地球環境
――国際管理のあり方をめぐって――

国際学部
藤井美文


 20世紀は『戦争の世紀』あるいは『科学技術の世紀』と呼ばれる。しかし、20世紀は、特にその後半は科学技術の繁栄と表裏をなす『環境問題の世紀』でもあった。その後大量生産の象徴にもなったT型フォードをヘンリー・フォードが発売したのが今世紀の初めであり、その終わりに大量生産システムの改変を迫られている様は、そのことを端的に表している。そして21世紀にけて地球規模の環境を国際的に管理することの重要性は強く認識されるようになってきたものの、現実の管理の枠組みは未だに政治的な帰結を見ていない。

 本論では、大量生産の仕組みとその結果に焦点を当てて20世紀の地球環境問題を振り返るとともに、地球規模の環境問題を解決する国際スキームの形成の困難性を議論したい。

1.大量生産と環境

1.1 大量生産の出現 −「フォーディズム」−
 南北戦争(1861-65)前後のアメリカにある技術革新が起こった。それは戦場で大量の銃を供給するための製造方法であり、連続銃で有名なコルト社が機械化(倣ならい旋盤)と部品の互換性を確保することに由来している*1。同一で共通の部品を作れるようになったことはその後の大量生産の基盤を形成することとなった。これによって一般に3Sと呼ばれる標準化(Standardization)、単純化(Simplification)、専門化(Specialization)が結びついて、生産性は飛躍的に高まった。しかし同時に、生産工程の作業は徹底的に分業化され、労働は単純かつ分断化されることとなった。19世紀末には同期式電動機(モーター)が製作されるに至って、作業はベルトコンベアによる流れ作業とオートメーションへと進む。フォードはT型の製作ラインにこの方式を採用して、16年間で価格を実に1/3に下げることに成功する。そして累計600万台という現代から見ても膨大な量の自動車を生産する。1900年から恐慌時(29年)までに米国の自動車登録は650倍へと飛躍することになる。このように大量生産システムは20世紀に大衆消費社会をもたらすこととなった。

 イタリア共産党創始者のアントニオ・グラムシ(獄中で死亡)はこの大量生産を可能にした資本主義の仕組みを『フォーディズム』と呼んだが、これは単にベルトコンベアの生産システムを指すのではなく、これを可能にする大資本の登場、徹底した工程分業による労働疎外の出現、管理労働の出現と労使対立の激化、第2次産業を中心とした都市化と都市に住む人たちの階層化など、資本主義システムの抱える矛盾を包含した社会的仕組みそのものを意味した。

 1980年代にフランスで生まれたマルクス主義と近代経済学との融合とも言えるレギュラシオン派は、このフォーディズム的発展を次のような構図で説明する。まず、技術革新が生産性を拡大し、その分配を通じた賃金上昇が労働者=消費者の購買力拡大を可能にする。そして、この購買力の拡大が生産者の生産量自体を拡大再生産していくという好循環を生み出す。大量生産が大量消費に結びつく「好循環」(図表2)は、GNPが常に上昇し続けなければ社会構成員すべての安定が損なわれる仕組みとなったのである。

 同時にレギュラシオン派は1973年の石油危機を境に資本主義が経済的変動、技術的、社会的、経済的原理としてのフォーディズム崩壊の兆候を現すに至り、再び大きな危機を迎えつつあると指摘する。第一は、消費パターンの飽和である。少なくとも先進国において鉄やセメントなど社会資本形成のための基礎的な財の消費は明らかに飽和する傾向にある(サービスなどはこの限りでない)。図表3からは、ヨーロッパなどの国々の鉄などの基礎的財が所得向上とともに飽和する傾向を見て取れる。第二に生産性向上の原動力である技術進歩の停滞である。通常技術(ここでの技術とは、人間労働のスキル向上、規模の経済性などの要因をも含む広義の技術を意味する)進歩を現すのに全要素生産性(TotalFactorProductivity)という指標が用いられるが、このトレンドは図表4のように示され、技術開発の停滞が先進国に共通して見られる現象であることがわかる。その他、一部のサービスなどの不生産労働の増大、国際金融システムの安定性、アメリカのヘゲモニーの喪失などがこれらの危機を支える要素であるとレギュラシオン派は見る。

 レギュラシオン派と一口に言っても議論はきわめて多様である。その代表的イデオローグの一人であるA.リピエッツ*5はフォーディズムの先にある社会像(ポスト・フォーディズム)はいずれも消費拡大を伴うもので、環境破壊を食い止めることは出来ず、生産性の拡大は『自由時間』の拡大といわゆるワークシェアリング(労働時間を減らして皆で雇用を確保する)に振り向ける『勇気ある選択』*6を採るべきであるとして、社会は今後『政治的エコロジー』を貫く必要があると説く。

1.2 経済発展とエネルギー消費・環境影響

 さて、この経済成長は環境破壊とどのような関係にあるのであろう。図表5は経済発展とエネルギー消費の関係を国毎に表したものである。図のように、経済発展とエネルギー成長はほぼ直線の上に描かれることが分かるであろう。つまり、長期的かつ経験的には、『経済発展』(たとえばGNP)の成長率増加にはエネルギー消費をほぼ同じ比率の増分だけ必要とすることがわかる。今世紀のエネルギーは化石燃料(石炭→石油→ガス)と原子力であることを考えると、経済発展はそのまま化石燃料の中に含まれる有害物質や炭酸ガス、あるいは放射能影響の増大となって環境負荷を増大させてきたのである。

 エネルギー消費とほぼ同様な増大傾向を示すCO2排出量の歴史(図表6)から見れば、人類は産業革命から100年を経た1850年代からエネルギー消費=CO2排出量の『離陸』をはじめ、大量生産の仕組みをビルトインすることによって永い地球の歴史から見れば瞬時にその量を『爆発』させきたことが分かる。

2.危機への警鐘

2.1 戦後から70年代
 この間に地球的規模での環境破壊の実態とその結末に対していくつかの重要な警鐘が鳴らされてきた。以下では、戦後の環境危機への対応の歴史を簡単に振り返って見たい。

 戦後の環境の危機は核を抜きにしては語れない。マンハッタン計画によって登場した核兵器は広島,長崎においてその環境への脅威を見せつけた。またそれ以降も米ソの核開発競争による脅威は1960年のキューバ危機をピークに今も消えてはいない。欧米では60年代から核兵器廃絶運動がそのまま原子力発電(核の平和利用)への反対に、そして86年のチェルノブイリ原発事故以降反原発運動は決定的に環境保護運動に結びつくこととなった。

 核以外にも人間が作り出した化学物質という環境への脅威があることの警鐘を鳴らしたのはR.カーソン女史の『沈黙の春*9(来年の春には農薬によって生態系が破壊され、終には鳥が死滅してしまうかもしれないという意)』(1962年)であった。彼女の告発に対して米国の化学(農薬製造)業界は反論に転じたが、ケネディ政権下の調査委員会はカーソンの指摘したことが概ね事実であることを認めることとなった。米国のみならず、前章で指摘した『高度成長』は50年代以降日本を含めた先進各国で共通した現象であり、これによって化学物質を含む圧倒的な物量生産とこれの社会への蓄積が進行することとなった。米国の著名な環境保護論者であるバリー・コモナー*10は、図表7のように、戦後からわずか20年あまりの期間にいかに大量の化学物質が米国内で生産されたかを示している。

2.2 地球環境の国際管
 カーソンの指摘は地域規模では『水俣(有機水銀)』、『セベソ(イタリアでのダイオキシンの流失)』、『ラブ・キャナル(米国での有害廃棄物の流出)』などの悲劇として現実のものとなり、やがて地球規模の影響をもたらしはじめることとなった。60年代にはすでに資源の有限性や地球環境影響の可能性を示唆した『宇宙船地球号』ということばが国連演説で使用されローマクラブの『成長の限界(72年)』*11では、これまでの推移を続けると地球規模でのエネルギー・資源の枯渇と環境破壊、人口爆発、食料危機がもたらされ地球はやがて破滅的な状況を迎えるとの定量的な分析にもとづく警鐘が鳴らされた。

 地球的な規模での環境破壊は国際機関レベルにおいても取り上げられ、国連人間環境会議(ストックホルム会議,72)は地球規模での環境影響を議論する重要な契機となった。現在においても地球規模の環境問題を先導しているUNEP(国連環境計画)はこの会議で設立された。UNEPはその後オゾン層破壊防止(ワシントン会議,77、ウィーン会議,85、モントリオール議定書,87)、後述する温暖化防止、有害廃棄物の越境移動管理(バーゼル条約,89)、生物多様性条約(リオ会議,92)などの問題を扱うこととなる。

 80年前後になると地球環境問題、中でもオゾン層破壊の実態が米国の調査結果から明らかになり、UNEPを中心にこれを規制するための枠組み作りが速いテンポで進められた。また温暖化問題への警鐘となる報告は米国大統領レポート『西暦2000年の地球,80年』であろう。その後、87年にはUNEPと国際気象機関(WMO)の合同で『気候変動に関する政府間パネル(IPCC)』が設立され、現在に至るまで温暖化問題の専門家(主に科学者と経済学者)の集まりとしての主導的役割を果たすこととなる。88年には米国での異常高温と干ばつが議会とマスコミに温暖化問題を一躍クローズアップさせることとなった。トロント会議(88)では包括的な地球規模の条約と議定書の要請がなされ、終に92年にはブラジルのリオデジャネーロで地球サミットとして『地球環境会議(UNCED)』が開催されリオ宣言が採択された。そしてこの場で気候変動枠組み条約が条文化され、94年に発効した。第3回目となる枠組み条約締結国会議(COP3)は京都で開かれ、先進国ブロック毎の2008-2012年に向けた温暖化ガスの排出削減目標設定とともに植林の吸収源としての役割、先進国間での排出権取引・共同実施が容認された。この間87年には『環境と開発に関する世界委員会(通称ブルントラント委員会)』で世代間の公平性を実現しながら環境保護のもとでの開発を意味する“持続的発展”という概念を世界に普及させた。

 以上のように、エネルギー消費、化学物質生産、核保有量の増大などがもたらす地球的規模での影響はすでに1960年代から警告が発せられ、この30年以上のテーマとなってきた。70年代には石油産出国の米国メジャーからの利権の奪取(73年)とイラン革命(79年)という2回の石油危機(いずれも『成長の限界』が指摘した石油の枯渇が原因ではなったが)によってエネルギー制約に対する対応が先進国で精力的に講じられることとなった。その結果、70年代から約10年間先進国のエネルギー消費は削減され一時的には持続的発展が実現されたかに見えた。この間、石油価格高騰に連動して一次資源も高騰したため、省資源化も促進された。

 しかし、87年の石油価格暴落以降は歴史的とも言える省資源・省エネルギーの時代は終わり、再びエネルギーや資源の消費は増大し、90年代に入って国際的管理が現実のものとなったのである。カーソン女史の警鐘からちょうど30年目、そして『成長の限界』から20年目のことである。

3.地球環境の国際管理 −その必要性と困難性−

3.1 地球環境門問題の国際管理の難しさ
 国間の政治的調整を含む国連などの環境の国際管理には長い時間を要し、しかも当初の論理的な枠組みからは大きく外れたものとなることが多い。これには地球規模の環境問題の一般的特性が起因している。一般に地球環境のようなグローバル・コモン(地球的共有財)には所有権がないため、一般にこの管理をめぐってはお互いが無責任となって資源や自然を過剰に消費してしまう可能性を持っている。

 かつて英国においてコモンズと呼ばれる家畜の放牧用に土地の共有化が行われたが、個々の農家はより多くの収入を得るために、共有地の牧草の再生能力以上に羊を飼ったために、結局コモンズは牧草地としての役割を果たさなくなってしまったという歴史がある。『共有地の悲劇』として有名なこの事例はそのまま地球環境の管理にも当てはまる。各自の利益を追い求めると共有物の管理に無責任になってしまう例である。

 また逆に共有物の管理を多数決で決めてしまうと、多数派が少数派にルールを過度に押し付けることもある。加藤尚武*12は環境倫理にはこの過度に他人の権利を強制する性質と通時的(世代を超えた)な性質があることを示して、現世代のみの投票結果によって問題解決を決定する民主主義では共有財である地球環境を管理するには限界があることを説いた。環境への価値の異なる人々が共有する環境のあり方を決める方法は無責任でも過度な強制でもいけないという難しい問題なのである。

 この二つの性質は、特に国連の環境問題への対応をめぐる南北対話において大きな障害となっており、下記のような『ただ乗り』問題や『被害者負担原則』といった問題を惹起してきた。

−総論賛成各論反対ケース
 総論としての地球環境管理には賛成であるものの、自分だけがルール(たとえば温暖化防止条約)に違反することで大きな利益が生まれる場合には、『ただ乗りをするもの(FreeRider)』が出てくる。後に触れるように、途上国は温暖化問題などでは一貫して責任は先進国にあると主張しており、資源主権論を掲げる国もある。共有物である地球を管理するという視点から見れば途上国は『ただ乗り』であり、この扱いが大きな焦点となる。

−被害者負担の原則ケース(VictimPaysPrinciple)*13
 環境問題の国際ルールとして、汚染者がその汚染の(社会的)費用を負担する必要があるとする『汚染者負担の原則(PolluterPaysPrinciple=PPP)』が広く認知され適用されてきた。しかし、途上国(加害国)と先進国(被害国)の間で越境汚染がある場合などでは、上記ルールが適用されにくく、通常被害者(先進国)が負担するほうが問題を解決しやすいケースが多い。

 このように、本来地球環境がもつ性質ゆえにグローバルな公共財としての環境管理をこれを共有する国間で合意できるルールに仕立て上げることは容易ではないことがわかる。特に先進国と途上国間の調整は今後とも環境の国際管理にとって大きな障壁となろう。

3.2 地球環境問題解決に当たってのアクター(演者)と交渉過程

 国際機関が扱ってきた地球環境関連の問題群は、1.越境汚染(酸性雨)、2.オゾン層破壊、3.捕鯨、4.アフリカ象の象牙取引、5.有害物質の輸出、6.南極、7.地球温暖化、8.生物多様性、9.砂漠化である。P.ポーター*14によれば、これらの国際管理の枠組み(通常条約)を形成する過程は、環境問題の実態やそのメカニズムの確定⇒事実調査⇒レジームの形成⇒レジームの強化、という過程を踏む。ここでレジームとは、国際環境管理の枠組みの姿を指し、そこでは国家、国際機関、NGO、企業がプレーヤーとしての役割を担う。枠組み作りには国際機関が主導し調停を図ることになるが、特に、積極的役割を演じる国家やこれを拒否する国家の組み合わせがどのような政治的配置になっているのか、拒否国がどのようにそのスタンスを変えるのか、といった国家間の戦略的駆け引きがレジーム形成の中心となる。また一旦レジームが形成された後にも、これを強化するためのルール作り(たとえば温暖化の京都会議における最も重要な削減目標の設定など)が進むことになる。

 ポーターは上記地球環境問題のレジーム形成の過程に共通な5つの特徴として、1.拒否力の行使(大国、小国を問わない)は大きな撹乱要因である、2.国際貿易に占める国の役割は立場をよく反映する、3.軍事ではなく経済が交渉にとって大きな役割を演じる、4.拒否権にもかかわらず多国間協定(たとえば国連の条約)が環境に対する脅威を抑制し得る、5.国内・国際世論や環境NGOが大きな役割を演じる、を挙げる。国家の当該レジームへの態度の背景には経済的利害関係が重要な役割を演じる点や、拒否する国がたとえ小国であっても全体に大きな影響をもたらす点は、南北対立を一層深刻にする表れと言えよう。温暖化問題のCOP3(締約国会議、京都会議)では、米国が途上国の責務を定めようと強く主張したが退けられた。かつての部分核実験停止協定(1963)における核保有国のような高圧的な態度が取れないもとでは、発展のためにエネルギーを必要とする途上国は今後とも『発展の権利』(図表8参照)を主張して一定の所得水準まではこの消費を拡大することになり、先進国の削減努力が実現しても地球の温暖化はさらに加速されることになろう(IPCCの中間報告では、現在の全炭酸ガス排出量の実に40%を削減しても温暖化は現状の水準にしか止めることは出来ない)。

 レジーム形成、強化においてNGO(非政府組織)の役割も無視出来ない。すでに国連、WTOなどの地球環境レジーム形成においてNGOは大きな役割を果たしている。特に条約履行状況の監視という点でNGOは第三者の役割を演じるとともに、会議の議事録作成の場への参加要求(交渉の透明化)、専門家(大学もNGOである)と連携した交渉時の実質的なアイデアの提起、不買運動などのキャンペーンとその影響力は多岐にわたる。また、NGOは国や企業などの利害関係を代表していないことからむしろその政治的中立性がレジーム形成にとって不可欠と認識されている。ただし、NGOの更なる国際ネットワーク化に伴う政治的影響力の大きさが、レジーム形成を容易にするのか、逆に特定の環境思想の強制力を強めることになるのかといった点は今後焦点となろう。

4.21世紀に向けた地球環境管理

4.1『持続的発展』の具体的目標設定
 地球環境の国際管理において途上国の将来発展が如何なる姿であるのかは決定的な意味を持つ。図表9は人口一人当たりの所得と環境の関係を表したものであるが、二酸化硫黄濃度では一定の所得水準において当該国の主要都市の二酸化硫黄濃度がピークをもっていることが分かる。この有名なグロスマンの実証分析*15は、出生率が同様な曲線を描くように、都市環境も一定の所得水準までは悪化せざるを得ないことを暗示している。一定の経済規模までは環境への投資は二の次なのである。しかし、途上国がこの水準に到達するまで地球環境悪化に耐えることが出来るのであろうか。それとも過去の先進国モデル=フォーディズムに代る発展モデルのパラダイムを作りうるのであろうか。

 20世紀は大量生産の世紀であったが、それは同時に企業に富、人、知識を集中させることによって可能であった。いわゆる産業化社会である。そして現在においてもこの産業社会に代るビジョンは出ておらず、先進各国は地球環境問題に直面してハイパー産業社会ともいえる産業主導の『循環型社会』の形成に期待をかけている。筆者はこのハイパー産業社会の役割を否定するものではないが、すでに見てきたようなフォーディズムの拡大再生産の連鎖を断ち切るための仕掛けを社会システムの中に作らない限り、『循環型社会』はかつての省エネ実現の再来、つまり単なる短期の技術的繕い(TechnicalFix)に終わることになろう。

 60年代からダニエル・ベル*16が指摘したように先進国は石油危機を境に急速にサービス化あるいは知識の産業化を進めてきた。と同時に、インターネットなどの情報技術の革命によってすでに先進国の就業人口の7割近くを占めるサービス産業の生産性向上が可能になり、先進国では世界恐慌(29年)以来と呼ばれる大量の失業が生まれつつある(すでに世界で8億人*17とされる)。かつてベルが描いた『脱工業(産業)化社会』が到来するとすれば、それはハイパー産業化と大量の失業との融合したものではないだろうか。その一つの要素はリピエッツが指摘したような自由時間革命によるワークシェアリングであろうし、大量のボランティアの環境や福祉といった問題への社会的役割に求められよう。事実ヨーロッパではリサイクルなどは雇用促進策として位置付けられている。

 大量の失業者の発生はワークシェアリングと自由時間の拡大を通じてボランティア活動の増大あるいはNGO活動の更なる活性化に結びつき、上記のような危惧をも含みながらも、地球環境の管理のレジーム形成にとって大きなポテンシャルを形成しよう。産業社会のパワーポリティックスにおける主役であった国家や企業に代る新しいインフォーマル・セクターの出現である。ただしまだ見ぬこの社会の富の創出、分配、意思決定といった仕組みがどのように作られるのかは定かではない。

4.2 日本の役割
 地球環境問題をめぐるパワーポリティックスから見ると、米国の役割は依然大きく、米国が主導国に回るか拒否国に回るかによってレジーム形成は決定的影響を受けてきた。しかし、温暖化に見るEU(主導)や途上国(途上国の責務問題では拒否)の影響力に見るように、米国のヘゲモニーは明らかに低下しており、今後“どんぐりの背比べ”によってレジーム形成は一段と困難な状況が生まれよう。遅々として進まぬ温暖化管理に対して、89年の24ヶ国の首脳が集まったハーグ国際会議では全会一致の原則を破棄した『地球(環境)立法機関』設立が採択されている。全員一致と実行可能という原則のもとでは、温暖化などの問題に対応出来ないとする見方である*14より。

 99年のWTOシアトル総会は自由貿易促進が環境を悪化させるとの意見を持つNGOによって妨害され、外出禁止例までが出る異常事態となった。また米国の新しい貿易ラウンドに向けた反ダンピングへの強行姿勢に途上国が反発して会議が流会となった。途上国の発言力の強化がもたらす国際レジーム形成の困難性、そしてNGO組織の更なる政治化は21世紀はじめの国際環境管理の困難性を象徴している。

 この中にあって日本は国内政治の場で地球環境管理の方法をめぐる政策論争をするにまで至っておらず、専ら環境ODAや技術協力による『地球への貢献』『環境面での貢献』といった戦略なき資金援助の段階にしかない。また過去のレジーム形成とその強化ならびに拒否国の個別例(G.ポーター*14)を見ると、日本は拒否国であったケースこそあれ主導国になったことはない。最大の輸出国として輸出産業の利益を環境による保護貿易的レジームから守るとともに、競争力を失った国内の農業、漁業、林業などの産業保護をも果たす必要があるという二面性は、省庁主導型の分権化システムのもとでは常に矛盾をはらんだものでしかない。この意味では、自国制度(民主主義、環境管理を含めた行政制度全般)の透明性を確立するとともに、平和、環境問題への主導国としての役割を今後グローバルな環境保護においてもレジーム形成にリーダーシップを発揮して途上国の持続的発展のビジョン形成あるいは具体的な社会システム作りに実質的役割を果たすことこそ肝要であろう。筆者が途上国との環境協力での経験からは、日本政府の投入してきた途上国の大都市への大規模な支援は、すでに『いくら投入してもちっとも変わらないいわばザルのような援助』でしかなく、小規模の資金ながらも途上国の地方の経済計画と環境保護の両立に貢献する多くの欧米NGOのほうがより実質的な影響力と成果をもたらしている。戦争中のアジア進出から『自助努力への支援』という消極的な金銭面だけの役割に限定してきた日本のODAも、『環境支援』という社会システムに入りこまないことには解決しない問題に直面して、自らの社会システムをも再考する必要に迫られていると言えよう。

おわりに

 地球環境問題の国際管理のゆくえはまさに先進国の脱フォーディズム、脱工業化のビジョンにかかっている。先進国の循環社会形成のためのインフラ作りやグリーンビジネスが一大地球環境産業(ハイパー産業化)の形成を通じて大量生産の鎖を断ち切ることが出来るのか、そのハイパー産業化のなかで『自由時間』の拡大が『地球市民』の形成に結びつくのか、そして『地球市民』が国家と既存のステーク・ホールダー(企業などの産業社会の利益代表者)に代って『共有地の悲劇』を救うことが出来る仕組みを形成できるのか、すべては不透明である。しかし、かつて先進国が辿ってきたフォーディズムへの路を確保する権利だけを主張する途上国と、産業調整などを通じたハイパー産業化への道筋すらなかなか見出せない先進国の間には地球環境を管理する構図は見えてこない。

〈参考文献〉
*1)デーヴィッド・A・ハウンシェル「アメリカンシステムから大量生産へ」、和田一夫他訳、名古屋大学出版会、1998
*2)ロベール・ポワイエ、「レギュラシオン理論」、山田鋭夫訳、藤原書店、1992
*3)マルティン・イエニッケ他「成功した環境政策」、長尾伸一他訳、有斐閣、1998
*4)TechnologyandtheEconomy,OECD、1992
*5)アラン・リピエッツ、「レギュラシオン理論の新展開」、井上泰夫ほか訳、大村書店、1993
*6)アラン・リピエッツ「勇気ある選択」、若森章孝訳、藤原書店、1990
*7)IPCC第3作業部会報告「地球温暖化の経済・政策学」、天野、西岡監訳、中央法規、1997
*8)日本開発銀行資料
*9)L.カーソン、「沈黙の春」、新潮文庫、1974年発行
*10)バリー・コモナー、「なにが環境の危機を招いたか」、安部他訳、ブルーバックス、講談社、1976
*11)ローマクラブ、「成長の限界」、大来佐武郎監訳、1972年発行、ダイヤモンド社
*12)加藤尚武、「環境倫理学のすすめ」、丸善ブックライブラリー、
*13)環境経済学、植田和弘、岩波書店、1996
*14)ガレス・ポーター、ジャネット・ブラウン、「入門地球環境政治」、細田衛士ほか訳、
*15)Grossman,G.M,"EnvironmentalImpactsofANorthAmericanFreeTrade Agreement"、1991
*16)ダニエル・ベル「脱工業社会の到来」、内田忠夫訳、ダイヤモンド社、1975
*17)ジェレミー・リフキン、「大失業時代」、松浦雅之訳、TBSブリタニカ、1996



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