『教育研究所紀要第6号』文教大学付属教育研究所1997年発行

<特集 教育環境の変化と大学教育>

一 般 教 育 に お け る 社 会 学 講 義

            小 坂 勝 昭 (文教大学国際学部)     

要 旨

1991年の大学設置基準改正により一般教育と専門教育の境界が取り払われた。しかし、教養教育としての一般教育の重要性が減少したわけではない。大学大衆化の進行の中で、専門偏重の教育の弊害にどう対処すべきか。一般教育の社会学の講義を通して日頃気付いた点、および自分の構想する講義案の一部を示してご批判を仰ぎたい。 

1.はじめに

1991年の大学設置基準の改正により、従来までの一般教育の位置づけが大幅に見直されることになった。この大学設置基準の改正前から、全国の国立大学では既に「教養部解体」案が支配的となっており、新しい学部への移行が模索されていた。私立大学も例外ではなく、教養課程(一般教育)と学部教育(専門教育)の連続性に配慮し、専門科目を教養課程にも配置するなどのカリキュラム上の工夫がなされた。また、学部専任教員が「一般教育」科目を交替で担当するというシステムが一般的傾向となった。
こうした背景には教養課程の位置付けが非常に曖昧になってきたことや、さらに本来の教養課程が果たすべき期待や役割について共通の認識が得られなくなってきたことが指摘できる。さらに教員の立場からすれば教養部の教員の格付けが専門教育や大学院教育に従事する教員に比べて低く、何時までも専門教育に従事できないという不満の鬱積がある。 
確かに、研究者としての観点からは、学部、大学院の教育に従事するほうが自らの研究活動の推進につながり、かつ自分の学問上の後継者を育てることができるという期待もある。他方、学生の声として一般教育の講義は退屈だが専門の授業を聞いて初めて大学の講義だと思ったという声を耳にすると教養課程の役割とは何かに疑問をもたざるを得なかった。
1991年の大学設置基準の改正は、一般教育と専門教育の授業区分を廃止し、両者を一体化して人間形成につながる教育課程を再編成することを意図したものである。大学設置基準第19条2の「大学は教育課程の編成に当たっては、大学は、学部等の専攻に係る専門の学芸を教授するとともに、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養するように適切に配慮しなければならない。」との規定は明らかに従来の専門教育において欠けていたものを補おうとする意図が伺えるのである。従来、教養教育をめぐるさまざまな議論は整理すれば二つの考え方に帰着する。一つは教養科目をあくまでも専門のための基礎を養う一段階と規定する見解であり、他は本来、「幅広い教養を身に付け、人間性向上、および人格陶冶に資する」目的のために設置されたと見なす見解である。 扇谷 尚(大阪薫英女子短大学長)の指摘のように専門教育と一般教育の関係は「相互依存的」、「相互補完的」、「相互従属的」関係と言えるのである。(1) 
本稿は、これまで教養の社会学講義に従事してきた筆者の経験と反省に基づき、一般教育の意義と重要性を再認識することを目指している。そして、学生に理解しやすい社会学講義のあり方を自分なりに工夫し、常識に捕われない社会学を構想し、提案してみたい。 

2.中・高校の社会科教育の現状と方向性

これまで長年、大学で社会学の講義に従事してきたが、学生たちが中学・高校でどのような社会科教育を受けてきたかにほとんど無関心であった。そして、そうした態度に反省をせまったのが『社会科教育』(明治図書)の本年5月号の特集記事であった。この誌上シンポジュームは渋沢文隆(文部省初等中等教育局教科調査官)の提言論文「社会科はどう変わらなくてはならないか−−−岐路に立って考える」をめぐって五人の教育学者が誌上討論に参加する形式の企画である。
渋沢の論旨を簡潔に要約してみよう。主要なポイントは、@「生きる力を育む社会科」という基本的発想であり、そこで以下の諸点が主張されている。            

a. 一人一人がかけがえのない存在であると同時に、一人では生きていけない社会的存在であるという点に「社会科の存立基盤」がある。
b. (前項を受け)民主主義を追及し、民主的な社会を築き構成する人間の育成をめざす。
c. 従って,社会科は自分たちが暮らす現代社会がどのような経緯、背景のもとで成り立ち、どんな仕組みになっているのか、人間はどんな環境条件の下でどんな社会を築き、また他地域にはどんな社会がみられるかなどを学習対象とする。
d. なお、社会事象は相互に有機的に関連しており、また自然科学のように真理が必ずしも一つに帰結しないことから、総合的に追及したり、多面的・多角的に考察することが社会科学習の特性となっている。(2)

渋沢は、以上のように社会科学習の基礎を要約し、その方向性について以下のように述べられる。「社会科は本来、社会生活に根差した実践的な教科であり、またその学習成果は知識、教養として頭の中にしまっておくのではなく、社会生活の中に生かし、活用していきながら育て、磨いていくことが期待されている教科である。それを具現化し、実現することが『生きる力』を育む社会科であり、今後の社会科がめざすべき方向性であると考える。」と。(3)

渋沢のポイントは、A「事実認識の結果を覚える学習に奔走していてよいのか」という問題提起である。ここでは、これまでの中・高校の社会科が「事実認識の結果を覚える学習」に重点を起き過ぎたことが問題として指摘される。すなわち、事実認識の結果を羅列・列挙した教科書内容を、知識化して覚えさせるといった指導が広く行われており、そうした知識のほとんどはすぐに忘却され、身に付かない。なぜなら、それらの知識は「学校知」と呼ばれるテストにしか役に立たない[知]であり、「生活知」と大きく遊離しているからだと言う。

渋沢の指摘で重要なのは「知識の詳細化を専門性の高まりと捕らえ、知識量が増えれば総合的なアプローチや多面的・多角的な考察が可能となるかのような錯覚に陥った学習を積み重ねている。」(4)という点であり、こうした傾向が結局のところ「汎正解主義」に行きつくという指摘である。こうした考え方の背景にあるのは社会的事実に関する知識をたくさん身に付ければ公民的資質が育成できるという仮説があるからだという。しかし、テストで満点を取る生徒が必ずしも公民的資質に優れ、民主的人間というわけではない。それでは民主的人間を育てるためにはどうすべきか。集団思考の場を設けて「民主的な学習集団づくり」に努力し、かつ学習内容を工夫することだという。「問いと答え、原因と結果の間を大切にし、追及的な学習を重視すること」を強調されるのである。(5)

そして、問題提起として「中学校ではこれまでの地理、歴史、公民といった枠組みにこだわらず、思い切って、例えば開発、環境、共生、人権、福祉などといった新領域を設定するなど、学問の成果や体系に基づいた分野を検討し、再編成することも検討するに値しよう。」 (6)と述べ今後の方向性を示唆している。
この渋沢提案を受けて、星村平和(帝京大学文学部教授)は、今年(1997年)が社会科発足50周年の記念すべき節目であるとし、社会科を取り巻く時代的、社会的環境が厳しくなり、教科存立の基盤を揺るがしかねない状況と指摘する。そして、渋沢の「生きる力」の内実を「変化の激しい時代を主体的に生きる人間としての実践力」と把握すべきであると提案したうえで、生きる力の内実を以下の五点に要約する。(7)   

(a) 創造性の育成−−−知識を単に獲得するだけでなく、それらを駆使・操作し、新しい知を創造する。      
(b) 総合的判断力−−−科学の知と日常(生活)の知の落差を無くし、両者のバランスを図る。             
(c) グローバルな視野の育成−−−自らのアイデンティティを確認しつつ、異文化理解や共生の心を育てる。 
(d) 人間と環境の重視−−−生命倫理や環境倫理の新しい知見を生かす。 
(e) 情報化への対応−−−単純な機械型から知的生産性の高い、情操豊かな人間の育成を目指す。

こうした提案は、国際化、情報化などの環境の変動に対応しうる資質の養成を意味すると同時に、「社会認識を通して公民的資質を育成する」ことを教科の基本におこうとするものである。星村の提案は渋沢の提案を補足するという役割をになっているように思われる。渋沢論文の内容は今後の社会科教育の在り方に言及し、生涯教育まで視野に収める広がりを有するが、ここでは渋沢提案の基本的視座に考察を限定している。 
筆者がなぜ渋沢論文に関心をもったかと言えば、渋沢論文の基本枠組みが伝統的な社会学の認識枠組みとどう関わるのかという問いがあったからである。高校の社会科のなかの公民、とくに倫理、および現代社会の記述内容を検討すると、その内容の一部は明らかに従来の社会学の内容に対応している。渋沢論文を読むと、社会科で取り上げられる社会認識の方法は本質的に社会学の社会認識論とさほどの差異があるわけではない。筆者はつねづね教養課程で社会学の講義を始めるにあたり、高校の社会科とこれから学ぶ社会学は全く別物と教えてきたし、そう教えられてもきた。中・高校の社会科で展開される社会認識の内容は明らかに現在の社会学が当然に踏まえなければならないものである。恐らく、社会学が社会一般の認識のための基礎理論=認識枠組みを提供できなければ今や社会学そのものの存立基盤はないに等しいと言えるからである。むしろ、渋沢提案に基づく社会科教育が中・高校で正しく実践されるなら大学の社会学教育は中・高校での教育の延長線上に当然位置づけられる筈である。
ところが、渋沢の指摘のように、「事実認識の結果としての知識」を試験のために暗記することがしばしば優先される結果、真の社会認識が生徒達の「生きる力」に結び付かないのである。
とくに、現在の受験体制のなかでは各大学が学生募集に有利と判断した場合、受験科目は二科目ないし、一科目と受験生の負担を減らす傾向にあり、その結果として社会科の公民は受験科目としてほとんど選択の対象とならない。こうした状況では渋沢の提案が生かされる余地は少なくとも存在しない。
高校教員の立場からはそうした状況を招いた主たる原因は明らかに大学側のなりふりかまわぬ受験生獲得対策にあると言うことになる。大学教養課程の教育のあり方はこうした問題と無関係ではない。 

3.大学の一般教養の位置付け

 a.一般「教養」とは何か

一般教育の位置付けが論議され初めて30年以上が経過した。文系学部で生物学、地学などの自然科学系の教養科目を学んだ場合、その学習が将来の専門的研究へと繋がらない以上単なる教養知識でしかないのであろうかという疑問をさけるわけにはいかない。
また文系学部、例えば社会学部や国際学部での教養の社会学講義の位置付けはどうだろうか。多分、社会学部では明らかに専門課程の履修に繋がる基礎的段階と位置づけられるが、筆者が現在所属する国際学部ではどうだろうか。国際化の進展のなかで、学生達は自らの所属する社会や民族を通して文化や制度、および社会的行動様式を学習し、その結果として異文化社会の存在をも認識できるようになる。基本はあくまでも自己の所属する地域社会を通しての社会認識が出発点となる。国際的感覚や国際的認識というものはこうした基礎的な社会認識、及び世界認識を通して身に付くものである。こうしたレベルの認識は「教養」なのか、それとも「基礎知識」なのか、ここに教養概念の困難さがある。
社会学者の筒井清忠(京都大学)は『日本型「教養」の運命』(岩波書店、1995.)において高等教育の教養とは何かを考えるにあたり、「教養」概念を三つのカテゴリーに整理した。 (8)
(a)専門に対する基礎としての教養  
(b)幅広い知識としての教養  
(c)文化の習得による人格の完成という意味での教養             
筒井は、この(b)の教養について次のように述べる。「人文・社会科学を専攻する人間も自然科学を教養として知っておいた方が良い」というとき、「教養」という用語が幅広い知識としての「教養」を指す。但し、この「教養」概念の最大の問題は、「学生達の頭はたんなる雑駁な知識の集積場となってしまう危険性が高い」ことだと言う。
この筒井の指摘は、前章で紹介した渋沢論文でも指摘されたことであり、中・高校から大学教養課程まで知識の詳細化、知識量の増大化が「汎正解主義」と結合したところにその特徴があり、成績「優」を獲得することで就職を有利にするとか、あるいは公務員試験に備えるといった功利的思考とつながっている。場合によっては、「優」の数を増やすことが自己目的化するというケースも出てくる。
(c)のカテゴリーの「教養」とは、筒井によればはドイツ流のBildungの系統から出てくるもので、哲学、歴史、文学など人文学を学ぶことで身に付く「人文的教養」とも呼ぶべきものと言う。この人文的教養を習得することで人間についての理解を深め、人生や運命についての洞察力を養うことができると言うのだ。
この(c)の教養概念は元来、明治期の「修養主義」に源泉をもつもので、人格の陶冶形成を主眼とするものである。この時期「修養」と「教養」とは同義であった。そして、筒井の分析によれば「教養」が次第に「修養」から分離、離脱していくのである。旧制高校の「教養主義」がそれに相当し、特定のエリート層と結び付き発展していくこととなる。 (9)

 b.教養部の位置付けと変遷

戦後の学制改革でつくられた新制大学教養部がどうして誕生したのかを検討することはこうした問題を考察する場合に避けられない手順である。その基本理念がリベラル・アーツにあることは周知であるが、この教養部の「一般教育」は何を志向し、何を目的としていたのだろうか。
1946年3月のアメリカ教育使節団の報告書には、a.日本の科学界への参加が、模倣、吸収の段階に止まり創造的、独創的ではなかったことを指摘し、才能ある青年の教育を重視するとともに、b.教育機会を特権階級から大多数の人々に解放すべきこと、とくに女子に高等教育への進学の自由を与えることが提案された。さらに、c.カリキュラムの自由主義化の必要性が説かれ、余りに狭い専門化、および職業的色彩の強すぎる専門教育を否定するところに特徴があった。こうした方針を実現するために「一般教育」の概念が導入されたのである。 (10)
 さらに「大学は自由な探求と思索の精神で日本を復興させねばならない」 (11) との勧告を受けた。1946年6月「教育刷新委員会」により、6・3・3・4制が建議され、翌年、新憲法、教育基本法、学校基本法が制定されている。 
こうして新制大学は@一般教育の重視、およびA学問的研究とともに専門的職業的教育を重視することで両者の一体化を目指した。 (12)
扇谷の指摘によれば、新制大学は旧制高校の教育をモデルにして大学の前期課程を一般教育に当て、教養課程と名づけ、後期専門課程から分離・独立した組織を作り、一般教育を予備的、基本的性格のものと位置づけた。 (13)
こうした経緯を見ると、一般教養という制度ができるさい種々の要素が複雑に混入していたことが分かる。例えば、旧制高校の教養主義とリベラル・カレッジの要素がそれである。
1963年、教養部の独自性をだすため教養部の法制化が実施され、全国の国立大学に一斉に教養部が発足することになった。しかし、1968年から始まる学生運動で批判の対象となったのは、大学の社会からの遊離であり、閉鎖性であった。それと同時に団塊世代の進学者の増加と定員増により大学教育の大衆化が始まる。と同時に一般教養のマスプロ化が次第に批判にさらされ始めた。
当初、市民的教養を重視した筈の教養部の理念はこうしたマスプロ化が必然化するに従い解体の方向へと歩み始めることとなる。70年代、一般教養の単位の自由化が始まり、さらに専門重視の考え方が支配的となる。一般教育科目、および専門基礎科目を専門教育に吸収し、専門教育を主軸にした四年間一貫教育が導入された。 (14)
その後、大学設置基準の一部が改正され、一般教育の基準が自由化され、人文、社会、自然の三分野から36単位を取得するという規定が24単位に緩和されることとなった。
80年代、教養教育の充実のため、基礎ゼミの導入とともに総合科目を設置し、環境問題、ジェンダー、アジア研究などのテーマを掲げて多様な関心に答えるとともに学際的研究の重要性が強調されるようになった。
1991年7月、大学審議会の「大学教育部会における審議の概要について」では、「一般教育の理念と現実」が以下のように論じられた。
「大学の教育が専門的な知識の修得だけにとどまることのないように、学生に広い知識を身につけさせると共に、ものを見る目や、自主的、総合的に考える力を養うこと」。この規定から伺えるのは専門偏重の教育から教養重視の教育への転換とも見えるのであるが、大学の大衆化状況の進展と、他方での専門知識を重視する大学院教育の普及との間には越え難い矛盾が生まれることになる。
1991年大学審議会答申では国立大学教養部の改組転換等の方針が示され、多くの大学で教養部が廃止されスタッフは新設学部や既設の学部、あるいは新設の大学院研究科へ分属になった。 (15)
こうして教養科目は紆余曲折を得ながら、学部の一貫したカリキュラム体系の中に位置付けられ、専門のための基礎科目としての役割が残された。しかし、今再び教養の意味が深刻に再検討され始めている。それは何ゆえだろうか。とくに、理工学系において専門偏重の弊害が出始めていると指摘されている。現代の科学技術の進展が限りなく狭い領域の専門的知識や技術的要素の開発を競い合った結果、人間不在の専門知識の一人歩きがそうした弊害を引き起こしたといえる。
扇谷は専門化の弊害を克服するには、専門科学をその生起する社会的文脈のなかに位置づけて理解する方法論こそ最も大切なものと指摘し、更に「一般教育では人間の理念や価値が学問探求に影響を及ぼす仕方を理解させ、文化理念の集積としての学問へ導く洞察と思考を学生に与えて、人間存在への思索と判断をつくり、人間性に豊かさと深さをもたらすことに努める」 (16) ことの重要さを強調されるのである。    
人文社会科学のように人間や社会に関する知識や認識を対象としてきた学問の成果が、最近流行の遺伝子工学やコンピュータ・サイエンスなどの自然科学や科学技術のそれと比較するとその進歩の遅いことも確かである。
しかし、過去において人文社会科学の領域においても人類の遺産のなかに組み込まれる業績があることも否定できない。14世紀に始まるルネッサンスが芸術、学問、文学などの領域に起こした文化運動が西欧近代思想の源を形成し、中世の宗教的束縛から科学、宗教、人間を解き放したことは周知である。モンテーニュやパスカルなどのモラリスト達は「考える人間の理性」を強調したが、その後の啓蒙主義、近代合理主義、イギリス経験論などの哲学的、思想的潮流は人類の遺産目録の重要な一頁である。
また、新興科学の社会学の古典のなかにも一般教養として読むべき遺産があることを誰も疑わないだろう。 

 c.高校「倫理」教科書と社会学     

教養課程の社会学教科書は無数に存在するが、ほとんどの教科書は高校を卒業したての新入生には総じて抽象的で難解にすぎる内容であると思っていた。しかし、高校教科書の内容と指導要領にもとづいた資料集、参考書の内容はかなり詳細な内容をもつ。    
高校の現代社会や倫理、政経の教科書に基づき編纂されている『資料ー倫理』、『詳説ー現代社会』等々と銘打った参考書の内容をみると、各出版社により内容に若干の差異があるにせよその知識量の多さと詳細さには驚かされる。例えば、『資料ー倫理』の内容は重要な古典の一節がダイジェスト風に配列され、それに解説が加えられる。プラトン、アリストテレスからカント、ヘーゲルへ、そして社会契約説、功利主義、社会主義、実存主義、プラグマティズム、フランクフルト学派、まで視野に収め、他方でわが国の仏教伝来、儒教の受容、西欧思想、国際化、青年文化、と百科辞典なみの内容と言って良い。
社会学とのかかわりで言えば、フランクフルト学派のアドルノ、ハバーマスにまで言及され、驚いたことに、ハバーマスの『公共性の構造転換』の一節まで引用されていたことである。確かに、中・高校の指導要領には、健全な市民社会の一員となるために必要な知識を身に付ける教科として「公民教育」が位置付けられている。だが、「公共性」概念の歴史的転換にまで論述されたとなると話しは別という思いであった。現在、社会科学の領域で最も関心を集めているテーマが「公共性」の概念だという認識があり、そして、この概念が「市民社会論の復活と再生」という最も魅力ある研究テーマに繋がると信していたからである。しかし、残念ながらその参考書の内容はいささか中途半端の感を否めなかった。
私がお会いした高校の公民担当のA先生は、生徒用につくった詳細なプリントを示しながら、現在の受験体制のなかで公民教育の比重が著しく低いことを指摘された。大学が受験生を集めるため受験科目数を減らした結果、「公民」が受験科目として選択されないためで、大学に反省を求めたいとの率直な感想を聞くことになった。現在の受験体制が学生の教養や知識の在り方にまで影響を及ぼしたり、弊害をもたらしていることになる。
A先生のご指摘によると『詳説ー政治経済』は高校生よりむしろ社会人に読まれていると聞き、その内容を検討したが、国際化に対応する政治経済の知識がびっしり満載され、社会人として必要な知識を学ぶための辞典という印象をもった。しかし、このテキストが生徒の考える力を伸ばすことが出来、さらに大学に進学して社会学のテキストを理解しうるのに役立つかと言えば、必ずしもそうとも言えない。
結局、大量の知識が、理解し考える力を養うことを前提にしているとしても、その知識量の多さに振り回され、消化不良を起しかねない危険性があるのだ。高校教育が義務教育化している今日、これらの知識が健全な市民となるために必要な最低限の知識ということであるのだろうか。また、社会的認識の練磨につながれば意味のある知識も、単なる知識の暗記で終わるのであれば受験が終われば忘却される運命にある。
もし、大学の講義が学生に対して、その教師の講義内容を正確に答案に再現することのみを課すなら学生にとって大学の授業も受験の延長線上にあると誤解されかねないであろう。とくに、文系学部の学生にとっての地学、生物、数学、物理などの授業が誤解の対象になりやすい。教養部の位置付けが問題視され始めたきっかけはこうした側面を改善できなかったことにあった。新制大学発足時、教養科目の人文、社会、自然の三分野から36単位という規定を厳密に適用したことで多くの犠牲者をだした。
確かに、最近の学問の学際化はこうした従来の人文、社会、自然の区分を過去のものにし、こうした区分から学生は解放されることになる。確かに、コンピューター基礎演習や統計学などは、従来の科目区分に収まらない境界領域の学科目であり、専門課程に進むための必須科目として位置づけられるようになった。また、最近では日本語表現科目を文系、理系を問わず、基礎科目として組み込む大学が増加している。45%を越える進学率の影響で大学が大衆化したとはこれまで散々聞かされたことだが、文系学生の数学知識、理系学生の日本語表現力が著しく専門科目習得の弊害となっていると言われる。
1991年7月26日、豊橋技術科学大学で開催された東海地区大学教育研究大会で筆者と同じ人文社会科学分科会で報告された筒井洋一(富山大学)の報告は『大学生に必要なコミュニケーション能力を高める ー富山大学言語表現科目の実践を通してー 』と題するもので理工系、人文学系を問わずすべての学部を対象として「客観的な事実、自分の意見や意図などを、言語を用いて的確かつ効果的に表現する能力、あるいは口頭または文書で発表する能力を向上させる」ことを目的とする全学的取組としての言語表現科目の重要性を報告するものであった。この言語表現科目で理工系の学生の作文能力が著しく進歩したという。
そして、こうした教育に基づきコンピューター通信などの領域で外国の大学との交流を実現させてきたとのことであった。

   d.一般教育の社会学講義

本論文で筆者が意図したのは教養の社会学講義をいかに行うかというものである。そして、この問題を考察するには一般教育の位置付けを明確にする必要性があった。結局、教養とか知識が何かを明確にすることに腐心せざるを得なくなった。知識社会学では知識の存在被拘束性というマンハイムにより提示された概念枠組みがあり、イデオロギー論との係わりで最も重要な社会学の遺産である。大学も学生も高度情報社会という社会状況におかれ、そこでの研究や教育も社会的、経済的拘束性を受けることを再認識しなければならない。
従って、教養という概念は社会階級という社会的存在との関係をぬきには語れない。先に指摘したが日本的教養主義が旧制高等学校というエリート養成機関と密接であったという事実を認識することが必要である。教養の社会学講義はマンハイムの発想に準拠して、社会学の基本的テーゼである「社会と個人」問題を具体的な「学歴構造の理論」から説き起こしたい。偏差値教育の弊害といわれるように「単一の尺度」により生徒を位階づけることの結果がもたらす精神的影響が社会の安定性を著しく損ねる原因となっているという命題を学生に投げ掛ける。
この基本問題をホッブスの秩序問題として、パースンズの行為システム論と結合させる説明方法は、社会学の初学者に興味を呼び起こすには余りに抽象的である。従って、伝統的な「社会契約説」を視野に収めた後、抽象的な社会学理論を説明すべきである。筆者はこれまで講義のなかでパースンズやルーマンの社会システム論についてそのさわりの部分だけは紹介してきた。学生の困惑した顔を見ながら、筆者が大学院の頃、演習のテキストがパースンズであったことを思い出す。職業的社会学者として生きるためには必須の知識であるとその当時は信じていた。それでは、学生にとって社会学教科書はなぜ難しいのか。その理由は簡単である。社会学の専門用語に慣れるまでにある程度の時間と学習期間が必要なことと、教科書の執筆者が読む学生の水準を無視して全力投球する結果ますます抽象的、かつ難解の度を増すこととなる。大学教授の位階構造を維持存続させようとする権力構造がそうさせるだけのことである。
社会学の典型的な教科書の内容は、個人と社会、文化と社会、社会的行為、社会的相互作用、家族、企業、地域社会、国家、社会変動、社会学の歴史、といった内容が普通であった。しかし、時代とともに最近の教科書は次第に内容を一新し、と言いたいのであるが本質的要素は不変である。多分、ヴァーチャル・リアリティ、ジェンダー、外国人労働者、家族の崩壊、民族問題、といった新たな社会的局面が取り上げられてはいるが基本的な思考方法に変化がある訳ではない。
以下に簡単に筆者の講義内容を箇条書きにまとめて見た。

 (1)人間の相互作用に関する命題。                      

a.パースンズの役割理論(伝統的な社会学の理論の紹介) 
b.ホーマンズの交換理論(なぜ人間は愛する人に価値あるものを贈与しようとするのか) 
c.ジンメルの恋愛論(『男女両性の哲学によせて』は現代社会で失われそうな男女関係の本質について卓抜した洞察を与えるものである。) 
d.現代の若者にとって対人関係は生きる上で悩みの源泉となるだろうか。そうであるとすれば、対人関係の悩みから解放される方策があるだろうか。現代の若者の対人関係の特徴は何か。
e.大学のサークルに入部しても仲の良い異性を見つけるとサークル活動から簡単に退部する傾向がある。そうした若者の行動を説明しうる命題があるだろうか。 

 (2)若者にとって公共性とは何か。(大人のマナーの悪さを模倣するのだろうか。)

a.大学の構内でタバコの吸い殻のポイ捨て、学食あるいは構内で食事した後トレーや食器を片付けずに放置するのはなぜか。(誰が後片付けをするのだろう。)
b.人間行動に倫理性がいかにビルトインされるのか。(責任倫理と文化。)

 (3)最近の日本の企業倫理の崩壊について。                  

a.ビジネス倫理とは何か。(日本資本主義の体質には倫理性が存在するか。) 
b.M.ヴェーバーの『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』で展開されたカルヴィニズムの倫理について。(資本主義のエートスとは何か。)   
c.日本の江戸時代の商人の倫理(石田梅岩の説いた商人の心得とは何か。) 

[注]

(1)扇谷 尚「一般教育の方向と研究課題」(一般教育学会編『大学教育研究の課題』、1997)p.57.
(2)渋沢文隆「社会科はどう変わらなくてはならないか」(『社会科教育』5月号、no.439,1997)pp.16ー17.
(3)渋沢、同論文、p.17.
(4)渋沢、同論文、p.19.
(5)渋沢、同論文、p.19.
(6)渋沢、同論文、p.24.
(7)星村平和「提言を読んで?勇気ある提言に拍手」(『社会科教育』5月号、)p.28.
(8)筒井清忠『日本型「教養」の運命』岩波書店、1995,pp.173ー175.
(9)筒井、同書、p.50.
(10)(11)(12)(13)扇谷 尚「日本の大学における一般教育の展開: 1947年〜1991年−回顧と展望」(一般教育学会編『大学教育研究の課題』、 1997 )p.334.
(14)筒井、前掲書、p.335.
(15)堀地 武「わが国の大学における『ファカルティ(学部・教授団)』概念の問題」(一般教育学会編『大学教育研究の課題』1997)p.48.
(16)扇谷、前掲論文、p.58.

(本稿は1997年7月26日豊橋技術科学大学で開催された「東海地区大学教育研究大会」で報告された内容に加筆、修正を行ったものである。)


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