文教大学

文教大学 教育研究所

| 文教大学ホーム | サイトマップ | 
トップ >> お知らせインデックス >  世界の教科書展

第24回 ラオスの教科書

開催にあたって
 ラオスは、ベトナム、タイ、カンボジア、中国、ミャンマーに囲まれた東南アジア唯一の内陸国です。森林も多く、タイとの国境沿いには東南アジア最長のメコン河が流れ、ラオスはメコンの宝石とも呼ばれています。ラオスの人々は昔から豊かな自然に囲まれて暮らしてきました。近年は、メコン河流域の多国間開発により、環境が大きく変貌しつつあります。
教育に関しては、外国からの援助に支えられています。援助の内容によって、教育も左右されているのが現状です。ラオスはおよそ49の民族からなる多民族国家です。公用語のラオス語は、多数派民族のラオ族の母語であり、学校でも使われています。そのため、ラオス語を母語としない少数民族の子どもにとっては学習にも困難がともないます。その他、地理的要因や家庭事情などで、初等教育段階でも退学せざるを得ない子どもも少なくありません。こうした子どもに対して、教科書や学ぶ場を提供し、母語やラオス語学習をサポートすることが課題となっています。
様々な課題はありますが、子供たちの就学率も上昇してきました。また、自然とともに豊かに暮らすラオスの人々の中に私たちが忘れかけた魅力があることも事実です。ラオスは現在、日本企業の新たな進出先としても注目されています。今回の教科書展では、ラオスの教科書を手に取っていただき、ラオスの教育のいまを感じ取っていただければと思います。
 今回の展示パネルの解説および教科書翻訳は、NPO法人地球対話ラボ理事の中川真規子氏にお願いしました。
(2017年11月)

1.ラオスの概要

 ラオスは正式名称を「ラオス人民民主共和国(1975~)」といい、東をベトナム、西をタイ、南をカンボジア、北を中国、北西をミャンマーに囲まれた東南アジア唯一の内陸国です。山がちで森林が多く、タイとの国境沿いには東南アジアで最長の国際河川であるメコン河が流れています。近年、メコン河流域の多国間開発が行われておりその環境は大きく変えられようとしていますが、ラオスの人々は昔からその豊かな自然とともに生活してきました。
 日本の本州と同程度の広さの国土に約649万人(2015年)の人々が生活し、首都のビエンチャンには全人口のおよそ8分の1にあたる約82万人(同年)が住んでいます。隣国であるタイの人口が約6500万人(2010年)、日本の人口が約1億2000万人であるのと比べると、こじんまりとした印象を受けるのではないでしょうか。

メコンの夕日

首都ビエンチャンにあるタートルアン

ラオス地図

国旗

 ラオスは多民族国家です。約49の民族が生活し、多数派民族と呼ばれるラオ族の人口は全人口のおよそ半数にとどまっています。この多数派民族のラオ族の母語であるラオス語が公用語・学校での教授言語として使用されています。民族的な特徴として、地域によっては、少数民族の割合が7割を超える地域もあります。それぞれの民族が独自の言語を話すため、言語状況はラオスの教育事情にも大きな影響を与えています。少数民族の人々が多く住む地域は、ラオス北部山岳地帯や南部の一部の県です。
 宗教は、東南アジア地域で広く信仰されているスリランカ大寺派系の上座部仏教です。今でも、多くの男子が短期間出家をしたり、人々は徳を積むために、托鉢(僧が修行のために鉢のようなものを持って家々を周り、経文を唱えて、米や金銭などの施しを受けること。)を行う僧へ食べ物などを寄付したりして、生活の中に仏教的な教えや習慣が根付いています。ですが仏教のみでこの国の宗教を語ることはできません。バーシーと呼ばれる魂の概念に基づく儀式や、ピーと呼ばれる土着の精霊祭祀もあり、現在も人々の生活と深く結びついています。

托鉢の様子

バーシー

 政治的には、ラオス人民革命党を指導党とする社会主義国家です。外交面では、ベトナムとの「特別な関係」を維持しながらも、2016年にASEANサミットの議長国を務めるなど全方位外交を展開しています。日本政府とは、1955年に国交を結んで以来関係は良好と言われています。日本のODA(政府開発援助)はラオスに対する主要援助国としてオーストラリアやドイツとともに名を連ねています。日本の青年海外協力隊が初めて派遣された国はラオスでした。
社会主義を掲げながらも、市場経済制を導入し、国連が定めたLDC(Low Developed Country: 後発開発途上国と訳され、開発途上国の中でもさらに経済的な発展が遅れた国と言われている。)脱却を目指して経済開発を優先とする政策を採用しています。
 以前は国民の8割に当たる人々が自給自足的な農業を営みながら暮らしていると言われていましたが、近年ではサービス業や工業分野に従事し生活する人々も増えてきています。主要輸出品として、銅製品・電力・銅鉱石などがあげられます。豊富に眠る地下資源やメコン河付近に建設された巨大ダムで発電される電力は、ラオス政府にとって貴重な外貨獲得手段となっています。特に、隣国タイから受ける経済的な影響・依存は大きく、輸出の3分の1はタイ向け、また輸入の3分の2はタイから来ています。国内の商店を見ると、日用品などはほとんどタイ製です。ラオスの人々はパスポートがなくともタイに入国することができ、一部の人々は休日になるとより品質が良く・安い製品を求め、タイまで買い物に出かけることもあります。
 現在のラオスがある場所はラーンサーン王国の版図でした。ラーンサーン王国は1353年、最盛期はメコン川流域からタイの東北地方のコラートまで領土を拡大したと言われています。しかし1707年、ラーンサーン王国は王家内の内紛を発端として、最終的に3つの王国に分裂しました。3王国は1779年シャム王国(現在のタイ王国)に占領されてしまいます。この時から、ラオスの植民地としての長い歴史が始まりました。1893年、シャム・仏条約により、ラオスはフランスの植民地となります。フランスによる植民地時代、フランス政府はラオスの人々の統治方針としてお金をかけずに支配する政策をとりました。具体的には、ラオスの統治をベトナム人に任せ(当時ベトナムもフランスの植民地)、福祉・教育面の整備を行いませんでした。「愚民政策」と呼ばれたこの政策は、現在にまで続く人材不足に影響を与えていると言われています。
第2次世界大戦中、一時期は日本の支配下にあったラオスでしたが、大戦後にはフランスの再植民地化を受け独立を求める声が強くなっていきます。そして、ラオス初の民主化運動「ラーオ・イッサラ運動(自由ラオス運動)」が生まれ、この一連の運動でラオス側は何度も敗北を繰り返しながら、フランスとの自由への戦いを続けていきました。
対フランス戦争をしていたラオスでしたが、戦いは冷戦の影響を受け内戦へと突入していきます。内戦時に、アメリカ軍が落とした爆弾の量は300万トンとも言われ、当時の人口で考えると、ラオス人1人につき1万トンもの爆弾が落とされたことになります。当時落とされた爆弾は、現在不発弾となりラオスの国土に残されています。今でも不発弾の爆発により重傷を負ったり命を失ったりするラオス人が多くいます。
 そして、1975年12月、ラーンサーン王国以来の王制が廃止され、「ラオス人民民主共和国」という社会主義国家が誕生しました。
社会主義国家成立の際に、多くの知識人や能力を持った人々が外国へ亡命してしまい、ラオスの人材不足に拍車をかけました。約200年に渡る侵略と内戦の歴史は、ラオス社会に今にまで残る傷を負わせたと言えるでしょう。

2 .ラオスの教育
(1)教育行政
教育について、ラオスの憲法では以下のように定められています。

ラオス新憲法:第19条
「新しい世代をよき市民に築き上げるために教育を拡大することが重要である。教育、文化、科学に関する活動は、知識レベル、愛国心、民主主義への愛着、民族間の約束、独立精神を高めるための手段である。政府と国民はすべての教育レベルの学校を作り上げるように協力すべきであるが、その中でも特に義務教育(小学校1年生から5年生まで)を拡大することが重要である。また少数民族が住む山岳地帯や遠隔地にも配慮すべきである。」
(津曲真樹「ラオス教育セクター概説」P10より)

 また、ラオス政府は、国家開発を進めていく上で、教育の重要性についていたるところで言及しています。LDC脱却を最優先事項に挙げるラオス政府にとって、教育開発は国を経済的に発展させていく人材を育てるために非常に重要なものとされているのです。
 このような政府の方針を受けて、日本の文部科学省に当たる教育スポーツ省(Ministry of Education and Sports)が教育行政を担当しています。教育制度の企画、教育政策に関する助言、全国の教育活動の監督など、就学前教育から高等教育まで、公立私立学校教育、学校外教育(ノンフォーマル教育)の全教育レベル・部門に関して責任をもっています。なお実務的な責任については、各県に設置されている県教育局が県レベルの前期中等教育(日本の中学校)と教育スポーツ省の管轄にない技術・職業学校を管轄し、その下の各郡に設置されている群教育局が初等教育(小学校)・就学前教育(幼稚園・保育園)・ノンフォーマル教育に関して、各学校や機関を支援しています。
 教育予算に関しては、国家予算全体の13~17%前後で推移しています。しかし、そのほとんどは外国からの援助に頼ったものとなっています。そのため、援助によって教育予算は大きく左右されています。

(2)教育制度
 ラオスの教育制度は、日本の小学校にあたる初等教育が5年間、中学校にあたる前期中等教育が4年間、高等学校にあたる後期中等教育が3年間の5・4・3制です。
日本の大学に当たる高等教育は、分野によって年数は変わりますが、4~6年間です。ラオスの高等教育機関(大学)は、国立のものが5校、その他に多数の私立高等教育機関が存在しています。私立校の多くは経営分野に偏り、これらはラオスの若者の需要を反映しているといわれています。ですが、高等教育段階へ進める若者はまだまだ限られています。
 近年、ラオス政府やUNICEFなどの援助機関によって、小学校入学に対して、子どもたちを身体的・社会的および精神的に備えさせる目的から力の入れられている就学前教育は、小学校の準備段階として、0~2歳児を対象に保育園と、3~5歳児を対象に幼稚園があります。また、公立小学校の中には、1年生に就学する前の子どもたちが通う準備学級と呼ばれるものが設置されているところもあります。

 ラオスでは、5年間の初等教育が義務教育として位置づけられており、就学年齢は6歳です。公立校であれば授業料・教科書は無料ですが、制服、施設料などは各家庭で負担します。このため、経済的に貧しい家庭にとっては、子どもに教育を受けさせることが大きな負担となっています。そのような家庭に対しての政府の支援は乏しく、志ある先生達の努力や各国政府やNGOの支援に頼っているのが現状です。
 進級・卒業のためには、年度末に行われる試験に合格しなければなりません。例えば、中学校へ入学するためには、小学校の卒業試験に合格することが進学の
条件となっています。大学へ入学するためには、高等学校の卒業試験をパスすることに加え、大学の入試試験に合格する必要があります。

(3)教員養成 
 国立大学と教員養成学校にて、教員養成が行われています。国内各地にある8つの教員養成学校では、幼稚園教員と小学校教員を育てています。幼稚園教員になるためには、高校を卒業したのち、2年間の専門的な学習を教員養成学校にて行います。小学校教員になるためには、高校を卒業し、2年間の専門的な学習を教員養成学校にて受けます。中学校教員になるには、高校卒業後、教員養成学校にて3年間学ぶ必要があります。また高校以上の教員に関しては、国立大学の教育学部で5年間学んだ学生が採用されるのが通常と言われています。以前は、教員の多くが無資格で教壇に立っていましたが、近年政府や各国の援助、NGOなどの努力によって、有資格教員の割合が増加してきています。ですが、「教員の質」については、まだまだ改善の余地があり、その努力は続けられています。

(4)初等教育(小学校教育)
 学校に入学するべき年齢の子どもたちがどの程度学校に通っているかの割合を表した就学率は、小学校男子96%、女子94%となっています(2016年)。一見すると、ほとんどの子どもたちが学校に通っているように見えます。しかし、どれだけの児童が最終学年に残るかを表した残存率をみてみると、ラオスの初等教育における課題が見えてきます。2016年、残存率は78%でした。つまり、学校に通っていた子どもたちのうち、2割以上にあたる子どもたちが退学・中退していることになります。そこにはいくつかの原因が考えられます。
1つ目は言語の問題です。ラオスでは公用語のラオス語が学校で使用される言語としても採用されています。しかし独自の言語をもつ少数民族の子どもたちにとって、ラオス語での授業は、進級・卒業を妨げる大きな要因となっています。地域別の就学率や残存率を見てみると、少数民族が多く住む北部山岳地帯や南部の一部の地域で、低い数値が見られます。政府や援助機関、NGOなどは、少数民族出身の教員を増やそうと、奨学金を設け、その民族出身の教員志望の若者が自分の出身の村の教員として子どもたちを教えられるように、教員を配置しようと試みていますが、充分な成果がまだ表れていないのが実際です。
 2つ目はその地理的な要因が挙げられます。山がちな地域が多い北部では、そもそも学校が村になかったり、あったとしても通学に何時間もかかる、不完全(例えば3年生までしか学習できず、4年生以上の学年の子どもたちは大きめの街の学校まで通わなければならない)なものだったりと、物理的に学校で教育を受け続けることが困難な状況に置かれている子どもたちが多くいます。
 3つ目は教育予算の問題です。教育にかけられる予算が少ないため、新しい校舎を建てたり、充分な数の教科書を印刷したりすることが難しい状況です。教員の仕事は公務員ですが、その給料は低くモチベーションの低下の原因の1つとなっています。また、低賃金で生活が成り立たず、副業をしなければ生活できない教員もいます。そのため、学校があっても先生が来ない、授業の準備に時間が取れないといった、教育の質が低下するという負のサイクルが生まれてしまっているのです。

3.教科書の内容

 教科書は教育スポーツ省のみが製作・出版を行っています。出版された教科書は、無償で子どもたちに配布されることとなっていますが、実際のところは予算不足から1人に1冊行き渡っていません。教科書を学校が管理し、その授業のたびに子どもたちに配布、終わると回収するという使われ方がされています。そのため、破損・書き込みがあったり、自宅に持ち帰ることができなかったりと、学習環境がなかなか整いません。
(1)ラオス語
 1年生では、ラオス語の書き方・読み方を学習します。その後は、読み物を読み、新しい言葉の説明や読み取りを中心に授業がすすめられていきます。読み物は、文化的なこと、歴史的なこと、民族について、礼儀について書かれているものに大きく分類することができます。また、憲法に明記されているように民族の融和を目指してか、ラオ族以外の少数民族と呼ばれる人々の文化や習慣などについても取り上げられています。それぞれの内容を読んでいくと「よき国民とは何か」という価値を説くような話が多いようです。
 ラオス語の授業に限らず、先生が話し、子どもたちがそれを繰り返すという授業スタイルが今でも多くの学校で見られます。

教室

教室

市場で売られる教科書

1)小学校1年生 子音字の練習

(ラオス語 小学校1年生 P83、P84  翻訳は省略)
 
 ラオス語は、9つの母音(それぞれ短い音と長い音がある)・20つの子音があり、声調がかかります。声調とは音の高低・上がり下がりのことで、例えば同じ「マー」という単語でも、音の高低・上がり下がりによって意味が全く変わります。
 同じラオス語でも、地域によって声調にちがいが見られるようですが、教育スポーツ省では、首都のビエンチャンで話されている声調を採用しているようです。

2)小学校3年生 クム族のお祭り

(ラオス語 小学校3年生 P113 翻訳は省略)

 クム族は、ラオスで生活する少数民族グループの中でも比較的に人口の多い民族です。ラオスでは、便宜上、国民を主な居住地ごとに3つに分けて語られることがあります。主に低地に住むラオ・ルム(低地ラオ)、主に丘陵地に住むラオ・トゥン(山腹ラオ)、山の高地・頂上近くに住むラオ・スーン(高地ラオ)です。クム族はこのうちのラオ・トゥン(高地ラオ)に分類されています。

3) 小学校4年生 ブンオークパンサー

 続いて、小学校4年生のラオス語の教科書を見てみましょう。1年生と比べると、文章量は多くなり、音読と読み取りを中心とした授業となります。母音と子音の組み合わせが英語などと比べると複雑なため、スラスラと音読するためにはかなりの読みの練習が必要だそうです。

(ラオス語 小学校4年生 P63、P64 翻訳は省略)

 ブンオークパンサーとは、雨季の間、3か月にわたる修行期間の最終日に行われるお祭りです。仏教の行事の1つとされています。修行期間のスタートは「カオパンサー」と呼ばれ、この3か月間の間は結婚式などが自粛されます。ブンオークパンサー後、各地で結婚式などのお祝い事が解禁されます。

(2)算数

 続いて、小学校2年生算数の教科書をみてみましょう。単元はかけ算です。日本のカリキュラムと同様、ラオスでもかけ算は2年生ではじめて学習しますが、ブロックやおはじきなどの具体的なものを操作しながらではなく、黒板を中心に教員が解説、子どもたちが問題を解いていきます。また、日本と異なり、「九九」ではなく、11の段まで学習するようです。

(算数 小学校2年生 P76、P77 翻訳は省略)

(参考文献)
・外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/laos/ (2017.1.13閲覧)

・上東輝夫『ラオスの歴史』同文館、1989年。

・津曲真樹「ラオス教育セクター概説」2012年、
[http://jp.imgpartners.com/image/A5E9A5AAA 5B9B6B5B0E9A5BBA5AFA5BFA1BCB3B5C0E22012_Final.pdf](2017.4.23 閲覧)

・世界子供白書 https://www.unicef.or.jp/sowc/  (2017.1.27閲覧)

・文部科学省『世界の学校体系』ぎょうせい、2017年

入場者の感想

(入場者359名中297名がアンケート回答、その中より抜粋)
・学祭になかに、文化的な展示発表があることがよかったです。卒業から30年以上になりますが文教生のまじめさが感じ取れてうれしく思いました。(本学卒業生)

・なかなか外国の教育事情について知る機会がなく、やはり日本は恵まれている教育環境なのだなと思いました。それについて知ること、興味を広げていくことで、自分も少しでも今の小学校の学習でも、外国に同じように生きる子供たちに興味を持たせられないかなと思いました。私も実際に見てみたいと思いました。ありがとうございました。(本学卒業生)

・ラオスを主として、諸外国の教科書を比べるいい機会となった。日本と比べて教育水準が高い国、低い国、実用的な内容が多い国など、諸外国の実情にあった内容が学ばれていることがわかった。外国の教育の試みが比べやすく、面白いので、来年以降も来たいと思います。(本学学生・院生)

・普段ラオス語や異文化に触れることがないのでとても興味深かった。以前より視野が広がったと思う。(本学学生・院生)

・ラオスについてほとんど無知でしたが、教科書や教育行政・制度などとても興味深くおもしろかったです。ラオスの教科書と他国のものを比較すると経済的な問題を感じました。教育を受けやすい環境、その必要性を(日本も同様ですが)国民全体で考える必要があると思います。(本学学生・院生)

・初めて、ほかの国々の教科書を見た。わかるのは英語ぐらいだったが、私が受けてきた教育と違っておもしろかった。(他大学学生・院生)

・ラオスのことはあまり知らなかったが、今回の展示でラオスのことがわかった。また、解説も、日本との違いを示しながら説明していたので、とても分かりやすかったです。(高校生)

・日本とラオスの教科書の違いにおどろいた。(中学生)

・たのしかった(小学生)

・ICTを使った展示もあってわかりやすく、教科書だけではなくラオスの日常の映像とともにラオスを身近に感じました。様々な国の教科書も手に取ることが出来て楽しいです。ご準備や資料の保存には御苦労がおありと思いますが、これからも続けていっていただきたいすばらしいプロジェクトです。どうもありがとうございました。(本学教職員)

・展示は見やすく、よく調べていると思いました。とてもためになりました。(本学学生の家族)

・興味深かったです。日本の教科書と比較すると、教え方等も国によっていろいろなのだと思いました。(本学学生の家族)

・もともとラオスについての知識がなく、教科書以外についても知らないことをたくさん知ることができました。とても有意義なイベントだと思います。ありがとうございました。(本学学生の家族)

・教科書を通して、ラオスという国を身近に感じることができました。1994年から続くこの教科書展をぜひ続けてください。また、桶川のような各地でこの素晴らしい取り組みを広めていっていただきたいと思います。(一般)

・ラオスという国についての事情について一片とはいえ、知ることができた。とても貴重な体験をさせていただけて良かった。(一般)

・ラオスの教育の現状を知り、改めて日本の教育制度の良さを実感した。ラオスでもどこに住んでいる人でも、平等に教育が受けられるように、また、教員の方たちの地位がもっと良くなるように、今後の動向に注目しつつ、自分にもなにかできることがあれば・・・と、考えさせられる良い機会となりました。(一般)

▲ページの上に戻る

文教大学 教育研究所
〒343-8511埼玉県越谷市南荻島3337 文教大学越谷校舎 10号館2階
電話:048-974-8811
Copyright (C) 2014 文教大学教育研究所 Corporation. All Rights Reserved.