1997年7月27日〜8月7日
[ 1-3日目(東京-ウルムチ-アルマトイ)|
4-6日目(アルマトイ-タシケント)]
[7-8日目(サマルカンド)|
9日目(ブハラ) |
10-12日目(ブハラ-北京-東京)]
1993年、中国の内モンゴル自治区。1994年、モンゴル国。1995年、中国の新彊ウイグル自治区。そして、1997年の中央アジア、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、行きである。いずれも、日本私立大学協会の都竹武年雄先生をリーダーとする団の一員としての参加である。
今回の旅行団の正式名は「日本私立大学協会平成9年度中国シルクロード研修団」である。ここで、「中国」とあるように、旅行の経路は、東京から北京に入り、北京から新彊ウイグル自治区のウルムチに入り、カシュガルを訪ね、再びウルムチに戻ったの後に、中国国境を越えてカザフスタンに入国する計画となっていたことによる。わたしの出発は全体出発の7月25日から二日後の27日であり、中国領内のカシュガルには行けず、ウルムチからの途中参加となったのである。
WITNESS ONLINE DOCUMENTARY SERIESより
中央アジアの5カ国、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン、トルクメニスタンはいずれも1991年の旧ソ連の突然の崩壊により誕生した国々である。中央アジアの各国は、いわばモスクワから「一方的に見放された人々」である。政治、経済、社会、文化のあらゆる面で信じがたい苦労に耐えながらも、新たな希望に満ちて、あらゆる問題と格闘している。宗教はイスラムであり、澄んだ青空に聳える壮麗なモスク(寺院)の円屋根が各地に見られる地域でもある。ソ連時代には宗教は一貫して迫害されていた。現在はイスラムの復権が、そしてモスクの修復と建設が各地で進む。歴史的には、これらの地域はシルクロードの中心部、東西交通の要衝に位置し続けてきたことは言うまでもない。今回訪ねた諸国を概観しておこう。
カザフスタン
面積271万平米、人口は1690万人(1996年)。
人口の40%以上を占めるカザフ族の故郷はモンゴルと同じ草原である。今でも、ユルタと呼ばれるテントに暮らして、同じ遊牧生活をしている人々がいる。中国内の新彊ウイグル自治区にもカザフ族が生活している。1995年にカザフ族のテントを訪ね、チーズとクッキーをご馳走になった。モンゴルのゴビの大草原で味わったのと同じ味であった。
ナザルバーエフ大統領は、旧ソ連時代に共産党の政治局員まで登りつめた「旧体制の超エリート」でもある。しかし、彼は硬直した党官僚ではなく、国際政治環境から帰結する限られた選択肢と高揚する民族主義のエネルギーを巧みに調和させることにある程度成功している。
ウズベキスタン
面積44万平米、人口は2340万人で中央アジア中最大(1996年)。今回訪問の中心地。
カザフ族が騎馬に乗った遊牧民であるのに対して、ウズベク族はオアシス生活を主とする定住系である。農産物も豊富で、食生活の多様性に特徴がある。
ウズベキスタンの平原に一面に広がる綿花の絨毯。一見平和なこの田園風景。しかし、旧ソ連時代に強制された綿花経済の「遺産」が生態系を破壊して、アラル海が消滅の危機に瀕して、塩害をまき散らしている。「アラル海を救え」の運動が進められている。
カリモフ大統領は旧ソ連時代のウズベク共産党の指導者。かつてのチムール帝国建設の英雄アミール・チムールを共産主義体制崩壊後の民族的英雄として称えて、団結心の高揚を図っている。チムール帝国の首都はサマルカンド。シルクロードの中心都市として栄えた美しい都である。
タジキスタン
面積14万平米、人口590万人(1996年)。タジキスタンは民族的かつ地政学的にもアフガニスタンとの関係が深く、国内の一部は「内戦状態」である。この状態はまさに旧ソ連体制の後遺症そのものである。今回の入国もウズベキスタンとの国境に近い一部の地域に限られたものであった。
基礎資料
各国の基礎資料は米国CIAの The 1996 World Factbook を利用した。
各国の地図
主要都市、河川、カスピ海、アラル海、などの位置が分かる地図を Atevo Travel が提供している。
十二日間の旅の記録
掲載した写真はタジキスタン国境の一枚を除いて、筆者が撮影したものである。使用したのはリコーのデジタルカメラ DC-1S である。
7月27日 (一日目)東京から北京へ
これから中国新彊ウイグル自治区のウルムチまでは一人旅である。そこで団に合流する予定である。中国国際航空926便。砂漠の緑化のためのボランティア活動の青年たちが多数乗り合わせる。北京は非常に暑く、その上蒸している。宿泊はメディアセンター。東京の自宅に直通国際電話。回線状態は極めて良好。
7月28日 (二日目) 北京からウルムチへ
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北京空港の13番搭乗口から新彊航空機へ。土砂降りの雨の影響で3時間ほど、滑走路に足止め。これは初めての経験。
5時50分に離陸、9時30分にウルムチ空港着。ウルムチへは二年ぶり。
中国国内は北京と同じで時差なし。太陽を追いかけて移動してきたため、午後10時近いのにさほど暗くない。
晴天。この空気は紛れもなくモンゴル=中央アジアの空気である。今年も来て良かった。二年前と同じホリデイインに宿泊、団に合流。
7月29日(三日目) ウルムチからアルマトイへ
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入国手続きは超遅い。冷戦の崩壊で人の往来は劇的に増大。旧ソ連時代には考えられなかったほどの客を処理しているわけで、同情の余地はある。
物の豊富な中国に買い付けに来たロシア人の商人たち、いわゆる「担ぎ屋」が多数乗り合わせる。
携帯荷物の量は半端ではない。旧ソ連時代の名残でロシア各地への乗り継ぎの便は良さそうで、それぞれに手際よく目的地へ急いでいる様子。
宿泊はホテルオトラル。部屋からの直通国際電話は無理。ホテル係員に依頼してホテルの電話を使ってつないでもらい、係員の前で通話する形。以後、ウズベキスタンでもすべて同じ。