文教大学国際学部

国際ニュースの読み方

国際ニュースの読み方

新聞を読んで 06年7月8日

1. サッカーのワールドカップもいよいよ大詰めとなりました。決勝戦はフランス対イタリアという隣国同士の対決です。日本チームは残念な結果に終わりましたが、スポーツの世界では、勝ち組が生まれるには、必ず負け組みが必要です。いずれも勝者になるいわゆるウイン・ウインという関係は勝敗を決するスポーツにはあり得ないので、いたし方ありません。

2. それにしても、中田英俊選手は、一流のサッカー選手であっただけではなく、一流の演出家、芸術家の才能にも恵まれていたようです。ブラジル戦で破れた瞬間、緑のピッチ中央で大の字になった彼の姿は、まるで映画の最後のシーンそのものでした。もしこの役を演じているのが、日本チームの第一人者、いや日本のサッカーの技を世界に紹介した中田選手でなかったらどうでしょうか。それは劇的な一枚の絵と呼ぶには程遠く、負けっぷりの悪い、スポーツ選手にはふさわしくない醜い光景となっていたに違いありません。少々大げさな言い方をすれば、世界を極めた選手だけに許される最後のわがままだったような気がします。

3. 4日付け火曜日の新聞各紙は、一面で、これまた劇的な彼のプロのサッカー選手としての引退劇を報じました。朝日新聞と産経新聞では、「中田英 引退」とする全く同じ大きな同じ見出しの下、一面トップ記事です。毎日や読売ももちろん一面のニュースです。スポーツ面見開きだけでなく、社会面でも、大きな見出しで中田選手のワールドカップでの孤軍奮闘ぶり、あるいは彼の孤立する性格、さらには秀でた才能に加えて誰よりも努力してきたこれまでの日々がつづられていました。

4. 引退発表の記者会見はなく、彼のインターネットのホームページで、自らのシナリオどおりに突然引退を表明しました。私はこの鮮やかな演出に感心しました。なぜなら、通常の引退発表の記者会見でよく見られる、「この決断を誰に相談して決めましたか」「サポーターの皆さんに最後の言葉を」などという愚問が一切排除されているからです。独善といえば独善ですが、中田選手なりに練りに練った言葉で、決意を語っています。愚問の繰り返しもなければ、愚問に不愉快な反応を示す中田の姿もありませんでした。

5. 引退声明には「人生とは旅であり、旅とは人生ある」とのタイトルがついていました。これを読んだ多くの人は、それぞれの記憶の中にある「人生と旅」を結びつける言葉を思い出したことでしょう。新聞の一面コラムニストたちもそうでした。

6. 朝日新聞の天声人語は、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と書いた芭蕉の「奥の細道」を連想しました。読売新聞の編集手帳は、ゲーテの「ファウスト」を持ち出して、天上の一番美しい星と地上の一番ふかい楽しみを求めた主人公ファウスト博士と中田英俊を対比させる賛辞を贈りました。毎日新聞の余禄は、「出所進退の出と進は人の助けが要るが、処と退は自らなすべきだ」という幕末の河合継之助の言葉を引き合いに出し、「どこかの銀行のトップのことを言いたいのではない。その引き際こそが人の個性を際立たせるという人生の真実を思い起こさせる日本サッカーの顔の引退だ」と書きました。日本経済新聞の一面「春秋」も産経新聞の一面「産経抄」も中田英俊の引退劇に絡めてのコラムとなりました。

7. 時間がたてば、恐らくもっと冷めた目で中田批判をする人が出てくるでしょう。しかしスポーツはプレイしている躍動的な瞬間にこそ美があります。それに感動する私たちは、今回中田英俊の引退の瞬間の美に感動したのかも知れません。中田英俊の引退に関する何千行という新聞の記事を読みながら、美を演出して多くの人を感動させ、考えさせることができる中田英俊の才能に私は感心しました。

8. しかし中田英俊という青年によってもたらされた多くの日本人の感動と感傷は、一日にして吹き飛ばされました。5日北朝鮮がかねてから懸念されていたミサイルの発射実験を行ったからです。中田引退の記事でにぎわった新聞は、5日付け夕刊の「北朝鮮ミサイル6発発射」という各紙ほぼ共通の見出しによる記事に続き、6日付朝刊も当然ながら、この問題に関する詳細な記事で埋め尽くされました。「暴挙」「無謀」「孤立」「制裁」という言葉がどの新聞にも大きな活字で踊りました。

9. 中田英俊が一人芝居の名人ならば、小泉首相もまた核心を突く短い言葉を見つける名手です。北朝鮮の愚考について、いわゆるぶら下がりと呼ばれる短い首相の会見での言葉をもっとも長く引用している6日付読売新聞によれば、小泉さんはこう述べています。「どういう意図があるにせよ、北朝鮮にプラスはない」「対話の余地は常に残さなければならない。対話なしには解決できない」。「北朝鮮にプラスはない」「対話なしには解決できない」。この二つの言葉が今回の北朝鮮問題のすべてを語っているように思います。

10. しかしこの事件に関する新聞の社説を読むと、新聞はいつから政治の当事者になったのかと、少なからず驚いてしまいます。国際問題を見る姿勢としては、どちらかといえば共感できることが少なくない朝日新聞と毎日新聞の社説を読んで、まるで政府か政党の機関紙でも読んでいるのではないかという思いに駆られました。

11. 「無謀な行動に抗議する」と題した6日付朝日新聞社説は、発射実験という凍結という日本との約束を破り、国際社会の制止も無視したと述べた上で、「無謀で無責任な行動に強く抗議する」とまるで朝日新聞に対して何かが行われたかのような怒りをぶちまけ、「核弾頭が積まれていたらとぞっとした人は少なくないだろう」と恐怖を煽ります。今の段階で北朝鮮が核弾頭やそれを積むようなミサイルを持っていると誰が考えているでしょうか。「米国もあらゆる必要な措置をとるとしつつ、外交的な解決を目指すという。冷静に、しかし厳しい態度で臨むという方針で足並みを揃えたい」とも書きます。冷静にという言葉は使いながらも、「厳しい方針で足並みを揃えたい」というような表現は、新聞の社説が使うべき語法でしょうか。

12. 毎日新聞の社説の言葉も負けてはいません。「国際社会は挑発許すな」の見出しの下、北朝鮮の行動について、強く非難したい、東アジアの平和と安定を脅かす挑発行為だ、国際社会への挑戦、日朝両国の首脳合意を覆す許し難い行為、世界は許さない、等と激烈な言葉が並びます。新聞が怒りを煽る言葉で満たされるとき、それはいつしか進軍ラッパになるのではないか。朝日、毎日の社説を読んだ空しさに対して、今回はクールさの中に決意のにじんだ小泉さんの言葉の方に迫力を感じました。

13. 一方読売新聞の社説は、言葉遣いも丁寧で慎重でした。見出しは「国際社会への挑戦だ」としながらも、「無警告のミサイル発射は到底、容認できるものではない」「日本として、なしうる限りの制裁措置を発動するのは当然である」「韓国には、日米と結束して、対『北』包囲網の一角となってもらいたい」「日本も米国と協力しつつ、今後安保理だけでなく、主要国首脳会議等 あらゆる機会を通じて、国際社会の結束を固めることに全力と尽くさねばならない」と、静かに訴えています。国民が怒り、興奮しかねない事態においてこそ、言論のリーダー役を標榜する新聞、ことに社説の論者たちには、国民の冷静な思考を促す言葉遣いの工夫を望まずにはいられません。

14. まもなくロシアのサンクトペテルブルグで先進国首脳会議が開かれます。これを視野に、去年のサミットのホスト、イギリスのブレア首相の訴えが5日付読売新聞に掲載されました。ブレアさんは、世界のODA総額が2005年に1千億ドルを超えたこと、2010年までにこの額を1300億ドルにするという国際目標に近づいていること、そして国民総所得の0.7パーセントを開発援助に回すという国際目標をイギリスは2013年までに達成するとした上で、先進国の国民一人当たり1日4円相当を提供するだけで、世界でもっとも貧しい国の学校に行けないすべての子供を学校に通わせることが出来る、と訴えています。一国の首相が外国の新聞に寄稿して、途上国支援での協力を訴えるという姿勢は印象的です。

15. この数年、米、英、仏、独などの主要先進国はすべてODAを大幅に増やし続けていますが、日本だけはODAを減らし続けてきました。昨年は30億ドルつまり3千億円を越す債務帳消し等のイラク支援のために日本のODAは増加に転じましたが、イラク支援は、イラク戦争がなければ不要であったばかりか、アフリカやその他世界で本当に日本の支援を必要としている貧しい国への援助とは無関係でした。日本がイギリスの言う対国民総所得での世界のODA目標水準0.7パーセントに達するためには、今のODA額を3倍以上にする必要があります。金額そのものでは、日本のODAはアメリカに次いで今なお世界第2位ですが、この名誉ある地位もイギリスやフランス、ドイツに脅かされています。

16. 中田英俊は惜しまれながら、世界的な名誉ある地位を降りました。しかし日本が、援助大国としての名誉ある地位を降りるのは、惜しまれるというより、あってはならないことです。この日本の名誉喪失の危機問題を新聞にはもっともっと取り上げてもらいたいと願うばかりです。