『教育研究所紀要第6号』文教大学付属教育研究所1997年発行

図画工作科に於ける領域と教科構造T

−小学校学習指導要領「図画工作」の変遷−

久保村 里正(文教大学教育学部・非常勤助手)

要  旨

昭和22年度の学習指導要領(試案)から、現在まで計6回の指導要領が出されているが、それらは当時の社会状況と、教科の本質的の持っている特性を考慮し作られている。しかし図画工作科に於いては、その変遷が必ずしもの一貫したものとはいえない。それは図画工作科が社会状況に対して、柔軟に対処してきたことの現れだということもできるが、それよりはむしろ、図画工作科が教科構造を持てなかったと、した方が適切であろう。そこで小論では指導要領とその変遷を、社会状況を考慮しながら考察・整理し、各造形活動を領域としたバランスのとれた図画工作科の教科構造を明らかにするものである。

はじめに

拙稿の『美術科に於ける構成教育の研究』1)に於いては、構成と呼ばれる分野を中心に、「基礎造形」と呼ばれる造形活動一般の基礎領域を設けることによって、図画工作科.美術科の教科構造を構築を試みた。(表.1)しかしこのような分類方法は、専門家の養成を目的とした教育機関などでは多く用いられているが、小、中学校などで用いることについては、賛否の分かれるところである。事実、現在の小学校図画工作科の学習指導要領に於いては、造形活動の領域からの分類はなされておらず、表現と鑑賞の2領域に分類されている。しかしこのような分類が、最初の指導要領からなされてきた訳ではなく、過去には造形活動による領域を設定していた時代もあった。そこで小論では教科構造を学習指導要領の変遷の歴史から考察し、その意義を明らかにすることによって、小学校図画工作科の教科構造の構築を図りたい。

・Industrial

・Visual

・viroment

・Painting

・Print

・Sculpture andPlastic arts

Design
Fine art
Basic Design and Art 

表.1 −造形活動の分類−

T 指導要領の変遷

図画工作科の学習指導要領は、昭和22年の学習指導要領(試案)から数えて、計6回だされているが、それらの指導要領の構成・形式はそれぞれ異なり、その内容もすべて一貫したものとは言い難い。戦後まもなくにだされたものに関しては、当時の状況を鑑みても未消化なのは仕方がなかったといえるが、その後の指導要領に関しても、時代によってかなりの変動が見受けられる。それは図画工作科の編成が、各時代を反映した結果だったともいえるが、美術科教育の教科構造が確立されていないことの現れだともいえる。しかし、そのような図画工作科の教科構造の変遷の中にこそ、今後の図画工作科のありようを予想することができるのではないかと考える。そこで本章では各時代別の学習指導要領を考察することにしたい。

1 昭和22年学習指導要領(試案) (図画工作編・昭和22年5月21日発行)

1) 背景

戦後の日本の教育改革は、戦前の軍国主義から学校教育を解放することと、敗戦によって荒廃した日本の社会を立て直すことが、大きな目標であった。それは戦後に於ける他の日本の諸改革もそうであったように、アメリカの民主主義の実験場であった。2)

図画工作科の場合、昭和21年9月11日に連合軍総司令部の民間情報教育部・CIE(Civil Information and Education Section)のトレーナーから、日本の文部省図書監修官の山形寛に編修が命じられ、アメリカのヴァージニア州のコース・オブ・スタディ(Course of Study for Virginia Elementary Schools, Grades T〜Z)3)を元に、作業が進められた。このヴァージニア案は、その当時のアメリカに於ける教育プラン4)のなかでは、カリフォルニア案と並んでよいとされていたが5)、日本は農業国であるから、同じ農業州であるヴァージニアの案が最もよいのではないかという意見によって、バージニア案に決まった。このことについて山県寛は「民間情報教育部がなぜ最初にヴァージニア案を示したかというと、日本は農業国であるから、農業を主産業とするヴァージニアの案が最もよいという意見に基くものであったとのことであるが、これは、いささか認識不足ではないかとのささやきが文部省内でもあった。」6)と、その選定に疑問があったことを述べている。又、ヴァージニア案のコース・オブ・スタディが、当時のCIEには一冊しかなかったことからも、その杜撰が分かるが、図画工作科の専門家がいなかったこともあり、兼任した理科担当のエドミストンがたまに素人考えを述べる以外、あまり細かい指示をしなかったので、編修作業自体は,かなり山形の考えが反映されたようである。そしてそのような作業の末、昭和21年9月11日に『学習指導 要領図画工作編(試案)昭和22年度』は完成し、昭和22年3月20日、小・中学校を1〜9学年とする合本として発行された。

2) 概要

昭和22年の学習指導要領は、生活技術力などの実用的な内容が多くみられ、手工的な色彩が強い内容であった。指導要領の最初には、まず図画工作科の必要性として、@発表力の養成、A技術力の養成、B芸術心の啓蒙、C具体的・実際的な活動性の助長の4項目をあげている。そして次に図画工作教育の目標として、以下の3項目をあげている

@ 自然や人工物を観察し、表現する力を養う。

A 家庭や学校で用いる有用なものや、美しいものを作る能力を養う。

B 実用品や芸術品を理解し鑑賞する能力を養う。

又、各学習領域に関してはかなり細かく分類しており、「図画工作教材単元一覧表」として、以下のようにまとめている。(表.2)7)

表.2  「図画工作教材単元一覧表」 (略)

2 昭和26年学習指導要領(試案) (小学校図画工作編・昭和26年12月10日)

1) 背景

昭和26年度版の指導要領は、22年度版の改訂として連合国占領下のもと、CIEとの折衝の中で作業が行われた。その編纂にあたって、CIEの窓口が小学校と中学校・高等学校の二つに分かれ、文部省もそれに応じて初等教育課・中等教育課に別れることになった。その結果、指導要領も22年度版が小・中の合本であったのに対し、26年度版は初等教育と中等教育に分けて出版されることになった。又、指導要領改訂の際には、「造形品を配置配合する能力を発達させる。」という一般目標が盛り込まれることになったが、それは当時のCIE中等教育担当だったオズボーンの「特に付言することはないが、公共の広場や施設などのよごれがひどいため、図画工作教育の面からこの問題を解決してはどうか。」8)という意見によって決定されたもので、思いつき的なものであった。

2) 概要

昭和22年度版の指導要領は、戦後まもなくに出されたせいもあってか、内容的に未消化な部分が数多くあった。そこで26年度版の指導要領では、基本的な内容面は大きく変えずに、表記や構成の修正を中心に進められた。その結果、26年度版の内容的は前回の指導要領に近く、生活経験主義に基づく手工的色彩の強いものとなった。しかし、「教育現場では、学習指導要領が試案ということや過度な生活中心的な単元学習によって基礎学力の低下(高山1977)」や、「問題解決学習や経験学習が系統性に欠けるといった問題が指摘されるようになった(宮原1974)。」9)という問題も、解消されずに残った。

又、26年度版の指導要領の一般目標である、「@造形品の良否を判別し、選択する能力を発達させる。」,「A造形品を配置配合する能力を発達させる。」,「B造形的表現力を養うこと。」,「C造形作品の理解、鑑賞力を養うこと。」の4項目についても、山形寛が『この目標は、図画工作科で養う能力の面、経験領域の面から見て述べたものであり、(1)(2)項は用の用たる目標をあげ、(3)(4)は無用の用たる目標をあげたのであるが、芸術主義を標榜する人々は、用の用たる目標に反対の声をあげていた。』10)と述べているように、作成した当時、芸術主義の立場から反対の声があった。現在でも、このような図画工作科内に於ける主義主張の対立は、教科名変更の運動などにみられるように、根強く残っている。11)

3 昭和33年学習指導要領 (昭和33年10月1日公示)

1) 背景

33年度版の指導要領から、文部省告示という法的拘束性を持つことになり、その内容も国家の政治的姿勢が色濃く反映されるようになった。指導要領の改訂にあたっては、昭和32年9月14日に開かれた教育課程審議会で、文部省初等中等教育局長内藤誉三郎が「道徳教育の徹底」「基礎学力の充実」「科学技術の振興」の3点を改訂の主眼としてあげており、12)その結果、従来の生活技術力や実用的な傾向の強い生活中心的なカリキュラムから、系統学習、基礎学力の充実、教科教育の重視、を意図した、系統主義的なカリキュラムへと移行することとなった。これは日本政府の高度経済成長を背景とする、科学技術重視の方向を示したものであるが、同じ頃、ソ連の人工衛星打ち上げ(1957年)によるスプートニック・ショックで、アメリカでも「国家防衛教育法」が成立(1958年)するなど、世界的にも教育改革の方向は科学技術振興に向かっていった。13)

しかし、このような文部省主導に対して、昭和27年「創造美育協会」、昭和30年「造形教育センター」,昭和27年に小グループ、昭和34年に全国組織「新しい絵の会」が結成され、それぞれの民間教育団体の主張も指導要領の改訂に取り入れられることとなった。

2) 概要

昭和33年度版の指導要領では、教科目標として、次の5項目をあげている。

@ 絵をかいたりものを作ったりする造形的な欲求や興味を満足させ、情緒の安定を図る。

A 造形活動を通して、造形感覚を発達させ、創造的表現の能力を伸ばす。

B 造形的な表現や鑑賞を通して、美的情操を養う。

C 造形的な表現を通して、技術を尊重する態度や、実践的な態度を養う。

D 造形活動を通して、造形能力を生活に生かす態度を養う。

当時、この目標を決定するにあたっては、C取り扱いに関して、「技術を尊重する態度」にするか、「技術する態度」にするかの論争が起こり、改訂委員の一人である山形寛の主張で前者に決まった。これは26年度版までの指導要領が、生活技術としての造形活動を重視していたのに対して、33年度版では人間形成としての造形活動を重視する方向へ変わっていったことによるものである。

又、従来の指導要領では単元をあげていただけなのに対して、昭和33年度版では造形活動の領域に、昭和27年の東京教育大学・芸術学会・紀要で発表した分類(表.3)14)を取り入れるなど、系統的な領域分けが試みられた。しかし33年度版に於ける各領域は、「粘土で作る→彫塑」、「模様を作る→デザイン」、といったように、それぞれ同領域なものが、各学年によって名称が変わり、一部の統一感に欠けた。

 
平面
立体
「心」を軸とする表現
絵画
彫塑
「合理性」を軸とする表現
デザイン
工作

表.3 −昭和33年の改訂の考え方−

4 昭和43年学習指導要領 (昭和43年7月11日公示)

1) 背景

昭和40年6月14日、虎ノ門の国立教育会館の大会議室で、第1回の教育課程審議会が行われ、約2年間の審議を経て、昭和42年10月30日に「教育課程の改善について」、以下のような答申があった。15)

@ 目標については、造形活動を通して、創造的表現の能力を伸ばし、技術を尊重する態度をつちかい、美的情操を養うものである ことを明確にすること。

A 内容については、領域の整理、統合を行うとともに、基本事項を精選し、内容の示し方についてもいっそう明確にすること。

B デザインについては、図画工作科の他の領域との関連をも考えて、その内容をいっそう明確にすること。

C 「ものを作る」学習がじゅうぶん行われるように配慮すること。

D 鑑賞に関する内容の示し方を、学年に応じていっそう明確にすること。

E 他教科との関連および中学校の美術科の関連を配慮すること。

F 教科の名称については、目標および内容に即した適切な名称に改めることを考慮すること。

その答申を受けた各教科ごとの専門調査員と調査研究協力者によって、昭和43年5月に指導要領は完成した。この決定にあたっては様々な論議があがったが、特にFの教科名の変更については、「美術科案」と「造形科案」とに大きく意見が別れ、結局「図画工作科」のままとなったという経緯があった。

2) 概要

43年度版の指導要領では、目標を総括的目標と具体的目標の2つに分け、まず総括的目標として「造形活動を通して、美的情操を養うとともに、創造的表現の能力をのばし、技術を尊重し、造形能力を生活に生かす態度を育てる。」と、述べている。そして次に具体的目標として、次の3項をあげている。

@ 色や形の構成を考えて表現し鑑賞することにより、造形的な美の感覚の発達を図る。

A 絵であらわす、彫塑であらわす、デザインをする、工作をする、鑑賞することにより、造 形的に見る力や構想する力をのばす。

B 造形活動に必要な初歩的な技法を理解させるとともに、造形的に表現する技能を育てる。

又、33年度版指導要領に於いて、同じ芸術系教科である音楽科では、表現と鑑賞の領域が明確に示されているのに対し、美術ではその領域分けは不鮮明であったので、33年度版では項目を全学年で統一し、「A絵画」「B彫塑」「Cデザイン」「D工作」「E鑑賞」の5領域に設定した。このことにより低中学年でもデザインなどの項目が誕生することになったが、理論的な扱いにならないようにと、但し書きがついた。このような「内容の精選と領域」について、東京都の指導主事であった斉藤清は、図画工作科の構造化には懐疑的だとし、内容の精選についても構造化から生まれたのではなく、「技術中心から表現中心の流れの中に伴ってでてきた問題であり、そういった中で題材一つにかける時間数が増えたため、題材の精選が必要になった。」(一部抜粋)16)と、捉えている。

しかし、結果的に5領域が設定されたということは、図画工作科が教科として構造化することの現れであり、題材を中心とした系統性を持たない、ある意味「場当たり的な授業」に対する、アンチテーゼであったことには違いないだろう。実際、「前指導要領において8領域の内容に各々重複したねらいが多く、指導者の解釈次第という無系統な領域わりであったが、この点今回では(特にデザイン、工作において)ねらいがすっきりしたのは大きな改善である。」、「領域が系統化され、内容事項が重複しないよう心がけられたことは重点のおきどころが明確になった。」17)といったような、改訂について肯定的な意見も数多くあった。又、各学年の目標も、従来では6学年で分類していたものを、子どもの各発達段階に応じて、低学年(第1・2学年)と、中学年(第3・4学年)と、高学年(第5・6学年)の、3段階で捉えることによって、枝葉末節にこだわることなく、各学年によるの目標の違いが、明確に示されることとなった。

5 昭和52年学習指導要領 (昭和52年7月23日公示)

1) 背景

52年度版の指導要領の改訂にあたってはまず、1973年11月に文部大臣から「小学校・中学校及び高等学校の教育課程の改善について」、教育課程審議会へ諮問が行わた。そして、1976年12月に行われた教育課程審議会では、「@人間性豊かな児童・生徒を育てること。」、「Aゆとりのある、しかも充実した学校生活が送れるようにすること。」、「B国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視するとともに、児童・生徒の個性や能力に応じた教育が行われるようにすること。」の、3項目の答申が示され、それに基づいて、52年度版の指導要領の、改訂作業が進められた。

前回の指導要領では領域を5項目にし、内容の精選を図ったが、答申にあったような「ゆとりと充実」を行うとなると、同じ時間数の中では、どうしても更なる内容の削減が必要不可欠であった。又、鑑賞教育の充実、低学年の於ける「造形的な遊び」の導入など、図画工作科のパラダイムも広がりをみせていた。そのような中で、図画工作科という柔軟性の必要な教科で、従来のような細かい項目設定が本当に必要なのかという疑問もあり、「創造的な表現制作の喜びを一層深く味わわせることに重点を置くとともに、指導の効果を高めるために、領域を整理統合するなどして、内容を精選する。その際、特に低学年において、より総合的な造形活動が行われるようにすること。」という、改訂の基本方針が示された。

このような領域に関する問題は、昭和49年度の第3回教育美術研修会でも論議され、「自己表現と適応表現という線が出てきたんですが、言葉が使い古されているので、感じたことや考えたことを”表す”という一つもののと、材料を生かして役立つものを”作る”というようなものを柱に立てました。それから真鍋先生のほうから基礎的なものというものが出ましたので、構成という基本的なものを考えてみました。このようにして、領域を三つぐらい挙げております。これらはすべて、表現活動なので、鑑賞はどうするかということになったんですけれど、一応立てておこうということになりました。」18)と、4つの領域を設定した。

2) 概要

このような様々な試行錯誤の結果、52年度版指導要領の図画工作科の目標は、「表現及び鑑賞の活動を通して、造形的な創造活動の基礎を培うとともに、表現の喜びを味わわせ、豊かな情操を養う。」と簡潔にまとめられ、領域に関しても、文部省発行の指導書で、児童の学習領域を「表現」と「鑑賞」にすると示された。

又、従来6学年で分類していた各学年の「目標及び内容」を、子どもの各発達段階に応じて、低学年(第1・2学年)と、中学年(第3・4学年)と、高学年(第5・6学年)の、3段階にまとめ、枝葉末節にこだわることなく、各学年による目標の違いを明確に示した。

このように52年度版の指導要領は、前回と比べても、かなり簡潔に書かれているが、このような領域分けになった背景として、@内容が高度化する傾向がある。A内容が過密化しやすい。Bそれぞれの領域の関連が図れず、造形力が養えない。の、3つの理由があげられる。しかし以上のような理由が、必ずしもこの領域分けを、正当化している訳ではない。なぜなら以上のような理由は、5領域の分類がなされる(43年度版学習指導要領)以前からあった問題で、領域分けが原因でなったとは考えにくいからである。又、児童の造形活動は未分化なので、領域分けをする必要はないという意見も存在するが、その意見も何をもって未分化とするのか、明確に示されていない。19)

この様な理由から、学習内容の領域分けに関しては、もっと論議が必要であろう。このことについては「造形科の基本構造とその内容」20)でも、図画工作科の領域を「表現と鑑賞」にする事に対して疑問を呈しており、(表.4)のように、学習内容の領域分けについて、整理している。

表.4 「学習内容の領域分け」 (略)

6 平成元年学習指導要領 (平成元年3月15日公示)

1) 背景

昭和から平成に代わったこの時代、日本の社会構造に於いては、科学技術の発達、商業経済の進展、高度情報化、国際化など、ますます複雑化していった。しかしその一方では、核家族化、地域社会の崩壊など、個としての人間は、ますます疎外されやすい状況になっており、人間性の喪失に陥りやすい社会状況が、学校教育にも多くの問題をつきつけていた。

このような社会状況の中、平成元年度版の指導要領の改訂は進められた。改訂について、文部省初等中等教育局長の菱村幸彦は「今回の改訂は、社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成を目指している。図画工作科については、造形的な創造活動を一層重視し、表現製作の能力を高める指導の充実を図るとともに、情操を豊かにする指導が適切に行われるよう改善を図り、その一層の充実を期したところである。」21)と述べており、社会状況の大きな変化と、それに伴う人間性の喪失を、教育によって解決しようという意志が感じられる。

又、文部省教科調査官の西野範夫は「今回の改訂の趣旨を端的に表すとすれば、「児童がより好きなる図画工作を目指すこと」につきよう。」22)と述べおり、情操教育としての図画工作科の本質を、「図画工作が好きなことによって、子どもの自己実現として、造形活動を楽しむこと」と、定義づけしている。

2) 要点

元年度版の指導要領では目標を「表現及び鑑賞の活動を通して、造形的な創造活動の基礎的な能力を育てるとともに表現の喜びを味わわせ、豊かな情操を養う。」としており、「創造活動の基礎を培う」が、「創造活動の基礎的な能力を育てる。」と、変更された。

板良敷敏はこの変更について、「教える側に立つ知識や技能を共通的に身に付けさせることから、子どもの側に立って子どもが自ら考え主体的に判断し、表現したり、行動したりできる資質や能力の育成を重視する教育への変化である。」(一部要約)23)と述べている。確かに今回の指導要領が、そのような意図もとで編纂されたことは,指導書の細文を読めば、ある程度は推測できる。しかし「基礎を培う」が、「基礎的な能力を養う」に変更になったというその文面だけで、以上のようなことを推測するのは、到底無理であろう。それが図画工作に興味のない教師が読めばなおさらのことである。この文面から感じ取れることは、「基礎能力の修得を重視」する主張に対して、それに反対する主張の抑止力が働き、言葉が曖昧になり表現を弱めた、程度にしか読みとれない。結局はそのような、どうとでも読める文面にすることで、かろうじて図画工作科の教科としての、ある程度のパラダイムを保持しているといえる。

7 変遷の概観

以上のように、教育指導要領のそれぞれの体裁は大きく異なっているが、形式や内容面によって、以下の3つに大別することができる。

1) 生活実用重視の手工的内容

昭和22年度版学習指導要領(試案) 

昭和26年度版学習指導要領(試案)

題材中心のカリキュラムで、確固とした領 域は存在しない。

2) 系統主義的なカリキュラム重視の内容

昭和33年度版学習指導要領 

昭和43年度版学習指導要領

文部省の公示による、法的拘束力をもち、領域は基本的に、絵画・彫塑(粘土)・デザ イン(模様)・工作(いろいろなもの)・鑑賞の5領域に設定される。

3) 子どもを中心とした造形活動重視の内容

昭和52年度版学習指導要領

平成元年度版学習指導要領

領域を「表現と鑑賞」に分類し、造形(的 な)遊びを導入。

 

U 図画工作科に於ける教科構造

図画工作科の教科構造については、昭和33年、44年の指導要領では、構築の方向へと進んでいたのにも関わらず、52年度版の指導要領からは、その方向は大きく変えられた。その理由の一つとして、子どもの自主的な活動に、構造化したカリキュラムが必要かという意見や、各領域間の分化が図画工作科の統一性を失わせるといった意見があったからである。しかし教科構造というものは、一朝一夕にしてできるものではなく、長い間の積み重ねで築き上げていくもので、先にあげた問題も、教科構造を構築化していく試行錯誤の中での、一つの側面でしかない。しかし、現在では教科構造の構築化は方向性を歪められ、教科の大まかな枠組みとして、「表現」と「鑑賞」を示すにとどまっている。

1 表現領域に関する問題

5領域だった造形活動は、現在「表現」として一つにまとめられている。その理由として「児童の造形活動は未分化であり、領域分けの必要性はない」という意見があるが、本当に児童の造形活動は未分化なのであろうか。

1) 未分化は本当か

私が小学生であった頃を思い出してみると、木や工作用紙を使ったような工作は好きだったが、粘土を使った細工物はあまり好きではなく、絵はどちらかというと嫌いだった。このような領域による好き嫌いの嗜好は、おそらく誰にでもあったことだと思うが、これは子どもの知的発達段階に於いて、すでに造形表現が分化していたことを示しているのではなかろうか。そう考えてみると、未分化の具体的な例となるとみあたらず、定義もなされていないような気がする。つまり「表現上の未分化」といっているが、その実証もなく、ただ言葉の上だけで「子どもだから未分化」といっているような気がする。

例えば未分化な表現の例として「低学年の知らせるデザインで、亀の子が増えたので欲しい人にあげたいという作品は、亀をたくさん描いた絵です。亀の子がうちにはたくさんいるというお話の絵も同じである」24)とあげているが、果たしてこの事例によって、表現の未分化であることを証明しているのだろうか。そこで考えてもみて欲しい。絵にしてもポスターにしても「たくさんの亀がいる」という主題が同じである以上、表現に大きな違いが現れないのは当前ではなかろうか。ポスターと絵の違いとして、文字が入るか入らないかの違いはあるだろうが、おそらく大人でも専門的な教育を受けていない限り、そう発想や造形上の違いは現れずに、おそらくたくさん生まれた亀の子の絵を描くだろう。もしかしたならば、数多くのサンプルを集めることによって、子ども場合はポスターでも自分を描き、大人の場合は自分を登場させない、程度の表現上の傾向の違いは現れるかもしれない。しかしそれをもっても、子どもの表現が未分化であることを説明するのには、やはり適切さに欠けるだろう。それは近代ポスター様式が発生する以前に於いて、絵画もポスターも表現上の違いを持たなかったという 事実からも分かるように、造形領域に於ける表現上の違いというものは、子どもの発達段階によって左右されるのではなく、文化や知識的な刺激の修得によってなされるものだからである。

2) 子どもの知的発達と表現

又、この様な子どもの知的発達段階と学習に関して、1959年にブルーナー(J.S.Bruner)が、全米科学アカデミー主催のウッズ・ホール会議で示したように、「どのような教科でも、ありのままの形でどの年齢のどの子にも教えることができる。」と、考えることができる。25)そうだとしたならば、子どもの表現が未分化だとして、大人の造形表現と切り離して考えるのではなく、子どもの表現を大人の表現の雛形だと捉え、らせん形カリキュラムが示すように、学習の連続性を見いだすことが可能なはずである。

更にブルーナーは『教育革命』で、「個々の知識が利用しうる大量のほかの知識との間に均衡のとれた歩調をとりうる唯一可能な方法は、知識の関連性を把握することによってである。・・・・・私たちは教授において範囲よりも教える程度の深さと連続性を選ぶということと、学習者に対して知的よろこびの感覚を与えるというのはどんなことかを新たに再吟味することである。」26)とも述べている。つまりそれは、指導者がカリキュラムに対して深く研究・理解をしなくてはならないことを意味しており、逆に言うならばそれが欠けていたために、5領域からなる教科構造が、上手く機能しなかったともいえよう。

2 鑑賞領域に関する問題

図画工作科では「表現」と「鑑賞」の2領域に分けているが、それがバランスのとれた教科構造とは言い難い。このことについて根津三郎は「図画工作や美術が表現・鑑賞ということになりましたけれども、それは5分5分のウエイトではなくて、表現という造形活動を通して学ぶことに中心を置いて、鑑賞は表現を豊かにし、表現を支えるものと考えるわけです。」27)と述べており、高山正喜久も、「「各学年の内容のB(鑑賞)の指導は、表現の指導に付随して行うことを原則とすること」と書いてあるんです。特別に鑑賞という授業はつくらなくてもいいというような意味が非常にはっきり述べられているわけです。」 28)と述べている。しかし岡田匡史は、この様な鑑賞教育観に関して、「知的・批判的な関心・問題意識が強まる高学年以降の段階での鑑賞指導の構築を弱め、特にその独立的展開を阻むという問題的側面がそこにはある。」29)と、その危険性を指摘している。

1) 鑑賞教育の危険性

そう考えてみると指導要領に於ける鑑賞教育は、領域というよりは造形活動の一連の流れとして捉えた方が適切であろう。鑑賞教育は実際の授業でも、制作活動の中に相互干渉という形をとって行われることが多く、領域として本格的に鑑賞が行われるのは高学年になってからで、それもレプリカ(印刷物)の鑑賞であったり、年一度あるかないか分からない美術館見学でしかなかったりする。

このような鑑賞教育の現状にについて藤澤英昭は「美術作品の鑑賞の鑑賞の活動は、美術作品などに直接触れて、初めてそのよさなどを味わえるものであるが、そのような機会を授業の形で設けることは容易なことではない。したがって、作品集や複製品、視聴覚教材などを利用することになる。しかし、このような作品集などからも「この目で本物の作品を一目みたい」というような気持ちを起こさせるものがある。」30)と述べている。しかし実際のところ、現在のようにメディアが発達し、実際の体験が疑似体験に置き換えられることが日常となった子どもたちにとって、果たしてスライドを見たり、画集を見ることによって、そのような気持ちを喚起することができるのだろうか。そう考えてみると、スライドやレプリカを見せるということは,本物の作品を見せる鑑賞教育の代替にはなりえず、むしろ知識・文化を教える教材と考え、二義的な扱いにとどめた方が無難であろう。

2) 鑑賞教育の多義性

それでは鑑賞教育の危険性は、何が起因となっているかというと、それは曖昧な教育構造が生み出した、鑑賞教育の多義性にあるといえる。今日、鑑賞教育と呼ばれているものには、大きく分けて、次の3つの側面があると考えられるが、同じ鑑賞という領域にありながら、その特質は全く異なる。

−鑑賞教育の3つの側面−

@ 作品の制作に付随して行われる、友達  同士による作品の相互鑑賞。

A 本物の作品を味わうことによって、鑑賞 する態度や理解を深める。

B スライドや画集などによる、美術史や美 術に関する知識の習得。

例えば現在鑑賞領域の主となっている@は、各造形表現領域と密接に関係している為、制作に付随させ、むしろ領域としては独立しないほうがよいように思える。又、Aでは本物の作品でしか味わえないような感動が体験できればよいだろうし、逆にBでAのような体験を得ようとすれば、かえって誤った作品への認識を植え付けかねない危険性がある。それよりはむしろ純粋に、知識の習得の手段と割り切って考えるべきであろう。もちろんそれぞれの鑑賞にも重複する部分はあるだろうが、教師が主たる教育の目的をはっきりと認識していないと、鑑賞教育自体にの歪みが生じかねない。

以上のようなことから考えてみても、昭和22年版の指導要領で、「鑑賞」と「美術常識」という単元で鑑賞領域を分けているように、表現領域を含めた、新たな領域の枠組みを考える必要があるだろう。

領域についてはアイスナー(Elliot W.Eisner)が、DBAEの教育カリキュラムの中で、製作領域(the productive),鑑賞領域(the critical),文化領域(the cultural)31)の、3つに分類している。しかし表現活動を中心とした図画工作科に於いて、このようなカリキュラムをそのまま導入することは難しいだろう。又、生活の中で、ものを作る機会が少ない現代社会では、図画工作科での作品製作の時間は非常に貴重であり、限られた時間数の中で、その貴重な時間を減らしてまで鑑賞教育を行う意義があるか疑問である。しかし実際に授業で行わないにしても、教育構造上に存在する以上、提示しておく必要があり、教師はそのようなものがあるということを、認識している必要があるだろう。

おわりに

以上、指導要領の変遷と領域について、考察を行ってきが、誌面が足りず、すべての内容を書くことができなかった。その為、小論をTとして一応のまとめとしたい。

1) 久保村里正,「美術科に於ける構成教育の研究」,『教育研究所紀要第4号』,文教大学教育研究所,1995,P.61

2) 宮脇理・他,『小学校図画工作科教育法』,建帛社,1985,p.202

3) 武藤和浪,「戦後美術教育の展開」, 『美術教育学第8号』,美術教育学会,1986,p.239

4) 葉山正行,「昭和22年度版『学習指導要領』図画工作科編(試案)の作成をめぐっての一考察」,上掲書,p.51  

5) 今地寧人,「30年をかえりみて」,『美育文化 vol.25』,鰍リんてる,1975,p.3

6) 山県寛,『日本美術教育史』,黎明書房,1967,p.776

7) 長谷川喜久一,「昭和二十二年」,『工作 ・工芸教育百周年記念誌』,工作・工芸百周年の会,1987,p.34

8) 上掲書.2),p.204

9) 板良敷敏,「学習指導要領における造形教育」,『図画工作・美術教育研究』,葛ウ育出版,1994,p.56

10) 上掲書.6),p.792

11) 日本造形の会,「小学校の教科「図画工作」を「造形科」に改称する教育的な利点について」,『日本造形の会研究紀要第3集』,日本造形の会事務局,1990,p.316

12) 上掲書.8),p.826

13) 寺戸史子,「『初等教育資料』にみる昭和20年以降の日本美術教育の変遷」, 『美術教育学 第7号』,美術科教育学会, 1985,p.178

14) 長谷川喜久一,「小学校学習指導要領 (図画工作科)」,上掲書.5),p.16

15) 村内哲二,「小学校学習指導要領 図画 工作科」,上掲書.5),p.32

16) 斉藤清.他,「小学校学習指導要領をめぐって」,『教育美術 1968.9』,教育美術振 興会,1968,p.13

17) 「新指導要領を現場はどううけとめたか」,『教育美術 1968.10』,教育美術振興会,1968,p.6

18) 高山正喜久,「造形性を基底とした教科構造を考える」,『教育美術 1974.12』,教育美術振興会,1974,p.53

19) U−1−1)を参照

20) お茶の水女子大学付属小学校造形科研究部,『造形科の基本構造とその内容』,お茶の水女子大学付属小学校造形科研究部,1979,p.11

21) 文部省,『小学校指導書 図画工作科』,滑J隆堂出版,1988,まえがき

22) 西野範夫,「新しい図画工作科がめざすもの」,『美育文化 vol.39』,鰍リんてる,1989,p.19

23) 上掲書.9),p.59

24) 上掲書.18),p.63

25) 著)J・S・ブルーナー,訳)平光昭久,『教育の適切性』,竃セ治図書出版,1972,p.217

26) 著)J・S・ブルーナー,訳)佐藤三郎,『教育革命』,竃セ治図書出版,1974,p.90

27) 内田義夫.他,「改定をめぐる諸問題」,『教育美術 1977.9』,教育美術振興会,1977,p.20

28) 上掲書,p.20

29) 岡田匡史,「鑑賞教育の新しい展開」,『大学美術教育学会誌 第27号』,大学美術教育学会,1955,p.253

30) 藤澤英昭,『教育美術 1989.5』,教育美術振興会,1989,p.26

31) 寺沢節雄,「E.アイスナー研究 T」,上掲書.13),p.178


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