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(授業用のテキストあるいは教材です)
[財務諸表の見方]
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記憶は生きている2007年12月中国遼寧省の瀋陽を訪ねた。瀋陽は多民族の都市である。
写真:瀋陽駅舎(旧奉天駅)(2007年12月、筆者撮影) |
瀋陽の故宮は北京の故宮に比べれば簡素ながらも遊牧民である満州族の生活様式・軍事様式が残されている。
満州八旗にちなんで設計された大政殿とこれを取り囲む十王亭(八旗亭)の遺構は降りしきる粉雪の中でひときわ映えている。
朝鮮族。
瀋陽には朝鮮族の人たちが多く住む。朝鮮族の街の盛り上がりも大変なものである。東京の歌舞伎町・大久保以上かもしれない。
北朝鮮系のレストランで「ピョンヤン(平壌)」ブランドの焼酎を飲んでみる。香りがほとんどない。物不足の中での酒づくり。無理もない。
しかし北朝鮮ではこの焼酎を飲める人は特権階級なのであろう。
漢族。
東北部で活躍した中国の英雄は張作霖・張学良の親子である。とりわけ張学良は「救国の英雄」である。西安事件を思い出してみよう。
張学良が蒋介石を監禁した世界史に残る大事件である。これにより国共合作が実現し、以後大日本帝国は劣勢となり、米国との太平洋戦争へと追い詰められていく。
かつての日本族。
現在の瀋陽駅は満州侵略の尖兵であった南満州鉄道で最大規模の拠点駅であった。当時は奉天駅と呼んでいた。奉天駅の建物はそのまま瀋陽駅に受け継がれている。
駅舎の塔には鉄路の「工」の字をかたどった「満鉄」のマークとよく似たマークを見つけた(写真)。
満鉄は「工」と「M」を組み合わせている。よく似ている。
古い建築物を残すことは大変費用を要する事業である。歴史遺跡を保存する事業は中国の各都市で大規模に行われている。
2008年2月
若林 一平
記憶の共有に向けて
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写真:再建された国会議事堂の中で(2006年12月、筆者撮影) |
自分に都合の悪い話は忘れたい。
集団の記憶はそうはいかない。
この国では過去を忘れることに熱心である。
しかし、過去は死なない。
過去は死なないどころか、現在に生きている。イラクがそうである。アジアもそうだ。
大日本帝国という国家がかつて存在した。同じ時代に、ドイツにはナチスの第三帝国という国家が存在した。
西ドイツドが東ドイツを吸収する形でドイツ統一を実現したのが1990年である。以来、新しいドイツの建設が進んでいる。
統一ドイツの首都ベルリンも未だ建設途上である。
2007年12月、ベルリンを訪ねた。写真は再建したドイツ国会議事堂の中央ドーム内の写真である。
かつてドイツ国会議事堂は炎上した。1933年2月27日のことである。
ナチスが独裁権力を実現するために仕組んだ自作自演の事件であった。
同じ議事堂は、1945年のベルリン陥落のときにソ連赤軍とナチス親衛隊の最後の激戦地でもあった。
新しいドイツ国会議事堂の中央ドームは誰でも無料で自由に見学できる。この透明なドームは記憶を共有しようとする新しいドイツの意志と見た。
日本の人たちとアジアの人たちとの和解が遅れている。
和解の出発点は記憶の共有から。まずこのことを銘記しておきたい。
2007年2月
若林 一平
熱狂を超えて
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日本時代の旧大連ヤマトホテル(2005年12月、若林一平撮影)。満州の権益をめぐって多くのドラマが演じられた現場である。壮大な幻影を追い求めた愚を繰り返してはならない。 |
なにかヘンだ。あれだけ一斉にホリエモンを偶像視していた人たちが例外なく彼を非難している。証券取引法違反だという。ならば、なぜ金融庁がまず動かなかったのか。始めに検察という国家権力本体がいきなり登場する異常さも気になるところだ。
ぼくにも背景はまだよくわからない。
全会一致の決定は無効であるというユダヤのことわざを以前に人から聞いたことがある。世の中、一斉に同じ方向に向かって走り出しているときは、疑ってかかったほうがいい。
騙されるのもいけないけれど、自分で自分を騙すのはもっといけないことだ。
日本という国家が大戦争を進めていたときは、言論界も軍部の力には勝てず大きな流れに従うしかなかった。とよく言われているけれど、実はそうではなかったという(半藤一利『昭和史』)。言論人は率先して軍人に協力して、接待攻勢までかけていた。景気のいい戦争報道はよく売れたのである。
半藤さんも言っているけれど、国民的熱狂に問題がある。国民的熱狂は判断停止を正当化してしまうのだ。
2005年、ぼくは旧日本帝国の版図であった樺太(ロシアのサハリン)と満州(中国の東北部)を訪ねた。ぼくらの祖先の人たちがそこに残してきた人びととそしてモノの意味を検証するためである。日本帝国は最後は巨大な虚像と化して瓦解した。
今の日本が、外地から内地に場所を変えて、新たな虚像を追い求めてはなるまい。そのためにも国民的熱狂にはくれぐれも注意したいものである。
繰り返しておきたい。 騙されるのもいけないけれど、自分で自分を騙すのはもっといけないことだ。
2006年2月
若林 一平
若林ゼミ2005卒論集完成にあたって
写真説明:後方はミズーリ、手前はアリゾナからのオイルの波紋(2004年8月、パールハーバーで若林撮影) |
日本軍に海底に沈められた戦艦アリゾナと向かい合う位置に五年前に退役した戦艦ミズーリが係留されている。戦艦ミズーリの甲板では1945年に東京湾で日本政府代表団が無条件降伏文書に署名している。アリゾナとミズーリはそれぞれ太平洋戦争の始まりと終わりを象徴する歴史の記念碑なのである。
戦艦アリゾナから漏れだしたオイルが未だにパールハーバーの海面に波紋を広げているのに驚いた。日本海軍の真珠湾攻撃は1941年12月8日(ハワイ現地時間12月7日)だから、このときから60年以上を経過してなお戦場の名残は消えていないのである。戦艦ミズーリには「サレンダーデッキ(降伏甲板)」と呼ばれる場所がある。1945年9月2日、ここで日本政府代表団が無条件降伏文書に署名したのである。サレンダーデッキからちょうどアリゾナの追悼記念館を望むことができる。
ミズーリの展示で目を引いたのが、星の数が31個の星条旗の展示である。降伏文書に調印したあとで、日本代表団の全権重光葵(しげみつ・まもる、1887〜1957)が「掲げてある国旗は随分古い物のようですが」と質問したといういわくつきの星条旗である。日本を占領した連合国軍最高司令官であったマッカーサー(1880〜1964)が日本上陸にあたって、本国から取り寄せたものである。この星条旗は黒船四隻を率いて1853年浦賀沖に来航したペリーが掲げていたものである。当時のアメリカの州の数が31だったのである。ペリーから数えて92年にしてマッカーサーがその「夢」をかなえたということであろう。
星の数が31個の星条旗。僕はそこにひとつの真実を見た。アメリカという国が日本をどう見てきたか。ペリーからマッカーサーへ、そして現代へ。この真実に僕らはどう応答すべきか。もっと真剣に考えてもよいのではないだろうか。
研究とは真実との対話である、と僕はおもう。しかし、考えてみると人は生きている限り真実との対話は続くのである。だから、卒業論文への取り組みはこれから生きていく上で、意味ある出発点になったのだとおもう。
卒論完成、おめでとう。良い旅が続くよう心から祈ります。
平成十七年二月
若林 一平
ゼミII関連情報です
10月14日のゼミでの質問について。株式取引については東京証券取引所のサイトでわかりやすい解説があります。
株主とは会社の所有に参加することであり、株式の所有はその権利の確保ということになります。配当請求権、株主総会における議決権、会社が解散したときの残余財産分配請求権、などが株主の権利として例示されています。株式の売買はこのような諸権利の売買ということになります。
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