湘南総合研究所
ご紹介 研究員 研究計画 紀要 行事 研究助成&各懸賞の募集 情報
■栗林訓先生を偲んで
  情報学部 竹田仁

文教大学情報学部教授であられた栗林訓先生は平成20年1月逝去されました。哀切極まりないものがあります。
栗林先生は、昭和19年10月28日にお生まれになり、その後一橋大学経済学部にご進学、昭和43年3月同校を卒業。同年4月野村総合研究所に入社され、同研究所計量調査課勤務となり計量モデルの作成、企業財務等を担当いたしました。
昭和45年から47年までミシガン大学大学院に留学され財務分析について研究されました。
帰国後、野村総合研究所金融調査室で企業の国際的財務戦略、国際経営等を担当されました。
昭和50年から53年までオーストラリア国立大学大学院経済学研究科で企業論理、投資・財務の意思決定論を研究されPh.Dを取得されました。
昭和53年帰国後、野村総合研究所政策研究部に所属され経済情報システムについて研究されました。

昭和61年4月文教大学情報学部経営情報学科に教授として赴任されました。
平成4年から平成8年まで文教大学湘南総合研究所所長を2期お勤めになられ湘南総合研究所発展に大きく貢献されました。
情報学部の長年の希望である情報学部を母体とする大学院設置に尽力され、平成18年大学院情報学研究科が設置され初代研究科長に就任されました。

栗林先生は、学問・研究、行動に厳格でした。大学院設置の際など厳しく対応していました。
また、研究の面でも所属学会以外の論文査読もしておられ厳しく指摘をされていた事を覚えております。教授会や各種会議でも的確かつ厳しい指摘をいただき、本気で情報学部を支援していただきました。教育面では大学院の学生を朝早くから指導されその院生と8時頃朝食を取っている姿をよく見かけました。

先生は何でも趣味にしてしまう才能もお持ちでした、一時は痛風のため杖の生活が続きましたが健康の為、山歩きを趣味に取り入れ徐々にその距離を伸ばしたようです。慣れてくると山歩きの最中に植物採集も趣味に取り入れ植物関係の学会にも参加するほど熱心に植物を育てていました。
この植物採取の為毎週の様に朝早くから奥多摩に行っていたようです。

先生のすばらしい指導力と行動に感謝するとともに、御冥福を心よりお祈り申し上げたいと存じます。

■栗林訓先生を偲んで
学者として教育者としてライバルとしての大きさをおもう

富田 輝博
(情報学部教授、前大学院情報学研究科長)

栗林訓先生(以下、栗林さんと呼ばせていただく)とは、専門領域、年齢も近く、二人とも研究所出身で大学教員に転職したという経緯も似ていることから、特別親しくしていただいた。
栗林さんは野村総合研究所から、1986年に、私は、電力中央研究所から1年遅れで、同じく情報学部教授に就任した。このような経緯からも、栗林さんとは単なる同僚を越えた存在であった。

栗林さんは研究所時代から一貫して、金融・証券問題に取り組み、金融工学にも造詣が深かったが、ケインズ、シュムペーターなどの理論的バックグラウンドもしっかりしたものだった。
彼は常に、メモ用紙に細かい字でぎっしりと英文で何か論文のネタとなる文章を書きためて、教授会の席にも持ち込んでいるのを何度も見た。その成果は、その後その多くは、情報学部紀要に連載で、時には3本も同時掲載される論文となって実現した。
大学の紀要というと、審査も経ない雑文くらいにしか思わない人がいるが、また、論文と呼べない代物も多いのは事実であるが、同氏の論文は、特に英文は、流麗で、格調高く、内容的にもきわめて水準の高い独創的なものであった。

89年の世界株式同時暴落や、金融機関の不良債権問題、そして2007年、米国低所得者住宅向けサブプライム・ローン問題など、彼の専門分野に関する問題が次々と起こった。
ある時、雑談の中で、「96年に、ブラック・ショールズ方程式の開発などでノーベル経済学賞を受賞した学者が、ファンド会社の経営に携わったのに、どうしてあっさり翌年倒産してしまったの?」と聞いてみたことがある。栗林さんの回答は、「このような金融問題における事件(イベント)は、正規分布しない、現実は理論通りいかない」、というものだった。

たしかに、今回の金融危機を、グリーンスパン前米連邦準備制度理事会議長が、100年に一度の津波に喩えているという報道がなされた。グリーンスパンはこのようにまれな出来事が起こったので、自分の責任ではない、とまで言わないにしても、どうしようもなかったと言いたかったのかもしれない。しかし、これは間違いである。
なぜなら、彼は在任中、金利を何度も引き下げ、通貨供給量をどんどん増やし、米国の住宅バブルを引き起こした張本人だからである。

栗林さんが、昨年秋以降のリーマン・ショックをご覧になっていれば、なんとおっしゃったであろうか。ぜひ聞きたかった。おそらく、「現実は理論どおりいかない、だから言ったじゃないの」と、今頃、天国でにやりとしておられるのではなかろうか。
高名な東大教授で、金融の専門家が、「現実が理論どおりいかないのは現実が間違っているからだ」、とバブルの頃言ったのとはまさに対照的である。

教育に関しては、栗林さんの担当科目は、金融経済学、マクロ経済学、投資分析、ファイナンス、経営情報システム論、ベンチャー証券市場論、ベンチャーキャピタル論、等多様な専門領域にまたがっており、これらの科目を学部から大学院まで一人で担当されていたとはまさに驚嘆に値する。

そして栗林さんは大学院情報学研究科創設に力を注ぎ、初代の研究科長として多くの研究生を育て上げた。中には学部ゼミの卒業生で就職後3年経てから、会社を退社して大学院に入学してきたものもいる。また、多くの中国人留学生が栗林さんを慕って、院生となった。私は院生のうちの2名を引き受けて、院生の指導がいかに大変なことかを改めて認識した。

また栗林さんは多趣味で、しかも凝り性であるのは本学においても有名であった。車、クラシック音楽、サボテンなどなどと幅広い。赴任当初からフェアレディZなどに乗り、朝6時の国道一号線を飛ばして通勤していたこと、主なオペラについては、テープレコーダーで録画して(DVDではない!)全巻揃えていたこと、また、近年はサボテンの栽培に情熱を傾け、研究室からあふれ出たサボテンが廊下を埋め尽くしていたことも、懐かしい思い出である。

私は、現在、文教大学より在外研修の機会をいただき、一橋大学H教授の下で研究している。
栗林さんは、「H教授とは若い頃、一緒に研究会で勉強した。俺の分もしっかり研究してきてくれ」、とおっしゃるのではなかろうか。
私にとって、栗林さんは良き同僚であるとともに、良きライバルでもあった。そのライバルが不幸な事故により突然、逝ってしまわれた。返す返すも残念である。心よりご冥福をお祈り申し上げる。

■栗林訓先生を偲んで
  ご恩ありそしてご縁あり

佐藤 久(湘南校舎事務局施設課長)

昭和62年か63年の頃、情報学部教員が講師で、文教大学が茅ヶ崎市と共催の公開講座を湘南校舎で開講した際のエピソード。

会場は1101教室、講義終了間近に受講生から質問を受ける栗林先生。
受講生「これからの株取引での好条件を一歩踏み込んでご教示を」との質問に先生曰く「これから先の話は『有料になります』と。会場は緊張から一瞬に爆笑へ。
「公開講座」を手探りではじめた開講間もない時期の教務課業務を思い出します。ポートフォリオ?財テク? 私には縁もゆかりも無い世界のお話でした。

私が会議記録を担当した情報学部教授会では、イスに腰を深く降ろし目をつむり、時としてズバリの発言にハッとさせられる印象深いことも。

  情報学研究科開設(平成17年)の初代研究科長のご就任後しばらくして、施設課員の私へ1号館4階屋上に「多肉植物を少し置かして欲しい」と。それは見る見るうちに増えて用意した二人がけのイス2脚から床にはみ出していきました。それはご自身の研究室前にも既にたくさん・・・。

今年は先生の3回忌になります。奥多摩・海沢(うなざわ)へ昨年は7月に御参り、今年は11月を予定しています。

先生が山が好きだったとは奥様からお聞きするまで初耳、同好のご縁を感じます。
末筆ですが、先生のゼミ生の投稿をご披露させていただき、ご冥福をお祈り申し上げます。
    「厳格かつ聡明であり遊び心満載。常に厳格、先生が絶対」(無断転用にて失敬)
                                                       合掌

■栗林先生を偲んで
湘南総合研究所創設と情報学研究科の設置を主導

藤井 美文(国際学部教授・学生部長、 第4代湘南総合研究所所長)

 湘南総研は、越谷のテーマ別のアカデミックな研究所とは異なり、民間の資金を呼び込めるようなシンクタンクを創りたいという情報学部の教員の声を、当時の吉井常務理事が後押しして設立された。ご提案をされた中心人物が初代湘南総研所長になられた栗林先生であったろうことは容易に推測される。

 湘南キャンパスの情報、国際の両学部とも学際学部であるため、くわえて短期大学部は当時は文理融合の総合学部であり、特定のディシプリンや領域をテーマにした研究所を作ることが難しかったためであろうが、研究所の活動として、(1)学術研究・調査・事業と、(2)地域社会との連携、(3)海外研究機関との交流を通じた成果の社会への還元、を目標に設定され、現在に至るまでその基本方針が引き継がれている。そして、初年度には栗林所長のもと、海外からのゲストを招いてデータモデリング講座を開いたり、研究所報の作成、今後の研究所の事業や研究所員の処遇のありかたなどが議論された。

 その後10年近くを経て、栗林先生とは両学部の大学院創立の責任者同士としてお会いする機会があった。必ずしも設立に積極的でない大学側と丁々発止しながら、短期間で大学院設立に漕ぎつけた先生の熱意とご努力は、先生のクールなお姿からは一見想像できないものであった。
初年度の学生集めでは、研究科長自らがきわめて積極的に働きかけられたとお聞きしている。

 こうしてみると、栗林先生は湘南総研と情報学研究科という二つの組織の設立に主導的な役割を果たされ、かつ成就されたことになる。したがって、先生の遺された二つの組織を今後とも大きく発展させることが先生の当大学へのご足跡に報いることになるのかもしれない。微力ながらその一端を担ってゆく所存である。あらためて栗林先生のご冥福をお祈り申し上げる。

■栗林先生の思い出
早川恵美子(湘南総合研究所 事務室)

私が湘南総合研究所に入る際、面接してくださったのは栗林先生です。
車好きな先生は、私が学生時代に自動車部に所属していたというだけで入れてくださったような気がします。
研究所に入って与えられた仕事のひとつはニューヨークタイムズの記事の見出しの翻訳でした。
実は英語が苦手だということを見抜いていらして、しっかり勉強するようにという意味があったのではと思います。それがいつの間にか何十冊にもなってしまいましたが、一向に英語はうまくなりませんでした。数年前に研究所の引っ越しでそれをあらためて発見し、栗林先生のお気持ちに気づきました。そしてお応えできなかったことを初めて後悔しました。

先生はご自分の好きなことをまっすぐ求めて生きていらしたような気がします。そしてご家族…特にお嬢様のことを話されるとき、とてもうれしそうでお幸せそうでした。大変残念で寂しい気持ちでいっぱいですが、いい人生を送られたのだと思います。
大変お世話になりました。ありがとうございました。

■栗林さんの三回忌供養
奥多摩の自然に抱かれて

若林 一平
(湘南総合研究所・所長、国際学部教授)

 2009年11月15日朝、J R武蔵溝口駅下り ホームに集合して、7時31分発立川行きに乗車した。
栗林訓さんの三回忌の供養のためにこの日集まったのは、竹田仁さん(前情報学部長、現大学院情 報学研究科長)、佐藤久さん(施設課長)、内藤愛子さん(教育支援課、情報学部事務室勤務)、そして筆者、計4名である。目的地は栗林さんが遭難した奥多摩の現地である。

 昨日までの雨天続きとはうって変わってこの日は完璧な快晴となった。
南武線の終点立川まで行くのはほとんどがハイキング客である。立川駅から青梅線に乗り換えて奥多摩へ向かう。奥多摩駅から多摩川の源流をのぼることおよそ二時間で現地に到着した。もう昼近くである。多摩川の源流は深い渓谷になっており、渓谷わきの 山道から見下ろすと狭いところでは川幅は1メートルもない。

栗林さんが遭難した現場近くで渓谷が開けた明るい場所まで移動して三回忌供養をとりおこなった。佐藤久さんがお線香・お供物などのさまざまな品を用意してくれた。奥多摩の渓谷に久さんの読経 が静かに響きわたる。栗林さんを偲ぶみなのおもいはひとつである。

 栗林さんは大きい存在の方である。湘南総合研究所初代所長であり、大学院情報学研究科の初代科長でもある。クリエータでありかつ実務を全くいとわないという希有な才能の持ち主である。
ぼくも そのひとりなのだが、さりげない言いまわしの中で本質をわかりやすく表現する彼の語りに魅せられた方も多いのではないだろうか。

 渓谷の日暮れは早い。11月とはいえ陽が陰ると肌寒い。夕刻に下山してきて御嶽駅の近くで地酒の銘酒「澤乃井」をいただいた。 栗林さんの供養。自然に感謝の気持ちが湧いてきました。そして何か大きな力をいただいた気持ちです。

 栗林さん。せめてあの奥多摩の自然に抱かれてどうぞやすらかに。
                                          合掌

12月14日号
Launching "Shonan Journal" for international readers in March 2010


このたび湘南総研では外国語による紀要(年報)"Shonan Journal"を創刊するこ とになりました。
創刊の趣旨は2008〜2009年の金融崩壊は、ちょうど20年前のベルリンの壁崩壊に 相当する世界的事件であり、今日の世界の見なおしが迫られているという認識か ら出発しています。

"Shonan Journal"は今このときにあたって国内はもとより国際的な読者を想定し た活発な研究成果の交換、また時宜を得た論考の交流の場を提供しようとするも のです。

当面は英文の使用により国際的な寄稿に道を開き、今後は順次多言語の採用に よってさらに実りある対話の場を作ります。

みなさまの投稿をお待ちします。

Shon"an Journal" 編集長
若林 一平

December 11, 2010
Launching "Shonan Journal" for international readers
Dear Colleagues:
The Shonan Research Institute Bunkyo University is launching a new academic annual report "Shonan Journal" in March 2010.

In 2009 twenty years after the collapse of the Berlin Wall, which the leader of the international communist movement the Soviet Union constructed, the economy of the United States of America, the long time leader of the global market system, has completely collapsed.

The myth of globalization was diminished in 2008 to 2009. However globalization is not just an illusion of the past. The myth is the ill- imagined financial society. Yet we have to face the globalized stage of the history.

A crisis is a chance. Virtual to real. We have to return to the real world of the community, while we are unable to neglect the global reality. We need an ecological approach between community and global market.

Think about biodiversity. The essential point of culture is diversity.

We should learn from the biological world. Think about a center to peripheral style capitalism, which has been spoiling local cultures. Therefore the dialogue between culture and capitalism is needed.

Think about neighborhood. Our economical and cultural neighborhood is East Asia. The Great East Asia Co-prosperity Sphere was a bad dream of Imperial Japan. Yet it might be a good thing to create East Asian community on the basis of dialogue and reconciliation in the rapidly evolving East Asian reality.

Your contribution is highly welcome.

Sincerely, Shonan Journal Editorial Board
Ippei Wakabayashi
Editor in chief
Masao Okano, Takaharu Okuda and Miki Watanabe
Editors
Toshio Kadokura, Akinori Ide
Assistant Editors



12月6日号
第8回湘南発!産学交流テクニカルフォーラム参加

 
  湘南総合研究所トップページタイトル

12月21日号
栗林先生を偲んで











 

 

海津ゆりえ研究室
「茅ヶ崎エコロコクルーズ」

<研究のねらい>
茅ヶ崎ロコクルーズ実証実験でのツアーメニューに、エコツアーを取り入れた学生提案メニューを提示することで市の観光課の意識を高め、また活性化を図る。

<PRポイント>
自転車通行を前提としたとき、茅ヶ崎市の道路事情調査をすることでわかる、自転車利用者にとっての利便性、安全性、快適性、観光適性を文教ゼミ生が考えたメニューとコースマップの作成。



高田哲雄研究室
「HDV立体映像“フランスの古城”」

<研究のねらい>
南フランスのカルカソンヌの城(Carcassonne:ユネスコの世界遺産)を立体撮影しました。この題材を例に、立体映像の可能性として観光コンテンツ、その広報的効果についても研究しています。(2008年度情報学部共同研究に基づく)

<PRポイント>
今後3D立体映像コンテンツの開発が期待されています。3Dムービーはもちろんのこと、イベント空間、商業スペースや観光コンテンツ、その広報的効果としての可能性を多く含んでいます。



 


 
 
 
<共同研究-2013年>
「死者の光景」から考える国際学―戦争責任と戦争犯罪にかかわる諸施設からの考察―

<研究組織>
研究代表者  奥田 孝晴(国際学部)
研究分担者  井上 由佳(国際学部)
<研究概要>
私たちが自身を「地球市民」と意識する際の課題の一つとして、自身が帰属する国家との関係性、“距離感”をいかに保てるのか、という問題が挙げられる。そのもっともシビアーな状況は国家が要請する「死」と「個」としての市民がいかに対峙するか(あるいはできるか)、という課題なのかもしれない。
国際学が取り組むべき「死」に関する課題は、誰にもひとしく訪れる生物学的な“その瞬間”ではなく、近代国家という体制が、そこに従属させられた人々に強制する死に強く結び付けられている。国家権力の強弱やそれに関連するソフトパワーの多寡に規定されながら不均等に世界の一体化が進む今日、体制の「重さ」に対する命の「軽さ」がこれまた不均等な形で普遍化されようとさえしている。
この数年、奥田は平和学研究の一環として、大日本帝国の周辺アジア諸国に対する戦争犯罪、戦争責任問題を考察し、その研究成果を公刊してきたが、その「記憶」自体が今日では国家やその為政者たちの“解釈”に基づいて様々な形で表象されており、そのこと自体が東アジア諸国民間での「歴史認識の差異」を生み出す一因ともなっている。
今年度は博物館教育学の専門研究者である井上の学究アプローチの採用と助言をふまえた共同研究を通して、幾つかの「死者の光景」(その展示表象)に関わることから、近代国家と「死」のかかわりについての、国際学的視点からの論考を試みたい。   

 

<共同研究-2013年>
穀類による抗酸化食品の開発と提案

<研究組織>
研究代表者  井上 節子(健康栄養学部)
研究分担者  太田 信宏(健康栄養学部)
研究分担者  渡邊 美樹(健康栄養学部)
<研究概要>
米は日本型食生活において、日常的に摂取している重要なエネルギー源である。
江戸時代は「玄米」が一般的であったが、現代では「白米」が主食になっている。白米は炊きやすさ・食べやすさ・おいしさ・用途の広さといった付加価値を高め、日常的に日本人に食べられている。 しかし、玄米は白米と比べ栄養価や機能性が高い事に加え、抗酸化能成分を多く持ち、抗酸化能やラジカル消去能を示す。
最近、生体内酸化のメカニズムの研究や、生体内酸化を抑制する抗酸化食品の開発がすすめられているので、玄米は注目される。しかい玄米には、ミネラルの吸収阻害を行うフィチン酸が多く含まれ、幼少期でのミネラル摂取阻害が問題として挙げられている。
日本型の食生活では多くの食品が同時に摂取されるので、食べ合わせによってこの阻害効果が抑制され、充分な抗酸化の働く食品を作成する事ができると考えられる。日本の伝統食を新しい視点で見直す事にもなり、健康の根幹になる研究となると考えられる。我々は、このような玄米を用いた抗酸化に注目した食品の開発と提案を行いたいと思う。   

 

<共同研究-2013年>
デジタル・ネイティブ世代のデジタル・メディアに関する意識調査 〜マレーシアと日本の大学生の比較を中心に〜

<研究組織>
研究代表者  今田 晃一(教育学部)
研究分担者  手嶋 將博(教育学部)
<研究概要>
筆者らは、現在の小・中学生にあたるネオ・デジタルネイティブの世代は、モバイルネットを駆使して、動画情報を自由に操り、言葉より映像・音楽、理性より感性・感覚を重視するなどの特性を明らかにした。
映像重視、感覚・感性重視がこの世代の特徴であることが明らかになり、それらをもとにiPad等のタブレット型端末を活用した授業づくりに取り組んできた。
ところが実際にスマートフォンなどを使いこなしている大学生に対する調査がまだなされていないのが現状である。
そこで本研究では、同様のアンケート調査を大学生用に改善し、日本とマレーシアの大学生のデジタル・メディアに対する特性を明らかにすることが本研究の目的である。   

 

<>





  

 

<>




  

 

<>






  

 




  

 



>
  

 




  

 

;



 

 

Copyright (C) 2008 The Shonan Research Institute Bunkyo University. All Rights Reserved.