的な授業を行うことを教養教育と呼んでいるのではないかという指摘もある」と言うようになった。(平成9年12月答申)
そして文部省は、新しい学部教育の原理として、旧設置基準の一般教育とは違うのだが、やはり教養教育を基軸に据えているように見える。それに対して、学部教育の普及と多様化の時代になったとはいえ、「旧来の学生程度の資質は確保できる」ような大学には、「学部教育の専門性は確保したい」という暗黙の要求が続いている。もともと専門性にこだわる大学教員の体質転換は難しいから、その声には根強いものがある。おもな文書などによって、その葛藤を集約しておこう。
本紀要の特集の主題である「21世紀の大学像と今後の改革方策について」と題する諮間は、昭和62(1987)年に設置された大学審議会が、ほぼ10年かけて臨教審答申の課題をこなし終えた平成9年に行われたものである。したがって翌10年10月の「競争的環境の中で個性が輝く大学」という、ものものしい副題がついた答申(以下「平成10答申」と略記)は、一連の大学改革が第2段階に入ったことを示すものである。
それは、かつての臨教審答申のように重要部分を、罫巻き、ゴシック体で示し、そのあとに説明を加えるという書き方だが、その見出しと罫巻き部分には以下のようにある。

〔教育内容の在り方、課題探究能力の育成、教養教育の重視、教養教育と専門教育の有機的連携の確保〕社会の高度化・複雑化が進む中で、「主体的に変化に対応し、自ら将来の課題を探究し、その課題に対して幅広い視野から柔軟かつ総合的な判断を下すことのできる力」(課題探究能力)の育成が重要であるという観点に立ち、「学問のすそ野を広げ、様々な角度から物事を見ることができる能力や、自主的・総合的に考え、的確に判断する能力、豊かな人間性を養い、自分の知識や人生を社会との関係で位置付けることのできる人材を育てる」という教養教育の理念・目標の実現のため、授業方法やカリキュラム等の一層の工夫・改善、全教員の意識改革と全学的な実施・運営体制を整備する必要がある。この際、専門育においても教養教育の理念・目標を踏まえた教育を展開することにより、教養教育と専門教育との有機的連携の確保を図っていくことが重要である。

(3)中教審も追随
また平成11年12月に行われた第17期中央教育審議会の「初等中等教育と高等教育の接続について」という答申には、その1カ月前に行われた中間報告で、すでに上記大学審答申の趣旨は入っていたのであるが、さらに加筆して、一層強調することになった。
つまり、上記大学審答申で示した理念目標をそのまま引用したほかに、答申冒頭に学校教育全般にわたる課題として「『自ら学び、自ら考える力』と『課題探究能力』の育成を軸にした教育」をあげているが、そこに高等教育段階で教養教育を重視せざるを得ない理由を、以下のように加筆した。

さらに、社会の急速な変化が進む中、これからの社会はより複雑化し社会の様々な要素の関連が強くなっており、幅広い視野から物事をとらえるこができなければ的確な判断はできなくなってきている。近年、社会生活を送る上で必要な基本的な知識が十分に身に付いていなかったり、社会の一員として求められる倫理観が希薄であったり、あるいは人間関係をうまく作れないなどの学生の問題が指摘されている。このため、高等教育においては教養教育を重視することによって、学生に幅広く深い教養や高い倫理観を醸成するとともに、学生生活全般を通じて豊かな人間性を身に付けさせることが必要である。

一読して明らかなように、これも旧制高校的な、また廃止した教養部のような教養教育ではない。ユニバーサル化した大学教育では避けられない「社会の一員として求められる倫理観」だったり、「人間関係をうまく作れる」ような教育内容のようで、「新教養教育」と呼ぶべきものである。

(4)授業方法の諸改革
次に個別の授業の諸改革について、大学審議会は、答申文の末尾に「自己点検・評価項目例」として記載して、各大学にその実施を迫った。「各科目ごとの授業計画(シラバス)の作成状況」、「教授方法の工夫・研究のための取り組み」、「教員の教育活動に対する評価の工夫(学生による授業評価等)」などである(平成5年答申)。
平成9年答申になると、最後の項目はさらに詳しく、「オフィスアワー」「組織への貢献(教務カリキュラム委員会、人試問題の作成等)」などと、従来から教員の間で「雑用」といわれていた事項まで、数多く示されることになった。
答申では二度とも「別紙の項目は例示にすぎず」と述べていたが、同省は毎年「カリキュラム等の改革実施状況について」の全般的状況を、この項目に沿って発表した。それは『大学資料』(文教協会刊)等に掲載され、各大学に知らされ、一種の「圧力」になっている。自己点検評価の報告が国立大学の予算配分や私大の経常費補助額に影響するからである。
改正された設置基準の第2条には「自己点検・評価を行うこと、それは適切な項目を設定し、適当な体制を整えて行うこと」と示した。平成11年にはさらに「その結果を公表するものとする」とされ、また「当該大学職員以外の者による検証を行うよう努めねばならない」と第三者評価も求めるようになっていた。
これに伴い、文部省や大学審の態度はそれは年々訓示的になってきた。例えば大学審の平成9年12月の、「高等教育の一層の改善について」答申ではシラバスについて、こんな細かいことまで言及している。

作成されているシラバスの多くは、@学生に履修科目選択のための情報を提供す履修科目一覧としての役割と、A履修する個々の授業科目について詳細な授業計画を示すとともに、学生の教室外における準備学習等についての指示を与えるという役割という二つの役割を果たすものと考えられているが、今後は後者の役割を十分果たすような内容の充実したものを作成する必要がある。シラバスは、全学生向の科目選択用シラバスとは別に、個々の教員が各授業科目を履修する学生に対して配付する性質のものであり、全科目同じ形式である必要はなく、それぞれの授業科目の特性などに沿って、適切に作成することが重要である。

本稿では、諸項目ごとの改革状況の紹介は煩雑であり、その紙幅もないので、これ以上は省略する。

3.多岐にわたり拡充した大学院政策
(1)達成された大学院生倍増計画
大学院は臨教審答申の「飛躍的充実」を受けて、10余年前から制度の柔軟化と拡充を図っていたが、その勢いはなお続いている。大学院は国公私立651大学のうち、7割強の479大学に設けられている(平成12年)。平成2年の在学生数は修士課程で約6万1000人、博士課程で約2万8000人で、計10万人を僅かに切っていた。しかし、12年には、双方合わせて20万5318人(修士課程約14万人、博士課程約6万人)と倍増している。
また同11年の入学者教でみると、修士課程は6万5382人で、認可定員の5万8695人をかなり上回っている。これは主として国公立の理工系で定員を大きく超えているためで、人文・社会系では定員に満たないところも多い。理工系では大学院修士課程を経て専門職業人になるという、1960年代以来の傾向がますます強まっているといえよう。これに対して人文・社会系で増えたのは、ビジネス・スクールのような強い専門性志向の学生よりも、モラトリアム青年男女や生涯学習型の社会人によるものである。修士課程修了者に対する社会の需要の変化は緩慢であり、その将来には不安がないわけでもない。
一方博士課程は認可定員1万9049人に対して入学者は1万6276人である。国公立では定員を若干下回る程度だが、私立では6348人に対して3932人と大きく下回っている。博士課程の目的にも研究者養成だけでなく高度専門職業人養成があるが、理工系でも民間企業等への就職はまだ十分に発達していない。まして、人文・社会系の進路は依然として大学教員ないし研究機関職員に限られている。このため大学側も学生を認可定員いっぱい入学させるのは手控えている状況である。
平成期に入ったころ、我が国の人口1000人当たり大学院生数は0.7人で、先進各国に大きな隔たりがあった。これが倍増したため1.4人となり、また学部学生数に対する比率は7.1%となった(1997年)。しかし諸国も増えている。「人口1000人当たり大学院生数・対学部学生教比率」は、米国では「7.7人、16.6%」(1995年)、英国では「5.5人、20.9%」(1995年)、フランスでは「3.6人、18.3%」(1995年)で、なお隔たりがある。高等教育と社会との関係において、それぞれの国に異なった事情があるのだから、「さらに追いつかなければならない」と単純に思考するわけではないが、文部省や大学審の政策とその進捗の方向は是認してもよいだろう。

(2)大学審の報告・答申等を踏まえてつぎつぎに実施
大学院の拡充のためには通常の大学での大学院の設置を奨励し、また教員の待遇改善、施設設備の充実、奨学金制度等の改善等が、国公私立を通して行われてきた。私立でも補助金の中で、大学院充実に当てられる特別補助金のシェアが年々増大しているほか、研究設備補助金制度などが採られている。
ほかに、独立研究科、独立大学院、夜間大学院、昼夜開講制、連携大学院などさまざまな制度拡充が行われてきたことはすでに旧著で触れた。そのあとも、大学審の審議を経て、通信制大学院や専門大学院の設置など数々の施策が実施されて行った。ほぼ10年の状況を大学審の主要答申等とその実施状況というように並べてみる。
・大学院制度の弾力化について(昭和63.12)
課程の基本事項、組織に関する事項、教育課程に関する事項と全般にわたる基本答申/平成5年までに優秀な学生の学部3年次修了での入学、修士課程の最短1年での修了、昼夜開講制の制度化、科目等履修生制度の導入、社会人の登用をはかるための教員準の弾力化等が行われた。
・学位制度の見直し及び大学院の評価につい て(平成3.2)
学位を称号でなくする/「博士(○○)」という表記にした/自己点検・評価について述べ、その具体的項目も学部の場合に準じて例示した。
・大学院の量的整備について(平成3・11)
大学院生の数を平成12年度までに少なくも現在の2倍以上にする/大学院について従来文部省は、その量的拡大を期待しつつも、質的低下をおそれて数量的目標を示したことはなかった。したがってこれは画期的な政策決断で、それが上記のように達成された。
・夜間に教育を行う博士課程について(平成5.9)
・通信制の大学院について(平成9.12)
答申を受けて、ただちに開設のための大学院設置基準の改正が行われた/平成11年までに6大学に設置され、13年からは放送大学にも設けられる。
・21世紀の大学像と今後の改善方策について
(平成10.10)
@卓越した教育・研究の拠点としての大学院の形成・支援をはかっていく必要がある。
A職業を持つ社会人の再学習ニーズに答えるため、勤務の都合や通学の便宜に、柔軟に対応するように、修士課程の「一年制コース」や逆に「長期在学コース」を制度化する。
B修士課程が社会の多様な要請に応えていくため、課程の目的・性格を明確化し、また特定の職業等に従事するのに必要な高度の専門的知識・能力の育成に特化した実戦的な教育を行う大学院の設置を促進して行く必要がある。

A、Bについて大学院設置基準の改正がおこなわれた。Bは専門大学院と呼ばれ、在学一年でよい。また修士論文を提出しなくても、「特定の課題についての研究の審査」で修士の学位を与えることができるようにした。
・大学院入学者選抜の改善について(平成11.7)
大学院修士課程の入学資格は四年制大学卒業を原則とするものの、「短大卒で教職の経験ある者」など、従来も幾分の広がりがあった。しかし、この報告により、各大学院ごとに個別の入学資格審査を行い、大卒と同等以上の学力があると認めた者で、22歳以上に達していれば入学させられることを提言した/同様に博士課程も大学が修士相当の学力と研究能力を持っていると判断した24歳以上の者を入学させられることにした/文部省がただちに学校教育法施行規則の改正を行って対応した。

(3)大学院重点化
最近新聞や著作物に、「○○大学院教授」という肩書で執筆されている原稿が目立つようになった。これは上記の大学院答申とは直接の関係なく、「大学院重点化」ないし「大学院の部局化」という措置が取られたためである。
これは東大の「学院構想」に始まっている。東大では昭和62年以来、大学院に重点をおく組織再編を目指していた。大学教員の定員や予算は主として学部単位に決められ、研究科(大学院のこと)はその付属機関のような扱いだったが、「従来の学部と研究科を統合して一つの部局(学院)とし、この中に教育組織としての学士課程と修士・博士課程が置かれる」というものである。そして「表面にはうたわれていないが、学院を構成する学院講座、学院研究部門には通常の講座とは異なった、人員措置や財政措置が行われることが期待されていた」。
大学院は新制大学の発足当初から米国の大学なみに、学部と対等の機関とされていた。
しかし、我が国の大学院は理工系をのぞいて発達しなかったが、これは社会的需要もさることながら、人員と基本経費、それに事務組織の面で学部の付属機関として扱ってきたためである。これに対する危機感から「学院構想」のような発想は東大以外にもあったのだが、正式に制度化するには法令の改正が必要と見られ、一般には進展していなかった。
しかし、平成3(1991)年度予算で、突如として東大法学政治学研究科の部局化が実現した。これは東大法学部と文部省担当部局との折衝課程で生まれた着想といわれ、その骨子は以下のようなものである。

@従来学部に置かれていた講座を大学院研究科に移し、大学院を教育研究一体の組織として部局とする。A学部は学士課程の教育を行う教育専門組織として、研究科所属の教員が「兼担」する(従来は学部の教員が大学院を兼担)。B教員当たり積算校費は学部から研究科に移すが、学部には新たに新単価の校費を配当する。

かつては「学部自治」や「学部講座制」がすべてに優先していた旧帝国大学の、その代表的な東大法学部で、このような改革が行われたことが第1の驚きだった。第2に平成3年当時の法制や予算執行慣行でも、大学の充実に連なるこういう芸当ができるということも、括目された。
翌年以降に、東大の他学部、旧帝大を中心とする他大学で、これに追随する動きが一斉に始まった。それらは平成12年までに「大学院大学」となった。

参考資料
・大崎仁『大学改革1945−1999』有斐閣、平成11年
・鈴木勲編著『逐条学校教育法』学陽書房、平成7年
・文部省『我が国の文教施策』平成11年度版
・文部省『学校基本調査報告書(高等教育)』、『全国大学一覧』、『大学審議会答申・報告集』 各年度版
・文教協会『大学資料』
・民主教育協会『IDE・現代の高等教育』
・日本私立大学連盟『大学時報』
・日本私立大学協会『教育学術新聞』 各号


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