『教育研究所紀要第5号』文教大学付属教育研究所1996年発行

大学の講義における文科系の日本語と理科系の日本語

−「フィラー」に注目して−

野村美穂子(文教大学国際学部)

1.はじめに

 書きことばにない話しことばの特徴の一つに、発話のはしばしにあらわれる「あのー」「えー」といった語句(本稿では「フィラー」と呼ぶ)の存在がある。これらはいわゆる文法においてはほとんど省みられない要素であるが、現実には会話においても独話においても頻繁にあらわれる。談話研究で話しことばを対象とするような場合にこれを捨象してしまうのは不自然であり、また日本語教育の立場からも、学習者を生きた話しことばの正しい理解・発話へと導く必要性を考えると、今後こういった要素を無視することはできない。

 筑波大学大学院の日本語教育特講および現代日本語研究のコースにおいては、理科系の学習者のための日本語教育および話しことばの日本語教育を念頭に置き、大学での講義のデータを用いて文科系と理科系の特徴を探る研究を1991年度より行った が、本研究はその一部であり、談話分析的な観点から独話におけるフィラーの機能を考察するとともに、日本語教育の立場から学習者にとってのわかりやすさとの関連に焦点を当てて文科系の講義と理科系の講義の違いについて見てみた。

2.先行研究と定義

 本研究が対象とするような項目は従来研究者によって異なる用語で呼ばれてきており、まだ確立した用語はないようである 。本稿では便宜上「フィラー」という語を用いたが、先行研究等にもこの「フィラー」を明示的に定義したものはほとんど見当たらない。以下では、関連する先行研究を見ながら、本稿におけるこの語を改めて定義づけることにする。

 2.1.先行研究の概要

@産業能率短期大学日本語教育研究室編『講義を聞く技術』1988

 学習者が講義を聞く技術を向上させるための練習項目の一つとしていわゆるフィラーをとりあげ、フィラーとは「ことばを選んだり、話の組み立て方を考えたりする時間を作るために使うもの」であり、「たぶん話全体の10パーセント近く」を占めるはずだとしている。

A山下暁美「話し言葉におけるいわゆる“無意味語”」(早稲田大学日本語研究教育センター『講座日本語教育』第25分冊)1990

 講演などの際にあらわれる「『間』を埋める言葉」「『間』に挿入される語」を対象とした研究である。電車内・レストラン・デパートなどで拾った実際の会話中の当該語彙を分析した結果、これらの語は話者が「無意識的に使っている場合が多く、指摘されて初めて自分の口癖に気づくということもある」ものだが、「だからといってそれが全く意志伝達の役割を果していないとは言いきれ」ず、「無意識で、一見無意味であるようだがそれらがないと談話のスピード(のり)が落ち、盛りあがりを欠いたり話の密度に影響があったりする」ものであり、一般に「話を落ち着かせたり、形をととのえる、強調、前ぶれ、などの役割を果たしている」と述べている。

BStubbs, Discourse Analysis: The Socio-linguistic Analysis of Natural Language,1983(南出康世・内田聖二訳『談話分析−自然言語の社会言語学的分析』1989)

 談話分析の方法論等について包括的に論じた研究であり、「従来の統語論と意味論がほとんど口出しできないタイプの語」として

“well",“now",“right",“OK",“anyway" 等について触れている。このような語は主に話しことばに限られるもので、例えば、直前になされた発話が前提にしていることを修正するための前置きや話題あるいは会話全体を打ち切るための前置きといったような働きをもち、その主要な機能の一つに境界指示標識としての機能があるという。

CSchiffrin, Discourse Markers, 1987

“oh",“well",“I mean",“y'know" 等というようないくつかの語句を「談話のマーカー(discourse markers)」としてとりあげ、談話全体の結束性や談話の単位との関わりで論じており、“Although markers often precede sentences, i.e. syntactic configurationsof an independent clause plus all clauses dependent on it, they are independent of sentential structure. Removal of a marker from its sentence initial position, in other words, leaves the sentence structure intact. Further-more, several markers - y'know, I mean,oh, like - can occur quite freely within a sentence at locations which are very difficult to define syntactically."と述べている。

 2.2.先行研究の問題点と本稿における「フィラー」の定義

 @はもとより実習書であって研究書ではなく、そのためフィラー自体について詳述しているわけではない。Aの分析は市中で偶然拾った会話を適宜集めて資料としたという点でデータに一貫性がなく、その量が明らかでないという問題点もある。また、品詞をもとにした分類によって分析しているが、それがどのような観点からどのような意味を持つかは疑問であり、むしろ当該語彙全体に共通する機能を探っていくことが重要だと思われる。Bは、本稿でいうところのフィラーに関して境界指示機能の存在を示唆しているほか発話行為との関連なども指摘しており興味深いものだが、談話分析という大きな枠組の一部として言及するにとどまっており、掘り下げた分析は行っていない。Cの Schiffrin(1987)の言う“discourse markers" と本稿でいうフィラーとは必ずしも同じではないと思われるが、「削除しても文の内容に影響がなく、談話内で比較的自由な位置にあらわれ得る」という点は注目に値する指摘である。

 本稿では、フィラーを「本来の語彙的な意味から離れて用いられ、それを削除しても発話全体の命題的な意味が変わらないような語句」ととらえて以下の分析を進めていく。

3.分析の目的

 本研究は次の二つの点を目的とする。

 @フィラーの機能について考察すること

 Aフィラーとの関連で、日本語学習者にとってのわかりやすさということに注目しながら文科系の講義と理科系の講義との違いを探ること

4.分析の方法

 講義の日本語のデータ全8本(文科系4、理科系4)を資料とし、その全発話を対象にフィラーに関する数量的調査を行った上で、文科系の講義と理科系の講義との違いに注目して結果の意味を探る。

5.数量的調査の結果とその分析

 数量的調査の結果を以下に示す。なお、講義別と文理別の2種類の調査を行ったが、繁雑さを避けるため本稿では文理別の結果のみを扱うことにする。

 5.1.フィラー全体について

 まず基本事項として、発話数 とフィラー数の関係を調べた(表1)。

 表1:発話数とフィラー数

 

文科系

理科系

発話数

1929

1950

フィラー数

3421

1545

  フィラー全体の出現状況に関しては文科系の講義と理科系の講義とで明らかな違いが見られる。文科系では全講義で1発話につき平均一つ以上のフィラーが出現しており、講義によっては1発話につき平均二つ以上であったのに対し、理科系では、一つの講義を除けば、1発話につき平均一つに満たない。このようにフィラー一般に関しては明らかに文科系の方で多く使用していると言える。

 5.2.聞き手に対する働きかけのあるフィラーについて

 フィラーには本来、発話全体の命題的な意味には関わらないものの Halliday & Hasan(1976) 等の機能主義文法でいう「対人部門」の意味には関わるものと関わらないものがあると思われる 。つまり聞き手への働きかけがあるフィラーとそれがないフィラーである。

例)・聞き手への働きかけのあるフィラー「これ大学院うかるかどうかの瀬戸際みたいな話だぞ、おい

  ・聞き手への働きかけのないフィラー「問題2番目のえーと、2番目だっけ、2番目は、あのー無限に、大きな板があって、・・・」

聞き手への働きかけの有無は聞き手にとってのそのフィラーの重要性に関わると思われるので、フィラー全体に占める聞き手への働きかけのあるフィラーの割合を見てみた(表2)。なお、以下文科系と理科系とで有意の差が出たものについては表の下に有意水準を記す。

  表2:フィラー総数と聞き手への働きかけのあるフィラー数

 

文科系

理科系

フィラー総数

3421

1545

働きかけあり

141

160

割  合

4.12%

10.36%

* 0.1% で有意

 ここでも文科系と理科系とでは大きな違いがある。フィラー全体の出現率では文科系が理科系のおよそ2倍の高率を示したにもかかわらず、そのうち働きかけのあるフィラーでは理科系が文科系の2倍以上となっている。

 聞き手への働きかけのあるフィラーが多いということは聞き手への配慮が大きいということにつながり、また一般にこのようなフィラーは種類が限られていて日本語学習者にも習得しやすい。そういったことを考えると、少なくともこの点では理科系の講義の方が聞き手にとって比較的容易であると思われる。

 5.3.発話境界(発話頭・発話末)にあらわれるフィラーについて

 2でも述べたとおり、Stubbs(1983) では本稿でのフィラーにほぼ相当するような要素に境界指示標識としての機能があると述べてあり、同様に Schiffrin(1987) もその種の要素はしばしば文に先行するものであって“sen-tence initial position" に位置すると述べている。このような特徴があるとすると、その特徴をもつフィラーは、前項で言及した

Halliday & Hasan(1976) 等の機能主義文法でいうところの「テクスト構成部門」 に関わるものと思われる。したがって、本研究でもフィラーに発話境界をマークする機能があるかどうかを見てみることにした(表3-1)。また、「発話境界」は英語の先行研究が対象としている「発話頭」のみに限らないので、本研究では発話頭に加え発話末のものも調査対象とした(内訳は表3-2に示す)。

 表3-1:フィラー総数と発話境界のフィラー数

 

文科系

理科系

フィラー総数

3421

1545

発話境界フィラー

598

330

割  合

17.48%

21.36%

 * 1% で有意

 表3-2:発話境界のフィラーの内訳

 

文科系

理科系

発話境界フィラー

598

330

うち発話頭

552

267

発話末

46

63

 発話境界(発話頭・発話末)のフィラーの出現状況は英語の談話マーカーに関する先行研究の指摘に基づき調査したものだが、最も高率を示した講義においてもフィラー全体の3割強にとどまり、少なくとも先行研究で言われているほどにはこの機能が大きいものではないということがわかった。ただし、英語の先行研究は声的なフィラー(“er" など)を考慮の対象としていないと思われるので、あるいはそれがこういった違いに反映しているのかもしれない。

 この項目でも文科系の講義と理科系の講義とではある程度の違いが見られ、フィラー総数中の発話境界のフィラーの割合は理科系の方が高い。また、興味深いことに、特に理科系の講義では発話境界に「ね」などを用いて聞き手の注意を引く用例がしばしば見られた。このことからすると、この種のフィラーの一部は対人的な意味をももつということになる。

5.4.換言・修正等のマーカーとしてのフィラーについて

 本研究を行うにあたりデータ全体を概観して気づいたことの一つが、フィラーには直前に表現したことを言い換えたり言い直したりする際のマーカーになっているものがあるということである 。これらは話し手がある発話内容をどのように表現するかという表現行為に関わっており、境界標識機能と同様にテクスト構成上の意味 をもつものだと言える。

例)・換言・修正等をマークするフィラー

  「あのー、該当するのはですね、みなさんに渡したペー、あの、プリントのね、8ページ目です」

   「・・・しかしいーちとか、てとかいう音に対して、え、てぃという音をこういうまあ一種のその応用された、ですね、えー、アプライドされたあーそのおー拗音表記でもってわれわれは書いてるんですね」

  ・換言・修正等をマークしないフィラー

   「はい、おはようございます」

講義の場合はとりわけ内容の訂正ということが大きな意味をもつので、換言・修正等をマークするフィラーは聞き手にとってきわめて重要であると考えられる。これに関する調査結果を表4に示す。

 表4:フィラー総数と換言・修正等のマーカーとしてのフィラー数

 

文科系

理科系

フィラー総数

3421

1545

換言・修正フィラー

230

183

割  合

6.72%

11.84%

 * 0.1% で有意

  換言・修正等をマークするフィラーはフィラー全体の1割弱の割合であらわれる。ここでもやはり文科系の講義と理科系の講義とではっきりした違いがあり、理科系の講義においては文科系の2倍近い率であらわれている。この結果からも聞き手にとって有意味なフィラーは理科系に多いように思われる。

5.5.使用度の高いフィラーの使用度数とそのフィラー総数に対する割合

 上記の各細目のほかに、各講義で使用度が上位8位までに入ったフィラー全16種に関して文理別に使用割合を見てみた(表5)。いくつかのフィラーに関しては文科系と理科系とで使用割合に有意の差が出たのでそれもともに示した。有意水準の欄が空欄になっているところは有意の差が出なかったものである。

6.結果の考察

6.1.フィラーのもつ二大機能:対人的・テクスト構成的

 調査結果を改めて考察してみると、フィラーには機能上対人的な意味テクスト構成的な意味に関わるものがあることがわかる。

表5:使用度の高いフィラーの使用度数とそのフィラー総数に対する割合

 

 

文科

理科

文科系

割合 %

理科系

割合 %

有意

水準%

あの類

1066

573

31.16

37.09

0.1

その類

226

20

6.61

1.29

0.1

この類

86

36

2.51

2.33

 

こう類

39

12

1.14

0.78

 

えー類

708

265

20.70

17.15

1

あー類

237

107

6.93

6.93

 

おー類

44

24

1.29

1.55

 

えーと類

40

64

1.17

4.14

0.1

まあ類

630

138

18.42

8.93

0.1

もう類

41

37

1.20

2.39

1

さあ類

14

6

0.41

0.39

 

うん類

28

4

0.82

0.26

5

ん類

36

10

1.05

0.65

 

100

139

2.92

9.00

0.1

何と類

12

11

0.35

0.71

 

なんか

23

16

0.67

1.04

 

 対人的な意味はかなり一定したフィラーが担っているようだが、テクスト構成的な意味については、多少の傾向性は見られるものの、特定のフィラーが担うと決まったものではない。純粋に対人的な意味をもつフィラーには、相手への呼びかけのための語や相手の注意を喚起する小辞がある。後者は単独で用いられる以外にほかのフィラーの後について複合的形態をとる(「あの」等)ことも多い。発話境界をマークするフィラー(「あ」などがしばしば見られる)は、本来的にテクスト構成的な意味をもつが、前にも述べたとおり、特に理科系の講義においては、聞き手の注意を喚起する機能を果たすものも多く、したがって、この発話境界をマークするフィラーはテクスト構成的な機能と対人的な機能との両方に関わると考えられる。換言・修正をマークするフィラーは談話を適切に構成しようとすることが主な役割であり、その意味でテクスト構成的な意味をもつものだが、一方で換言・修正という行為の前提には聞き手の存在があるということを考えると、対人的な機能ももつと言えよう。ほかにもっぱら話し手自身の話しやすさの実現のために存在すると思われるフィラーもあり、これは表現行為に関わるという意味で純粋にテクスト構成的な意味をもつものと考えられる。

 講義の聞き手にとっては、純粋に対人的なフィラーと換言・修正等をマークするフィラーとが特に重要な意味をもつと思われる。日本語学習者の場合、前者については形式が限られるので習得も容易だが、後者に関しては相当の「慣れ」が必要となろう。

6.2.フィラーの分類と定延・田窪(1995)

 前項で述べたようにフィラーはその機能上大まかに見て次のように類別される。

@純粋に対人的:呼びかけの語・注意を喚起する小辞(「ほら」「ね」等)

A対人的かつテクスト構成的:談話の構成に関わると同時に聞き手を意識

A−a:発話境界をマークするフィラー(「あ」「ね」等)

A−b:換言・修正をマークするフィラー(「あのー」等)

B純粋にテクスト構成的:話し手の話しやすさのためのフィラー(「えーと」等)

 2ではとりあげなかった8 が、定延・田窪(1995) は、「話し手自身のおこなっている心的操作をモニターする標識や、聞き手との情報受け渡しに関する標識として機能し、音声対話におけるヒト対ヒトの認知インターフェイスとして重要な役割を果たす」心的操作に関わる表現のうち、心的操作の標識として特に「ええと」と「あの(ー)」を対象に、談話における話し手の心的操作のモニター機構について詳しく論じている。ここではこの定延・田窪(1995)とからめて簡単に見ていく。

 定延・田窪(1995)は、「ええと」と「あの(ー)」をともに「話し手が何らかの心的操作をおこなっている間に発話される心的操作標識である」であるが「両者には「話し手がおこなう心的操作の場所、および種類に関して、大きな違いがある」とし、それぞれの基本的用法に関して次のように述べる。

 ・「ええと」の基本的用法

  談話中に必要となる心的操作(たとえば検索や計算)の中には、結構手間のかかるものがある。話し手がこれをおこなう際には、話し手の意識を小容量の心的バッファから大容量の心的データベースに戻す事によって演算領域を確保する(中略)という、検索や計算などのための予備的な心的操作が必要になることがある。「ええと」は、話し手がいったんこの予備的な心的操作に入っていること(入りつつ、当該の検索や計算をおこなっていること)を表す。「ええと」を発話することによって、話し手はこの演算領域確保操作を通じて、目的となっている当該の検索・計算操作を明確化でき、支援できる。(後略)

・「あの(ー)」の基本的用法

  「あの(ー)」は、話し手が言語編集という、聞き手の存在を予定する心的操作をおこなっている際に用いられる。この心的操作は具体的には、名前の検索と、適切な表現の検討に二分される。(中略)名前の検索とは簡単に言うと、モノ自体はわかっているが、モノの名前が思い出せないという場合の心的操作である。具体的には、話し手の意識を心的バッファから、そのモノに関する情報が格納されている心的データベース内の該当箇所に戻し、そこで属性の1つである名前を検索するという操作である。(中略)他方、適切な表現の検討は、言いたいコト(中略)に適した言い方を心的バッファで編集するという操作である。

定延・田窪(1995) が「話し手自身のおこなっている心的操作をモニターする」と表現する機能は、上で分類したフィラーのうちA−bおよびBと関わりが深いと思われる。A−bで「あのー」などが換言・修正をマークする機能をもつとしたが、これは定延・田窪(1995)の「適切な表現の検討」ということに関係してくる。適切な表現を表出する過程において、その適切な表現は(A)フィラー(あるいは心的操作標識)を一度も用いずに出てくることもあれば、(B)「あのー」等を一度用いた後で得られることもあり、さらには(C)一度(もしくは数度)獲得に失敗した後にあらためてフィラーが用いられその後で得られるということも考えられる。換言・修正をマークするフィラーは(C)の場合だと考えられる。また本稿ではBの「えーと」等を純粋にテクスト構成的なフィラーであり話し手の話しやすさのためのものとしたが、これについてはさらに深く考察していく必要があろう。

 このように定延・田窪(1995) の考察は本研究との関連で見ても妥当性が高いと思われるが、対象とされているのは「ええと」(「えーと」)と「あの(ー)」のみであり、さらに対象を広げて見ていけばいわゆるフィラーの体系化に進むことも可能かと思われる。

6.3.文科系・理科系の講義類型との関連およびわかりやすさとの関わり

 三宅(1993)によると、講義は、@説明タイプ(発話が長い/確認の表現が多い/板書を多用/質問・問いかけが少ない/テキスト類を多用/事実の叙述や断定が多い)、A講演タイプ(発話が長い/確認の表現が少ない/質問・問いかけ・独り言が少ない/事実の叙述や断定の表現が多い)B語りかけタイプ(語りかけが多い/終助詞を多用/確認や質問・独り言が比較的多い)という3タイプに大別され、文科系の講義はAB、理科系の講義は@であるという結果が出ている。

 これを本研究の考察と照らし合わせてみる。対人的意味をもつフィラーが理科系の講義に多いということは、講義というものが本質的には独話であるにもかかわらず、説明タイプの講義が明らかに聞き手とのやりとりを前提としており、聞き手の理解を確認しながら進むということを示している。発話境界のフィラーや換言・修正等をマークするフィラーに関しても理科系の方が多く、総じて理科系のフィラーには「聞き手にとって意味のある」ものが多いと言えよう。逆に、講演・語りかけタイプである文科系の講義は間つなぎや言いよどみのように「話し手自身の話しやすさのための機能を果たすフィラー」が多い。

 このようなことを日本語教育という立場とからめて見てみると、わかりやすさということ全般に関しては論理展開、接続詞の使用、用語の難易、話のスタイルといった多くの要素がからんでくるので一概には言えないものの、少なくともフィラー類に関する限りでは理科系の講義は独話とはいえいくぶん会話に近くいくつかのフィラーの働きと専門用語を習得すれば講義自体は比較的わかりわすいものであり、一方文科系の講義は用語そのものはわかりやすくとも講義自体がわかりやすいものであるとは決して言えないと思われる。

7.まとめ

 以上、大学の講義を資料として、日本語のフィラーの機能および文科系・理科系の講義の違いについて見てきた。まだ大まかな枠組をとらえただけであり不十分な点も多いが、本研究の結果から見て、少なくとも、@フィラーのように従来の文法を中心とする研究においてなおざりにされてきた要素も談話あるいは言語活動においてはそれなりの機能をもつということ、A文科系の講義と理科系の講義とではわかりやすさに関して質の違いが見られるということ、B今後日本語教育では理科系学習者向けの指導法の開発が進んでいくと思われるが、その際Aの事実を踏まえて重点を置く箇所をある程度変える必要があるということという三つの点は明らかである。これらの点に関しては言語学・日本語学一般ないし実地の日本語教育の各領域でいっそう積極的に追求していく必要があると言えよう。

1 筑波大学石田敏子研究室(編)(1993) に  1991 年度の報告がある。

2 英語の場合も事情は同様らしく、Svartvik(1980) でも次のように述べてある。

... there is little agreement as to the function or word-class status of well. It has, for example, been la-  belled‘adverb',‘interjection', ‘filler', and‘particle'; those grammars that mention it at all assign various names to it in specific uses, such as‘hesitator' ,...,‘ut- terence-initiator',...,‘initiator'. (p.168)

3 本研究で用いたデータは筑波大学石田敏 子研究室(編)(1993)に報告されている研 究において基本的な処理がなされたもので ある。講義内容は書きおこされ、音声的・ 文法的な切れ目をもとに発話を区切ってあ る。本稿でいう発話数はその1発話を1単 位として数えた結果である。

4 機能文法では種々の意味選択体系が観念構成部門(ideational component)・対人部門(interpersonal component)・テクス ト構成部門(textual component)の三つのメタ機能部門に集約されるとする。Halliday & Hasan(1976) は次のように述べる。

There are three major functional-semantic components, the IDEATIONAL, the INTERPERSONAL and the TEXTUAL.The IDEATIONAL component is that part of the linguistic system which is concerned with the expression of‘content', with the function that language has of being ABOUT something....The INTERPERSONAL component is concerned with the social, expressive and conative functions of language, with expressing the speaker's‘angle'.... There is a third component, the TEXTUAL, which is the text-forming component in the linguistic system. This comprises the resources that language has for creating text, in the same sense in which we have been using the term all along: for being operationally relevant, and cohering within itself and with the context of situation. (pp.26-27)

5 注4を参照。

6 Svartvik(1980) は“well”に関して同様の指摘をしている。

  Another use of well ... is as edit ing marker for self-correction: ‘what I mean is',‘I mean'; ... (pp.175-176)

7 注4を参照。

8 本研究のもとになった共同研究の時点で 定延・田窪(1995) は未発表であったため、 先行研究として参照するのが遅れた。

参考文献

月刊『言語』20-4(特集:ハリデーの言語学)(1991) 大修館書店

Greenbaum, S., Geoffrey N. Leech & Jan Svartvik(eds.)(1980) Studies in Eng- lish Linguistics for Randolph Quirk. Longman Halliday, M. A. K. and Ruqaiya Hasan (1976) Cohesion in English. Longman

小出慶一(1983) 「言いよどみ」『話しことばの表現』(水谷修編) 筑摩書房

国立国語研究所(1955) 報告8『談話語の実態』秀英出版

国立国語研究所(1960) 報告18『話しことばの文型(1)』秀英出版

国立国語研究所(1963) 報告23『話しことばの文型(2)』秀英出版

産業能率短期大学日本語教育研究室(編)(1988)『講義を聞く技術』産業能率大学  出版部

水谷修(編)(1983)『話しことばの表現』(『講座日本語の表現』3)筑摩書房

三宅和子(1993)「表現意図と教室活動からの分析」『講義の日本語における理科系・文科系の特徴T』(筑波大学石田敏子研究 室編)

山下暁美(1990)「話し言葉におけるいわゆる“無意味語"」『講座日本語教育』第25分冊 早稲田大学日本語研究教育センター

定延利之・田窪行則(1995)「談話における心的操作モニター機構−心的操作標識 「ええと」と「あの(ー)」−」『言語研究』108

Schiffrin, Deborah(1987) Discourse Markers. Cambridge University Press

Stubbs, Michael(1983) Discourse Analysis: The Sociolinguistic Analysis of  Natural Language. Basil Blackwell(南  出康世・内田聖二訳 1989『談話分析−自  然言語の社会言語学的分析』研究社)

Svartvik, Jan(1980)“Well in Conversation" in Greenbaum et al.(eds.)(1980)

筑波大学石田敏子研究室(編)(1993)『講義の日本語における理科系・文科系の特徴T』