=橋についての調査=
A0H11088 久保田 淳
■研究動機
普段何気なく利用している橋。学校の前の出津橋や、近所にある橋。
今回はそんなあたりまえのように利用している橋を様々な視点から
考え、調査してみたいと思いました。
■日本の橋の歴史
・日本最古の橋とは?
324年 日本書記にも書かれている「猪甘津橋」(大阪市)
646年 道昭が京都の宇治川に「宇治橋」 \
646年 道昭が京都の宇治川に「宇治橋」 | 僧侶が中心となって橋を建設することが多かった。
726年 行基が「山崎橋」川に「宇治橋」 /
・橋のつくりの変化
当時 丸太、石の足場――→木橋──→石橋──→鉄橋 現在
■全国にある橋の数
・長さ15m以上の橋 136865カ所 そのうち30m未満は半分
・長さ100m以上の橋 15419カ所
橋について明確な定義はないが、わが国では長さ2m以上のものを橋とみなしている。
■橋の分類
用途別
・道路橋 川や谷を人や車が渡る橋
・鉄道橋 電車が走る橋
・水道橋\
ライフライン、水道管やガス管が単独に渡すためにかけられた橋
・ガス橋/
材料別
・木橋
・石橋
・鋼橋
・鉄筋コンクリート橋
・合成橋
■越谷に架かる橋
越谷市は昔から「水郷こしがや」と呼ばれるほど多くの川が流れています。
東端を古利根川と中川、南西端を綾瀬川、中央を元荒川が貫流しているほか
新方川や葛西用水をはじめ多くの河川や用水が縦横に流れています.今回は
その中でも文教生にはお馴染みの元荒川に架かる橋について調査してきました。
■越谷に架かる橋の名称と由来
・しらこばと橋
橋塔から斜めに張ったケーブルで端を支える市内初の斜張橋で、越谷周辺に生息する
シラコバトにちなんで名づけられました。 その姿は、2羽のシラコバトが翼を広げ
寄り添い、大空に向かって飛び立つようです。
平成6年に都市計画道路・八潮越谷線の道路整備によって新設されました。橋の長さ
は145.1m、幅は12〜15.5m。夜はライトアップもされます。
・不動橋
近くにある大相模不動橋(大聖寺)から名を取った橋で、長さは100m、幅は16mで平成
6年に元荒川の堤防改修に伴い架け替えられました。 寺院をイメージした親柱と、
ケヤキがデザインされた高欄が特徴的です。
・宮前橋
もとは寺橋と呼ばれた木橋で、昭和30年ごろまではこの辺りは格好の遊水地で、子供達の公式の水練上にもなっていました。
現在の橋は昭和34年に完成しました。 長さは62.5m、幅は5.5m。 新宮前橋の完成に伴い歩行者、自転車専用の橋となっています。
・新宮前橋
平成9年6月に開通したこの橋は、宮前橋の下流、柳町と東越谷5丁目にまたがり、
久伊豆通りと青葉通りを結ぶものです。 これまでの宮前橋は、元荒川の東西間の
交通の要衝として重要な役割を果たしてきましたが、昭和34年にかけられた橋は
長さ63.9m、幅員16m。灯ろう型の照明灯を取りつけ、高欄には藤の花をかたどるなど
歴史的景観に配慮したデザインとなってます。
・〆切橋
元荒川に架かる元荒川橋(R4)のやや上流に「〆切橋」という橋があります。古くは
元荒川がこの少し上流にあたる大竹地先から恩間・間久里・大里・大林の境界を
画し、元荒川橋の下まで大きく迂回して流れていました。
曲流により元荒川沿岸地域の耕地は大雨のつど水害を受けていたので宝永3年(1706)
元荒川の改修工事が施工されました。 このとき大竹地先から大林にかかる曲流部
分が締め切られ、新たに萩島村の一部を分断した直道の新川が造成されました。
このため元荒川の西岸であった萩島村の一部と袋山村は元荒川の東岸に位置するよう
になりました。 改修新川によって本村から切離去れた萩島村の一部地域と本村との
連絡に橋がかけられ、〆切橋と称されるようになりました。現在の橋は昭和12年に
架けられたものです。
越谷にかかる様々な橋を調査してみて、多くの橋の作りが非常に単純な作りで少し寂しいような感じがしました。
もっと高欄や親柱、橋詰めなどに意匠の工夫を凝らし、小さな彫刻やタイルなど市民参加で飾りつけ、むしろ橋の
美術館といえるような発想で橋作りをして行くべきだと思いました。
●調査を終えて
今回「橋」をテーマに調査をしてみて、ひとつに橋と言っても非常に奥が深いものだと感じました。
橋の形や種類など多くのことを学ぶことができました。
元荒川に架かる橋の調査は12もの橋を自転車で回ったのですが、多くの橋の特徴や景観を見ることが出来て
とても楽しかったです。 今回は、このような調査をすることは初めてであまり上手くいかないことがありま
したが、また自分で新しいテーマを設定して調査をしてみたいと思いました。
◆参考文献
市制施行40年の足跡 −ときを越えて 越谷市−