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警備病理

《警備業界の病理》

1.警備業法の存在

 私は当初、法律によって活動が規定されている業種は社会的認知度が高いと好意的に解釈していました。しかし、法律によって規定されている業種は風俗業と警備業くらいだそうで、この状態は決して好ましいものではないとのこと。本HP「警備業界史」でも触れましたが、かつて警備員による窃盗などの不祥事が多発した時期がありました。また、労働争議や各種の紛争において警備員が不当な暴力を働いたこともあったようです。

 このような事態を改善するために設けられたのが警備業法であり、法の下に規制しなければ危険という認識の表れであります。警備業法があるうちは一人前の職業とは言えないとの指摘もありますが、私はそうは思いません。

 例えば、自衛隊の活動については自衛隊法があり、自衛権(個別的/集団的)の区切りもあります。つまり、「警備」という行為自体が規定の元に行われる性質を持っているということです。

 ましてや、警備員の装備品も警棒を始め、ヘルメットや防弾チョッキなど、悪用されればたちまち危険物に成り得るものが少なくありません。いくら警備業が定着しても、警備業である以上は制約の元に置かれるべきでしょう。

 

2.需要の増減と給与

 警備業の需要は確実に増加しています。セコムが1981年に開始したホームセキュリティ契約は、20033月に約216,000戸に上ります。4年前に比べると倍増している。ここ数年は年20%の割合で増加しています。この点から考えると、警備業界はまさに急成長を遂げているということになります。

 しかし、昨今のデフレスパイラルにより、建設業界が痛手を食らっているのは周知の事実であります。高度経済成長期のビル建設ラッシュで発展した警備業界にとって、建設業界の不況は悩みの種です。ゼネコンは経費節減を迫られ、そこで警備員の人数削減を行っています。かつては2名必要な現場に3名派遣して、休憩を回していました。しかし、現状は2名現場に2名または1名しか派遣されないことも少なくありません。現場での労働条件は厳しくなる一方です。

 そこで警備会社は、派遣料を安くすることにより、なんとか需要を確保しています。しかし、派遣料が安くなれば、現場の警備員の給料が減額になります。つまり、現場の警備員は忙しくなった上、給料まで減らされるという2重の痛手を受けているのです。

 また、派遣料の減額によって依頼が殺到した会社は、人数を確保するために現職の警備員を一勤務でも多く現場に出す必要に迫られます。そこで、警備員の給料に「精勤制」(例えば、週5日以上勤務すれば一日8000円だが、週4勤務以下だと一日7500円)を導入する会社も現れています。

 

3.人材の良し悪し

 警備員の人材も多様化しています。長引くデフレによって失業した人が警備業界に流入するケースも少なくありません。また、大学・専門学校への進学率の上昇により、学生警備員も増えています。若年から中高年まで、様々な年齢層が混在するのが現状です。しかし、20代後半から40代前半までの働き盛りの人材は少なく、20前後の学生と50代以上の中高年による二極分化が発生しているのです。「その場しのぎ」のアルバイトと考える人もおり、警備の「プロフェッショナル」という自覚がどこまで芽生えているかは不明です。

 もっとも、門戸が広い業界であるだけに、人間的に問題のある人材も少なからず含まれてしまいます。このような、いわば危険人物を自然淘汰しなければならないのが現状です。

 また、依頼が殺到して人材難に陥っている会社は、付け焼刃の新人教育を行いがちです。特に、大規模なイベント警備など、一時的に大人数を要する仕事ではこの傾向が顕著に見られます。イベントの規模が大きくなればなるほど、事故の発生率は高まります。その反面で、規模が大きくなるほど、警備員も短期アルバイトの混入率が高まります。事故の発生率に比例して警備員のレベルが下がるのは大変危険です。

  2003年8月2日産経新聞に、警備会社に潜む病理現象を突いた投稿が掲載されました。ここでは、会社側が苦しい経営状況を打開するためにとった秘策が紹介されています。ここに登場する「警備員教育指導責任者」とは、その名のとおり警備員の指導および教育を行う役柄であり、免許を要する重要職であります。通常の企業であれば出世そのものであると言えます。しかし、この場合は実質的に減給と労働量の増加を強いられています。出世という飴を利用した鞭であり、悲しい現状なのです。

【追いやられたベテラン同僚】

 会社にも罠が多い。私の勤める警備会社も、この不況下で経営は厳しい。請負先の倒産、工場閉鎖で警備件数は減るし、警備料金の値下げも迫られる。そこでリストラ。古参社員を切って、新しい人を、しかも臨時で雇う。同僚だったB氏はそのための罠にはまって、今年3月、退職の道へと追い込まれた。

 B氏は勤続十年を経て、警備員としてはベテランの部類に入り、リーダー的存在だった。が、書記長を務めたりと組合活動に熱心で、会社に対し批判的言動が目立った。また性格も温和とはほど遠く、猜疑心が強かった。

 そこで会社はB氏を、警備員指導教育責任者に任じた。B氏は前から念願の事務所勤めとなって、喜んだのは最初だけ。結局、夜勤手当つかない分、実質的に減給。警備員指導教育責任者というのは名目だけで、実績を問われる外回りの営業を命じられ、B氏は一ヶ月ともたず、自ら会社を辞めていった。辞めざるをえない罠にはまったのだ。

(産経新聞東京版 200382日 談話室 警備員K.S 51歳)

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『安全神話』の崩壊〜警備員の社会学〜