開催にあたって
教育研究所が主催する「世界の教科書展」は1994年度に第1回が開催され、今年度で第20回目を迎えました。2013年度の「世界の教科書展」では、ブラジルの教科書を取り上げます。
ブラジルの人口は約1億9,800万人(『世界人口白書2011』)に達し、経済成長も順調で2011年のGDPは2兆ドル(世界6位)を誇ります。しかし貧困の格差は依然として大きく、社会的な不満の声がいまなお噴出しています。そうしたブラジル社会がここ10年間に達成した最も重要な成果のひとつが教育改革です。
2001年の「国家教育計画」では、国民の教育水準の向上、教育の質の向上、公立学校への通学における地域的社会的不平等の解消などの目的が掲げられ、2004年から導入された新教育制度では、義務教育が8年制から9年制(前期4年・後期5年)に変更されました。また同制度により、2010年度までに全ての6歳児に公立学校への入学が保障されました。その他にも広大な国土をもつ事情から、学校が近隣に存在しない僻地居住者向けにラジオ・テレビ・郵便などを活用した遠隔教育の実施や、独自の言語・文化をもつ先住民に対しては独自の教育を行う権利を認めるなど、ブラジルの教育改革は多様なアプローチにおける創意と柔軟性、そしてスピードの速さを特徴とします。今回の世界の教科書展では、ブラジルにおける教育改革の風を教科書のなかにも感じとっていただきたいと思います。
なお、 展示パネルの解説、および翻訳は、城西国際大学国際人文学部教授の田島久歳さんにお願いしました。(2013年11月)
ブラジル連邦共和国(1967年~)は、面積851万4876平方キロ(日本の23倍強)、人口約2億人、26州と1連邦区から構成され、国民一人当たり所得1万ドルの大国です。東半分は大西洋、西半分はフランス領ギアナ、スリナム、ガイアナ、ベネズエラ、コロンビア、ペルー、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイと国境を接し、赤道を挟んで南北に4320キロメートル、東西に4328キロメートルに広がり、3つの時間帯、および熱帯から温帯の気候帯を有する大陸的国家です。世界最大のアマゾン熱帯雨林を有することでも知られています。また、古い地層の国土の97%は標高900メートル以下で、900から3012メートルにあるのは僅か3%です。
公用語はブラジル・ポルトガル語です。人種・民族構成は地域によって大きく異なりますが、全国平均で、ヨーロッパ系白人49.7%、混血42.6%、黒人6.9%、黄色及び先住民0.8%となっています。宗教は、伝統的にカトリック教徒がほとんどでしたが、近年は全体の67%に落ち込み、プロテスタント系諸派、土着宗教、日本新宗教信者が増加しています。
歴史的には、1500年にポルトガル人航海者カブラルによって「発見」され、1822年に独立するまでの間300年以上に渡ってポルトガル植民地体制のもとでブラジル社会が形成されてきました。1763年に北東部のサルバドールからリオデジャネイロに首都移転するまで、ブラジルの中心はサトウキビ・プランテーション経済を基盤とする北東部でした。その後、18世紀に経済の中心が中西部の金・ダイヤモンド産出地に移行するのに伴い、その積出港としてのリオが台頭することになりました。独立後も1888年まで黒人奴隷制が存続し、同時期はポルトガル王室・ブラガンサ家による帝政が続きます。この点はスペイン植民地体制から独立したラテンアメリカ諸国の場合が独立戦争を戦った「革命」であったのとは異なります。1889年に共和制に移行し、新たな移民政策によってサンパウロ州がイタリア・ポルトガル・スペイン・日本などからコーヒー農園労働者導入を行い、サンパウロ州以南の「新しいブラジル」が形成されてきました。現在の首都ブラジリアが建設されたのは 1960年のことです。ブラジル最後のフロンティアとしての内陸部の開発を推進することを目的としたものでした。
植民地時代から社会経済格差と地域格差の激しい国ですが、2003年に労働党政権になってからの過去10年間に積極的格差是正策がとられ、貧困地域(北東部、北部)の開発や貧困層に対する一層のより公平な所得分配制度(低所得者層家庭給付金、貧困家庭児童対象の奨学金)が打ち出されました。「失われた10年」と呼ばれる1980年代は対外債務返済に苦しみましたが、現在は経済成長も順調でBRICSの一角を担うに至りました。GDPは世界6位となり、車販売台数もドイツを抜いて世界4位の地位に浮上しました。ただし、社会保障制度や教育の充実は経済成長に追いついていないため、デモなどによって社会的な不満が表明されています。このような社会運動の担い手は、社会経済階層A~E層の内、C(下)~D階層の中間階層に仲間入りして発言力を増した人々です。
それでは、ブラジルの義務教育課程で実際に使用されている教科書の内容を具体的にみていきましょう。ブラジルの教科書は、ブラジル教育文化省の外郭団体の委員が毎年、教科書として適切なものを選定することになっています。適切なものの条件としては、3年以上の耐久性があるかどうか、という点です。なぜなら、公立校においては、主要教科の教科書は無料で配布されますが、毎年度末に回収されて再利用されるシステムになっているためです(私立校の場合は、有料で個人所有できます)。教科書は学校ごとに地域や子どもの実態を考慮して選定され、上述の外郭団体にオンラインで申し込むことにより、各学校へ届けられることになっています。ただし、教科書の内容に関する検定により均質化している日本の場合とはちがって、学校ごとにかなり異なる分量・質の教科書が使われているのが実状です。 本展で紹介する教科書はサンパウロの出版社で発行されたものです。そのため、 ブラジルの中でもサンパウロの地域色が出ています。サンパウロ州には約150万人と推計される在ブラジル日系人が最も多く集中して活躍しているため、歴史・地理などの教科では日系人について記述されているものがあります。ここでは、日本の教科書と比較して興味深いと思われるテーマごとにまとめて、『ポルトガル語』および『歴史・地理・社会』の教科書から、抜粋して紹介します 。
小学1年生が学校という場で勉強するにあたって、まずは、自己が他者とは異なる唯一の存在であるという自己アイデンティティの発見を促し、その確立を助けようとしているのが印象的です。社会よりも先に、まずは個人が存在することを重視する西洋文化圏における自己の捉え方の典型ということもできるでしょう。自分が他人とは違う証拠として、出生証明書を提示する方法によっても、小学一年生を「子ども扱い」しない西洋文化圏らしさが伺えます。(『あなたはどのような人でしょうか』『ブラジル国民出生証明書』 翻訳は省略)
「モニカ」はブラジルで知らない人がいない人気の子ども向け漫画です。言語能力の開発に、想像力とユーモアを刺激しながら創造性を高める教材として漫画が効果的に使われているのが印象的です。
登場人物は気の強い少女「モニカ」とその仲間たち。「セボリニャ」は「いい人」代表のような少年です。日本語でその名は「ネギちゃん」という意味ですが、髪の毛のかたちから付けられました。友だちの「カスコン」とは、日本語で「かさぶただらけ」という意味になります。彼はお風呂が嫌いで垢だらけだという意味であだ名的に「カスコン」と呼ばれているのです。ブラジルでは、このように人の外見的な特徴や性格などを捉えたニックネームが多用されます。ブラジルのサッカー選手たちのニックネームには日本人もなじみがあるでしょう。例えば、現在の代表選手のフーキは、映画で有名になったHULK(ハルク)に似ているためにニックネームとして使っています。日本では、一見、侮蔑的な表現に思われるかもしれませんが、ブラジルではユーモアを込めた適切な呼び名として解釈されます 。(『漫画をよく見てください。そして先生の読み方を聞きなさい』 翻訳は省略)
ブラジルは広大な国土をもっているため、多様な自然環境が存在するだけでなく、人間の手が加わることによって、さらに多様な社会環境がつくられています。このような多様性をブラジルの特徴として理解するのと同時に、その中で自分が生活する場を位置づけることを促します。(『あたなの住んでいるところ』『人間の活動が風景を変える』 翻訳は省略)
ヨーロッパ植民地からの独立を達成したことがブラジルという国を成立させた歴史をもち、そこで「古い秩序」に縛られたヨーロッパとは異なる新しい社会を建設していこうという意気込みが、ブラジル国歌や国旗には表現されています。北半球にあるヨーロッパとは対極的に南半球にあるブラジルの象徴として、南十字星が使われています。また、国旗には自然の豊かさを象徴する緑と豊かな鉱物を産出することを示す黄色が使われています。サッカーのナショナルチームのユニフォームもこの色です。さらに、真ん中には地球儀に帯がついていて「秩序と進歩」と書かれています。国歌の内容も、未来志向で新しい国を作っていこうという元気が湧いてくるような歌詞になっています。(『ブラジルの象徴』 翻訳は省略)
新大陸の「発見」は、新しい貿易航路や資源を探すことだけが目的だったのではなく、カトリック教の布教が名目上の理由としては最も重要なものでした。そのため、ローマ教皇が定めたトルデシリヤス条約(1494年)によって、新大陸「発見」に功績のあったスペインとポルトガルとの間で、その布教地域が定められました。
現在のブラジルの領土(アマゾン地域の一部、アクレ、南部を除き)は、マドリッド条約(1750年)とサン・イルデフォンソ条約(1777年)によって、そのおおまかな境界線が決まりましたが、植民地時代当初は海岸線への入植はされていたものの、内陸への入植はなかなか本格化しませんでした。
内陸への入植を促したのは、以下の教科書訳で示されているように、1)カトリック修道会であるイエズス会メンバーによる先住民を改宗させる教化集落(=ミッション)の建設、2)広大な国土を利用した牧畜業の振興、3)金・ダイヤモンドなどの鉱脈発見・開発でした。 (『先住民とポルトガル人:出会いと対峙』『ポルトガル領アメリカにおける植民地化のプロセス』『バンディランテス(先住民狩り探検家)』 翻訳は省略)
ブラジルがどのような国であるのかを理解するのに、ヨーロッパによる「征服」以前から新大陸に居住する先住民についても、その多様性を含めて、ブラジル国民の一部として理解させようという試みが学校教育現場に定着するまでは、長い道のりがありました。先住民言語による文書が残されていないために、文化人類学的な知識や歴史文書の分析の蓄積によって、先住民の歴史が明らかにされる必要があったということも背景にはあります。しかし、何よりも先住民に対する偏見・差別が克服されなければなりませんでした。
同様に、奴隷制の歴史の中で苦しめられたのは、先住民ばかりではなく、アフリカ大陸から奴隷として連行された人々です。ブラジルは、キューバと並んで、新大陸で奴隷解放が最も遅れた国(1888年)です。その一方、米国に比較して、植民地時代から白人・黒人・先住民の間で混血化が進んだために、「人種的デモクラシーの国」と表現されることもあります。
1988年改正のブラジル憲法では、多文化主義が標榜されています。先住民や奴隷の子孫も含めて、ブラジル国民としての権利をもつことを認める方向での教育が行われるようになってきています。 先住民にはその文化・歴史を尊重した独自な教育をすることを認める制度があります。
また、特に黒人系の国民の教育レベルを向上させることを目的としたブラジル版アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)が2001年から行われていますが、多くの賛否両論が湧き上がっています。 (『先住民のあそび』『ブラジルの先住民族』『トゥピー先住民とポルトガル人』『どんな人たちが砂糖黍プランテーションで働いていましたか?』『奴隷にされたアフリカ人たちの出身地と送り先』 翻訳は省略)
アフリカ原産のコーヒー栽培が世界市場向けに行われるようになったことが、ブラジルの歴史を変えました。コーヒー栽培に適した気候帯の南東部がブラジル経済を支える主役になるのです。かつては、砂糖黍栽培が盛んな北東部が中心でした。そして、コーヒー農園労働者として新たにヨーロッパ各地や日本からの移民が南東部を中心に流入することになったのです。 (『コーヒーの栽培』『コーヒー農園で生活した子どもたち』『ブラジルの日本人移民:文化と地域社会』 翻訳は省略)
ここまでブラジルの歴史をみてきて、ブラジルが多様な民族によって構成されていることが分かったと思います。その多様性をそのまま受けとめようとする心構えを一方では強調しますが、他方では、これらの多様性がブラジルという場において交じり合って独特の国民性を形成しているのだという考え方も教えます。その象徴的な表現が、下記の5年生の教科書訳です。七色を持ちながらも、その七色が一つとなって虹ができているように、ブラジルは多様な色をもった人々がひとつの国民を形成しているのだという考え方です。白でも黒でも黄でもなく、虹色の国民! (『男の子、女の子:習慣と伝統』『ブラジル国民』 翻訳は省略)
日本とブラジルは地理的には一番遠い国ですが、移民の歴史を通じて深いかかわりをもっています。移民国として、世界の国々と人を介してつながっていることが、教科書の作り方にも影響しているのではないでしょうか。3年生の教科書では、子どもを介してブラジルに関係する諸外国を紹介しています。いずれも、ブラジルに多数の移民を送り出した国々です。まず、ポルトガル(P.116~)、スペイン(P.120~)、イタリア(P.125~)、そして日本(P.127~)です。一般的に考えられるブラジルの常識に対峙するかたちで、それぞれの個性を紹介しています。また、高学年では、第二次世界大戦にかかわる現代史を詳しく取り上げています。
ちなみに、ブラジルの日系人の間では、日本の教科書に中南米への日本人移民に関する記述を含めてほしいという運動が展開されていますが、日本ではほとんど関心が示されていないのは大変残念なことです。
1990年以降、デカセギとして来日するブラジル出身の日系人が急増し、一時は約32万人に上りましたが、2013年現在は約21万人に減りました(2008年のリーマンショックと2011年の福島原発事故のため)。それでも、日本の学校で義務教育課程にある外国籍の子どもの数としては、中国、韓国・朝鮮籍に次ぐ3番目に多いのがブラジル籍です。 (『日本の子ども』『第二次世界大戦』 翻訳は省略)
ブラジルの米生産量は西洋世界随一で、ご飯をよく食べる国民です。その背景には、日系人やイタリア系・アラブ系住民の食文化の影響があったのではないかという説もあります。実際に、上記移民の少ない北東部ではご飯はあまり食べられません。(『詩人セザル・オベイドの「おいしい韻」より抜粋 ご飯とフェイジョン豆』 翻訳は省略)
文責:田島 久歳城西国際大学国際人文学部教授)2013年11月