スリッパの歴史
スリッパ・・・英語ではslipperといい、足を滑り込ませて簡単に履き脱ぎで
きる紐や留め金のない室内履きの総称。
サンダル・・・足にのせる底と、それが足から離れないようにするための紐や
ベルトからなる開放的な履物(屋内履きとは明記されていない)。
「広辞苑 第四版」 岩波書店 1992年より
明治初期の日本は鎖国から開放され外国との交易がはなやかに開始され、それに伴い多数の外国人が渡来してきた。そのため、この人々の宿舎は東京周辺に点在していた寺が利用されていた。彼らは履物を脱いで座敷にあがる日本の生活様式、慣習になじめず、さりとて下駄、草履を彼らに履かせることもできず、人々は困りぬいていた。この状態をみかね徳野利三朗氏は、上靴(ウワグツ)・上沓(ジョウカ)とよばれる新式草履を考案、作成した。この新式草履(上靴)が、現在のslipperの祖となったのである。ちょうど、1876年(明治10年)のことであった。この新式草履(上靴)が、slipper(スリッパ)と呼称されるようになったのは、それから間もなくのことである。上靴、すなわち上靴の英訳が「slipper(スリッパ)」であり、当時英語を使うことがハイカラであったため、スリッパと呼び続けて現在にいたっているのである。
昭和26年頃から社会情勢や生活習慣の変動でスリッパの普及が始まった。しかし、デザイン、色彩も、地味な履物にすぎなかったため、使用場所も旅館、病院、学校など、ヨソで使用、借用する場合がほとんどであった。一般の家庭生活に密着度は低く、市場に出回ることもあまりなかった。その後、昭和30年頃から団地ブームで庶民に本格的に普及し初めた頃、製造も機械化が進み一挙に大量生産が行われ庶民の足となった。さらに昭和40年から47年にかけて、特に建築ブームと共に、屋内構造の洋式化に伴って必然的スリッパの家庭への普及が進み始め、生活の必需品、必要品へと向かった(普及率100%となる)。
(双葉工業有限会社ホームページより引用)