ホーム  

山本美紀子さん(旧姓・尾関) 文芸科13回生

文芸科を卒業して以来、編集企画の会社を設立し、仕事とは別にアジアの苦学生のための留学生ハウスを設立したりと、精力的な活動を続けていらっしゃる山本美紀子さんよりお便りが届きましたのでご紹介いたします。

40年分の近況報告

昭和 42 年に立正学園短大文芸科を卒業後、編集取材等の出版関係の仕事に携わってきました。 48 年に結婚した後はエディター、ライターとして、今でいうフリーランサーの道を歩み、 63 年には会社案内、社内報、そして各種商品カタログ等の編集企画の会社を立ちあげました。

またその頃、留学生向きの日本語教師の講座を受講していたことが縁で日本語教師の誘いを受けた事をよい機会と思い、日本語中級クラスの教師を引き受けました。毎週木曜日、朝 9 時から夕方 4 時半までが私の授業担当でした。しかし実際は、水曜日になると、翌日の授業のための教材作りやフラッシュカード作りの準備に追われ、結局週 2 日がかりの仕事となっていましたが、留学生に日本語を教える事の喜びと、やりがいの方が大きかったように思います。

しかしこうした留学生を通して知った一つに、彼らにとって保証人を必要とする日本での部屋探しの難しさがありました。多額な借金をしてまで日本に学びにきた若者にとって、衣食住の住が保証されていなかったのですから、住まいは彼らにとって深刻な問題でもありました。幸い私の小さな会社が軌道に乗りつつあったことを契機に、留学生の誰もが住んでみたいと思う留学生アパートの設立を思い至りました。それが、トイレ・浴室・エアコン付きの1 K で 8 室の「ミキスチューデントハウス」の誕生でした。 1994 年 9 月スタートから今日まで、中国・韓国・台湾・東南アジア各国・ブラジル・イスラエル・チュニジアなどから合計 50 名以上の留学生が、ここで学生生活を過ごしております。母国と日本の相互理解増進のための、架け橋的存在として活躍する当ハウス出身の留学生もめずらしくありません。私にとってミキスチューデントハウス設立の動機は、「日本を好きになって帰国してもらいたい」という一念からでした。民間同士の温かい交流こそが、何にも増して平和への強いギャランティーであるとの考えでやってきました。この気持ちは、設立当初から今日まで変わることはありません。

ところで、私の最新の近況報告としてお伝えしたい事がもう一つあります。今年 7 月 9 日に東京都主催による「心の東京革命・東京あいさつフェスタ」に参加したのをきっかけに、 8 月末より、多摩川線沿線の田園調布・多摩川などの 5 駅で「あいさつ運動」を行ってきました。挨拶は人と人とのつながりの基本と思っておりましたが、最近の風潮では、そのつながりの手段は携帯やメールなどに変わってきております。しかし、携帯やメールでのあいさつは、安心や安全といったものに広がっていきませんし、人とのコミュニケーションも閉鎖的であります。

“愛情の反対は無関心”といったのは、かの有名なマザーテレサでありますが、よりよい人と人との繋がりをつくる上にも、また豊かで潤いのある社会にするためにも、家族・ご近所・知人への声かけあいさつが果たす不思議な力をもっと活用したいものです。

私は「おはよう」から「おやすみ」までの挨拶を始め、ありがとうの感謝のこころ、もったいないと思う物を大切にする心、年配者を敬う心などは、次世代に渡すべき日本人の文化遺産と思っております。ですから本当に挨拶は最初の一歩として考えています。 50 代になって再び大学の門をくぐり、T大学その後W大学大学院(修士)を卒業しましたが、こうした考えが私の心の根底にあることも、振り返ってみれば立正学園短大での教えが生きているからかもしれません。私が住んだ石川台寮では毎食事時、手を併せ「いただきます」の感謝の言葉を添えていたものです。

とげとげしい世の中にならないよう挨拶が自然に交わせる社会を願って、地味ではありますが「あいさつ運動」を今後も続けていきたいと思っております。


「ミキスチューデントハウス」の HP
http://www.mikistudenthouse.com/ 見てくだされば嬉しく存じます。