『教育研究所紀要第5号』文教大学付属教育研究所1996年発行

木造阿弥陀如来像修復からの報告

中川公明(文教大学教育学部)

   

    要旨 

 仏像の解体修理をとうして、全体像と各部の造形、材質の繋がり、差異を見つめていくと新しい発見をすることがある。時代を越え、どんな経路をたどり今あるのか。像の造形表現と時代様式に思い重ね、できるだけ当初にちかい形に復元する。

 千葉県木更津市選擇寺は室町時代の創建である。本尊阿弥陀如来立像は、秘仏で、年1回の開帳であるが、寺伝によれば、寺は、享保2年(1717)吾妻より飛び火した「ドンドン火事」で灰塵に帰した。復興に尽力した迎誉察道和尚は、江戸奥沢九品仏名僧珂碩上人から「我が内待(お居間)に侍仏あり、これ叡山第2世慈覚大師一刀三礼の親作による。阿弥陀如来の尊像にして、利劍鋭くして危うきが如く、霊験また鋭くして危うし、常に護念し奉るべしと」宣示、下賜された本尊である。時に宝歴5年(1775)の事であるという。

 

名称 阿弥陀如来立像 1躰

法量 (単位MM

   像高 1,454 頂−顎 284 面長 158 面幅 165  耳張 197

   面奥  210 胸奥  426  臂張 226 裾張 358

形状  螺髪は彫出。肉髻・白毫相を表す。彫眼・素木彫出像。頭部は正面やや上を向き躰部は直立する。納衣は通肩。右腕は屈臂し、掌を前方やや上に向ける。左腕は脚部より前に垂下し、掌を前方へ向け、左右ともに阿弥陀の定印を結ぶ。

材質 檜 松 杉 桂 水晶(白毫) 漆箔(内刳り面)

構造  頭部は、正中線で竪2材矧ぎつけ、内刳りする。躰部は肩から足堯まで、そのほとんどを一材彫成し内刳りする。なお、右脇材と背面材をそれぞれ別材矧ぎつける。両手は前膊半ばからそれぞれ袖口へ差し矧ぎする。

保存  −虫蝕−

状態  当像は、全身に及ぶ虫蝕と一部に腐朽が見られる。躰表皮下は虫穴が無数に幾重にも走る。そのため、躰表は真に薄氷状態で指等で押せば凹み、崩れ、木材組織は極めて脆弱で危険な状態である。

    −欠損失−

頭部は、正中線で中1材(後補)を挟み接合している。
螺髪の損傷は多数。肉髻部前面は4方向へ大きくカットされている。肉髻珠は紛失白毫の位置ズレ。備1

鼻欠失。口唇の損傷。左右の耳朶欠損。三道の磨損。             

躰部の矧目はゆるみ、隙間を開けている。材は松の幹から枝分かれる箇所が使われた。木筋は前面の足元中央で右は垂直に上昇、左は斜めに捩れ上に向かい、左肩へ抜け節を見せる。干割れは木筋に沿い全身に及ぶ。差し首箇所は、躰部側の損傷がひどく、大きく隙間を開けている。肩・胸の上部は過去に相当分切削され、特に右肩はズングリ丸みを帯びた形なっている。手・足は後補。  備2

右袖(脇部材)の矧ぎ面は内刳られ、肉厚は極めて薄い。後ろは半ばから竪に細長く欠如している。裳先前面は一部を除き後補。 備3

躰部はニスを塗布したため照りが出ている。頭躰はともに丁寧に内刳り、布張り漆箔、全面に墨書銘があるが下端材がはずれている。備4

 

頭部、躰部、右脇部、背面部、手・足部それぞれの造形、材質について

−頭部−

 肉髻部と地髪部との大小関係ははっきりしており、髪際(生え際)は平らである。螺髪は小粒で整った形態と配列。横から見れば、後頭部はほとんど平らに近い。眉と眼の関係はいわゆる平行に近く、眼は上瞼の線が下がり、三日月形で目尻の切れが長い。鼻は完全に欠如しているが、頬に残る輪郭痕をうかがいえる。口は平面的で、唇の肉付きはうすい。上下の唇の結び線はほぼ水平に近く、下唇の外郭線は円い。顎は側面から見ると「し」の字に似ている。口唇下に凹みがない。三道はきれいに重ねているが肉付きは少ない。各段の幅は上から中・中・大であるが膨らみはない。材質は檜(引用 西公朝著仏像の再発見)

−躰部−

 木質(枝分かれ箇所の木目、ねじれ、割れ)は極めて悪いが、意味あって使われたのか。胸部は幅広く、張りがあり、胸部下縁を彫り込み、そこに内からの力強さ、言い換えれば、前時代の内部から張りのある彫刻的な肉付けを感じる。腹部は脇の彫りが浅く、偏平なお腹と相俟って、ここを境に表情を変える。腹部、脚部ともに衣に囚われ堅く、重い。衣紋の彫りは浅く、表面的で素朴であり、下半身は右下方へ流れていく。左袖は肉厚で下端はわずかに左外へ反る。左腕に刻まれた皺は堅く太く脇へ流れる。

−右脇材−

 躰幹部、そして左袖に比べ重厚さはない。正面から見ると右袖下部は外への反りはなくストレ−トである。左に比べ長すぎ、かつ、右裳先との境を繋ぎ奥行き、後部への造形的流れを閉ざしている。材質は杉。

−背面材−

 側面から見ると腰が後ろに逆に膨らみ、蓋のように丸みを帯びている。彫りは堅く、形式的、且つ平面的である。材質は桂。後補。備4    

−手・足−

 手は檜。

 足は左足の一部に当初材(松)を含む。           

備考                     

1 頭部矧目は虫蝕のためか切削し、その分小幅材を中にサンドイッチ状に接合している。白毫は、その小幅材にあり位置が上にズレている。宝歴5年(1775)下賜された頃の修理。

2 関東大震災後の補作。

3 前面膝から足堯までの右半分は後補。左裳の一部から左足の甲、足堯へかけ当初材が含まれている。倒壊?から左脚は足から膝へかけヒビ割が入っている。特に右膝から下は肉厚もうすく致命的な損傷を受け材の入れ替えをしている。左足に懸かる裳先は約10MM切り上げられ、左袖下端は約20MM切削した痕がある。(虫蝕と無関係、造形的意味合いと考えられ、逆に右袖はその制作当時のまま残っている)

4 胎内銘は当阿弥陀如来像の由来記である。 「     報汝志願 以此尊譲与之 汝奉持此本尊体 伍当勤自行普成化他  雖然余自得 時破甚大焉 末遂修覆之本意 以会譲与之次 汝可修覆之点 春上人乃投尊像於仏工望再興之労 亦師夫談話御時 春上人応 任再興乃序普為自利利他 此仏頭之中 希望老師御名号 師曰 祐天師者其業勝余 芝嶽大僧正了也者為当時磧徳     」

  右頭部内刳り面右端に以下の文が新たに墨書されている。 「大正十二年九月一日 大震災ノ寺中空地ヘ御避難後御修覆 三十六世光譽禅應代」

5 頭部矧目から宝歴5年には既に虫蝕害が相当進行していた事が分かる。

  修復のはっきりしている時期    宝歴5年(1775)頃    関東大震災頃

  

さて以上の点から、頭部は彫りは浅く、平面的であるが優しく整った丸顔。躰部は暖かさと堅さを素朴なその姿に表す。造形的に見ると、表現、刀の使い方(彫り)に大きな差異が見られ、もともとは頭躰一体像ではなかったと推測される。

木寄法からすると、頭躰を通し前面一材に肩から背面一材、右躰側に一材の計三材を竪矧ぎして、前面を深く内刳りをしている。滋賀県福壽寺観音像の割矧に近い造像である。

1 前に躰部側の仏像が作られたが、何らかのアクシデントで損傷を受け、頭部、右脇部、背面部がその後破損あるいは散逸し、新たな仏頭を付け再興した。頭部は左右矧ぎで技術的には新しく中央系の作、または東国へ下った仏師、僧侶の作。躰部は地方作と考えるのが妥当である。もとは、神木、霊木の松の木を造仏したとも考えられるが材質は悪く、不十分な乾燥から虫蝕とアクシデントが相俟って破壊を早めてしまった。備5

2 頭躰とも、もとはそれぞれ独立像であった。

 頭躰の造形から、溯ってある時代に、少なくとも藤原末以後に一体化再興したので  はないか。、

 復元 当像は、その造形特徴(2頁参照)から平安後期(藤原時代)作と思われる。このため、鼻・耳朶・手・足の新補についてはその造形表現、手法と藤原時代の様式  を参考に復した。

 

解体修理前の像

 

足裏から見る 

  

補材し,白毫を正しい位置に戻す

 

 

樹脂含侵硬化後,人工木材漆木屎を充填。補材する

 

修理完成

 

 


      

 

                                           

 

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