文教大学国際学部

国際ボランティア

若者が明日のドアをたたく、聞こえますか

国際学部教授・文教ボランティアズ顧問
中 村 恭 一
 
 国連安保理決議1244でコソボ紛争が終結し、国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)が設置されてまもなく、私はニューヨークからコソボに赴任した。1999年8月のことである。
 
 マケドニアの首都スコピエから国連が仕立てたバスでコソボに入ってまもなく、まず私を驚かせたのは、紛争の傷跡ではなく、平和そのものの牧歌的な田園風景だった。なだらかな緑の丘が織物のひだのようにゆったりと幾重にも延び、その間を草原が埋め尽くす。もし牛を追う農民の姿でもあれば、恐らく私は目的地を間違えたのだと不安にすらなっただろう。
 
 だが片側1車線、中央分離線すらない狭い道路をバスに揺られて3時間近く、州都プリスティナに着いて、国連職員臨時宿泊所となっていた元セルビア軍将校宿舎の簡易ホテルに着くと、紛争直後の町であることが直ちに実感できた。日が暮れたというのに、ホテルの6階の窓から見る町には明かりらしいものは何もない。バスルームの水は出ず、代わりに水の入ったコカコーラの2リットルビンが数本置かれている。まもなく自家発電機が動き出した。だがホテル内は照明されたものの、エレベーターは不通である。美しい自然の姿に見とれた昼間とは打って変わり、私はまさに紛争地で旅装を解くことになった。
  それから15カ月。私は、国際社会の救援復興活動とコソボ史上初めて行われるべき選挙による民主社会の建設のためのコソボ住民に対する広報啓蒙活動の責任者として、さまざまな国籍の元ジャーナリストらから成る広報チームを率いてコソボ中を走り回った。夜間外出禁止令の敷かれた真っ暗闇の深夜、ひとり車で地方から州都に戻るのはしばしばだった。凍てついた道路で、チェーンをはいた四輪駆動車をスリップさせて肝を冷やしたことも何度かあった。コソボの冬は氷点下20度以下になることも珍しくない高原性内陸気候である。しかし80年代に電力による地域暖房化という近代化があだになって、停電中は首都と言えども私たちのアパートや下宿を含めて暖房がない。コソボの冬の厳しい生活は、国連のさまざまな平和維持活動や紛争後活動の中でも最悪の条件と言われた。
 
 そのような状況の中でも、ベルナール・クッシュネル国連事務総長特別代表は、コソボの民族間融和と再建のために奔走した。私はしばしば彼に同行して、タウンミーティングや地元有力者との会談のためにコソボ各地を訪れたが、30年前に国境なき医師団を創設したこのフランス人医師は、アルバニア系であると否とを問わず、コソボ住民の心を見事につかみ、2000年10月末にはコソボ最初の民主的な選挙を成功させた。 ニューヨークの国連本部にいる国際官僚には必ずしも評判は芳しくなかったクッシュネル氏だが、紛争後のコソボ再建に果たした彼の役割は実に大きなものだったというのが、常にそばで見ていた私の実感である。
 
 この強力な指導者に加えて、私が強い感銘を受けたのは、世界中から集まったNGOやボランティアたちの活動である。世界に名だたる大NGOは、その組織力、行動力、資金力に物言わせて、各地でコソボ復興に大きな力を発揮した。それらの大NGOに伍して、日本のいくつかのNGOもまた、着実に守備範囲を守り、厳しい冬を目前にしたコソボ住民の越冬作戦やその他の救援活動に貴重な役割を果たした。日本で集めたセーターを持ってきて、住民たちに配って回る青年たちもいた。彼らのある者は休職をし、ある者は退職覚悟でコソボにやって来ているのを知ったとき、彼らが日本のあるべき明日の姿を求めて一生懸命ドアをたたいているのを私は知った。
 
 年が明けて、私は17年間の国連生活に終止符を打ち、春が来て大学の教師になった。コソボで出会った青年たちの意気とエネルギーをぜひ私の学生たちと分かち合いたいと密かに願っていた。
学生たちの顔を初めて見たとき、私の思いは瞬時にして大きな確信になった。『この若者たちは、コソボで出会った青年たちに劣ることなく、私と思いを共にしてくれるに違いない』。
 
 私は直ちにコソボにおける学生ボランティア活動の可能性を探った。幸いにコソボでの勤務中に知り合ったNGOで、私の考えを支持してくれるNGOがあった。アドラジャパンである。国際NGOとしては実績十分のアドラ・インタナショナルの日本支部である。塚本俊也・支部長やそのスタッフ、それに何よりもコソボでボランティア学生を引き受けてくれるコソボ駐在代表の渡部真由美さんらの全面的な協力がなかったら、私の思いも中空を浮遊する幻想に終わっただろう。東京事務局での全面的支援を担ってくれた橋本笙子さんも含めたアドラジャパンの皆さん、ありがとう。
 
  私がコソボでのボランティア活動の計画を明かすと、多くの学生たちはたちまち参加の希望を表明した。若者たちは新しい可能性を試すべく、とっくに準備が出来ていたのだ。
 
 私は、この事実をすべての関係者に認識してもらいたいと願っている。関係者とは、大学関係者や学生の家族にとどまらない。政府も地方自治体も企業も、日本というこの私たち共有の社会の将来と国際的な信頼を若者たちに託さねばならないすべての人々である。
 
 ここにお届けするのは、文教大学学生によるコソボ・ボランティア活動の報告である。文章はまだ学生のそれではあるが、その奥に潜む彼らの熱い思いはきっと感じ取ってもらえると思う。そして彼らの思いの向こうには、彼らの、そしてもっと広く日本の若者たちの力を必要としている人々がいることも、知ってもらえることと思う。