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第22回 トルコの教科書

開催にあたって
 教育研究所が主催する「世界の教科書展」は、1994年度に第1回が開催され、今年度で第22回目を迎えました。今回の「世界の教科書展」ではトルコの教科書を取り上げ、トルコの小学校ではどのような教育が実際に行われているのかを紹介します。
 1923年、トルコ共和国の初代大統領に就任したケマル・アタテュルクは、近代国家への道を歩むべく、西洋諸国にその理想を求め、さまざまな改革を実施しました。なかでも、1924年に採択された教育統合法では、すべての教育組織を国民教育相省の管轄下に置くことで、それまでの宗教学校を閉鎖し、世俗学校の創設、初等教育制度の義務化を推進しました。その結果、それまでトルコ国民の非識字率は90%以上と言われていましたが、2005年には15歳以上の識字率が87%を超えるまでに飛躍的に向上しました。2010年のPISAの調査結果においても、トルコは数学・科学の成績を大きく伸ばしています。そして現在、トルコはEU加盟交渉において教育改革という課題を突きつけられています。都市部と地方における教育格差、それにともなう教育制度・教育行政の見直しや教育現場と地域社会との連携など、さまざまな教育制度改革が取り組まれているなかで、教科書もまた大きく様変わりしようとしています。今回の展示では、トルコの教科書に実際に触れることで、新たな局面を迎えようとしているトルコの教育の実情を味わっていただきたいと思います。なお、展示パネルの解説、およびトルコの教科書翻訳は、早稲田大学イスラーム地域研究機構の長谷部圭彦さんにお願いしました。(2015年11月)

トルコ

1.トルコの概要

 トルコ共和国(1923-)は、国土の大部分がアナトリア高原にあります。
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国のかたちは、思い切って単純化すると「横長の長方形」です。トルコの北には黒海、西にはエーゲ海、南には地中海があります。黒海をはさんで北にはウクライナとロシアが、エーゲ海の向こうにはギリシアが、地中海を越えて南にはエジプトがあります。そして東はグルジアやアルメニアやイランと、南東部はシリアやイラクと国境を接しています。
 そのシリアでは、2011年から内戦が続き、2014年には、シリアとイラクにまたがって「イスラーム国」が「建国」されました。そのため、とくにシリアからの難民がトルコに押し寄せています。彼らの一部は、トルコを経由して、さらにドイツなどを目指していますが、そのままトルコに滞留せざるを得ない難民も大勢います。トルコは、近年のこうした動乱の影響を直接受けている国の一つです。
 国土の面積は、日本のほぼ二倍にあたる78万平方キロメートルです。人口は、日本の半分よりやや多い7770万人です(2014年)。首都はアンカラですが、そこは政治と外交の中心であり、経済と文化は、アンカラよりも多くの人が住んでいるイスタンブルを中心に展開しているように思えます。そのイスタンブルを都としていたのが、アナトリアだけでなく、バルカン半島や北アフリカをも支配していたオスマン帝国(ca.1300-1922)です。この帝国については、また後ほど触れることにしましょう。
 トルコの公用語はトルコ語です。トルコ語は、日本語と語順がほぼ同じなので、日本語を母語とする我々にとって学びやすい言語の一つです。ただし、語彙はまったく似ていません。トルコ語は、かつてはアラビア文字で記されていましたが、共和国が建国されて間もない1928年以降、ラテン文字で表されることになりました。トルコ語の具体例は、これから教科書を見ながらご紹介したいと思います。
 宗教について言えば、国民の圧倒的多数がイスラーム教徒です。ごくわずかに、キリスト教徒(ギリシア正教、アルメニア教会、シリア教会など)やユダヤ教徒などがいます。ただし、憲法に国教条項はありません。かつては憲法において、イスラームが国教であると明記されていましたが、これもまた1928年に、その条項が削除されました。
 では、このような変革がなされた1928年は、どのような年だったのでしょうか。ここで、トルコ共和国の歴史について、ごく簡単に見ていくことにしましょう。
 トルコ共和国は、1923年に建国されました。それまでアナトリアは、オスマン帝国が支配していました。しかしオスマン帝国は、第一次世界大戦(1914-18)に敗れたため、セーブル条約(1920)によって、領土の多くは、イギリスやフランスやイタリアなど戦勝国によって分割されることが決められました。それを見て立ち上がったのが、オスマン帝国の軍人であったムスタファ・ケマル(1881-1938)です。彼にとって、当面の敵はもちろん列強でしたが、それと屈辱的なセーブル条約を結んだオスマン政府もまた、打倒すべきものでした。ケマルは、長年の戦争で疲弊しきっていたにもかかわらず、祖国の独立を求める兵を率いて列強に勝利すると、1922年にオスマン帝国の君主を追放し、同国を滅ぼしました。そして翌23年、列強と新たにローザンヌ条約を結んだうえで、トルコ共和国を建国し、ケマル自身は初代大統領に就任しました(在職1923-38)。ケマルは後に、「父なるトルコ人」を意味するアタテュルクという姓を議会から与えられますが、これからご紹介するトルコの教科書には、どの学年のどの科目でも、その冒頭にムスタファ・ケマル・アタテュルクの肖像画と国歌「独立行進曲」の歌詞が載せられています。

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 トルコ共和国は、上述のようにオスマン帝国を否定するかたちで建国されました。そしてオスマン帝国における最重要の社会規範はイスラームでしたので、オスマン帝国だけでなく、イスラームに関わるものも可能な限り排除しようとする政策が、共和国初期に強力に推進されました。たとえば、カリフ制の廃止(カリフは、イスラームの預言者ムハンマドの政治的後継者のこと。オスマン帝国の君主は、18世紀末以降カリフと見なされていました)、メドレセ(イスラーム学院)の廃止、トルコ帽(ツバがないので礼拝しやすい)の廃止、スーフィー教団(イスラームの神秘主義教団)の修行場の閉鎖、太陽暦の採用、新しい民法・商法・刑法の制定などです。
 こうした改革が1924年から26年までの間に矢継ぎ早に行われていたところに、27年、共和主義などとともに、世俗主義が国是として採択されました。トルコの世俗主義は、フランスのそれをモデルとしていたため、政治空間や公立学校から宗教を一切排除するタイプの世俗主義でした。そのため、この時期の公立学校では、宗教教育はまったく行われませんでした。そして28年、イスラームを国教とする条項が憲法から削除され、トルコ語を表す文字も、『コーラン』の文字であり、イスラーム教徒にとって特別な意味をもつアラビア文字から、英語やフランス語などと同じラテン文字に切り替えられたのでした。翌29年には、公立学校におけるアラビア語とペルシア語の授業も廃止されました。このように1928年は、共和国政府が進めていた脱オスマン化、脱イスラーム化政策が、ほぼ出揃った年と言えるでしょう。
 ケマルは1938年に死去しますが、共和国初期に彼によって敷かれたこうした路線は、トルコを長らく規定することになります。翌39年には第二次世界大戦(1939-45)が勃発しますが、トルコは最末期まで中立を維持し、国力の保全につとめました。46年に複数政党制が導入されると、建国以来一党支配を続けていた共和人民党は、世俗主義を必ずしも快く思わない人々の歓心を買おうと、公立小学校における宗教教育(ただし選択科目)を49年に開始しました。しかし翌50年の総選挙において共和人民党は敗北を喫し、民主党に政権を譲りました。
 民主党政権下において、世俗主義はさらに緩和されました。たとえば、礼拝の導師(イマーム)や説教師(ハティプ)を養成するためのイマーム・ハティプ学校は、メドレセに代わるものとして24年に設立されたものの、世俗主義の高まりをうけて30年に廃止されていましたが、51年に再開されました。この時期はまた、冷戦構造が形成されるなか、トルコが西側陣営に加わったときでもありました。52年には、大西洋に面していないにもかかわらず、北大西洋条約機構(NATO)に正式に加入しました。
 その後、独裁色を強めた民主党政権は、1960年に軍事クーデタによって倒されました。翌年には民政に移管されましたが、この後トルコでは、71年には軍の介入による政権交代が、80年には再び軍事クーデタが起こりました。このうち80年のクーデタの直接のきっかけは、イスラーム主義政党が、反世俗主義を掲げる大規模な集会を開催したことでした。こうした情勢を背景に、世俗主義の新たな解釈が生まれました。すなわち、世俗主義は、国家が宗教に積極的に関わることによって、具体的には国家が宗教を管理することによって維持できるという理解です。このような考えは、厳密には共和国初期から存在していましたが、82年に制定された新憲法では、こうした解釈に基づき、宗教教育が義務化されました。
 1980年のクーデタによって、すべての政党は活動を禁じられ、党首たちも逮捕されましたが、83年の民政移管前後に、それまでの政党は名前を変えて復活し、87年には、かつての政治家たちも復権を果たしました。そして95年には、とうとうイスラームを全面的に掲げる繁栄党が第一党となりました。翌年には、繁栄党の党首を首班とする内閣も組織されましたが、軍人アタテュルクの後継者を自任し、世俗主義の堅持を目指す軍は、97年に繁栄党政権を崩壊させ、翌年には同党を閉鎖へと追い込みました。
 こうした政治的変動の最中の1997年、義務教育の年限が5年から8年に延長されました。これはもちろん、国民の教育機会の拡大を目指したものではありますが、同時に、イスラーム主義勢力にとっては打撃ともなりました。上述のイマーム・ハティプ学校は、中学校部と高等学校部から構成されていましたが、このとき、その中学校部が廃止され、一般の中学校に一本化されたからです。
 繁栄党は1998年に解党させられましたが、そのメンバーは、新たに別の党を組織しました。この党も2001年に解散させられましたが、それを機に古参と若手が分裂し、後者は公正発展党を組織しました。同党は、2002年に第一党となり、現在に至るまで単独で政権を担っています。このように公正発展党が長期政権を維持するなか、12年に義務教育の年限が8年から12年に延長されました。また、イマーム・ハティプ学校の中学校部が復活しました。こうした現在の教育制度については、次の項目で検討することにしましょう。ここでは、トルコ共和国の学校教育は、次世代を育成する場であると同時に、世俗主義とイスラーム主義の相克の場でもあったことを確認したいと思います。また、国民の大多数がイスラーム教徒であるトルコで選挙が行われると、当然イスラーム色の強い政党にも票が集まるのですが、民意に基づくイスラーム主義政党の伸長は、国是としての世俗主義に反してしまいかねないという、トルコが抱える長年のジレンマについても確認したいと思います。

2.トルコの教育

(1)教育制度
 2015年現在、トルコ共和国の学校教育は、小学校4年、中学校4年、高等学校4年、大学4年からなる「4+4+4+4システム」が採用されています。これは2012年に法制化されたもので、このうち小学校と中学校が初等教育、高等学校が中等教育、大学が高等教育という位置付けです(図参照、日本では中学校と高等学校が中等教育)。そして小学校から高等学校までの12年間が義務教育です。そのため、これらの学校は、公立の場合、無試験で入学できますし、授業料も教科書代もかかりません。この他に、就学前教育として、1年制の幼稚園と3年制の保育園が設けられています。なお、一学期は9月中旬に始まり、翌年の1月中旬に終わります。二学期は1月下旬に始まり、6月中旬に終わります。
学校系統図

 義務教育段階のカリキュラムは、国民教育省によって作成されます。ここでは小学校のカリキュラムをご紹介しましょう(表参照)。表からは、1年生から3年生までは体育にかなり時間が割かれていること、2年生から外国語の授業が、4年生からは宗教の授業が始まること、「交通安全」という見慣れない科目があること、などが分かります。この「交通安全」は、道路標識や応急処置などを学ぶもので、教科書は、自動車学校の教本のようです。次の項目でさらに具体的にご紹介しますが、こうした教科書は、国民教育省が監修したものを各学校が選択します。

カリキュラム

 中学校は、一般の中学校と、2012年に再開されたイマーム・ハティプ学校の中学校部から成ります。12年の改革により、中学校には多くの選択科目が設けられました。高等学校は、一般の高等学校と、エリート教育を行うアナトリア高校と、職業高等学校から構成されます。イマーム・ハティプ学校の高等学校部は、職業高等学校の一つという位置付けです。義務教育を終え、さらに大学への進学を希望する場合は、全国統一試験を受けることになります。トルコには、当初国立大学しかありませんでしたが、1984年以降、私立大学が相次いで設立されています。この他に、各種の専門学校もあります。

3.教科書の内容

それでは、トルコの教科書を具体的に見ていきましょう。

①トルコ語
 まずご紹介するのはトルコ語です。ここでは、小学校2年生の教科書から、トルコの世界遺産の一つであるサフランボルについて述べられた部分をご紹介します。(『トルコ語(児童学習用第2巻)』2年生 翻訳は省略)
 現在、トルコ語は、ラテン文字で表記されます。いくつか特殊な文字はありますが、基本的にそのまま読めば通じます。語順も日本語とほぼ同じで、述部が最後にきます。しかしトルコ語は、上述のように、1927年まではアラビア文字で記されていました。ここでは、オスマン帝国時代のトルコ語の教科書のうち、人称代名詞の格語尾(私を、私に、私の、など)を説明している部分をご紹介します。(教科書画像は省略)
 アラビア文字は右から左に書きます。基本的に子音と長母音しか表記しないので、短母音が8つあるトルコ語を表記する際は、それなりの工夫が必要です。格語尾はまさに短母音で表しますので、その表記の仕方についてまとめられています。

②科学
 次に科学の教科書をご紹介します。これは小学校3年生用のもので、地球の形状について解説している箇所です。日本の小学校ではおそらく言及されないビールーニー(973-1048)やイドリースィー(1100-1166)といったイスラーム世界の知識人が、コペルニクスやガリレオなどとともに登場しています。理数系の科目は世界共通に見えますが、こうしたところに国ごとの特徴が表れるときがあります。同時に、日本の学校教育が、かなり欧米に偏っていると言うこともできるでしょう。(『科学と技術』3年生 翻訳は省略)

③音楽
続いて音楽の教科書です。トルコ音楽の特徴の一つとして、5拍子、7拍子、9拍子などの「変拍子」が挙げられますが、これは中学校1年生(日本の小学校5年生に相当)の教科書でも扱われています。
こうした「変拍子」は、しかし、あくまで西洋音楽から見ると「変拍子」なのであって、トルコ人にとっては、とても自然な拍のとり方です。そのため、トルコ各地に伝わる民謡において多用されています。左側のページは、黒海地方に伝わる7拍子の曲です。譜面にあるとおり、7拍子は2+2+3と捉えると理解しやすいでしょう。右側のページでは、9拍子の拍のとり方(2+2+2+3)が説明されています。(『音楽(児童学習用)』5年生 翻訳は省略)

④宗教文化と道徳
 最後にご紹介するのは、「宗教文化と道徳」の教科書です。トルコ国民の大多数はイスラーム教徒なので、ここでいう「宗教」は、 ほとんどの場合イスラームを指していますが、学年が進むと、ヒンドゥー教、仏教、儒教などについても学習します。ここでは中学校2年生(日本の小学校6年生に相当)の教科書をご紹介します。
 イスラームは、先行する一神教であるユダヤ教とキリスト教からとても大きな影響を受けています。そのため、イスラーム教徒は、この二つの宗教を相応に尊重していますが、最良の教えはイスラームであると信じています。教科書でも、ユダヤ教の『トーラー』(左上)とキリスト教の『聖書』(左下)が、イスラームの『コーラン』(右)とともに紹介されています。(『宗教(宗教と道徳)』6年 翻訳は省略)
 イスラーム教徒が果たすべき義務として、信仰告白、礼拝、喜捨、斎戒(断食)、巡礼の五つが挙げられますが、教科書でも、巡礼の地であるメッカのカーバ神殿と、日に5回行う礼拝が、写真つきで紹介されています。(『宗教(宗教と道徳)』6年生 翻訳は省略)

(参考文献)
・新井政美編『イスラムと近代化-共和国トルコの苦闘-』
講談社、2013年。
・大村幸弘・永田雄三・内藤正典編『トルコを知るための53章』
明石書店、2012年。
・鈴木董編『暮らしがわかるアジア読本 トルコ』
河出書房新社、2000年。
・トルコ共和国国民教育省のインターネットサイト
(http://www.meb.gov.tr/index.php)、2015年7-8月アクセス。
・永田雄三編『西アジア史II(新版世界各国史9)』
山川出版社、2002年。
・宮崎元裕「トルコにおける2012年義務教育改革」
『京都女子大学発達教育学部紀要』10、2014年。

入場者の感想

(入場者300名中234名がアンケート回答、その中より抜粋)
・トルコはヨーロッパと中東やロシアなどに隣接した場所なのでどのような教育を行なっているのか興味を持ちましたが、大変わかりやすかったです。(本学卒業生)

・日本で言うと「道徳」と聞いても漠然としか思い浮かばないが、外国では、「宗教」とセットで語られるのだと感じました。(本学卒業生)

・国の歴史とともに教科書を知る。言い換えれば、教科書の背景には必ず歴史があるのだと思います。興味深い内容で楽しかったです。(本学学生・院生)

・今までトルコという国はあまり知らなかったが詳しく知ることができた。日本との共通点なども多々あって色々勉強になりました。(本学学生・院生)

・・本以外の国の教科書をはじめてみました。大きさやイラストも様々でおもしろかったです。(高校生)

・国ごとに、色がとてもカラフルだったり、字の大きさが変わっていて、とても面白いなと思いました。世界の教科書を見る機会はなかなかないので、興味が湧きました。国の雰囲気なども教科書に出ているような気がしました。(高校生)

・昨年のインドに続き、大変興味深い内容でした。トルコの学力がどの位伸長してきた等の歴史も大変分かり易く、教育制度についてなどを知るよい機会となりました。ありがとうございます。(本学学生の家族)

・私は小学校の教員をしていますが、各国の教科書を見る機会はなかったので思いがけずこのような体験ができ、参考になりました。ありがとうございました。(本学学生の家族)

・昨年も見に来ましたが、世界の国々の教科書を手にとって見る機会はほとんど無く、とても興味深く拝見しました。今後も是非続けてください。(本学学生の家族)

・トルコの教科書が面白かった。興味深く見ました。英語の教科書もカラーで絵が多く、面白そうでした。日本のこともたくさん載っていて、トルコは親日なのだなと思いました。Where are you from?→I’m from Japan.という例文があり、嬉しかったです。(本学学生の家族)

・今回のレクチャーはトルコという国、あるいは教科書を知る上で非常に役立ち、勉強になりました。是非とも次回以降にこの様なレクチャーを行ってほしいと思います。(本学教職員)

・今回はじめて見学にきました。小学校教育に宗教の科目があることを今まで知らなかったので勉強になりました。世界の教科書を見ることで日本の教育を見直す視点も必要だと思いました。(本学教職員)

・毎年充実した内容で楽しみにしています。色使いなど国によって特徴があり興味深かったです。(本学教職員)

・教科書の展示だけじゃなくて歴史まで解説してあったのがよかったです。

・初めてで興味深い内容でした。先生のお話も伺え、やはり国によって様々な違いがあることを再認識しました。今後も続けていただければと思います。

・「トルコ」という、普段あまりなじみのない異文化について学ばせていただきました。国家が宗教を管理することによって維持できる、という考え方を理解できました。この教室では、異文化の音楽を聞きながら時代を超えた小旅行気分を味わうことができます。来年も楽しみにしています。ありがとうございました。

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