ラプンツェル

ちょっと昔の広告

  北越谷駅の西口を出て表通りを大学方面に直進。1分経つか経たないかくらいの所にラプンツェルはある。窓ガラスで外から店内は丸見え、ドアや窓枠も白が基調で明るい雰囲気だ。4店の中では唯一、調査開始前に行った事のあった店である。しかし、やはりインタビューとなると緊張を伴う。それでも店主の宮内さんは快くインタビューに応じて下さり、熱い想いを語って下さった。  開店は1985年頃…その前、宮内さんは会社勤めをしていたが、ある日「喫茶店をやってみようかな」と思った(当時は「それでどうにかやっていけた時代」だったそう)。知り合いが北越谷にいたこともあり、会社を辞めて半年後に開店した。開店に至るまでは全くの独学で、知り合いの業者の店で、皿洗いやコーヒーの淹れ方などを覚えた。


概観。看板のイラストは、文教大の美術専修の学生が描いたそう。

店主の宮内さん。

グリム童話とペンション

 店名の「ラプンツェル」というのは、グリム童話のひとつ(「髪長姫」という邦題)から付けられた。塔に閉じ込められた姫が、長い髪を窓から垂らし恋人に助けを求めるというものらしい。開店当時に、グリム兄弟の生誕200周年でブームになっており、本で見かけて響きが気になり名付けた…とのこと。この、「髪の長いお姫様」は店のシンボルマークにもなっている。店名から内装・外装など、「喫茶店=入りづらい、閉鎖的」というイメージを覆し、女の子にも入りやすい店を目指したとのこと。木を基調とした店内、やわらかい色調などはペンションを意識した。実際に、インタビューをしていた時も文教大生とおぼしき女性2人組が2組、お喋りをしながら過ごしていた。

ラプンツェルパフェ=鍋?

 ここで、メニューをいくつか紹介したい。まず、席につくとメニューの中に「かくれメニュー」というものがある。
ひとつだけ紹介。「オムレツカレー」
これらは客からのリクエストによるものらしい。「店から一方的に提供するのではなく、お客様の声にも答えていきたい」とのことで、自分本位でなく客のことをよく考えていると思った。また、どんな料理でも必ず野菜をつけるように心がけており、美味しさと健康さを両方目指している。  名物メニューとして、ご存じの方も多いかもしれない「ラプンツェルパフェ」。とにかくボリュームがすごい(写真を見て頂くのがわかりやすいと思う)!平皿にアイスクリームやフルーツ、コーンなど、これでもかと言わんばかりに乗せられている。このパフェについて伺ったところ、意外な物との共通点が挙げられた。「皆で共に食べられるもの・楽しみや想い出になるメニューを作りたかった。これは、“鍋”をつつく連帯感、仲間意識といった日本文化をデザートにしたかった」ということだ。このパフェは、開店当時からあったが、値段・ボリュームはどんどんアップしている(ちなみに現在は3000円で、およそ10人分)。またかつて、1回で12個注文があり、出るのに1時間かかったこともある…と、笑いながら想い出を聞かせてくださった。
ラプンツェルパフェ!
女5人・15分で完食(デザートとして)。

競争から共生へ

 「昔ながらの喫茶店が減少していることや、ファーストフード店が増えることについてどう感じるか」という、各店舗への共通の質問に対し、宮内さんは「共生」というキーワードを用いて答えてくださった。現在喫茶店は、ファーストフード店やファミリーレストランなどとの競争に苦戦を強いられている。厳しい時代である。しかし、これからは、争うのではなく、共にやっていける(共生)ようにするのが理想だという。負けたものはダメ、というのではなく、皆を認め合う時代であって欲しい…この思いを聞き、200万枚以上売り上げた、「世界に一つだけの花」という曲を連想した。「ナンバーワンにならなくてもいい 元々特別なオンリーワン」という歌詞がある…もしかしたら、世の中も「共生」を求めているのかもしれない。  その一方で、昔ながらの店が減っていることについて「寂しいけれど、必要とされる店作りをしてきたのだろうか」と、店の姿勢についても言及していた。開店当時(バブルの最中)とは違い、珈琲を出せば良いだけの時代ではない。閉店してしまうのは、理由は様々だが、支持されなくなったというのもあるだろう。研究や情報発信をする必要がある、とおっしゃっていた。ラプンツェルでは、先述の「女性にも入りやすい雰囲気」作りや、素材を自ら仕入れ身体に良い料理作りなど、客の声を生かしている。

北越谷・文教大生・店の変化

 今回、何名かの卒業生にインタビューをした中で、ラプンツェルの人気が最も高かった。宮内さん自身も、文教大生への思い入れは強いようだ。「時代は変わっても、基本的には変わっていない。素直で真面目な子が多い。素晴らしいと思う。」と、べた褒めだった。ただ、「優しすぎて・人を気にし過ぎるので、もっと自分のことを見た方が良い」ともおっしゃっていた。また、北越谷の町については「川にせき止められてか、人の流れがあまり無い気がする…20年近く通っている(宮内さんは、せんげん台在住)けれど、完全には溶け込めない」とのことだ。    客層はそんなに変わらず、今でも老若男女様々な人が来る。変化と言えば、開店当初はほとんど来なかった男性もよく来るようになった。他店同様、ここ5年位で客の数が減ったと感じている。しかし、今でも客との交流を大切にし、時には人生について本音で語り合う事もあるそうだ。    ちなみに、4店のうち唯一(現在)アルバイトを雇っている。10人ほどいて、ほとんどが文教大生である。時間帯によっては1人で切り盛りせねばならないが、規模としては問題ないとおっしゃっていた。なんでも、バイトの人たちと共に山登りやカラオケに行くこともあるらしい。うらやましい。

喫茶店とは?

 この問いに自信を持って「生き方全て」と答えた。命のある限り店は続けたい、自分だけでは大変だが支えられてやっていきたい、と。そして、「なにか夢はありますか?」と尋ねたら、心から幸せそうな顔で「若い人に囲まれてお話したりして、現在が夢ですね」とおっしゃっていた。「毎日がデビュー」という、純真な心を持った宮内さん。忙しいのに本当に色々と気さくにお話して下さった(問わず語りというくらいに)。それにしても、何度か店に(客として)行ったことはあるが、宮内さんの人柄に触れて改めて素敵だと思った。