『教育研究所紀要第9号』文教大学付属教育研究所2000年発行

わが国における少年法廷 (teen court)の可能性

〜教育学的視点からの検討〜

矢 作 由美子

(文教大学付属教育研究所客員研究員)

要  旨

日本の教育風土の中での日本型「少年法廷」の可能性について検討する。文化も歴史も違う米国での取り組みではあるが、実際に少年法廷に参加している米国の少年たちの活動を紹介し、また、同世代の日本の高校生にアンケートを試みた。特に、グループ討議を行う事が出来た高校を中心に、どのように日本での少年法廷の可能性を捉えているのか、まとめた資料をもとに、わが国での少年法廷の有効性と導入の問題点を考察した。さらに少年法廷は教育プログラムであることからも、少年たちの成長の可能性からみた評価と、集団的体験学習の意義について問い、法律学的な視点だけではなかなか実現されない少年法廷を、教育学的視点から捉えることにする。

はじめに
本稿を最終校正している中、2000年11月28日衆院で少年法改正案が成立をした。新たなる少年司法制度への問として、“教育”と“法”という異種配合するような米国の取り組みである少年法廷に注目する事とした。少年法廷の問題点や実際の状況を知るために、1999年6月〜8月にかけて、カリフォルニア州オークランド゙を訪れた。現地に行ってから気がつくことも多くあり、米国における新たな少年司法制度の転換に翻ろうされた感は否めない。今後、滞在期間中に行った少年法廷参加者へのアンケート調査やインタビュー等にいては、別の機会にまとめて報告したい。少年法廷についてのまとまった調査資料は少なく、APPAによって刊行された「少年法廷実践ガイドブック;1996」は実に参考になる(1)だろう。現在、少年法廷プログラムのプロセス評価と具体的な調査が、都市研究所(Urba Institute)によって行われており、年内には、まとまった資料が報告される事になっている(2)。本稿は、あくまでも「わが国における少年法廷の積極的な取り組みの可能性について」の検討である。今後、国民の「司法参加」が広がるためにも、この様なテーマを若い世代に考えてもらい、新たな日本型「少年法廷」を創りだしてほしいと考えている。

1章 米国少年司法制度における「少年法廷」
:California,Alameda CountyのTEEN COURT

1節 少年法廷と従来の少年裁判所との違い

まず、少年法廷について、インターネットで知り得た情報と現地での参観を通して、現状を紹介する。少年法廷は開催場所によって、ティーンコート(teen court)、仲間法廷(peer court)、学生法(student court)、あるいは青少年法廷(youth court)と呼ばれ、名称が異なっている。本稿では、これらを「少年法廷TEEN COURT」と総称する。少年法廷がどこで創設されたかについては諸説があり、ニューヨークのホースヘッズタウン(Town of Horseheads)少年法廷の代表者が述べている、「アイサッカIthacaのモデルをベースに、1976年7月に少年法廷は創設された」とする説や、1968年頃にはじまったという逸話などが存在している(3)。しかし、アイサッカの法廷は何年も前に廃止されていることから、実際のところはよくわからない。また他の文献によれば、1976年、テキサス州グランドプレーリーGrand Prairie少年法廷が最初ではないかとも言われている(4)
少年法廷が設立されてから約20年がたち、実施している機関や団体も、95年10月の25州190地域から99年9月の46州630地域と拡大しており、着実な成果をあげている(5)。犯罪少年に対する公式裁判所である伝統的な少年裁判所は、犯罪少年たちにとって記録は残るものの、罰金と説教で逃れられる事から安易に考えやすく、繰り返す者も後を絶たない。それに比べると、少年法廷は、非公式な手続であることから地域によって審判形態も異なり、かなり厳しい処遇が下される場合もある事から、元々更生意欲のある者だけが少年法廷を選ぶと指摘されている(6)
私が参観をしたオークランドでも一定の基準がもうけられており、逮捕された少年は、まず、各市警察署の少年サービス課の協力を得ながら犯罪の凶悪性や過去の犯罪歴などをチェックされ、振り分けられる(インテイク)。その際、少年法廷が良いのではないかと思われるケースについては、The Donald P.McCllim Youth Court(少年法廷)の担当者と協議を重ね、適当と思われるケースについてサービス課の担当者から、少年法廷にするかどうか説明を受け、本人の意思によって選択が決まる。
しかし、実際問題としては、子どもたちの将来を考える親たちのアドバイスで「少年法廷」を選択している対象者も多くいるようである。処遇については、大人の目とは違って、「ごまかしようのない」子ども世代の視点が加わることもある。そこで実例の一つとして、家宅不法侵入で逮捕された白人男子中学生の事件を紹介する。

両親とともにスーツ姿で少年法廷に現れた少年は、人種間の違いをアピールするかのようで、他の家族とは対照的であった(この地域はマイノリティが多く住んでいる地域で、このケースにおける担当の弁護人は黒人から白人の女子高生に代わり、検察官は黒人の男子高生のままであった)。その対象少年に対して検察側は、「5時間の社会奉仕活動と家主への謝罪文」という軽い処分を要求した。ところが陪審員が出した処分内容は、「社会奉仕40時間、家主への謝罪文、陪審員義務3回」という厳しい判決であった。やはり子どもの目には、白人少年の態度に反省の色があまり見られないところをすかさず見抜いていたようであった(審理中、対象少年の目は、ずっと下からものを見る目で話を聞いていた様に思われた)。少年法廷における子どもたちの視点がどれだけ大切なのか、特に、陪審員になっている子どもたちの厳しい指摘には、同世代だからこそ分かる真実の目を持っていると思われた。その結果が判決につながることを確信したケースであった。

2節 「少年法廷」の役割と基盤

少年法廷プログラムには2つの役割があり、一つは、参加少年たちの成長に対する影響を考慮したプログラムである。セカンドチャンスを与えることや、「どんなささいな犯罪でも、後で必ず罰を受ける」ということを自覚させ、自分の行為が被害者や地域社会にどの様な損害を与えたのかをわからせ、償いをさせることである。2つ目の役割は、参加しているボランティア少年の存在についてである。学校の単位に振り代られたり、将来の職業選択につながるなどの理由から少年法廷に参加している者も多い。この実践体験学習を通してボランティアの少年たちは適正手続の重要性を学び、緊張感ある活動をすることで自分を見つめ直す機会が与えれる。また、サポーターの大人たちも、地域社会の中で真剣に取り組んでいる少年法廷に対して、「集団による問題解決」の場を準備し、さらに社会奉仕活動の場を提供している。
「少年法廷」自体、地域よって基盤も形態もかなり異り、大きく分けると3つの基盤と2つの審判形態からなっている(@少年司法制度を基盤にしたもの、A地域社会を基盤としたもの、B学校を基盤としたもの、などである。さらに審判形態は、裁判モデルと仲間陪審モデルに分ける事が出来る)。少年法廷の設立経緯についても、警察への不信感と裁判所の合理化策などによるといわれているが、実際のところは、犯罪少年たちの心が大人たちに読めなくなっていたからではないかと思われる。その状況を改善しようと考えついたのが、「若者が若者を裁く少年法廷」であったのではないだろうか。少年法廷は、行政だけで出来るものではなく市民の連携によって存在しているもので、地域から発信される情報や教育プログラムがあってはじめて成り立っていると言える。

2章 我が国における「少年法廷」実現への可能性への検討
〜高校生への意識調査〜

1節 研究の方法
@調査手続:記述式でアンケートに答え、その後、5〜6人に分かれてグループ討議をしてもらった。
回答の様式は、自由回答とし、家庭科の授業中に行った。
A調査項目:実例をあげ、伝統的な少年裁判と少年法廷の違いを示しながた参項資料を調査対象者に渡し、「わが国で少年法廷が実現できるのか」についてグループごとに話し合い、その結果を記述式で自由に書いてもらうことにした。
B調査対象者:首都圏の私立高校(共学生)139名で、24グループ(各5〜6人)に分かれた。
C調査時期:1998年11月末日
<問題>
少年法廷は、わが国とは文化も歴史も違う米国の先進的実践事例ではあるが、少年たちの成長の可能性に十分影響を及ぼす教育プログラムであり、わが国でも検討する意味は大きいのではないだろうか。
<目的>
少年法廷の存在を知ってもらう事はもちろん、同世代であるわが国の高校生に「日本での少年法廷の可能性」についてどの様に考えているのか、結果をまとめながら、制度化して行くためのポイントを見つける。
<結果>
少年法廷の可能性についての肯定的意見は、24グループの内、8グループであった。まず、導入に「賛成」とする意見としては、「日本でもやってみたら」とか、「おもしろい」とした、未知なる体験に対する興味の様である。また、「十代から知識を身につけても良いと思う」といった、新たな学習意欲を示す意見もあった。今回の調査結果の中で多くあげられていたのが、「同世代だからこそ気持ちが分かり合える」、といった仲間同士の問題解決方法に対する賛成意見であった。それは、今後の少年法廷に対する利点となる評価である。また社会復帰という点では、親も少年も事件記録が残る、残らないとでは大きな問題でもあり、記録が残らない方が「やり直せるから良い」としていた。さらに、「犯罪者が傷つく」とする意見に大いに注目したい。たとえ犯罪者に対してであっても、「心の傷」という点に調査対象の高校生が、目を向けた点は評価したい。
ただ今回、被害者に対する意見が出なかったことについては、質問紙を作成した側にも問題が多くあることからも、被害者学的視点も盛り込んだ教育プログラムであったことの説明をしてゆかなくてはならないだろう。少年法廷の効果としては、「再犯率の減少」をあげており、気持ちの上でも「悪いことをする気がしなくなった」、といった少年法廷の精神的内面性の厳しさを評価した結果となった。
否定的意見としては、子どもだけでは裁判は難しいのではないかといった不信感と疑問から、「公平な審判ができないのではなか」、「子供では経験不足」などとする意見が出されていた。犯罪についてもふれており、「繰り返すやつはまた繰り返す」といった観点から、罰は与えられるべきであるとして、対象少年に対して「従来の裁判」、「記録を残す」など、応報的な考え方を示す意見となった。今回の調査で考えさせられたこととしては、「同年代だと反発にあう」、「同年代にいわれるとムカツク」、「狙われる」などといった、米国の少年法廷に参加した少年たちでは考えにくい答えが返ってきたことであった。調査対象の高校生は、「報復や仕返し」といった、後々の事を考え、導入に否定的であった。この様に、わが国の子どもたちが不安に思う事として、即座に浮んだことが「仕返し」であるならば、あまりにも子どもたちの仲間関係が歪んでいる兆しとはいえないだろうか。
<考察>
わが国における少年法廷の可能性については、賛否両論があった。今後、制度化して行くためにはどこをポイントにして考えてゆくのかである。まず、“教育”と“法”の新たなる実践的体験学習の必要性を問い、ディスカッションを重ねていくことではないだろうか。子どもだけでは取り組める制度ではないことからも、地域社会の受け皿をつくる一方で、サポーターの大人たちへの支援体制も必要になるであろう。
今後、司法制度上の改革が必要なことはいうまでもない。特に、少年法廷においては、陪審員の活躍がポイントになるだけに、現在論議されている陪審制度導入について、大胆な改革案があって初めて実現することになるだろう。最近行われた司法制度改革審議会を見ても、「国民の司法参加」をテーマに意見交換がなされており、俗に言う総論賛成、各論反対とする意見が目立ったようであるが、積極的な方向を期待したい。審議会の席上で出た論議であるが、参審制度の導入を主張するのみでは、国民に意見の表明だけを認め、評決権は与えられない。それだけに抜本的な改革をするためにも、陪審制の導入を目指すべきであろう。また、米国の場合、被害者に対する謝罪と司法制度の根本的改革がなされており、わが国でも参考にするべき点は大いにある。
日本での教育プログラムを考える際に、注意しなければならないのが、「いじめ」の延長線上にあるような物の考え方をしてることである。これは子どもに限った問題ではないように思える。なぜなら、司法制度改革審議会の陪審制度についての発言で、「隣の人を裁くという制度がわが国で果たして受け入れられるか」などといった、司法の権威とは違った不安がそこにあるように思えた。この様に、討論一つとってもなかなか上手く行かない日本の司法制度の中で、少年法廷を教育的視点から捉えて集団による問題解決学習につなげるには、課題が山積している。

3章 少年法廷プログラムにおける集団的体験学習の意義

少年法廷プログラムの集団的体験学習の意義は、その集団の成員である一人一人の少年が、一定の集団経験を通して、より望ましい状態に発達して行くことである。つまり、集団による問題解決学習の目標は、その成員の一人一人を最大限に発達させることにあるといえる。もちろん、各成員が所属している集団の共通問題を成員たちの力によって解決したり、その集団としての意思を決定するということもある(7)。しかし、そのような問題解決や意思決定自体が学習の一つであったり、学習を促進する方策のひとつであると考えられる。それに対して少年法廷は、集団としての共通の問題を解決し、集団としての意見を決定することによって集団自体の成長発達や前進、あるいは集団としての生産性の向上を目指している。もちろん、そのために必要な集団成員の学習という機能も重視されることはいうまでもないが、主目的は、やはり集団としての問題解決であり、集団としての意思決定である。このように、「集団による問題解決」という活動には、若干異なった目的が内包されているように考えられる。それだけに、少年法廷プログラムを解明することの意義は大きく、参考にするべ き点はおおいに抽出し、わが国で制度化していく為の検討を重ねなけらばならないだろう。

4章 まとめ

わが国における少年法廷の可能性については、改めてコミュニティと教育プログラムのあり方から検討して行く必要があるのではないだろうか。地域社会との関わりが強い少年法廷だけに、コミュニティをどう見るかによってもプログラムが異なってくる。わが国で少年法廷を実現するためには、関わる学習者(サポーターを含む)もまた、コミュニティの一員であることを認識し、様々な活動に参加する中で、運営の担い手へと成長することがのぞまれるであろう。また、プログラムの提案者と地域社会との関係が一方的なものでなく、両者が連携を図って行かなくてはならない。コミュニティの中でつくり出した教育プログラムであればあるほど、「創造性あるプログラム」ができるはずである。少年法廷の本来の意義を失わないためにも、地域社会から創りだす発想力(工夫)と継続できるサポートシステムの提供が必要になるであろう。
特に、地域を基盤とした少年法廷であればあるほど金銭面や、スタッフの充実を図る事が大切になってくるだけに、多くの人の理解と協力がなければ出来ない。今後さらに少年法廷への理解を深めるためにも様々な分野からのアプローチと、地域における教育プログラムの開発など学習者の意欲に応じた生涯学習プログラム案も必要であろう。

おわりに

日本では、1998年の神戸市須磨区で起きた少年事件を通して、子どもたちの安全を改めて地域から見直す努力が強まったと言える。しかし、「未成年者保護法研究」の第一人者である森田明教授が「子どもの“保護・教育”と“法”が接触する分野の研究は、いわば<幾何学の精神>と<繊細の精神>(パスカル)の異種配合が求められる、先行研究の乏しい困難な領域である」(8)と述べているように、少年司法という分野は、教育社会学や心理学をはじめとする隣接領域との関連性が求められる研究であることは言うまでもない。さらに、被害者問題(9)を加えた新たなる分野の課題が増えているだけに、横断的視野がなお要求されている。今回の調査でも、無理やり日本にもってきて検討している感も否めず、まとまりがつかなかったが、今後も法学的視点に止まることなく教育学的視点からの、日本型「少年法廷」の検討を続け、実現に向けて可能性のあるポイントを見つけ出したい。


(1) American Probation and Porole Association:Peer Justice And Youth Empowerment : An Implemention Guid Teen Court/by odwin,1996」

(2)Jeffrey A.Butts, Ph.D.,Senior Reserch Associaion, The Urban Institute, Program on Law & Behavior, 2001 MStreetn NW, WE Washington,DC 20037,JButts@ui.urban.org

(3)Tracy Godwin, Teen Court: Empewering Yourh in Community Prevention and intevention Efforts, American Probation and Parole Association,Winter 1996

(4)(2) Tracy Godwin;op,cit.

(5) 矢部武「少年犯罪と闘うアメリカ 第3章」共同通信社、2000

(6)山口直也「アメリカ少年司法におけるティーンコート Teen Court」「犯罪社会学」第19号、1994

(7)岡村二郎「3集団による問題解決」「人間探究の社会心理学3:人間と集団」朝倉書房、61頁 1979

(8)森田明「未成年者保護法と現代社会」有斐閣1998

(9) 2000年5月に「刑事訴訟法の一部改正」と「犯罪被害者等の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律(以下、犯罪被害者保護法)」が成立した。

 


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