第2章 ロゴTシャツの歴史

 

Tシャツの歴史

アンダーウエアとしては19世紀からあった。イギリスかドイツが起源といわれている

1900年〜1950年

アメリカ軍隊の公式下着として普及

フランス海軍の白色木綿下着をアメリカ兵たちが気に入って持ちかえる。その後、船員、労働者、農民の間で普及。アメリカ海軍で1913年採用その実用性が見とめられ1944年アメリカ陸軍で採用され普及した。それまでは白が定番だったが軍用品のためカーキ色が用いられた。

 

アウターとして定着

戦後、復員学生が上着無しでTシャツを着続けアウターとして定着。

 

プリントTシャツの誕生

アメリカの大学の体育の授業の練習着として貸し出されていたTシャツを学生達がきちんと返却するようにと番号をプリントしたのがきっかけ。

1934年一般学生の間でもこのプリントTシャツが人気となり校章や学校名の入ったTシャツが大学の生協で売り出される。

1939年映画の宣伝にTシャツが作られた→宣伝としてのTシャツの起源

 

1950年代

ファッションアイテムとしてTシャツ

革ジャンの下にTシャツを着るスタイルが不良少年の間で流行った。その後マーロン・ブランドやジェームス・ディーンが映画の中で着ていたことから一般に流行りファションアイテムとして書かせない存在になる。

50年代から一般に胸元に文字が印刷されるようになった

1960年代

印刷技術の発達でシルクスクリーン印刷や転写が可能となりプリントTシャツロゴTシャ

ツが流行となる。

 

政治や社会運動との結びつき

・大統領選挙で立候補者の名前やスローガンを印刷したTシャツ

・社会主義団体による環境保護のメッセージなどを載せた主義主張Tシャツ

・観光地の名所が印刷された土産Tシャツ

広告としてのTシャツが盛んに

流行った理由→低コスト、手軽

 

Tシャツと自由運動

1960年代の自由主義運動とファションの変化

オートクチュール(オーダーメイド)→プレタボルテ(工場大量生産)

ストリート中心のファションへ

Tシャツがジーンズと並んでユニセックス、自由のシンボルとなる

Tシャツとジーンズの組み合わせ

女性もTシャツを着るようになる

 

1970年代

音楽系のTシャツの流行

 60年代後半から起こったヒッピーたちによる「愛と平和運動」から、ロンドンを発祥の地として70年代半ばに生まれたパンクカルチャーまでの、Tシャツと音楽シーンとの結びつき。

 ロックミュージシャンたちがブームを盛り上げたこともこの時代の大きな特徴。反逆を表す黒はロックミュージシャンやバイカーたちに愛され、プリントされたメッセージも挑戦的でインパクトのある言葉が選ばれた。

 バンドの名前をTシャツにプリントし、それをコンサート会場で売るいわゆるツアーTシャツが誕生。また、スポーツ界でも人気選手の名前入りTシャツが球場などで売られ始める。

 

1980年代

・ライフスタイルとTシャツの結びつきが密接になる

 人々はお金を払ってジムに行き、そこでティーシャツを着て体を鍛えたり、肉体美を競うようになった。素材は吸湿性のあるコットンTシャツが重宝された。

スポーツブランドのファッション化現象

 後半にはラップの人気に伴って、アディダスなどのスポーツブランドのXXLサイズのTシャツがもてはやされた。

ブランドのロゴTの本格的な台頭

 比較的容易にコピーができるため、ピンきりのロゴが蔓延し深刻な問題となる。

・ライクラというストレッチ素材のTシャツの誕生

 

1990年代〜

オフィスでのTシャツが解禁になる

 この時代になって、ジャケットの下にも合う、シルクやレースもコーディネートできるようなTシャツが登場する。

限定品など、コットンTシャツの価値の上昇

 かつて大量生産の象徴だったコットンTシャツが、限定版が生産されてプレミアがつくなど、価値が上昇し続けている。

「より自分らしくする」が消費者のテーマに

 いかに着心地よくシンプルで上質感のあるTシャツを出すかと、素材面での探求に拍車がかかり、ロゴなどもどんどん進化したが、その後に消費者が求めたのがより自分らしくするというテーマだった。ブランドものでも、素材やプリントで勝負するには限界がきて、さらにひと手間加えたディテールが人々を魅了する。その手段として一般的にも普及したのが自分流にカスタマイズするということ。

(以上 ‘ELLEJULY No225 株式会社アシェット婦人画報社 より要約引用)

 

日本のTシャツの歴史

日本でTシャツが紹介されたのは1948年。アメリカのカジュアルウェアとして紹介された。その後映画「太陽の季節」で慎太朗刈り、アロハシャツ、サングラスにTシャツというファションを真似た太陽族によってTシャツが着られるようになり、ヒッピーにより1966年ごろから一般に着られるようになった。ヒッピーは反社会的反体制的な社会をするため反抗のシンボルであるスーツを否定し、安くて実用的なTシャツとジーンズを選んだ。ヒッピースタイルによりTシャツには絞り染め、さまざまな色、ストライプが登場した。

(『ジーンズとTシャツはじめはだれが着たの?』PHP研究所/2000 能澤慧子監修 野中祐文 より)