『教育研究所紀要第6号』文教大学付属教育研究所1997年発行

臨床心理学と教育の統合に関する一試論

 伊藤 研一

(文教大学人間科学部)

1.はじめに

   問題意識の発端は日本心理臨床学会での発表(伊藤、1991)の際に出会った参加者の反応だった。極度の学習不振の小学4年生の事例に対して、学習援助と心理療法を組み合わせて行った事例である。参加者の目立った否定的な反応として「どうして心理臨床家が学習の面倒を見なければならないのか」「学習指導は他の人に任せるべきで、心理臨床家がそれをしたのではのアイデンティティがなくなる」等の発言があった。またこの発表した事例を論文として投稿した際にもコメントとして「どうして最初から『心理療法』を行わないのか」「本事例の学習援助と教育指導的方法との相違を明確にしなさい」とのコメントがつけられた。そのコメントにしたがって修正を加え、論文は採択されたが(伊藤、1993)、何か不全感のようなものが残った。
  今思えば、一部の(それも少数派ではないと思われる)心理臨床家の側が考えている「教育」との相違に対して筆者は違和感を感じたということであった。
  現在、「いじめ」や「不登校」など学校での問題は深刻かつ長期化している。それに対して、文部省主導でスクールカウンセラーの派遣が行われている。また教員のカウンセリング研修や、教員が一定期間、公立の教育相談所で兼務相談員として実際の相談を行い、その経験を再び学校現場で生かすということも以前から行われている。当然そこには前提として、臨床心理学と教育は違うのだという意識が強く働いている。違うからこそ互いの専門性を侵さずに協力し合えるのだというわけである。こうした互いの専門性を尊重した相互協力も確かに有効であろう。
  しかし、本論文では、臨床心理学と教育の共通している面、もっといえば「融合」している面からの相互協力の方向性を考えたい。そこで順序としてまず、臨床心理学の実践の大きな柱である「心理療法」と「教育」の相違について検討する。その相違を踏まえた上で、筆者が心理臨床の現場で経験した「教育実践」について述べる。その次に、教育実践に見られる「臨床心理学的実践」をとりあげる。臨床心理学と教育の双方からその「融合」部分を照射することになろう。最後に、こうした観点から、臨床心理学と教育の統合に向けての具体的な方向性を模索する。 

2.心理療法と教育の比較

 心理療法と教育の相違を、池田(1981)の論文を参考に考えてみよう。

表 教育と心理療法の比較

 
教育
心理療法
優先的人間観 あるべき人間の姿を志向する(価値判断的人間観) 人間はどのようなものであるか(科学的人間観)
二次的人間観 人間はどのようなものであるか(科学的人間観) あるべき人間の姿を志向する(価値判断的人間観)
働きかけの方向性 衝動や欲求に対して禁止的、抑圧的 衝動や欲求に対して受容的、非指示的
プラスの効果 葛藤処理経験による対処能力向上(広義の知能向上) 葛藤から生じる人間形成の歪みの改善
マイナスの効果 葛藤から生じる人間形成の歪み(異常、疾病) 葛藤処理経験による対処能力の弱体化

 まず、優先的人間観、いちばん結びつきの強い人間観は何かという事を考えてみる。教育は、社会とか文化の中で、あるべき人間の姿、こういう人間が望ましい、そういう姿を志向した、いわば価値判断的人間観との結びつきが強い。一方心理療法は、そういうものとのつながりがない事はないが、もともと人間というのはどのようなものであるのか、という科学的人間観との結びつきが強い。
  教育はあるべき人間の姿を志向するということが大前提としてあって、人間はどのようなものであるのかという現在の状態からあるべき人間の姿に近づくにはどうすればいいのかという方向に働きかける。心理療法でも、あるべき健康な人間の状態というのはどんなものであるかというのを一応考えてはいる。そして、「あるべき健康な人間」という概念には、やはりそこに当然価値判断が含まれる。しかし心理療法と「あるべき健康な人間」という概念との結びつきはさほどに強くはない。心理療法の場合には、極端にいうと、その人が実際に心理療法に来る前よりは来た後の方が少しは気持ちが軽くなるとか、生きやすくなるということを目標にすると言ってもいいぐらいであろう。
  次に働きかけの方向性を見てみると、教育はその人の衝動とか、欲求に対して禁止的であったり、抑圧的であったりする。心理療法の場合には、衝動や欲求に対して受容的であり、非指示的である。あるがままの状態、すなわちその人の自然な状態をできる限り受け入れて行こうという方向性を目指す。
  教育の効果について考えてみる。教育の場合、衝動に対して禁止したり、抑圧したり、あるいは枠はめをしようとするわけで、当然、子どもに葛藤が生じる。その葛藤をどういう風に処理したらいいかという事を子どもは考える。考えたり、あるいは考える以前に何とか取り組もうとするが、その葛藤を乗り越えることによって、葛藤自体に対しての対処能力が向上する。つまり自分の思う通りにはいかない環境との間で、合理的に自分の目的を何とか果たそうとするわけで、広い意味での知的能力が向上すると考えられる。マイナスの効果としては、教育の禁止的、抑圧的枠はめがその人のあるがままの状態から許容量を超えて大きく変える方向に働く場合には、人間形成に歪みが生じることになる。それが症状や問題行動を生じさせる。心理臨床家の側は教育のマイナスの効果が現われてきた子どもを通してものを見ているという形になっているので、心理臨床家の側からの教育に対する批判や、前に述べた反発などには偏りがあることを考慮する必要があると思われる。
  教育の「枠はめ」が本当になければいいのか、と言うと決してそういう事ではない。プラスの効果として子どもの対処能力が向上するという、そういういい点があるわけで、教育的方向づけをただ緩めればいいという事になると、葛藤処理能力がむしろ弱まってしまうことになる。
  そう考えていくとむしろ教育と心理療法は、お互いに補い合う、あるいは支え合うというという側面があることがまず指摘できよう。さらに教育途上の子どもが心理療法を受けるという場合、同じ子どもの中に教育の影響と心理療法の影響が重なり合うことが起こる。次にその具体的な諸相を検討してみよう。

3.教育と心理療法の統合の経験

(1)狭義の心理療法では行き詰まる経験

私の心理臨床の出発点は、大学付属の教育相談室における外来相談であった。そこは来談者中心療法という理論が主軸にあって、訓練や学習もその軸にそって行なわれていた。言い換えると、比較的純粋な形で狭い意味での心理療法的や遊戯療法的を行なっていたと言える。私はその中で心理療法の教科書などに書いてあるいろいろな原則に忠実に、クライエントと関わりを持とうとしていた。
  しかしある時に、そうした狭義の心理療法的なかかわりではどうにもならないケースに出会った。クライエントは来談当時小学校6年の男の子であった。その子は3才ぐらいから多動で、しかも幼稚園時代は集団の中にはいれなくて、その場から抜け出て、道端で花を見てるとか、虫を見てるとか、かと思うと機械とかメーターなどに見入っているとかの行動が目立っていた。小学校時代はほとんど机の前に座っていられなくて、うろうろして廊下のあたりにごろっと横になったりしていた。
  母親との関係も良好ではなかった。母親はこの子が生れた頃、別のことで「心に穴がぽっかりあいたような感じだったし、3歳以前にどんな様子だったかほとんど思い出せない」というような状態だった。この子のことで困っていろいろな相談機関や医療機関に通ったが、自分が日々の生活の中で関わりかたを考え直して変える、例えば、この子の気持ちを汲んで対応するようなことはしなかったのである。子どもがなにか自分の気にそまないことをすると、すぐ食事を抜くという罰を与えたりする。他人との関係が広がる以前の段階、すなわち母親との間で満足のいく二者関係が育っていない子であった。
  狭い意味での心理療法(図1参照)では言葉とか象徴を媒介にしてやりとりすることなる。しかしこのような十分な2者関係を経験していない子どもでは、言葉や象徴を支える具体的な経験の蓄積が希薄である。したがって狭義の心理療法だけではどうしても限界が生じる。
  彼との遊戯療法的な関わりにおいては、お話作りなどのやりとりや取っ組み合いのような退行的で攻撃的なやりとりをずいぶん重ねた。「やりつくし」たという感じが私と彼の双方に出てきたあたりで、彼が私に向かって、「こんなことやっててもしょうがないよ」とぽつりともらした。確かにそうだと私も思い、「何したいんだい」と聞くと「何かを作ってみたい」と答える。「何作りたい?」と聞くと「食べるものを作ってみたい」というのである。「じゃあ料理を作ろう」ということになり、鶏肉を炒めたりとか、ご飯を炊いたりとか、お菓子を作ったりとか、かなり具体的で、言ってみれば教育に近いようなことを始めたわけである。そのうちに他の日常のこともできるようになってきて、今度は「仕事に就きたい」ということになり、職業相談所に行ってみようかという段階になった。これも言ってみれば進路指導的な要素を含んでいる。

図1 略

(2)ある私塾で-「飛行機はなぜ飛ぶか」-

ある私塾での経験を紹介し検討する。その私塾は「よみがえる親と子」(村瀬、1996)という本で取り上げられている私塾で、小中学校時代に学校生活で不適応を起こして、中学を卒業してから行き先がない子どもたちのための機関である。そこに通ってくる子どもたちは公教育における教育経験がすべて抜け落ちてしまっているような子がほとんどである。縁があって「子どもたちに授業をしてほしい」と頼まれた。授業や勉強に対して否定的な思い出がほとんどであろう子どもたちに一体何が教えられるかと考えた。そこでやはり自分が楽しいと思っていることをやるのが、まず最初だろうと思い、私自身が中学の時は「理科の実験少年」だったことを思い出した。中学時代、私は自宅でビーカーや試験管、バーナー等を使って合成ゴムを作ってみたり、パルプを作ったりしていた。

図2実験1(略)

 実際には、「飛行機はなぜ飛ぶか」という授業にした。リンゴを2つ持っていった。実験材料を入れた袋を開けた途端にリンゴの匂いがぷーんとして、授業というと固い雰囲気を期待している子どもは驚く。こういういわば演出も大事な要素だと考えていた。図2のように割り箸に紐をくっつけて、リンゴを1?2センチの間をあけて2つ並べて、その間に息を強く吹く。「リンゴはどうなるか」と子どもたちに聞いてみる。「離れる」「変わらない」とか、「くっつく」「回転する」という答えが出てきた。皆が目を輝かせてリンゴを見て、どうなるかと固唾をのむ感じになる。結果はリンゴ同士がぶつかるというものである。一体なぜか、ということを説明した。簡単に言えば流れの速度が速い部分では圧力が周囲よりも圧力が小さくなり、結果として圧力が大きい周囲から押されてリンゴがぶつかると言うことである。

図3 実験2(略)

 次に厚手の本のページの間に紙の端をはさんで垂らして、団扇で扇ぐとその紙が、ぱーっと上の方に揚がるという実験を行なった。これも流れの速さが速い上の部分の圧力が小さくなり、流れが遅い、あるいは流れが止まっている下の部分の圧力が大きいから、下から上に向かって力が働く。これは飛行機の翼に似ているので、この図を多少変えると「飛行機はなぜ飛ぶ」かは容易に理解される。
  さらに洋式トイレの説明をした。洋式トイレには水が溜まるところがある。よく観察していると最初に入れた水面よりも少し下がってることがある。溜まっている水の脇を階上からの水が流れてくる。脇を流れる水の圧力が小さいので、溜まっている方の水の圧力の方が大きくなり、溜まっている方から水が押されて脇の方へ流れてくるわけである。そういう説明をしたら、家で家族に乱暴を振るっているという子が非常に感心して、「そう言えば家は2階と1階両方便所があるんだけど、2階の便所の水面はあまり変わらない、それは上から流れてこないからですね。1階の便所は確かに水面が下がります」と言い出した。その子は授業の後で、その私塾の先生に「今まで小学校、中学校と行く間にだんだん勉強が難しくなってきた、だけど今日、大学の先生の話を聞いたらわかりやすかった、大学行ったらもっと難しくなると思っていたが、意外にわかりやすかった。それで自分も大学に行ってみたい」ということを言ったそうである。
  私にとってみると、行なったことは「授業」であるが、それが?子どもの自発性を引き出し、将来への希望を生み出すと言う、個別心理療法の目標とも重なると言う経験になった。
 

4.教育の心理療法的効果

(1)林竹二先生の実践-学びながら遊ぶ-

「人間について」(林、1973)という授業実践がある。これは当時宮城教育大学の学長だった林竹二氏の授業の実践記録である。記録映画にもなっている。林氏は子どもたち一人一人に「人間と動物はどう違うか」、「いったい人間とは何なのか」「人間とビーバーは同じか違うか」「ビーバーはすごい家を作ったりするけれど、人間より優れていると言えるのかどうか」というようなことを聞いていく。教科書でまる覚えにしたような知識に基づいた答えを子どもがすると、林氏から鋭く反問されて、立ち往生してしまう。生半可な知識ではなく、自分の頭で考え抜くことを要求される。そこで子どもたちが経験することは、前述のように課題にぶつかってそれを乗り越えるという葛藤処理の能力が増大するということがある。しかしそれだけではない。授業を経験した子どもたちの感想のほとんどに「楽しかった」「面白かった」という言葉が含まれている。さらに「林先生と勉強していると遊んでいるような気持ちになる」というある子どもの感想に象徴されるように、子どもたちは「学びながら遊んでいる」のである。すなわちここには教育と心理療法の一つである遊戯療法の融合した姿があると言って過言ではない。

(2)養護学校教師の経験-「器」になる経験-

「授業研究入門」(稲垣他、1996)という本に、養護学校教師の経験が紹介されている。ある養護学校の一人の女性教師が言葉を話せない知恵遅れの男の子を受け持った時のエピソードである。養護学校で、ある男の子が担任である彼女を砂場に連れて行っては茶碗を持たせて、その茶碗に砂をぐいぐい詰め込む活動を繰り返していた。相当の腕力を持つ男の子で、教師は茶碗を体の前で両手で支えるので精一杯だった。この活動がくる日もくる日も飽くことなく繰り返されると、ベテランの彼女も、「何故これほど攻められなければならないのか」と思い、腹立たしい思いに襲われた。しかしこの子はますます激しく同じ活動を繰り返すだけである。そんな日々が続くと、この教師は茶碗を持って土を押し込めさせる関わりしか築けない教師としての非力を痛感し、自責の念に苦しむようになる。しかし彼女の苦しみは彼に伝わるはずもなく、同じ活動が更に繰り返される日々が続いた。苦しみぬいた彼女は、ある日突然の啓示を受けたように、「あの子は文字どおり『器』になってほしいと私に訴えているのかもしれない、今日からはあの子の『器』になってやろう」と決意して学校へ行った。するとその男の子は、「器になるつもり」で差し出した彼女の茶碗に土を押し込めると、彼女の手をとって初めて別の活動へ向かったということである。
  この実践を検討してみる。男の子のほうは彼女に言葉ではなく行動で何かを伝えようとしていたのである。しかし繰り返される行動は、教育的すなわち課題達成的見地からは「問題行動」あるいは「常同行動」でしかない。教師もそのように見ていた。この間に味わった教師の無力感は、男の子のほうが「自分の思いが伝わらない」ことで味わっていた無力感と等質のものと言ってもいいだろう。彼女が男の子の「器」になろうと決意した時、男の子は自分が伝えたい何かが伝わったとわかり、そのことで自分との彼女との間に「絆」ができたと感じて、次の行動に移ったと考えられる。
  いわゆる「普通」の子どもでも、自分のことをわかってくれない教師、あるいは「絆」を感じられない教師の教えることはほとんど身につかないことを考えれば、このことは同じように理解されるだろう。
  この実践で見られる「問題行動、あるいは症状からメッセージ」への移行ということは心理療法の中心的テーマである。すなわち彼女の実践は教育現場の中で行なわれた心理臨床的実践と言えるだろう。

(3)灰谷健次郎氏の実践

灰谷健次郎氏の「私の出会った子どもたち」(灰谷、1974))にある「チューインガム一つ」という詩を取り上げてみる。

チューインガム一つ
 村井安子
せんせい おこらんとって
せんせい おこらとってね
わたし ものすごくわるいことした
わたし おみせやさんの
チューインガムとってん
一年生の子と二人で
チューインガムとってしもてん
みつからへんとおもとったのに
すぐ みつかってしもた
きっと かみさんが
おばさんにしらせたんや
わたし ものもいわれへん
からだが おもちゃみたいに
カタカタふるえるねん
私が一年生の子に
「とり」いうてん
一年生の子が
「あんたもとり」いうたけど
わたしはみつかったらいややから
いややいうた
1年生の子がとった

でもわたしがわるい
その子の百ばいも千ばいもわるい
わるい
わるい
わるい
わたしがわるい
おかあちゃんに
みつからへんとおもとったのに
やっぱりすぐみつかった
あんなこわいおかあちゃんのかお
見たことない
あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない
<後略>
(「私の出会った子どもたち」新潮文庫より抜粋)

 これだけ見ると、小学校3年の村井安子ちゃんという子が一人で書いたという風に見えるが、そうではない。この村井安子ちゃんという子がお母さんに連れられて教師をしていた頃の灰谷先生のところにやってきた。安子ちゃんは店でチューインガムを万引きして見つかってしまったのである。その安子ちゃんが「先生、悪いことしてごめんなさい」とただ謝って済まそうとしたところを、灰谷先生がふっと向き合って「やすこちゃん、本当のことを言おうな」と言って、二人で1行書いては涙し、1行書いては涙し、というそういう相互作用の中で作っていった詩である。
  灰谷氏の対応は小学3年生の子には厳しすぎるという見方もあろう。しかしその見方は当を得ていないと考えられる。灰谷氏はただ謝って済まそうとした本人と憔悴したお母さんを見て何か言葉にならない不自然さを感じたのではないか。心理学的にいえば、灰谷氏が感じた前概念的な体験過程を本人と言語化していった産物がこの詩であろう。これは決して厳しく問い詰めるような姿勢を灰谷氏が取っていたら生まれない。「1行書いては涙し」という共感的な姿勢に支えられ、「本当に感じているのは何だろう」とやさしく問いかけることによってはじめて流れ出すプロセスである。心理療法の中では、過程としてはフォーカシングの過程がこれに相当するし、内容的には内観療法における典型的な報告がこの詩と酷似している。 

(4)ある死刑囚

短歌によって罪の自覚を深めたある死刑囚のことを取り上げたい。「遺愛集」という歌集(島、1967)はその死刑囚、島秋人(ペンネーム)の短歌を集めたものである。今から36年前の秋の彼岸に当時中学校で美術教師をしていた吉田好道氏のもとに、「昔先生に教えていただいた生徒で、人をあやめ死刑囚となって東京拘置所にいる。振り返ると自分は全然人にほめられたことがなかった。でも一度だけ、図画の授業の時、先生が『絵は下手だが構図がいい』とほめて下さった。それを思い出し、先生の絵が見たくなった」という手紙が来た。同時に子どもの絵を送ってほしいということも書いてあったそうである。
  好道氏はほとんど目立たなかった教え子から突然の手紙に驚いて返事を書いた。そして絵と一緒に、好道氏の妻、吉田絢子氏がアララギ派の短歌の指導を受けていたので、短歌を二首添えて送った。すると、島秋人はこんなに短い言葉の中にこれほど様々な感情を深く込めることができるのかと思い、だんだん短歌を書くようになったのである。
  彼の生い立ちはなかなか惨憺たるものである。彼の父親は警察官であったが、終戦後職を失って貧しい暮らしの中で母親が病死する。彼も病弱で、脊椎カリエスを患いギブスをはめる生活をしていて勉強も全然できなかった。中学を出て就いたいくつかの仕事は長続きせず、結局中学出たあたりからだんだんグレてきて、非行を重ねて少年院に入れらた。強盗殺人を犯したのは、出所後、飢えに耐えかねて24才の時に農家に押し入り、そこでその家の女性に見つかってしまい、絞殺してしまったのである。さらに、その夫をげんのうで殴って、現金二千円や時計などを盗った。数日後に逮捕され、死刑を宣告されたという次第である。吉田絢子氏は短歌を勧めた、と言うよりは短歌を送っただけであったが、それをきっかけにやり取りが始まった。書簡や短歌を読むと、これが本当に中学ぐらいから非行をして最後は人を殺した人が詠んだ歌なのかと思うぐらい、本当に自分の罪を深く見つめているし、命の尊さということに思いいたっている。例えば、「うす赤き冬の夕日が壁をはふ死刑に耐へて一日生きたり」。最後には処刑されるのだが、処刑前夜に「この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し」。処刑前夜に「生きていることが暖かい」という、「今生かされていることに感謝する」という境地にまで到達したのである。
  この場合も、最初に島秋人が吉田氏を思い出したきっかけは10数年前の吉田氏の一言である。それは表面的なほめ言葉ではなく、すでに荒んでいた島の心に新鮮に響く的確な「アセスメント」であったと思われる。
  また島が自分の内面を深めていく過程は、山中(1978)のいう「心の窓」を通した交流の過程であった。アセスメントにしても「心の窓」にしても臨床心理学の鍵概念である。 

5 統合への道筋

 心理療法の中の教育的働きかけ、および教育における心理臨床的な働きかけの実践事例をいくつかあげた。それらが子どもに与える影響の巾や深さはさまざまであるが、いずれも教育の「主流」や心理療法の「主流」からすると「辺縁」、図1のBやC、Dの重なり合う部分に属している。重なり合うからこそ重層的な意味合いを持つ部分である。
  こうした重層的な意味を視野に入れて、具体的には2つの提案をしたい。
(1)授業カンファレンス
  これは河合(1995)が提案していることであるが、授業の記録(ビデオ等)をもとに教師や教育学者、心理学者が授業を一つのいわば事例として検討する。その際、河合氏が指摘しているように授業の巧拙にとらわれず、自由に多面的に検討することが重要である。
  筆者は本論文で考察したことから、さらに?生徒の意欲?個々の生徒の発見や気づき?教材あるいは授業のテーマという窓を通して表現される生徒や教師の内面?言葉で表現されなかったもの(雰囲気、姿勢、表情等)への注目?教師が感じた言葉にならない前概念的な体験過程?生徒の自己像とその変化という視点を検討するポイントとしてあげる。
(2)心理臨床家の教育的実践
  教育的働きかけを必要としているクライエントに対して、心理臨床家自身が学習援助を行なうことは、心理臨床家の視野を広げる意味でも、クライエントに対する理解を多面的にする意味でも重要であろう。できればそうした事例の検討を授業カンファレンスの場合と同様に教師や教育学者など多様な専門家と行なうことが望まれる。

 以上二つの道筋を提案したが、(1)の場合でも(2)の場合でも、専門家がお互いの専門性を尊重する態度はもちろん大事であるが、それにとらわれると検討は表面的なものになりかねない。互いの立場に思いをめぐらしながらも、専門性の垣根を超えた率直なディスカッションが実りを多くすると考えられる。

文献

灰谷健次郎『私の出会った子どもたち』新潮文庫、1974
林竹二『授業 人間について』国土社、1973
池田数好「教育と精神療法」(季刊精神療法、7-2、1981)pp.98-104
稲垣忠彦・佐藤学『授業研究入門』岩波書店、1996
伊藤研一「心理臨床における学習援助の事例」(『日本心理臨床学会第10回大会論文集』1991)pp.138-139
伊藤研一「学習援助を心理療法に統合する試み」(心理臨床学研究、11-2,1993)pp.152-163
河合隼雄『臨床教育学入門』岩波書店、1995
村瀬嘉代子「外来相談における環境療法的アプローチの試み」(『大正大学カウンセリング研究所紀要』12、1989)pp.23-40
村瀬嘉代子『よみがえる親と子』岩波書店、1996
島秋人『遺愛集』東京美術,1967
山中康裕「思春期内閉」(中井久夫・山中康裕編、『思春期の精神病理と治療』1978)pp.17-62  


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