《犯される“聖域”》

(1)            病院荒らし首都圏で頻発

 病院を狙った事務所荒らしが首都圏で頻発しているようだ。20031027日の段階では、東京都内だけで49件の犯行が行われた。49件の被害総額は約5945万円で、未遂も11件あった。

 20031028日付産経新聞によると、都内で最初の被害が発覚したのは2003127日。日本大学医学部大学院の事務所出入口のガラスが工具でこじ開けられ、教授室から米国紙幣500ドルが盗まれた。これ以降、同様手口による犯行が多発している。

 被害は大小さまざまだ。被害最高額は224日東海大学医学部付属八王子病院で、現金約1551万円と預金通帳が盗まれた。被害状況は現金にとどまらず、パソコンやモルヒネなどの医薬品も盗まれている。犯行は深夜から未明にかけて集中している。出入口玄関や事務所の窓ガラスを工具で破って侵入、金庫の鍵を机の引出しなどから探し出して、金庫を開けて現金を盗み出す手口が特徴だ。同じ病院が複数回狙われたり、一日に隣接地域で34件連続して発生したりすることも多い。

 病院荒らしが相次いでいる背景には、急患などに対応するため24時間、人の出入が可能という病院特有の事情がある。人の出入が絶えないことから入り口に警報装置を設置することが難しいうえ、患者のプライバシー保護のため院内に防犯カメラも設置できない。犯行グループは、こうした手薄な警備態勢のスキをついている。

 被害にあった病院の中には、多額の現金を置かないようにこまめに銀行に入金したり、金庫に人が近づくと警報が鳴る防犯ブザーを設置したりするなど対策に乗り出したところもある。それでも、「不特定多数の人が出入するので、部外者の出入のチェックは不可能」(大学病院関係者)。いまのところ、不審者の侵入に対しては有効な対策を講じることができないのが現状だそうだ。

 たしかに、病院は24時間体勢で患者や関係者の出入があるため、夜間に戸締りはできないだろう。戸締りは病院の規模が大きくなるほど難しい。警報装置も、機械である以上は誤作動や人物の識別能力に限界がある。プライバシー保護の観点から、院内に防犯カメラを設置できないのも肯ける。

 しかし、だからと言ってこの手薄な警備態勢を放って置く訳にはいくまい。入金の頻度を高めたり防犯ブザーを設置する以外に方法はないのだろうか?

 私はここで、警備員の雇用を提案したい。防犯ブザーによる威嚇は、侵入・窃盗のプロフェッショナルにどこまで通用するのか疑問が残るし、何よりも「臨機応変な対応」ができないことが問題である。生活の様々な場面で機械化が進む今日ではあるが、機械がいくら進化したところで人間に追いつかない機能がある。それが柔軟性と移動性である。柔軟性は判断力や対応であり、移動性は緊急事態での誘導や巡回等の動きである。これが防犯ブザーと人間の埋められない差であり、人間の能力である。

 被害の集中する夜間は、玄関の受付に警備員を配置し、出入した人に氏名・住所・電話番号などを書かせる。これで出入者のチェックをすれば不審者の侵入を極力抑制することができるだろう。医師・看護婦・患者など、普段から出入の多い人にはパスを持たせるなどの措置も可能であろう。

 また、受付だけでなく、巡回要員もつける。最低で2名必要となるが、受付と巡回があれば大きな効果が期待できる。人間なので休憩も必要となるが、巡回の合間に休憩をまわすことは可能であろう。

 このように、病院の盲点を埋める役割として、警備員の存在は大きい。

 

(2)            狙われる「学校」

@.学校侵入事件が多発

 かつて学校は聖域であった。教育に携わる人物としての教師は“聖職者”という意味合いを与えられ、児童・生徒はもちろん、保護者や近隣住民からも敬意を払われるべき存在であった。しかし、校内暴力やいじめ、学級崩壊や教師による不祥事も重なり、聖職者としての教師像は崩壊したと言って過言ではない。同時に、聖域としての学校が崩壊していった。

 このような、校内暴力・いじめ・不登校・学級崩壊・教師の不祥事といった要因は、学校という聖域を内部から崩壊させた。つまり、内的要因である。

 ところが、近年は聖域としての学校を外部から崩壊させる要因が現れた。それは部外者による学校侵入事件である。それまで、いじめを苦にした自殺や不慮の事故死こそあったものの、学校における児童・生徒の生命を脅かす事例は少なかったと言える。学校という場は、規律・学識・集団性などを子供に身に付けさせる場であると同時に、子供の安全を確保する場でもあったのだ。部外者の侵入が、学校という聖域を崩壊させる外的要因となったのである。

 ここで、学校侵入事件の事例を5つ挙げる。

@           京都日野小学校児童殺害事件

1999年(平成11年)12月21日午後2時ころ、京都市伏見区の日野小学

校の校庭のジャングルジムで遊んでいた小学2年生の中村俊希君(7歳)が殺害される事件が発生した。犯人の岡村浩昌(21歳)はハーフコートのようなものを着た150〜160センチくらいの若い男で目出し帽をかぶり、手袋をしていた。南側の正門から入ってきて、ジャングルジムで鬼ごっこをしていた俊希君に近づくといきなり包丁で切りつけ、そのまま正門と反対側の北門のほうへ平然と歩いて去ったことが分かった。

A           大阪教育大学付属池田小学校児童殺傷事件

2001年(平成13年)6月8日午前10時過ぎころ、犯人の宅間守(36歳)

大阪府池田市の大阪教育大学付属池田小学校自動車専用門から校内に侵入し、自動車で附属池田小学校南側正門前に至ったが、同所の門が閉まっていたことから、そのまま通り過ぎ、同所から離れた自動車専用門に至り、開いていた同小学校専用門の前に自動車を止め、出刃包丁及び文化包丁の入った緑色ビニール袋を持って、同専用門から同小学校敷地内に立ち入った。そして校舎1階にある第2学年と第1学年の教室等において、児童や教員23名を殺傷した。

 2年南組の担任教員は、体育館の横で、犯人とすれ違い軽く会釈をしたが、犯人は会釈を返さなかったので、保護者でもなく教職員でもないと思ったにもかかわらず、何らかの雰囲気を察して振り返るなど、犯人の行く先を確認せず、不審者という認識を抱けなかった。

 この事件を模倣したものが、

B桜井小学校刃物男侵入事件

2003年(平成15年)10月21日に神奈川県横浜市栄区の桜井小学校に刃物男が侵入。児童らが登校を終え、副校長が校庭側の2箇所の門を閉め、反対側の門を閉めようとしたところ異変に気づき、駆けつけた。副校長が現場に駆けつけたところ、刃物を持った男がおり、説得したところ男は刃物を床に置いた。桜井小学校では安全対策マニュアルを採用していたものの、結果的に侵入を防ぐには至らなかった。

C           京都宇治小学校刃物男侵入傷害事件

2003年(平成15年)12月18日午後0時半ころ、京都府宇治市の宇治小学校に白井信行(45歳)が侵入、児童2人に切りつけて怪我を負わせた。

 事件当日、宇治小学校では校内に人工池を設ける工事中だったため、車輌の通行に備えて門を開けたままにしておいたようだ。しかし、宇治市の安全対策マニュアルでは門を閉めることになっている上、休日と夜間以外は防犯カメラとセンサーを切っていた。つまり、せっかくのマニュアルも設備も活かされていなかったのである。この事件は教員が早期に犯人を捕まえたために大事には至らなかったが、死者の出る危険性は充分にあった。犯人は後の供述で、「教室に押し入り児童を殺すつもりだった」と殺意を明らかにしている。

D           桜台小学校侵入傷害事件

2003年(平成15年)12月19日午前10時40分ごろ、兵庫県伊丹市の桜

台小学校に男が侵入、校庭にいた6年生女児の頭を棒のようなもので殴り、逃走した。男は校庭の隅で待ち伏せしていたとみられる。

 桜台小学校に防犯カメラはなく、この日は授業参観や大掃除のため、保護者計約100人が学校を訪問しており、男は保護者に紛れて校内に侵入したと思われる。

 安全対策マニュアルでは校門を閉鎖して、入り口を1箇所に集約することにしていたが、当日は6箇所の門のうち、閉鎖していたのは2箇所だけだった。さらに警察への通報は事後30分が経過しており、対応の甘さが露呈した。結果的に、安全対策マニュアルが活かされていたとは言えない状況であった。

 

 以上の5つの事例から考えると、学校の安全を脅かす外的要因を排除することの難しさが痛感されるであろう。文部科学省では校門の施錠や防犯カメラの設置などを求める「学校への不審者侵入時の危機管理マニュアル」を配布しているが、河村建夫文部科学相は「子供がいつも通るところにセンサーをつけても、鳴りっぱなしになることはあるかもしれない。本当にこのマニュアルでいいのか、本当に機能するのか、もう一回検討する必要がある」と、内容や実際の運用に不充分な点があることを認めた。

 

A.門は閉めるべきか?

 門の「開」と「閉」を巡る議論は予てから盛んに行われてきた。本論のような不審者侵入防止では門を「閉めておく」という方向へ話は進むだろう。しかし、門を「閉める」ということが悲劇に繋がった例もある。それは神戸高塚高等学校で起こった「校門圧死事件」である。

 

【校門圧死事件】

 1990年(平成2年)7月6日午前8時30分ごろ、兵庫県神戸市の神戸高塚高等学校の校門に女子生徒(15歳)が挟まれ、死亡した。この高校では午前8時30分が登校の門限であり、同時刻に門を閉めることになっていた。

 事件当日も通常通り8時30分に門を閉めたが、その際に駆け込んできた女子生徒の頭部が門扉と門壁の間に挟まれた。女子生徒は当日の午前10時25分、頭蓋底粉砕骨折による脳挫滅で死亡した。

 

 この事件をきっかけに、「校門を閉める」ということに疑問を投げかける意見が続出した。教育関係者としても、実際に生徒から死者が出ているため容易に門を閉められなくなったのだろう。このあたりで「門をむやみに閉めるな」という風潮が生まれたことは事実である。「開かれた学校」というイメージが普及していったのである。その半面で、学校の無防備性が高まったことは論を待たない。

 

B.「学校に警備員を」という背景

 警察庁のまとめによると、2003年の1年間で小学校への不審者侵入は22件に上ることがわかった。このなかで、校門がまったく施錠されていないケースが11件、一部施錠されていないのが8件であった。残る3件はフェンス自体がなく、外部からすんなり侵入できる状態であった。やはり不審者が侵入した学校は警備上の問題があるようだ。

 2003年12月28日付産経新聞はwebで「学校侵入事件」をテーマに募集した意見を紹介している。そこには学校の現状と第三者の意見との間に大きな溝があることが伺える。

「最近、校門が閉まっている学校が多く物悲しい。開門し続けることは児童の安全上好ましくないのかもしれないが、教師が注意を喚起してこまめに見回りをすればいいのではないか」(19歳 男子大学生)

確かに、校門を閉ざす学校は第三者からみれば物悲しい。教師が見回りをするだけで防犯上の効果は得られるであろう。しかし、次のように学校の現状はそのようにはいかない。

「教員は不審者侵入の際の訓練を受けていない。授業のない時間帯も仕事があって警備にまでかかわるのは不可能。学校はさまざまな人々が出入りする以上、文科省はせめて専門の警備員を各校に配置する予算を講じてほしい」(47歳 男性公務員)

「学校は授業をする場。終日、職員室で防犯カメラを操作・監視している環境ではない。子供を守る意識が高くても、業務の態様から危機管理マニュアルが機能しにくい面があるのが現状だ」(59歳 男性公務員)

このテーマを担当した記者は「学校関係者から警備まで手がまわらないとの意見が多く寄せられた」と総括している。

仕事が多い上、専門の訓練を受けていない教師の現状であろう。そこで必要となるのが警備員である。

2003年に起きた22件の学校侵入事件の全てに警備上の問題があった。しかし、先に紹介した5つの事例などはいずれも登校時間帯や授業参観など、門を開けざるを得ない状況下で発生している。犯人は必ず、警備の隙を突いて侵入する傾向がある。授業参観などは、教師も保護者への対応や授業の準備もあり、警備に回る余裕はないだろう。学校警備は専門の警備員がやる以外にないのである。その一例として、韓国・ソウルで発生した学校侵入事件を紹介する。

 

【ソウル日本人学校侵入事件】

2004年1月29日午前10時頃、韓国・ソウル市内の日本人学校幼稚部に韓国人の男(36)が侵入し、男児(6)の頭を手斧で二度殴り、全治4週間の怪我を負わせた。男は警備員に取り押さえられ、警察に現行犯逮捕された。男はスクールバスなどで園児らが到着した際、半開きにされた正門から侵入した。男児を殴打した後、別の女児も襲おうとしたが、警備員に取り押さえられ、女児は無事だった。

日本の文部科学省によると、同校は独自の安全マニュアルを作り、警備員が保護者以外の外来者に記帳させネームプレートを着けさせるなどの対策をとっていたが、登校時で出入りが多く、チェックが徹底できなかったらしい。

 

この事件は日本国内の学校侵入事件と類似する点も多い。登校時を狙った点は桜井小学校の事例と似ているし、閉まっていない門から侵入した点も同様である。大きな違いといえば警備員が有無であるが、その違いが被害拡大を最小限に食い止めるうえでの大きな違いとなる。この事件でも、警備員が取り押さえなければ女児は間違いなく被害を受けていただろうし、第3、第4の被害者が出る可能性も大きかったのではないだろうか。

本件を伝える記事では「チェックを徹底できなかった」と反省点を挙げているが、それでも日本の現状と比べれば雲泥の差である。同校の危機管理体制は「最善を尽くした」と言える。日本の学校もまず、この韓国の例をモデルとして警備員の配置を検討すべきである。

しかし、問題は予算であろう。仮に、一校に2名の警備員を朝8時から夕方5時まで配置するとしよう。この勤務時間は警備員の定時なので、残業代はつかない。それでも、1名につき相場で¥12,000の料金がかかる。2名なら¥24,000である。これは最小限の人数だから、門の数や巡回の頻度や範囲によって人数は増やす必要がある。さらに契約料などの諸費用もかかるので、学校としては手痛い出費となるであろう。おそらく、文部科学省が予算を配分しない限り、警備員の配置は不可能である。

 

ではなぜ、学校と警備の関連が生まれたのであろうか。西洋などでは、学校という概念自体が近代化の産物であると言われているが、日本における学校の歴史は前近代に遡る。古くは聖徳太子の四天王寺や空海の種智院、江戸では寺子屋が普及していた。明治維新の学制、戦後の教育改革を経て現在に至っている。つまり、日本において「学び舎」という存在は珍しいものではなかったはずだ。

しかし、戦後の集団就職や高度経済成長期あたりから、離村向都現象が加速した。都市部に人口が集中し、都市部の学校はマンモス化した。学校のマンモス化と同時に、家族の核家族化や地域の流動性も高まった。そこで校内暴力やいじめなどの教育病理が社会問題となったが、このときはまだ学校と保護者の結束もあったといえるだろう。

問題が深刻化したのはバブル崩壊後である。専業主婦として地域や学校の活動に参加してきた母親が、共働きの労働者として社会に出て行き始めた。戦後の核家族化の進行や地域社会の流動性の高まりもあって、親は子供の教育や保護を学校に押し付ける格好となった。同時期の1990年に、神戸高塚高校で校門圧死事件がおこり、学校を開く風潮も広まった

以上の要点をまとめると次のようになる

@           学校のマンモス化

A           地域からの監視がゆるい

B           保護者が学校を訪れる機会の減少

C           「開かれた学校」を望む風潮

この4つの条件が重なったのが、今日の学校なのである。言い換えれば、

現在の学校は隙だらけなのである。その分の負担はすべて教師にのしかかっている。教師が仕事に追われるため、警備は手薄になる。これでは不審者が容易に侵入するのも仕方がないのである。学校の危機管理上、すでに警備員は欠かせない状態にあるのだ。

 日本における警備業は、1962年日本警備保障株式会社にはじまる。その後の東京オリンピックやビル建設ラッシュなどで、警備業は規模を大きく拡大させてきた。警備業は日本の高度成長の鏡なのだ。

学校もまた、高度成長を経て大きな変化を余儀なくされてきた。学校を取り巻く環境の変化は、日本社会の変化に他ならない。

「水と安全はタダ」という時代は終わった。「安全を買う」時代なのである。子供の安全を、有意義な学校生活を、そして子供たちの未来を守るため、学校に警備員はいかがですか?



『安全神話』の崩壊〜警備員の社会学〜