手拭沿革

手拭とは?

・木綿の布の切れ端です

・タオルとはまったく違います(すごく重要)

・長さ 94cm〜96cm

・幅 34cmから36cm

 


歴史的な手拭史です

・いつごろから手拭があったのか、奈良時代にはすでに使用されていたようです。文献の上でさかんに現れるようになったのは平安時代で 「和名抄」という書物に「太乃己比(たのごひ)」、「手巾」と記されています。「た」は手、「のごひ」は拭うことです。そのほかにもたくさん の呼び名もありました。手拭は実際には主として神仏に対して、あるいは神事などの神聖な儀式で身体や器具を清浄にするために用いられていました。よって上層階級の専用物であったと言えます。
 鎌倉時代あたりから実用的なものになり、戦国時代以降広く使われ、室町時代には入浴の際用いたりするようになりました。
 そして手拭という文化が花開いたのは江戸時代中期ごろのことでした。古くは材質は麻を用いていましたが江戸時代になると改まった機会以外や下層のものは多く木綿を用い、播州木綿がもっぱら使われました。木綿の国内生産がどっと増え、それまでの麻布に取って代わって木綿の手拭が武家だけでなく庶民の間にもたくさん普及したのです。このころから、「手拭」書くようになりました。そしてこのころの手拭が現在使われているものの直接のルーツです。  そして手拭の用途は単に実用だけでなく、装飾、贈答、玩具など多方面に及びました。さらに江戸時代には銭湯が盛んになったこと、天保の改革の倹約政策で庶民は絹が着られなくなり浴衣が発達し、ゆかたを作った時の切れ端やら古い浴衣割いて手拭として使ったそうです。江戸時代には鉢巻、帯、下帯、ほおかむり、頭巾代わりにも使われ、職業や状況に応じて大臣かぶり、米屋かぶり、喧嘩かぶり、南瓜かぶり、吹流しかぶり、置き手拭など、様々なかぶり方がなされるようになりました。幕末には染色や模様もさらに発展し、手拭染めの技法はまさに職人芸となりました。
この時代にはユテとかタノゴイとして入浴や洗顔の際に用いられたほか、餞別、心付け、年玉、各種の見舞いにも用いられました。明治時代になると欧米などからタオルやハンカチが流入、服装の欧米化などもあいまって、手拭の用途は激減しました。タオルのほうが吸水性いいんですよね。
手拭の寸法は一定せず、古くは三尺、四尺、5尺などがあったが、今日では最初に書いた長さ、幅のものが用いられています。秋田県には近年まで長さ150cm余の紺木綿の手拭があり、ナガテヌグイ,ナガタナ、ヒロタナと呼ばれ、農作業や防寒に用いていました。
 手拭は今では実用から記念品、贈答品、芸術など趣味的なものとなりましたが、今でも日本人には切っても切り離せない布なのです。

 

名前の異同

 手拭の起こりは手を拭うということ以外にあろうとは思えません。ところが民間での実際の用途は手を拭うことにはないのです。「定本柳田國男集14巻」(筑摩書房)によれば、テヌグイとは上品な言葉であって、多分実際にこれで手を拭った階級の命名であろうが、それを受け入れた人々は その語源までは考慮せず、ただ覚えやすい良い言葉として、自分たちの持つ同じものに、この名の流行させてしまった。それが恐らくはヌグウという動詞の、もう口語としては行われない土地、または時代であったことも想像させられ、更に進んではこの一品が商品となって、一時に大量に供給させられるようになって際に、わざとこの 名前を採用しようとした者がいたことも考えられる。手拭の商品化時代は木綿の国産、大物問屋の成立に伴うもので、おおよそはこれを推定することもできる。

 手拭という言葉の生まれたのは、勿論それよりもずっと古いが、国の最初からの名前ではなく、その本来の用途が徐々に廃止させられ、これを主として濡れた手を 拭うために使うようになった時代の物なのではないか。
 そして民間では手拭という文字を理解し、ヌグウとは拭くことということを知るものが多くなって、初めてこれを手拭き用にし、また被ったり鉢巻にしたり、本来の趣旨に 反するがごとく、軽視する者が現れたのではないか。
 私も柳田先生と同じ考えです。名前と用途の使い方の食い違いは生活や文化、それ以外にもよくあることですから。

 

手拭と女性

 やはり手拭とは何ぞやと考えたときに、女性との関係を考えみたくなるものです。女性の手拭の被り方には年齢によって被り方に差があります。少女から大人の 女性へ、そんな時被り方の違いでわかるようになっていました。まあともかくこの僅かな布切れが、女性と結びついた因縁は長いもので、しかもその因縁の中心には 一貫して、どこに手拭が人類を美しくするかにあり、別に防寒や、また所謂身体保護でもないように思います。そうして見ようによってはこれが、個人私有思想の芽生え でもあって、これだけが女性の趣味、もしくはその各自の考案によって、自由に利用できる唯一のものだった時代もあるらしいのです。

 

 

                                              〜表紙へ回帰〜