文教大学国際学部

国際ボランティア

雨ニモマケズ

国際学部教授・文教ボランティアズ顧問
中 村 恭 一
 
宮沢賢治が病床にあって、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」と記したのは1931年である。それぞれの国の思惑と身勝手さ故に、世界が第二次世界大戦に向かってひたひたと歩を進めていた時だった。地球上の市民が力を合わせて平和で豊かな人間社会を築こうなどという高邁な思想からは、もっとも遠い時代であったと言える。
  そんな時代に賢治は書いた。私の心を捉えて離さないのはこの詩の後段である。
 
東ニ病気ノコドモアレバ、行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ、行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ、行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ、ホメラレモセズ、クニモサレズ
サウイフモノニ、ワタシハナリタイ
 
無惨な戦争が終わって、世界は大きな反省の上に国際連合を創設した。そして最初の活動機関としてつくったのが、戦火によって東や西に残された飢えや病気に苦しむ子供たちを救う機関、ユニセフである。以後次々生まれた国連機関と国連の活動は、まさに賢治が象徴的にうたった活動を実践するためだったかのように見える。世界保健機関、国連農業食糧機関、国連難民高等弁務官事務所、国連人口基金、あるいは紛争調停や平和維持活動等などである。
  しかし賢治の心にもっと近い活動は、国連機関というより、日本の現在のNGOの活動だと言えるのではないか。東の病気の子供のために、西の疲れた母のために、南にいる死にそうな人のために、そして北で起きている紛争のために、日本のNGOはしばしばくじけそうになる自分に鞭打って、涙を流したり、おろおろ歩いたり、心の中で「世間から見れば、自分は木偶坊でしかないのだろう」とさいなまれながらも、だからと言ってその道の歩みを止めることはしない。賢治の宇宙観も70年後の現代を見据えていた。
  日本では今、外務省や文科省はもとより、政府を挙げて国際協力、特に国際平和協力分野で“活躍”できる人材の育成に関心を高めている。その一例が、国際協力50周年記念事業として04年9月30日東京で開かれた「我が国の国際平和協力分野の人材育成強化における大学の役割」と題したシンポジウム(国際開発高等教育機構・文部科学省主催)である。流れには私も反対ではない。しかし、何か大事なものを見落としているように思えてならない。上に敢えて“活躍”と書いたのは、政府が目指すのは、日本政府の看板を背負って華々しく国際舞台で“活躍”する人材、あるいは国連などで“活躍”できるスター的人材であって、本当に民衆に直接貢献している地道なNGOのような活動家ではないのではないか、と思えるからである。
国際協力の場で活動したいという希望を持っている青年は決して少なくない。しかしこういう青年たちに活動の機会が十分に与えられているかというと、そうではない。あるのは手弁当同然の、ヒデリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ、ミンナニデクノボウトヨバレるのを覚悟しなければ出来ないような、自己犠牲の上に成り立つNGOの仕事でしかない。そのNGOの仕事とて、参加するのは容易ではない。社会にその存在を認められたNGOの専従職員への門は、世間で考えられているよりはるかに狭い。だから個人ベースで、まさにミンナニデクノボウ呼ばわりされながら取り組む他はない。イラクで人質になった個人NGO活動家、高遠菜穂子さんの場合は、その実績にもかかわらず政府から厳しく糾弾された。パウエル国務長官らが、個人の国際貢献を高く評価したために、さすがに政府の批判もトーンダウンされるようになったが、国際協力とか国際貢献とかは言葉では美化されても、ひとたび事あれば政府ですらこうだから、世間の認識は欧米のそれとは比較にならない。一般の人が、あるいは企業がNGOを通じて国際協力に参加する意識も一向に育たない日本だけに、NGOの資金不足、民間寄付金不足は慢性的、致命的だ。資金のないNGOは、青年たちを採用し、活動を拡大して日本の国際貢献をより発展させるというNGOの存在価値を充実させることが不可能になっている。
国際協力分野での人材育成は、職業としてのやりがいだけではなく、それに参加する人材の人生が豊かになることが見えてきたときに活性化する。スポーツの世界と同様に、それに参加する人たちが重層のピラミッドを形成し、それぞれの層でやりがい、生きがいが見つかるときに初めて国民的、国家的関心事になり得る。一部エリートだけの育成を目指しても、底辺のない機構の発展は難しい。底辺充実と地元密着で繁栄してきたサッカーの一方で、頂点球団だけの栄光を追い求めて衰退の一途をたどってきたプロ野球の現在の姿には、大きな教訓が潜んでいるように私には思える。
 
文教大学国際学部は04年春、国際開発協力の専門家である林薫氏を国際協力銀行から教授に迎え、国際ボランティア委員会委員長をお願いした。夏の東チモール活動では、既にコソボ・ボスニア等の紛争後復興地でも学生のボランティア活動の指導で実績を積んでこられた生田祐子助教授と共に現地で指導していただいた。海外ボランティア活動も既に4年。NGOで活動する人、青年海外協力隊に参加する人も生まれている。この人たちが、国際協力は自己犠牲ではなく、喜びだ、生きがいだと思い続けられる時代が来ることをただただ祈るばかりである。
(文教ボランティアズ・アドバイザー、国際ボランティア委員会顧問)