++大学生協連合会にみる学食の歴史++




終戦直後の大学・高専等は、9牙つに授業が開始された。

しかし、復員学生の復帰の遅れ、食糧事情の悪化、極度の物資欠乏による教材やノートの不足、さらに戦炎や長期に渡る戦争にようる、施設の老朽化などによって、年末から翌1946年2月にかけて「食糧休暇」が出され事実上休校状態が続いた。

このように戦後の学園は「学ぶ事は食う」から再開された。

学内事情は厳しく、とりわけ「食糧休暇」が出されるほど食生活は緊迫していた。

学内の各層・各学部で生協の結成の気運が高まり、食糧の確保の運動が具体的に進められた。

農学協組・物理共済会、他学部自治会厚生担当委員によって全学生協設立のための第1回会合がもたれ、そして「結成されるべき組合は学生・教職員の意志をを反映した自主的組合であるべき事を決め、農学部食堂を母体として組合の食堂を設置する事」を決議した。

「委員は全て公選とする。全ての会議は公開、発言は自由である。中央委員会の議決は最高の執行権を持つ。」の3項目が確認され、書籍管理・食糧管理の準備、定款起草等の委員、担当者が決められた。