〈警備から考える都市社会病理〉

(1)            都市化とアーバニズム

 産業社会と都市社会は表裏一体の関係にある。産業化された社会は都市社会となり、都市社会であるからこそ産業化は可能となるのである。産業革命を成し遂げたイギリスでは、19世紀の中葉までに最初の都市社会になったと言われている。イギリス国勢調査では、都市部の人口が農村部の人口を上回ったのは1851年であったとの記録がある。その後は急速に都市化が進行し、1901年の段階で総人口の75%が都市部に集中するに至った。

 F.テンニースやG.ジンメルなどの社会学者は、都市における生活のリズムのスピード・アップと精神的緊張の増大、無感覚と冷笑、流動と多面帰属、混濁と孤立、異質なものの坩堝として都市的生活様式(アーバニズム)が個人の自由、合理性、交換(市場)、交通の発達によってもたらされたとしている。

 日本も例外ではない。江戸時代の日本は、政治を江戸、経済を大坂、文化を京都といったように分割していた。日本は明治維新によって政治・経済・文化という都市の3大権力を東京に集中させた。東京遷都による一極集中化である。当然ながら、この動きは日本が産業・経済を発展させ、各地方の代表的な町を含めて都市化が進行したことと関係している。

 都市化には次の二つの水準がある。

1.  都市を人口の大量・稠密な疑集点と見るなら、都市化は人口の集中化ととして規定される。

2.  都市を国家的な結節点と見るなら、都市化は都市を中枢とする社会システムの拡大として規定される。

 双方とも、都市化を考える上では必要な水準である。この二点について、警備業を通じて考察していこう。

 

(2)            都市交通問題と交通誘導警備

 民間企業である警備会社が交通誘導を行うのはなぜだろうか。警備業法第八条前段の規定に、「この法律により特別に権限を与えられているものではないことに留意する」とある。警備業務は他人の身体・生命・財産等を守ることを主な業務としているため、警察の業務内容と類似する面が多分に含まれている。よって、警備業法では警備業務に特別な権限がないことを明示しているのである。

 ということで、警備員が行う「交通誘導」にも権限はない。これが警察官の行う「交通整理」との違いである。一般の歩行者および車輌は、警察官の交通整理を無視することはできない。もし警察官の静止を振り切れば、公務執行妨害となる。一方、一般の歩行者および車輌は、警備員の交通誘導を無視しても構わない。ただし、警備員の誘導を振り切ったために事故を起こせば、振り切った側の責任となる。実際に、警備員の静止を振り切る車輌や歩行者は少なくない。つまり、警備員の交通誘導は法的な観点からみると非常に曖昧な業務であると言える。

 交通誘導員としての警備員が、一般車(者)に対して静止等を「お願い」する業務が必要となった背景には、都市化・産業化に伴う社会病理現象がある。特に、日本の主要な産業に自動車産業があることは大きい。日本は世界屈指の自動車国である。その自動車が都市部に集中することで、事故発生率も急激に上昇するのだ。

 『社会科学総合辞典』には、「都市交通問題」という用語が掲載されており、その原因として次のような説明がなされている。

「わが国の場合には、戦前からの都市交通機関の発達の歪みにくわえて、戦後とくに高度成長期に急速にすすんだ大都市地域への資本と労働力の膨大な集積、モータリゼーションの進展、その反面JRや大手私鉄、地方公営交通事業などの公共交通機関が独立採算制や利潤原理にしばられて、公共性を切りすてて営利主義にはしっていることなどによるものである」

 例えば、元々東京は300万都市にする計画で都市化が進められた。しかし、その予想を大きく上回り、東京は1200万都市となった。つまり、300万のハコに1200万が集中していることになる。道路もその基準に合わせたことから、自動車の飽和状態を越えることになったのである。

 都市交通問題の対策も進められている。

1.  交通(人と車、域内交通と通過交通)の分離

2.  交通(人と車、車と大量交通機関、人と車と大量交通機関)の連続

3.  制度・運用面からの交通の分離と連続―運輸連合方式による共通運賃とダイヤの統一

 以上の3点が都市交通問題の対策である。これは世界的に行われている。主要な資本主義国は、日本に見る都市交通問題と類似しているのが現状のようだ。

 先にみたように、日本の都市交通問題は高度経済成長期に顕在化した。「新三種の神器」として“3C”も登場した。3Cとは、Car Cooler ColorTVの3アイテムのことである。そのひとつに自動車が含まれていることからも、この時期に自動車がいかに普及したか、如実に察し得るだろう。

この時期はビル建設のラッシュであり、都市部にビル建設現場が多く、工事用車輌の出入も日常的に行われたと考えられる。ビル建設ラッシュ時に警備業の需要が多く、警備業は大きく発展した。それは工事の危険から第三者の安全を確保する役目も重要であったが、増加の一途をたどる歩行者・一般車輌の安全確保があったことを忘れてはならない。

 では、もし当時に自動車・歩行者の増加がなければ、交通誘導は不要だったのだろうか。それはないだろう。ビル建設ラッシュは都市化によるハコの整備であり、工事用車輌の出入は「車輌」が普及したことで可能となった。いずれも高度経済成長の産物である。その副産物が「危険の日常化」である。高度経済成長は戦後日本の大波であり、経済的・政治的に長短を語ることは多いだろう。だが、その背景に生まれた「危険の日常化」を語ることは少ないだろう。

 ルポライターの大久保敦彦は、「人と車の安全科学」という観点から、交通社会学を提唱した。様々な社会現象を社会学的に研究する上で、交通に目を向ける者が少なかったことを指摘している。自動車は利便性と実用性が非常に高いため、産業界における新たな流通経路の獲得に貢献した。さらに、一極集中化の一途を辿った都市部において、鉄道等の交通網が乗客の飽和状態に至った。そこで鉄道等の公共交通機関がまかないきれなくなった分の乗客が自家用車に分散したことで、かろうじて都市交通のバランスは維持されているのである。

 つまり、産業において、自家において、自動車に依存せざるを得ない社会が形成されたのである。自動車の需要が高まることで、自動車の供給にも拍車がかかる。こうして、日本は自動車大国となった。自動車のメリットを挙げたらきりがないだろう。

 ところが、自動車のメリットに目を向けてきた戦後の日本社会は、自動車のデメリットを直視するに至らなかったのである。それは環境問題など、様々な点において指摘されるが、そのひとつは道路事情である。ヨーロッパの道路は、もともと馬車と歩行者が分かれて通行していた。馬車用の道と歩行者用の道が区別されており、馬車用の道を車道としたために道路は整然としている。しかし、日本の道路は車道と歩道の区別がなされていない部分も多い。都市部の主要な道路は両者を区別しているが、もともとのキャパシティが不充分であることから通行に支障をきたす部分も多い。路面電車の廃止も、道路事情に拠るところは無視できない。都市に人と車があふれ、カオスに陥ったのである。

 道路を整備するならば、道路工事をおこなう必要がある。自動車が増えたことで道路整備の必要が生じ、そのために工事を行う。そこで、工事期間中の事故防止が急務となる。よって、警備員の需要が高まるのである。警備業の発展は自動車の普及と並行するのである。

 日本初の警備会社が誕生したのは1962年である。警備業は高度経済成長の副産物に他ならないのである。高度経済成長が戦後の日本を経済大国に導いたことは自明であり、好意的な評価には事欠かないであろう。その半面で、危険が日常化したことを忘れてはならない。「交通戦争」という用語も登場するほどに、私たちの「安全」は脅かされていたのである。

 現在はまだ、交通ルールや各人の良識によって秩序は保たれていると言えるだろう。都市部の道路がカオス(例えば「渋滞」など)であることは間違いないが、アノミーへは至っていないのである。ところが、ひとたび大停電や大災害が発生すれば、たちまちアノミーに陥ることは想像に難くない。実際に、阪神淡路大震災において、警備員の交通誘導が人々をアノミーから救った。災害時に警察が充分な対応をとれる保証はない。警察が人員不足に陥ったときなどに、いかに警備員が活動できるかが問われるのである。自衛隊・警察・警備業の三位一体の活動が望まれているのである。

 震災などの異常事態は、いつ、どこで、どのように起こるかわからない。よって、その備えは日常的に行うことが必要となる。

 つまり、交通における危険も、災害の危険も、すべて日常の中にある危険に他ならないのである。本来、危険のない状態など有り得ない。しかし、日本人の意識の中に、「水と安全はタダ」があったことは否めない。もっと危険と向き合う必要があるのだ。「危険の日常化」とは、危険に対する意識改革に他ならない。警備業の発展は、そのことを如実に表していると言えよう。

 危険の日常化を映す鏡として、警備業の発展は目を向ける価値があるのだ。



『安全神話』の崩壊〜警備員の社会学〜